てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

日馬富士暴行事件の解説⑥ 問題の本質は八百長ではなく、モンゴル人差別と親方理事制<中編>

日馬富士暴行事件の解説⑥ 問題の本質はモンゴル互助会の八百長・「注射」ではなく、モンゴル人差別と親方=理事制<前編>の続きです。角界に蔓延するモンゴル人差別の空気の話になります。

■日本人力士びいきからモンゴル人差別へ

 日本人であるがゆえに応援の手拍子が起こる。モンゴル人には応援の手拍子が送られることはない。最近、モンゴル人力士VS日本人力士という図式で日本人を応援するようになっていること。そして稀勢の里だろうが、豪栄道であろうが日本人が優勝しさえすればどうでもいいという空気になっているのだと。

 そしてもう一つはこちら。ポイントは①白鵬稀勢の里の取り組みで稀勢の里が勝ったときに場内から万歳三唱が起こったこと。そして同じく以前話題になって拙ブログでも過去に取り上げたことのある事件(※旧記事参照―白鵬の発言で思うこと - 別館、身体論・武術・スポーツのお部屋)。②白鵬稀勢の里の取り組みが同体として「取り直し」になったこと。白鵬が審判部にこの判定はおかしいと注文を付けた・異議を唱えた事件。この事件が白鵬がモンゴル人が差別されているのではないか…?と疑念を抱き、行動・スタンスを変えるきっかけ&転換点となった事件なんですね。それまで白鵬は力士として優等生でまるで問題を起こしたことがないタイプでしたから。 
 「偉大な「日本人力士」大鵬*1の優勝記録をモンゴル人に破られてたまるか」という差別意識が背景にあった。だからこそ取り直しになったのではないか?と白鵬は主張した。「肌の色」発言にあるように、つまりこれは人種差別に基づく基準・査定の歪みが角界全体に静に浸透している・蔓延しているのではないか?という白鵬の異議申し立てだったんですね。
 過去記事では、モンゴル人差別を中心として論じていなかった、焦点を当て損ねていましたが、全然問題の本質を当時の己は掴めてなかったですね、一体どこに目をつけて何を見てたんでしょうかね。触れることは触れていましたが、もっとここに焦点を当てなくてはいけなかった。これこそが大事なところだったのに…。

■スポーツ界でレイシズム・差別に鈍感であることは許されない―浦和レッズ横断幕事件を参考に
 浦和レッズの差別横断幕事件で「Japanese only」*2の横断幕が問題になったことがありました(この例を引き合いに出したいからサッカー界を例にして上手く比較したかったんですけどね、駄目でした。韓国が日本戦で得点を決めて猿の真似をしたり、野球で日本に勝ってマウンドに国旗を立てたというのもありましたね。スポーツに国家云々の持ち込むとかくも醜い。相撲において今起こっているのはその韓国ほどではないにせよ、それに近い行為が行われているということです)。スポーツでは人種差別・民族差別がつきもので、その反差別取り組みが問題になるものです。日本には米英圏のような人種差別の歴史・文化背景がないとは言え、相撲においても反レイシズムに取り組むのは当たり前。海外籍力士を受け入れて、国際化が進む流れを考えれば尚更でしょう。16年にヘイトスピーチ解消法が施行されたように、人種差別・民族差別につながるような動きを角界においても厳格に取り締まるべきでしょう。

■「モンゴル」で叩く応援、「日本人」で称える応援は禁止&それをする人間は出禁にしなければならない
 照ノ富士が変化して勝利をした時、「モンゴルへ帰れ!」というヤジがありました。こういう客はふんづかまえてふんづけてやる!ではなくて、永久追放処分・出禁にしないといけません。大関たる地位にある力士が変化をするのはよくないこと。だからといってこれはない・この発言はアウト。
 もちろん駄目なことですが、「バカ野郎クニに帰れ!」なら日本人力士への罵倒としても成立する言葉です。しかし「モンゴル」と限定した場合、モンゴル人以外あり得ない発言で、日本人とモンゴル人を明確に分けてヘイトすることになる以上アウト。そして海外出身の力士に対して闘う日本人力士を身内びいきから応援するときに「日本人頑張れ」というのもアウト。稀勢の里なら稀勢の里と個人名を出して応援をすればいいこと。そこに日本人・非日本人というカテゴリーを持ち出すのはアウトです。
 自分たちと同じカテゴリーに属する日本人力士を応援したいというのは自然な感情でしょうし、それ自体悪いことではありません。しかし非日本人というだけで貶める、~人負けろというような応援はアウトです。最近はその傾向が強まっていると星野氏は主張します(※参照―外国人力士差別対策待ったなし!星野智幸さんが警告「相撲で起こることは社会でも起きる」 : スポーツ報知)。ハワイ勢が躍進したときもこんなことはなかった。ここ最近、「日本人」「非日本人」という枠組み・空気が目立つようになってしまったと。そういう空気が醸成されて当たり前になってしまった以上、ヘイトスピーチに値する言動を取り締まらざるをえないでしょう。暴力団排除宣言のように、ヘイトスピーチ排除宣言のような取り組みが求められます。

■チームスポーツやホーム・アウェイがあるスポーツではない相撲で国が絡む応援は正常なものではない。今の相撲は見下しているプロレスショー以下のショービジネス
 どう考えても、日本人だけ場内で応援される。そして非日本人・モンゴル人が敵役にされて、日本人が勝ったら拍手万歳が起こるというのはおかしい。バレーボールのようなチームスポーツで国別対抗試合ではないですし、プロレス・ボクシングのようにベビーフェイス(善玉・正義役)やホームで日本人選手が試合して、現地の人から応援されて当たり前という前提があるわけでもない。相撲という興行形態においては力士個人が応援されるもの、客がそれぞれ贔屓力士を応援するというのが前提。日本人だけを応援するのが当たり前という発想は存在し得ない。
 よくプロレスを引き合いに出して、「プロレスじゃないんだから」という発言をする人がいます。それこそプロレスじゃないのですから、こういう善玉・悪玉のような図式を持ち込むことを手厳しく否定すべきでしょう。大体プロレスじゃないという言い方自体が、プロレスに失礼でしょう。そこには大相撲>>>プロレスとして、伝統芸能である自分たちに対して程度の低い見世物・ショーだという侮りがある。いい加減「プロレスじゃないんだから」というバカの一つ覚えも禁止した方がいいと思います。あくまでショー・見世物として善玉・悪玉という役割を演じているプロレスに対して、今の相撲はガチで日本人・善玉と非日本人・悪玉という図式になりつつある。今の相撲のほうがよっぽど程度が低くて下世話な見世物でしょうに。この気持ち悪い流れを一掃しない限り、プロレスファンから「相撲なんてレイシズムの塊で興行上の役割じゃなくて、本気で民族の視点を持ち込んで日本人以外を悪役にしている下賤なスポーツじゃないか。気持ち悪い」と言われても甘受するしかないでしょう。

 本来、きちんとすべき改革をしてこなかった結果、程度の低いレイシストが流れ込んでくる。良質な顧客が離れてしまった結果、そういう程度の低い顧客相手に商売せざるを得なくなって、どんどんまずい方向に向かってしまう。これは何か昨今の政治状況、自民党ネトウヨを票田として目を向けている・相手にしている状況を連想せざるをえませんね。改革をサボり、そのつけを程度の低い者で埋めてごまかしていくというのが最早日本の普遍的な潮流なのかもしれません。

白鵬が変えた万歳三唱の意味
 こういう流れを見ると、白鵬が優勝して会場の皆さんに万歳三唱を求めたことは素晴らしかったことになります。相撲において万歳三唱というのは天皇陛下に対して行われるもの。それを勝手にやるのは良くないという意見を眼にして、なるほどそういう慣習になっているのか、だとすると白鵬したことはまずいことになる―当初、そう思っていました。
 がしかし、稀勢の里白鵬に勝った時、場内で万歳三唱が起こったことを考えると、万歳三唱という天皇陛下に対して行われるものがヘイト行為に利用されるものになってしまった。それを上書きする意味で横綱の万歳三唱提唱は良かった。喜ばしいときに行うものとすればヘイト行為認定は避けられる。今後も記録的な優勝、ご当地人気力士の優勝や劇的な復活勝利の時などで、バンバン万歳三唱を行なっていく、そういう慣習に塗り替えればいいでしょう*3。相撲史において、万歳三唱に負の意味合いが押されかねない事件がありましたから、それを拭い去るという意味でも白鵬の万歳三唱主導は良かったと思います。あの場のお客さんは皆喜んでいたでしょうしね。

■「物言わぬ横綱」から「物言う横綱」への転換点
 こういうとき、白鵬を否定する人々は「物言わぬ横綱」の伝統を持ち出して否定する人がほとんどです。「横綱はそんなこと言わない」と何処かの飛影のような論理で否定する人が多い。しかし最早過去の模範であった「物言わぬ横綱」のモデルは通用しない。昨今の相撲界の混乱を見れば「物言う横綱」が必要になっているとみなしてもなんらおかしくありません。
 白鵬は「物言う横綱」・自己主張する横綱です。非日本人であるレジェンド白鵬だからこそ、角界の旧習を打破する行動が許される。角界に大改革・変革が待ったなしの状況において、選手会(力士会)サイドからの、力士を守る改革が必須な状況において、むしろ現代求められる「横綱の品格」が完全に変わってきているのだと我々は解し、白鵬を見守るべきなのでしょう。その上で初めて白鵬の主張が間違っているのか妥当なのかジャッジすべきなのです。

■無自覚なモンゴル人蔑視と日本文化・価値観の肯定。その姿はまるでアメリカ人のように醜い
 慣例・伝統にそぐわないから、モンゴル人だから日本の伝統をわかっていないなどという偏狭な伝統主義的な論理で否定すべきではなく、その白鵬の行動が良い改革に結びつくかどうかということを以って批判すべきなのです。
 プロレスに対する無自覚な侮蔑もそうなのですが、モンゴル人・非日本人力士に対する「外国人には自分たちの優れた文化がわからない」という無自覚な自民族優越主義は非常に不愉快ですね。陰に陽にモンゴル人なんていう野蛮な奴らには理解できないーそのような主張・無自覚な自民族・自文化優越主義を何回も見ました。白鵬のやってることはおかしいと思うこともあっても、根本的に筋が通っている。それを理解しようともせず、自分たちの優秀な文化・伝統が理解できない教養のない野蛮人という文脈で理解しようとするその姿は、あの卑怯なアメリカ人の姿そのものではないですか。
 都合のいいように主張を変えるダブルスタンダードと、自民族・自国の文明・価値観こそが唯一絶対の正しいものと考えて、相手を劣ったものと見なす。都合の悪いときには、相手が間違っていると、自分たちの誤りを認めない卑怯者の姿が、鏡を通して映し出されています。アメリカ人が映った鏡を覗き込んでみれば、そこに日本人が映る―などということあってはならない。この危険性はいくら強調してもしすぎることはないでしょう。日本人よアメリカ人になることなかれ、ゆめゆめその危険性を忘れるなかれです。

 昨今の流れを見ると差別の取り組みをして、規制を進めた結果、差別が無くなる方向に行ったのだけど、時間が経つに連れそれが暴走してしまうという流れがあります。それは海外籍力士への差別では?モンゴル人差別では?という指摘によって言論を封殺する逆差別というか、表現規制言葉狩りに針が触れすぎるという流れがあります。いずれそれはモンゴル人力士差別だから止めろ、あるいは~~を認めろという見当違いな主張も出てくることでしょう。まあ、昨今の状況を見る限り反差別の代償として、差別の棍棒を揮って暴走してしまうのはやむを得ないことでしょうね。そうなったときに白鵬理事長がババーンと誕生して、「それは差別じゃないだろう。見当違いなことを抜かすな!」と一喝するという図式が見えますね。角界が差別対策をせずに放置し続けた結果、怒りがマグマとなって爆発して反差別の流れが暴走して止まない。サヨクのカウンターのネトウヨみたいな状況が起こるんでしょう。そういうときに元モンゴル人理事長白鵬が「元モンゴル人の私が問題ないと言うのに、一体何が問題なのだ?」と問題を解決する図式が見えますね。まあ逆に言うと、白鵬理事長誕生にはそういう反差別の暴走が彼には必要でしょうね。いくら大横綱と言っても、元モンゴル人を理事長にしよう!と閉鎖的な角界の親方衆がすんなり認めるとは思えませんからね。

■モンゴル派のための稀勢の里横綱昇進の妨害工作
 モンゴル人は差別をされている。では我々モンゴル人力士はどうすべきか?そういう視点から白鵬は動いているわけですね。「モンゴル人力士への差別」があるからこそ、モンゴル人達で協力して日本人横綱の誕生を阻もう。稀勢の里の優勝を妨害して横綱誕生を防ごうという動きになった。将来白鵬理事長の誕生及びその改革の妨害というか邪魔になる可能性があるので、対抗馬稀勢の里を潰しておきたかったわけですね。将来理事会で白鵬に異論を唱えても、横綱にもなれなかった稀勢の里が何を言うかというロジックで封じ込められるので。横綱が少なければ少ないほど将来白鵬の発言力は大きくなるので当然の選択でしょうね。故に貴ノ岩に星の回し合いの話が行ったわけですね。もし、あの時貴ノ岩白鵬に勝たなければ稀勢の里横綱になれませんでしたから。貴乃花部屋のモンゴル人力士が日本人横綱の誕生を後押ししたという背景があったのですね。
 モンゴル互助会において星の回し合いが行われていたのは事実でしょう。が、それは他の力士達よりも異常に突出した頻度で行われたものではありませんし、その本質はモンゴル人力士達の利益・権利を最大限に拡大・確保しようというもの。自己防衛目的において行われたものと見ると非常にわかりやすいんですね(無論、背景にズルして・楽して勝って美味しい思いをしようとしたという要素がないわけではないのでしょうけど)。

■海外国籍力士達には入口はあっても出口がない角界。国籍変更の強要は本人と母国を傷つけるもの
 日本人であれば、引退後角界に親方として残ることが出来る。しかし、モンゴル人はそうすることが出来ない。「相撲には入り口はあっても出口はない」という言葉で白鵬は説明していましたが、まさにその通りで、力士・アスリートとして相撲協会に入って相撲を取ることが出来ても、引退後は残ることが許されない・排除されるという構造になっている。万歳三唱や稀勢の里びいきなどよりも、こちらのほうがよっぽど問題とも言える歪な構造でしょう。
 日本人であれば、引退後職をもらえる=定年退職後、再就職の保証があって安泰なのにもかかわらず、外国人力士にはそれがない*4。日本のプロ野球では年金はありませんが、MLBでは10年プレイすると年金がもらえるという制度があります。もし、MLBにおいてアメリカ人選手は年金がもらえるが、日本人などの海外選手はもらえないとなったら我々はどう思うでしょうか?当然それはおかしい!と反発するでしょう。またアメリカ国籍を取る・帰化しない限りは、才覚があっても監督になれないとなったらどうでしょうか?言うまでもないですよね。どうしてそれに国籍の有無が条件になるのだ!?と反発するでしょう。
 また琴欧洲も言ってましたが、親方として残るために国籍を変えたくはなかった。でも仕方なかった。母国では英雄として歓迎された。もし、イチローが国籍を変えるとなったらどうなるか?ちょうどそういう感じなんだと語っていました。栃ノ心が初優勝で母国の英雄・一ヒーローとなりましたが、もし将来協会に残るために国籍を変えるとなったら祖国の反応はどうなるか?ましてレジェンド白鵬の母国での反応においておや。白鵬はまさにモンゴルのイチローなわけです。イチローが日本を捨てるとなったら我々はどう思うか白鵬本人の心境に、モンゴルの人の心情はいかなるものになるか。このことについて我々はよく考える必要があるでしょう。
 

■モンゴル互助会とは権利闘争のための労働組合
 モンゴル互助会において、力士たちがお金をだしあって怪我をした力士や引退後に病気で入院した力士などにお見舞金を出しているとか象徴的ですよね。モンゴルの恵まれない子どもたちへの社会奉仕事業などもやっているそうですけど、それは別として本来そういう力士の労災や引退後の保険・手当のようなことは力士会でなされるべきこと。そういうことをきちんとやってこないがゆえにモンゴル互助会が誕生したという要素を我々は決して見落としてはならないでしょう。
 白鵬がやろうとしていることは、モンゴル人・日本人以外の海外籍力士がそのような権利を得られないのはおかしい。日本人以外の力士の権利を認めろ。待遇改善をしてくれということをやっているわけですね。
 モンゴル人どころかそれ以外の外国人力士全体のことを考えて、権利向上の運動・闘争をやっているんですね、白鵬は。モンゴル互助会で我々が注目すべきポイントは、権利闘争のための労働組合という性質なんですね。にもかかわらず、そういことを理解せずに逆らってナイラはやらないなんて言っている貴ノ岩は大馬鹿者なんですね。モンゴル人の地位向上のためなんですから、貴ノ岩本人のためでもあるし、何よりこれから新規参入してくる後進たちのためでもあること。それに従わないのですから、モンゴルの先輩力士が激怒するのも当たり前です。地位向上運動を理解せずに勝手な行動を取っているわけですからね。

■実は人材危機にあるモンゴル派
 以前、モンゴル力士は腐るほど居てモンゴル派閥は今後も安泰で一大派閥で有り続けるだろうということを書きましたが、どうもそうではない要素があるようです。事件の背景には八百長事件によって、現白鵬らの最年長層の力士と貴ノ岩などの若手力士層の間に本来位置していたはずの、中間層のモンゴル人力士の追放があるのだと。中堅に値する年齢の力士が八百長事件でいなくなって、年長世代と若手世代をつなぐ、中間世代がいなくなってしまっために、本来若手に色々なことを仕込んだり、教えたりする力士がいなくなってしまったことが事件の背景にあるという内容でした。
 例えるなら、会社で40代と30代と20代の社員がいたのに、30代の会社員が何らかの事情でゴソッといなくなってしまって、40代と20代の社員達の世代間ギャップが大きくて円滑なコミュニケーションが取れなくなっている状態とでも言いましょうか。確かに背景にそういう理由があるとしたら、モンゴル人同士の衝突は若手と年寄りの世代間ギャップ・コミュニティ内の文化継承の断絶・失敗ということもできますね。
 気になったので調べてみると、八百長事件で角界を去ったモンゴル人力士は6人(蒼国来は後に処分解除されたので除外しています)、星風・保志光・猛虎浪光龍・徳瀬川・白馬。星風が1983年生まれで、他は皆1984年生まれですね。むしろ白鵬よりも年上なので彼らが居なくなったため、貴ノ岩ら若手世代と断絶があるわけではありませんね。なのでこの世代間断絶という指摘は少し的外れだと言えます。モンゴル人力士が多ければ多いほど、内輪のルールが若手に浸透しやすいのは確かでしょうけどね。
 横綱以外のトップのモンゴル人力士を見てみると、玉鷲白鵬世代の84年、照ノ富士が91年、逸ノ城が93年、荒鷲86年、千代翔馬91年、で件の貴ノ岩が90年生まれということになっています。力士が大体35歳までに引退するということを考えると、白鵬鶴竜は32歳でいつ引退してもおかしくないですし、玉鷲荒鷲も同様ですね。照ノ富士千代翔馬逸ノ城という力士がいる間に、今幕下や十両にいるモンゴル人力士が順調に育ってくればいいですが、上手く育ってくるとは限らない。そういう点で貴ノ岩が遅咲きながらも出てきたことは実はモンゴル互助会・力士会にとって嬉しいニュースだったわけですね。
 それが反乱、つまり貴ノ岩の乱によって日馬富士が引退で、貴ノ岩本人もまた前頭から十両陥落で、照ノ富士は膝を故障しているところに糖尿病で休場し、十両陥落(※注)。中長期的にトップにあり続けるのは、逸ノ城千代翔馬しかいないという危機的状況に陥ってしまったわけですね。
 モンゴル人力士はくさるほどいて、横綱を半永久的に輩出し続けられると漠然と考えていましたが、実は朝青龍以来長年続いてきたモンゴルチャンピオン時代・モンゴル覇権期とでも言うような時代が終わるかもしれない危機にあるんですね。
 ※注―照ノ富士は元大関であり、相撲内容を見ているとデカイだけでセンスを感じない逸ノ城よりも、横綱になる可能性が大きかった。それが貴ノ岩の件で日馬富士に殴られ正座をさせられた。膝を痛めている力士に対して絶対やってはいけない蛮行でしょう。今回の事件の本当の問題は、照ノ富士への暴行であり可愛がりですね。これで照ノ富士が膝の調子が戻らずに引退ということになれば、一人の有望な力士が暴力によって潰されたことになる。貴ノ岩なんか問題にならない一大事件でしょう。
 そもそも今回の事件の本当の被害者は、全く非がないのに殴られた照ノ富士です。この大事なことはもっと周知されないと困りますね。暴力を止めなかった白鵬鶴竜らが処分の対象になったのは当然なのですが、きちんと止めて被害にあった照ノ富士に対しては何故きちんとまともな対応を取った照ノ富士に対して、称賛・報奨すべきだという声がないのか…?ちょっとこの理不尽な処遇については理解が出来ませんね。貴ノ岩同様、休場で番付を落とさない特別な処置を協会は取るべきでしょう。大事なことなので※注で語りました。<注ここまで>
 モンゴル互助会において星の回し合いがあると考えますが、もちろん前述通り、星の回しあいに応じなかったことが今回の暴力事件の要因ではありません。それ故にあまり良く思われていなかった・バカだと思われていたのはあくまでベースでしょう。実力で横綱に勝ったと周囲に吹聴しただとか、ナマイキな態度を取っていた延長上にスマホ操作やナイラ・八百長はしない=八百長をするあなた方は卑怯だという趣旨の発言をしたという、そういうどうでもいい些細なことこそが日馬富士がキレて、こいつを一度キッチリシメなくちゃいけないと思わせた理由でしょうけどね。要するにナマイキな後輩を怖い先輩がルールを守らせるためにシメるという下らない理由が原因でしょう。

 先輩後輩という年次の論理、日本社会の(特に体育会系では鉄の掟となる)秩序・論理を理解していなかったバカだということもさることながら、貴乃花部屋は非常に排外主義的な思想を持っている。排外主義とガチンコ・真剣勝負至上主義、この二つの柱が貴乃花部屋に存在していると見ていいでしょう(話がそれるので、貴乃花部屋の問題については別枠後述します)。。

 長いので前中後の三分割にしました。続きは後編で。

アイキャッチ用画像

*1:言うまでもなく、大鵬ウクライナとのハーフですけどね

*2:このJapanese onlyが差別的表現なのかと言うのはまた少し疑問の余地があるんですけどね。当該事件ではチームがいわゆる助っ人外国人選手抜きで日本人選手しかいないから「日本人だけ」という意味で受け取った人もいたと言われます。ただ、横断幕を掲げたサポーターは外国人客が来ると応援の統制が取れなくなるから、軽々しく自分たちの応援の場所・聖地に来るなという意味で掲げたのこと。公式に場所を専有することを認められている、又はオフィシャルサポーターでもないのに、勝手に自分たちの縄張り扱いして外国人を排除しようというのですから、このケースはアウトですね。スタッフの要請に応じてすぐに撤去しなかったので尚更です。
 それはそれでいいのですが、Japanese onlyが日本人の感覚で差別表現になるかと言われるとかなり微妙だと思うのですよね。アパルトヘイトでWhite persons onlyという白人以外立入禁止という人種隔離政策みたいな歴史・文化がそもそもないので。中国租界で中国人と犬入るべからずと言うような、ここには入ってくるなよという感覚に近しいものはあっても、根本的に異人種は別の生き物であり、支配するものという感覚がありませんからね。
 差別表現について日本が遅れているみたいなことを主張するものもたまに見ますけれど、そもそも日本にはあまり差別表現・差別の歴史がない。あくまで米欧の徹底した強烈な人種差別の歴史と比較しての話ですがね。その彼らの人種差別はいけないという感覚と日本・日本人の人種差別の感覚は違うに決まっている。その前提を無視して同一に語ろうとするのはかなり違和感があります。特に米欧(米英か?)メディアがそういう自分たちの歴史・人種差別感をおいといて、「日本はおかしい。差別に対して鈍感である。遅れている」という上から目線で遅れている文明に指導するようなものの言い方については、むしろどの口が言っているんだと厳しく否定すべきでしょう。そういう場合は、「人種差別は厳しく取り締まるべき。それはそのとおりだが、お前ら誰に向かって何様のつもりで言っているんだ?」としっかり指摘すべきでしょう。大メディアならば尚更そうしてほしいものですね。
 日本人の歴史感覚からJapanese onlyは日本人以外の劣等人種お断りという意味合いにはならない。が、英語を使う以上、英語文化圏の価値観からそういう感覚を連想させる。そういう歴史・文化背景を持つ英語文化圏の責任ではあるけれども、反人種差別を国是とする我々は英語の価値基準に合わせてJapanese onlyという誤解を招く表現をすべきではないというところでしょうね。

*3:戦時中に青葉山竜王山の一戦が異常に長引き、敢闘精神の欠如を理由に無期限出場停止処分となり、それに双葉山が抗議した。千秋楽で処分が解かれ自発的に万歳三唱が起こった事例があるようです。万歳三唱を横綱が主導したわけではないですが、処分反対という意味合いでの万歳三唱が過去の事例としてあったようですね。おそらくこれを参考にしたのでしょう。①横綱が主導したものではない、②観客からの自発的なもの、③協会の処分・裁定が下されたのではなく、処分判断待ちだった④めでたい大記録・レコードの達成―という違いはありますから、これに倣ったとは言えそこまで適切な事例ではないでしょうね。

*4:厳密に言うと親方になるためには年寄株が必要で、日本人にとっても狭き門になりつつあります。海外国籍力士どころか日本人力士すら排除する世界という見方もできますね