てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

日馬富士暴行事件の解説③ 白鵬憎し!白鵬が悪い!という異様な言説

前回の日馬富士暴行事件の解説② 「暴力は良くない」ーで思考停止する愚かさ ーの続きになります。

 貴乃花改革はなぜ失敗するか?そんな話をしたいと思います。前回の拙分析は、そもそもモンゴル互助会による星の貸し借り、「注射」に踏み込んでいない。問題の背景にある、貴ノ岩白鵬日馬富士鶴竜らモンゴル力士の星の貸し借り・回しあいの誘いを無視したことを論じていない。故に片手落ちであると、感じた方も少なくはないでしょう。ではなぜ、そのロジックを入れなかったのか?

 ここでその話を詳しく書く予定だったため、前回語ってしまうと乱雑になってしまうことが一つと、そもそも今回の事件に「星の貸し借り」云々はそもそもあまり関係がないことですね。

■今回の日馬富士の暴行は「注射」は副次的な理由
 え?モンゴル互助会の誘いを断ったことが事件の引き金ではないの?と思った方も多いと思いますが、今回の事件はその論理が背景にあれど、根本的には関係ありません。というのは、もしモンゴル互助会の誘いを断ったことが真因であるのならば、貴ノ岩潰しはもっと巧妙に行われるものだからです。

■呆れ返る妄説―主犯白鵬
 流石に馬鹿すぎて、呆れ返ってしまったのですが、夕刊フジのこのような記事がありました→主犯は白鵬、日馬富士暴行は忖度 貴ノ岩への説教がすべての発端だった 貴乃花親方との遺恨もヒートアップ。この記事によると、白鵬の説教が原因で、白鵬の心情を忖度した日馬富士が暴行をしたと。だから主犯は白鵬なのだとか。おお…もう…。なんというか論理性のかけらもないというか、笑っちゃうくらいバカなロジックです。

 今後、説教というか人と話をしている時に、同席している人が暴力を振るったら、それは話を始めた人間がやらせたことで、その人間にも暴行の責任があるという無茶苦茶な論理がいつ登場してきても不思議ではないですね(※文末にこの件について新展開があったので追記します)。週刊文春によると目配せをして日馬富士貴ノ岩を殴らせたようです。目配せってなんですか?日馬富士の方向をチラッと見ただけで暴行を指示したことになるんですかね?そんなことで暴行指示の証拠になるのなら、我が国は冤罪だらけですよ。そんな説明、書く側のさじ加減ひとつでしょうに。

 白鵬が日馬富士暴行事件の主犯だった…「驕った横綱」、貴乃花親方追放を主導という蛮行―これなんかには、カラオケのリモコンで日馬富士が殴ったところ、白鵬が「モノで殴るのはやめろ」と止めに入ったことを、「これはモノを使わなければ殴ってもよい、オレのために鉄拳制裁を続けろ、ということだ」と主張しています。自分に都合のいいように都合のいいように、文書を読み取る。現代文のテストでそういうことをすると、点をもらえないと習わなかったのでしょうか?この人は*1。また石原慎太郎氏も同様の意見だとか…。まあ、あれな人なんで、どうでもいいですかね…。

 こういう手合はごく少数にすぎず、こんなバカな意見に賛同する人は殆どいないと思ってツイッターを見たら、かなりの人が「そうだ!白鵬がやらせたんだ!謝罪しる!処罰しる!」という意見が多数…。これ本当どうなってしまったのでしょうか…。こんなにリテラシーのない人で溢れかえってしまったのでしょうか、我が国は…。

■派閥として制裁を加えるとしたら日馬富士が実行するはずない
 説明するのも馬鹿臭くて嫌になるのですが、そもそも最初から、モンゴル互助会に参加しない貴ノ岩を吊るし上げる・制裁を加えるという目的ならば、もっとうまくやるに決まっているでしょう。そんな飲み会の席でやらない。酒の場で、二次会でなんで殴り掛かるのですか?巡業や本場所でもいいし、もっと汚い手段でもっと闇討ちめいた手段でもいい。潰す目的ならばもっと巧くやるでしょう。

 そして何より、現役横綱である日馬富士が「潰し役」「処刑執行人」に任命される訳がない。モンゴル人力士の若手やこれ以上はもう上り目がないというロートルにやらせるに決まっている。汚れ仕事は、組織の序列の下位の者がやるに決まっているでしょうに。ナンバー2、3に列する彼がなぜ手を下すと思うのでしょうか…?

 一体、現在モンゴル人力士がどれくらいいるか?*2
横綱 日馬富士(はるまふじ)
西横綱 白鵬(はくほう)
西横綱 鶴竜(かくりゅう)
東関脇 照ノ富士(てるのふじ)
東前頭筆頭 玉鷲(たまわし)
西前頭四枚目 逸ノ城(いちのじょう)
西前頭五枚目 荒鷲(あらわし)
東前頭六枚目 千代翔馬(ちよしょうま)
東前頭八枚目 貴ノ岩(たかのいわ)
十両二枚目 旭秀鵬(きょくしゅうほう)
西十両四枚目 東龍(あずまりゅう)
十両八枚目 青狼(せいろう)
東幕下三枚目 大翔鵬(だいしょうほう)
東幕下四枚目 水戸龍(みとりゅう)
西幕下五枚目 鏡桜(かがみおう)
東幕下二十三枚目 朝日龍(あさひりゅう)
西幕下二十六枚目 豪頂山(ごうちょうざん)
東幕下三十六枚目 魁(さきがけ)
東幕下三十八枚目 旭蒼天(きょくそうてん)
西幕下四十九枚目 霧馬山(きりばやま)
西三段目二十一枚目 翔天狼(しょうてんろう)
東三段目五十五枚目 佐田ノ輝(さだのひかり)
 ここにいるだけで22人(日馬富士が辞めて21人です)。これだけモンゴル系がいることを見れば、日馬富士が手を下す必然性がどこにもないことがわかりますね。そういうモンゴル互助会の痛いところを探られたくなければ、同じ部屋や一門の日本人力士に頼んでもいいでしょうしね。

貴ノ岩にとってもモンゴル派閥のトップとのコネは重要。
 むしろ、鳥取城北OBというつながりで照ノ富士逸ノ城以外の派閥も持てる。モンゴル派閥のトップ3との同席の場を持てるということはモンゴル派閥内での序列が着実にランクアップしたという意味で、彼にとってもプラスな出来事のはずです。八百長や星の貸し借りを断る・断らないにせよ、彼の序列は着実に上がる。良いことになりこそすれ、悪いことになるはずがない。そもそも前からモンゴル会に顔を出していたと言うので、貴ノ岩はこの会への出席についてそれほど否定的だったわけではないでしょう。

 親方から、モンゴル会に入るなよと言われていても、所属している・いないの中間、微妙な位置をキープしようとしていたのは間違いないでしょう。どうあがいても彼はモンゴル人であり、日本人の何処かのグループ・派閥に所属することは出来ないのですから。「注射」をするにせよしないにせよ、モンゴル派閥にべったりにならないにせよ、良い付き合いをしたいと考えていたはずです。

 モンゴル互助会と言っても、最終的に皆が得をするように千秋楽数日前に調整をするレベルで、1から100まで「注射」をするわけではない。「注射システム」の維持を至上命題とした組織ではないので、白鵬を破る実力を示した貴ノ岩についても、それはそれとしてそこそこうまい付き合いをすることは可能だったはずです。そういう状況・場所で貴ノ岩を吊るし上げるつもりだったとは考えにくい。今回の説教のようにいろんなルールやマナーを教え込もうという意図はあっても、制裁を加えるまで行くとは考えにくい段階。

 ポイントになるのは、新しい実力者として貴ノ岩が登場してきたにも関わらず、「ガチンコ力士」としてモンゴル互助会の「注射」を否定してモンゴル会で浮いた存在であったのにも関わらず、政治・立ち回りがドヘタクソだったということです。

■空気の読めない貴ノ岩
 星の貸し借りを否定してあまり良く思われないという前提があるのならば、彼はその自分の立場のまずさを理解してなるべく付き合いを避けたり、それでも3横綱から「かわいいやつだ、こやつめ、ははは!」と言われるような付き合いをしなければならない。先輩に好かれるような人心操作術に長けていなければならない。

 ところが真逆のコミュニケーション障害というか、空気の読めないタイプ。この場がどういう場で、自分がどういうポジションで、どういう立ち居振る舞いが求められているのか?その上でどう振る舞ったら良いのかなど、そういう微妙な心理やアヤということがわからないタイプ。だからこそ今回のような事件になってしまった。

 「ガチンコ」を貫きたい、しかしそうすると「注射」系力士との反発を招く、モンゴル以外にも他の先輩力士と無用の対立を招いてしまう。ならば「ガチンコ」を貫くために、いかにして先輩に好かれるか?ということを考えた行動をしなければならない。普段から、尊敬しているとか、あの技術が素晴らしくてなんとか真似しようとしているけど出来ないとか、社会奉仕活動が素晴らしくて、自分も真似を始めたとか、まだまだ足元にも及ばない―などなど、なんでも良いですが、とにかく相手を尊敬しているということを示さないといけない。そういう配慮が彼にはなかった。だからこそこういう事件に発展してしまったわけですね。まあ、郭嘉孫策はいずれ暗殺されますよと予想するようなものですかね。配慮が足りない尊大なタイプがこうなるのは必然ですからね。

 「これからは俺たちの時代だ」―そういう言葉が、白鵬らの耳に入ったらどうなるか考えられない。また今回「だからモンゴル人はダメなんだ。こういうことは自分たちの代で終わりにする」と言ったとか。これは裏が取れていないので、あれなんですが、これが本当だとしたら本当にアホ。まず、注射のことは関係なく、自分の態度の問題、礼儀作法の問題が指摘されている&殴られているのに、自分が星の貸し借りを断ったから、殴られていると主張したわけですからね。とことん他人の怒りを招くタイプの人間と言えるでしょう。

白鵬が暴れる日馬富士を止めるべきだった説は妥当ではない
 また、白鵬日馬富士を止めるべきだったという意見もありました。これは一概にそうとも言いきれない要素があります。もっと巧く止めるべきだったならそのとおりですが、白鵬がすぐ止めるべきだったとは言えない事態でした。

 前回書いたとおり、日馬富士貴ノ岩の無礼な態度にスイッチが入ってしまった、アドレナリンが大量分泌されて超興奮状態にある。のぼせ上がった状態。そんな状態の彼を止めようとしたら、「うるさい、バカ!邪魔するな!」と攻撃される可能性がある。そうなったら、前代未聞の現役横綱同士の私闘ということになってしまう。そうなれば今回の事件の比でない一大スキャンダルになったでしょう。その最悪の可能性を考えれば、日馬富士の興奮が収まるまでしばらく発散させてピークが過ぎて、少し落ち着いた時に止めに入るというのが正解。白鵬が数発~十発叩いたあと、止めに入る。暫く様子見して息が切れたあと、一息ついたあと、彼を外に連れ出したというのなら、それはそれで正しい判断だったといえるでしょう。

 本当なら白鵬横綱が手を出してはダメだと止めるべきで、それを「うるさい!」とでも振り払って聞き入れなかったなら、貴ノ岩との間に入って手を出さずに攻撃を代わりに食らうべきでした。そして「貴ノ岩!いいから外せ、逃げろ!」とその場から退出させる。そうして場を収める。本来ならこれが取るべきベストな行動だったでしょう。

 しかし、可愛い後輩ならともかく、どうでもいい生意気なバカ野郎ですから、様子見をしてからという手段を取ったということでしょうね。単純にご飯食べたあとで、しかも酒が入っていて、そういうコンディションじゃなかっただけかもしれませんが。

 まあ、格闘家である以上、酒席のトラブルはあり得る出来事ですから、もうちょっと上手い対処法考えておいてもよいかと思いますね。貴乃花親方が一般人を巻き込んでいたらどうしたんだと言ってましたが、まず謝るべきはその大暴れしたお店のオーナーでしょう。ちゃんと謝りに行かないといけませんよね。迷惑をかけた第三者にきっちり詫びを入れに行くことのほうが重要だと思うのですけどね。そのような話は全く聞きませんね。


 白鵬憎しのあまり、おかしなことを言う輩があまりにも多いため、こんな当たり前のことをわざわざ解説しました。とにかくあらゆる責任を白鵬に取らせようという、無理矢理な論理が目につきます。横綱はなんでもこなせるスーパーマンだという前提であらゆることが出来るはずだというロジックがありますね、丸山真男だったか、山本七平だったか忘れましたか、「無限責任」をもった存在であるかのように扱いすぎだと思います。

横綱の品格を持ち出して白鵬を批判するおかしさ
 ついでなので、白鵬への非難についてコメントをします。千秋楽での万歳三唱について、横綱の品格上好ましくないという意見が見られました。

 茂木健一郎氏が、過去にこのような時に横綱の品格を持ち出す人間が私は苦手だとコメントしていましたが、そもそも「横綱の品格」とはなんなのでしょうか?横綱とは~というもので、だからこそ横綱は~という言動をとらなくてはならない。これが横綱の品格である―という納得できるロジック・主張を聞いたことがありません。

■万歳三唱は素晴らしいファンサービス
 先のリンクでは伝統美だから勝ち負けで感情を表してはならないという意見でした。勝ち負けについて感情を発露するのは礼節に欠ける行為であり、見苦しいことだから慎むことというのは良いでしょう。この点については同意見です。がしかし、優勝インタビューで、万歳をすることは勝ち誇ることであり、許されないということは違う。だったら優勝インタビューなどそもそもする必要がない。相撲には神事の側面・要素があると同時に、格闘技・興行という要素がある。優勝インタビューという場面では興行という要素を重視してファンサービスをすることはむしろ好ましいことです。

 マツコ・デラックス氏が、あの場面で、不祥事について何もコメントせずに済ますより、お客さんが喜んでくれるように万歳したのは良かったと思うとおっしゃってましたが、まさにそのとおりですね。万歳が正解か大正解かはともかく、他にもっとベスト手段があったのでは?という話はさておき、見に来てくれたお客さんに最大限の配慮・サービスをすべきなのですから。何の問題もない、むしろきっちり横綱の務めを果たしたと言うべきでしょう。

 白鵬前人未到の40回優勝という偉業を成し遂げた。史上初の偉業にふさわしい晴れがましいことをするという論理。その場にいたお客さんも歴史的瞬間に立ち会えたということで喜んでいたはずですからね。そして、不祥事があって、双方とももう一度土俵に上がることを許してもらいたい。水に流して再出発させてあげて欲しいということをお願いした。不祥事で揺れるなか、お客さんたちに日馬富士貴ノ岩、そして他の力士や角界全体をこれまで通り変わらず支えて欲しいという要請・お願い。そのために万歳をお願いするという論理はおかしなことでも何でもない。この件で白鵬を叩く人というのは、因縁、難癖つけ以外の何物でもないでしょう。

横綱の品格を問える品格を持ったものだけが白鵬に石を投げよ
 誰が、何を発言したか―という文脈の問題という要素もあるかもしれませんが、白鵬があの場面で万歳三唱することくらいで品格云々論じるのは異常だといえるでしょう。そもそも横綱の品格を言う人間は、品格を持った立派な人物なのでしょうか?横綱審議委員会というものがありますが、横綱に品格を問えるほどの品格通or品格を持った人物なのでしょうか?。

 そしてそもそもなんですが、横綱審議委員会が無理やり横綱に選びだした稀勢の里は、今場所もまた休場しました。稀勢の里を基準をクリアしているか言えないかの微妙なラインで横綱に昇格させてしまえば、次の場所で無理をしてしまう可能性がある。現に怪我を押しての出場&優勝で横綱に選んでよかったと思ったその直後、連続休場。結局アヤがつく昇進をさせてしまったことでこのような事態を招いてしまった。こういうことを予想できなかった横綱審議委員会に品格があるといえるのでしょうか?品格はともかく横綱審議委員会としての資格がある人物は一人もないといえるでしょうね。

■品格を持った横綱は過去の遺物、そもそも現代の価値観にそぐわない
 大横綱双葉山でさえ、璽光尊事件という新興宗教にハマって警官相手に大立ち回りをした過去を持つ。常陸山梅ヶ谷といった時代であれば、横綱の品格を持った立派な人物、品格を持った横綱がいたかもしれませんが、少なくとも現代では、横綱の品格を十全に兼ね備えた力士を見たことがある人間などいないでしょう(大鵬はそうだったのかな?知る由もないのでなんとも言えませんが)。

 品格をもった横綱などとうの昔にいなくなっている。というか前近代的な時代にモデルとされた横綱、及びその品格というのは、どう考えても現代的な価値観にそぐわない。そういう過去の理想像を現代に当てはめるのは無理がある。

横綱に品格を求めるくせに、自分の行いを改めない卑怯さ
 また、横綱の品格を持ち出す時、一番嫌悪感を抱くのは、横綱という角界の顔・力士のリーダーと呼べるものに対し、「組織の言いなりになれ」「おれの求める理想像を体現しろ」という傲慢な主張を平気ですることです。組織の不利益・都合の悪いことを全部一身に引き受けろ。ただし、おれは何もしない。横綱の品格を主張する輩というのはそういうことを主張しているという自覚があまりにもなさすぎる。

 過去記事で言及したことがありましたが、かつて、武田鉄矢氏が大鵬の事例を持ち出して、行事が差し違えて大鵬の連勝記録をストップさせてしまった時、「そもそも横綱というのは互角の攻防などしてはいけない、ギリギリの勝利などあってはならないのだ」と大鵬が述べたという美談を持ち出して白鵬の態度を批判してことがありました。しかし、それは大鵬の偉大さに甘えることであって、大鵬の器量を褒めることはいいにせよ、我々がそれに甘えっぱなしではいけない。二度とそういうことを起こさないように我々は態度を改めなくてはいけない。

 横綱の品格という論理を持ち出す際、横綱の偉大な精神性を求めるのであれば、我々はそれに応じて偉大な横綱と同じような立派な態度を取らなくてはならない、行動をしなければならない。にもかかわらず、横綱にのみその度量の大きさや、過失の責任を押し付けて自分のことは知らんぷりするという卑怯な手合があまりにも多すぎる。

 であるからこそ、個人的に横綱の品格という論理を持ち出す人間は、卑怯な輩と認定して一顧だにせず無視します。現代の横綱白鵬が仮に品格のかけらもない卑怯で邪悪な横綱だとするのならば、それは横綱の品格を守るために、横綱を育ててこなかった現代人の精神性の低さの現れなのです。そういう論理を認識しないで横綱の品格を持ち出す輩こそ卑怯極まりない醜い存在だと個人的に考えます。

白鵬はなぜ好ましくない相撲を取るようになったのか?モンゴル国籍のまま一代年寄になれないから
 さて、こういうことを論じていると、これまでの論理もあって、白鵬支持であり、貴乃花否定派と捉える方も多いでしょう。まあその要素を否定はしないのですが、それだと片手落ちに思われるので、最近の白鵬の汚い相撲についてもコメントしたいと思います。

 最近*3白鵬の取り組み、変化・猫騙しに、挙句の果てにはエルボーと、横綱としての魅力のかけらもない醜さが目立っているといえるでしょう。今場所では立会不成立をPRするという有様ですからね*4
 *5

 一体なぜこんなことになってしまったのか?それは白鵬一代年寄を協会サイドが認めないからですね。先代理事長の北の湖も、次期理事長候補の貴乃花白鵬日本国籍なき一代年寄を認めようとしなかった。故に白鵬は協会に従わなくなったのですね。これまで何度も語ってきましたが、白鵬朝青龍と違って、品行方正なタイプだった。郷に入りては郷に従えというか、元々出自・毛並みが良いので問題を起こすタイプではなかった、優等生タイプだったのでしょうね。だからこそ上の言うことにハイハイ従っていた。しかしどこまでもルールやマナーを守っていても、偉大な記録を打ち立てても、特例が認められないわけですね。他の外国人力士親方を見ていても、日本人力士と平等であるとは言い難い。日本人力士と外国人力士では見えない壁がある。じゃあ、もう自分の好きなことを好き放題やろうとなるのも当然でしょうね。白鵬にとって何のインセンティブもないわけですから、かくあるべきルール・マナーに従う必要性を感じないのも当然でしょう。

 日本国籍というよりも、神事・伝統芸能としての横綱を求めるというのならば、それこそ宗教としての神道の理解度や行事の作法を完璧にこなせるかという点だったり、伝統の歴史などの知識をちゃんと知っているかどうか、そういう点こそテストされるべきだと思うのですけどね。まあ、そんな当たり前の話が通じる組織ではないので今更ですが。

 日本相撲協会としては自分たちの方針に従わない横綱白鵬問題に引き続いて、さらにもう一つ親方貴ノ花問題を抱えることになったといえるでしょうね。さあ、相撲協会は困った、大変だ。ということで次回に続きたいと思います。貴乃花改革はありえない、あったとしても必ず失敗するという話をしたかったのですが、白鵬の話で終わってしまいました…。あまりにも難癖をつける異様な意見が多すぎですね…。

※追記です。 日馬富士暴行 他人事「白鵬」にも迫っていた捜査のメス (デイリー新潮)―この記事によると「スワット判例」なるものを用いて、白鵬を共謀共同正犯に問うというシナリオが練られたとか。 いわく、実行犯と「共同」して犯罪に及んでいなくても、「共謀」したことをもって実行犯と同等の刑罰を科す法概念のことで、2003年の最高裁判決を事例にあげています。この事例が、暴力団組長のスワット(ボディーガード)が拳銃を所持していたのは、組長の命令がなくとも、黙示的な意思の連絡があったとして、組長に共謀共同正犯が認めた事例…。
 暴力団のような組織・反社会勢力に用いられたロジックを一般人・社会に持ち込もうという論理がもう…ですね。記事では、この捜査関係者が、白鵬日馬富士の間にもこれが成立するなんていうことを主張したと。スマホを見るなんて失礼だ!と怒ったら、 「白鵬日馬富士には『主従関係』があったと見なすこともできる」んだそうです。何を言っているんだお前は…。
 もちろん真実はわかりません、一部の人が主張するように、本当に白鵬日馬富士にやらせたという可能性がないわけではないでしょう。しかし法治国家の大原則は疑わしきは罰せずのはず、明確な証拠・それを裏付ける有力なロジックもなしに、「白鵬が悪い」「白鵬がやらせたに決まっている」「白鵬を罪に問えるならなんでもいい」と論理を飛躍させて自分の好まない勢力・人間を恣意的に排除しようとする主張を平気でする人間がいる以上、このような主張を看過できないでしょう。反モンゴル=排外主義が育っているということでしょうか…?「白鵬が主犯で、モンゴル互助会の八百長が原因では?」くらいでそういう可能性があると、自分の意見を確定の一歩手前の段階で保留しておくというのなら、何の問題もないですが、意見を確定させて「Aが主犯だ!Aが悪い!」なんて突っ走ってしまう意見が多いのを見ると恐ろしさを感じさせますね。
 共謀罪が何故恐ろしいかと言えば、捜査する警察にフリーハンドを与えることになる。そのロジックの行き着く先は全体主義国家、思想統制社会。疑わしきは罰せずだったり、内面・良心の自由といった基本的な常識を知らないで論じる人間が多いことに脅威を感じますね。民主主義の死というのはその前提・礎である教育の死があるということですが、本当現代教育はどうなっているのでしょうか…。まあ昔から酷いままで、上層・上流の階級を除けば一度たりともまともだったことがないと言われればそのとおりですが。
アイキャッチ用画像

*1:山田修、ビジネス評論家・経営コンサルタントだそうです。好事家なら伝統のために横綱いなくなったって!平気だい!みたいなことを書いていらっしゃいますが、相撲ファンなのに好角家という言葉も知らないのでしょうか…?

*2:相撲協会サイトより、モンゴル出身力士一欄

*3:とするとスパン的に不適切か?直近の相撲、全て横綱足り得ない取り組みになっているわけでもなく、かなり前の時期に相応しくない立ち会いもあったりするので

*4:まあそれはそれとして、依然として相撲の巧さ・強さは際立っているのですけどね。せっかくなので今場所の取り組みをチェックしてきましたが、張り差しなどどうかな?と思うもの、足をかけるなど、個人的に?と思うところはあれど、やはり他の力士と比較して飛び抜けた内容のある取り組みだったことは間違いないでしょう。唯一怪しかったのは、逸ノ城との取り組みくらいでしょうか。かちあげのような腕の遣い方をするということは、立ち会いの圧力などが弱まっているということなのかもしれませんね。

*5:張り差し・かちあげは美しくないだとか、横綱の品格に反するといった何か勘違いしたことを言っているお馬鹿さんがいたので追記しておきますが、そもそもなんですけど、なんで張り差し・かちあげが美しくないとされるかと言えば、奇策というか正攻法ではないんですよ、張り差しやかちあげという立ち合いは。
 若乃花が「張り差し・かちあげは脇が空くからそこをつけばいいから、却ってやりやすい」というコメントを出していたように、強い方がああいう手に出てくれるということはありがたいんですよ、実力のない下位の力士にとっては。むしろ勝率が上がるラッキーな話。そういう下手な立ち合いをやっている白鵬に勝てない今の力士の立ち合いの下手くそさを同時に指摘すべきでしょう。横綱相撲という言葉があるように、横綱・強い力士というのは立ち合いで相手を受けるんですね。圧倒的な実力差があるから、相手を見て立って受け止めるような形になっても不利にならない。それどころかそれが却って有利に作用するという技術を持っているわけですね。双葉山の「後の先」何かがまさにそれですね。
 まあ、じゃあなんで、白鵬も後の先やらないの?という話になるんですけど、「品格なんかクソくらえ!なんでお前らなんかの言うことなんか聞かなきゃならないんだ!」と敢えて反発している説と、後の先に必要な「柔綿体」が出来ていないこと。強い力士というのは体を布団のように柔らかく使える。ぶつかった瞬間、柔らかい布団に跳ね返されるような感覚になるんですね、大鵬関と立ち合いでぶつかった力士はそういうコメントを出していました。それが今の白鵬には出来なくなっている説。
 おそらく前者も多少はあるんでしょうけど、後者が理由でしょうね。立ち合いでぶつかることは体に物凄い負担がかかりますから、それを最小限に抑えたい故に=少しでも長く現役を続けるために、「美しくない相撲」に拘っているのでしょう。白鵬に美しくないから張り差し・かちあげやめろというのなら、「お前の体のことなんか知らない。どうでもいい。力士としていつ壊れてもいいから真正面からぶつかれ」と言っている畜生と同じだということを少しは自覚していただきたいですね。