てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

日馬富士暴行事件の解説③ 白鵬憎し!白鵬が悪い!という異様な言説 <後編>

 

   というわけで続きの後編です。見直して気づきましたけど、やっぱ断片的に書いているからシリーズ全体としてのまとまりがいまいちですね。いつかまたまとめ直そうかな。横綱の品格で書いた文章とか他のパートで書いたものと被ってるんですよね。それでまとめ直したほうが文書のつながりや読みやすさの上でいいかな~と迷ってます。パート②とパート③の前編をあわせたほうが読みやすそうですし…。ぐぬぬ

 

要約・お品書き
本文は以下の三部構造になってます。①日馬富士の暴行は八百長・「注射」を拒否した故のモンゴル互助会の制裁ではない。そう考えられる4つの理由。②白鵬が黒幕である、白鵬を裁けという常軌を逸した愚論・珍論への警鐘③その他「横綱の品格」などを持ち出して白鵬を批判することへの妥当性について
(一部)
日馬富士貴ノ岩の暴行は感情の暴走。モンゴル互助会による星の回し合いを拒否したからではない。
○制裁は巧妙に行われるもの。まして日馬富士という横綱・高位の地位にある者が手を下すわけがない 
○制裁なら参加人数が少なすぎるし、他の先輩ガチンコ力士は何故制裁を受けていないのか?
○空気が読めない貴ノ岩
(二部)
白鵬が首謀した、白鵬が黒幕だという妄説・珍説。
○「共謀」という論理が大手を振ってまかり通る社会の劣化。教育の崩壊
(三部)
白鵬日馬富士を止めるのはリスクが有る 
横綱の品格を以って横綱を語るものはそもそもわかっていない。殴られない所から一方的に他者を殴るクズ
横綱審議委員会にそもそも品格・資格がない。
横綱の品格は永久に不変なものではない。角界の今と同じく現代にふさわしいヴィジョンをまず考えるべき
○優等生白鵬は何故素行が悪くなったか?どれだけ忠誠を尽くしても見返りがないから

本分、後編は三部の白鵬批判です。興味を持たれた方は前編をご覧になってください。
  
白鵬が暴れる日馬富士を止めるべきだった説は妥当ではない
 白鵬日馬富士を止めるべきだったという意見もありました。これは一概にそうとも言いきれない要素があます。もっと巧く止めるべきだったというのならそのとおりですが、白鵬がすぐに止めるべきだったとは言えない事態でした。*1
 前回書いたとおり、日馬富士貴ノ岩の無礼な態度にスイッチが入ってしまった、アドレナリンが大量分泌されて超興奮状態にある。のぼせ上がった状態。そんな状態の彼を止めようとしたら、「うるさい、バカ!邪魔するな!」と反撃される可能性がある。そうなったら、前代未聞の現役横綱同士の私闘ということになってしまう。そうなれば今回の事件の比でない一大スキャンダルになったでしょう。その最悪の可能性を考えれば、日馬富士の興奮が収まるまでしばらく発散させてピークが過ぎて、少し落ち着いた時に止めに入るというのが正解。白鵬が数発~十発叩いたあと、止めに入る。暫く様子見して息が切れたあと、一息ついたあと、彼を外に連れ出したというのなら、それはそれで正しい判断だったといえるでしょう。
 本当なら白鵬は「横綱が手を出してはダメだ」と止めるべきで、それを「うるさい!」とでも振り払って聞き入れなかったなら、貴ノ岩との間に入って手を出さずに攻撃を代わりに食らうべきでした。そして「貴ノ岩!いいから外せ、逃げろ!」とその場から退出させる。そうして場を収める。本来ならこれが取るべきベストな行動だったでしょう。
 しかし、可愛い後輩ならともかく、どうでもいい生意気なバカ野郎ですから、様子見をしてからという手段を取ったということでしょうね。単純にご飯食べたあとで、しかも酒が入っていて、そういうコンディションじゃなかっただけかもしれませんが。
 前回述べたように、格闘家である以上こういった酒席のトラブルはあり得る出来事ですから、もうちょっと上手い対処法を制度として考えておくべきでしょう。貴乃花親方が一般人を巻き込んでいたらどうしたんだと言ってましたが、まず謝るべきはその大暴れしたお店のオーナーに対してでしょう。ちゃんと謝りに行かないといけませんよね。迷惑をかけた第三者にきっちり詫びを入れに行くことのほうが重要だと思うのですけどね。そのような話は全く聞きませんね。

 白鵬憎しのあまり、おかしなことを言う輩があまりにも多いため、こんな当たり前のことをわざわざ解説しました。とにかくあらゆる責任を白鵬に取らせようという、無理矢理な論理が目につきます。横綱はなんでもこなせるスーパーマンだという前提であらゆることが出来るはずだというロジックがありますね、丸山真男だったか、山本七平だったか忘れましたか、「無限責任」をもった存在であるかのように扱いすぎだと思います。

横綱の品格を持ち出して白鵬を批判するおかしさ
 とにかくなんでもかんでも白鵬の言動について注文をつける物が多すぎます。ですので白鵬への非難についてコメントをします。千秋楽での万歳三唱について。この行動が横綱の品格上好ましくないという意見が見られました。
 茂木健一郎氏が、過去にこのような時に横綱の品格を持ち出す人間が私は苦手だとコメントしていましたが、そもそも「横綱の品格」とはなんなのでしょうか?横綱とは~というもので、だからこそ横綱は~という言動をとらなくてはならない。これが横綱の品格である―という納得できるロジック・主張を聞いたことがありません。

■万歳三唱は素晴らしいファンサービス
 伝統美だから勝ち負けで感情を表してはならないという意見がありました。勝ち負けについて感情を発露するのは礼節に欠ける行為であり、見苦しいことだから慎むべきだというのは良いでしょう。この点については同意見です。がしかし、優勝インタビューで、万歳をすることは勝ち誇ることであり、許されないということは違う。だったら優勝インタビューなどそもそもする必要がない。相撲には神事の側面・要素があると同時に、格闘技・興行という要素がある。優勝インタビューという場面では興行という要素を重視してファンサービスをすることはむしろ好ましいことです。
 マツコ・デラックス氏が、あの場面で、不祥事について何もコメントせずに済ますより、お客さんが喜んでくれるように万歳したのは良かったと思うとおっしゃってましたが、まさにそのとおりですね。万歳が正解か大正解か、他にもっとベスト手段があったのでは?という話はさておき、見に来てくれたお客さんに対するコメントとして、配慮・サービスとしてふさわしかった。何の問題もない、むしろきっちり横綱の務めを果たしたと言うべきでしょう。

 白鵬前人未到の40回優勝という偉業を成し遂げた。史上初の偉業にふさわしい晴れがましいことをするという論理。その場にいたお客さんも歴史的瞬間に立ち会えたということで喜んでいたはずですからね。そして、不祥事があって、双方とももう一度土俵に上がることを許してもらいたい。水に流して再出発させてあげて欲しいということをお願いした。不祥事で揺れるなか、お客さんたちに日馬富士貴ノ岩、そして他の力士や角界全体をこれまで通り変わらず支えて欲しいという要請・お願い。そのために万歳をお願いするという論理はおかしなことでも何でもない。この件で白鵬を叩く人というのは、因縁、難癖つけ以外の何物でもないでしょう。

横綱の品格を問える品格を持ったものだけが白鵬に石を投げよ
 誰が、何を発言したか―という文脈の問題という要素もあるかもしれませんが、白鵬があの場面で万歳三唱することくらいで品格云々論じるのは異常だといえるでしょう。そもそも横綱の品格を言う人間は、品格を持った立派な人物なのでしょうか?横綱審議委員会というものがありますが、横綱に品格を問えるほどの品格通or品格を持った人物達なのでしょうか?
 そしてそもそもなんですが、横綱審議委員会が無理やり横綱に選びだした稀勢の里は、今場所もまた休場しました。稀勢の里を基準をクリアしているか言えないかの微妙なラインで横綱に昇格させてしまえば、次の場所で無理をしてしまう可能性がある。現に怪我を押しての出場&優勝で横綱に選んでよかったと思ったその直後、連続休場。結局アヤがつく昇進をさせてしまったことでこのような事態を招いてしまった。こういうことを予想できなかった横綱審議委員会に品格があるといえるのでしょうか?品格はともかく横綱審議委員会としてのふさわしい見識=委員としての資格がある人物は一人もないといえるでしょうね。

■品格を持った横綱は過去の遺物、そもそも現代の価値観にそぐわない
 大横綱双葉山でさえ、璽光尊事件という新興宗教にハマって警官相手に大立ち回りをした過去を持つ。常陸山梅ヶ谷といった時代であれば、横綱の品格を持った立派な人物、品格を持った横綱がいたかもしれませんが、少なくとも現代では、横綱の品格を十全に兼ね備えた力士を見たことがある人間などいないでしょう*2

 品格をもった横綱などとうの昔にいなくなっている。というか前近代的な時代にモデルとされた横綱、及びその品格というのは、どう考えても現代的な価値観にそぐわない。そういう過去の理想像を現代に当てはめるのは無理がある。

横綱に品格を求めるくせに、自分の行いを改めない卑怯さ
 また、横綱の品格を持ち出す時、一番嫌悪感を抱くのは、横綱という角界の顔・力士のリーダーと呼べるものに対し、「組織の言いなりになれ」「おれの求める理想像を体現しろ」という傲慢な主張を平気ですることです。組織の不利益・都合の悪いことを全部一身に引き受けよ。ただし、おれは何もしない。横綱の品格を主張する輩というのはそういうことを主張しているという自覚があまりにもなさすぎる*3

 過去記事で言及したことがありましたが、かつて、武田鉄矢氏が大鵬の事例を持ち出して、行事が差し違えて大鵬の連勝記録をストップさせてしまった時、「そもそも横綱というのは互角の攻防などしてはいけない、ギリギリの勝利などあってはならないのだ」と大鵬が述べたという美談を持ち出して白鵬の態度を批判してことがありました。しかし、それは大鵬の偉大さに甘えることであって、大鵬の器量を褒めることはいいにせよ、我々がそれに甘えっぱなしではいけない。二度とそういうことを起こさないように我々は態度を改めなくてはいけない。
 横綱の品格という論理を持ち出す際、横綱の偉大な精神性を求めるのであれば、我々はそれに応じて偉大な横綱に対する同等の礼節を取らなくてはならない、行動をしなければならない。にもかかわらず、横綱にのみその度量の大きさや、過失の責任を押し付けて自分のことは知らんぷりするという卑怯な手合があまりにも多すぎる。
 であるからこそ、個人的に横綱の品格という論理を持ち出す人間は、卑怯な輩と認定して一顧だにせず無視します。現代の横綱白鵬が仮に品格のかけらもない卑怯で邪悪な横綱だとするのならば、それは横綱の品格を守るために、横綱を育ててこなかった現代人の精神性の低さの現れなのです。そういう論理を認識しないで横綱の品格を持ち出す輩こそ卑怯極まりない醜い存在だと個人的に考えます。

白鵬はなぜ好ましくない相撲を取るようになったのか?モンゴル国籍のまま一代年寄になれないから
 さて、こういうことを論じていると、これまでの論理もあって、白鵬支持であり、貴乃花否定派と捉える方も多いでしょう。まあその要素を否定はしないのですが、それだと片手落ちに思われるので、最近の白鵬の汚い相撲についてもコメントしたいと思います。

 最近*4白鵬の取り組み、変化・猫騙しに、挙句の果てにはエルボーと、横綱としての魅力のかけらもない醜さが目立っているといえるでしょう。今場所では立会不成立をPRするという有様ですからね*5
*6

 一体なぜこんなことになってしまったのか?それは白鵬一代年寄を協会サイドが認めないからですね。先代理事長の北の湖も、次期理事長候補の貴乃花白鵬日本国籍なき一代年寄を認めようとしなかった。故に白鵬は協会に従わなくなったのですね。これまで何度も語ってきましたが、白鵬朝青龍と違って、品行方正なタイプだった。郷に入りては郷に従えというか、元々出自・毛並みが良いので問題を起こすタイプではなかった、優等生タイプだったのでしょうね。だからこそ上の言うことにハイハイ従っていた。しかしどこまでもルールやマナーを守っていても、偉大な記録を打ち立てても、特例が認められないわけですね。他の外国人力士親方を見ていても、日本人力士と平等であるとは言い難い。日本人力士と外国人力士では見えない壁がある。じゃあ、もう自分の好きなことを好き放題やろうとなるのも当然でしょうね。白鵬にとって何のインセンティブもないわけですから、かくあるべきルール・マナーに従う必要性を感じないのも当然でしょう。マナーが悪ければ、白鵬の首に鈴をつけて飼いならす意味で懐柔策が取られる可能性が僅かでもあるのならば、尚更ですね。そもそも将来協会に残る可能性がない海外籍力士にとって、日本のルールを守ろうというインセンティブが働くはずがないんです。メリットや特典がないのに義務だけ課してもそれが守られないのはやむなきことでしょう。
 そもそも白鵬が礼節を守らなくなったというよりも、朝青龍のように横綱を品格という棍棒でとにかくぶん殴りたぐる傾向があった。妖怪品格ジジババ共が、モンゴル人を見下して品格棍棒を振り回す傾向があった。朝青龍という避雷針が消えた結果、今度は白鵬に対しても品格棍棒が振り下ろされることになっただけかもしれません。別枠で後述するように「物言う横綱白鵬にたいしては注目が集まりやすいものですが、精神性・根源に「たかが一力士が」「伝統という文明をわきまえない野蛮なモンゴル人」がというものがあるのもそうなのですけどね。

日本国籍よりも横綱にふさわしい資格を証明するテスト制度を採用せよ
 日本国籍というよりも、神事・伝統芸能としての横綱を求めるというのならば、それこそ宗教としての神道の理解度や行事の作法を完璧にこなせるかという点だったり、伝統の歴史などの知識をちゃんと知っているかどうか、そういう点こそテストされるべきだと思うのですけどね。横綱審議委員会についてもそう、親方・理事についてもそう。その資格があるかどうかテスト・免許制度を導入すればいい。そういう厳格な審査をパスしたものだけが白鵬横綱を批判すべきでしょう。まあ、そんな当たり前の話が通じる組織ではないので今更ですけどね。

 日本相撲協会(特に執行部)としては自分たちの方針に従わない貴乃花親方・理事、つまり貴乃花問題に引き続いて、横綱白鵬問題という二つの難問を抱えることになったといえるでしょうね。さあ、相撲協会は困った、大変だ。ということで次回に続きたいと思います。貴乃花改革はありえない、あったとしても必ず失敗するという話をしたかったのですが、白鵬の話で終わってしまいました…。あまりにも難癖をつける異様な意見が多すぎですね…。(ちょろっと先の話を書いておくと、相撲協会としては貴乃花白鵬、どちらを御しやすいかといわれるとまだ白鵬のほうが御しやすいわけですね。話・駆け引きが通じますから。しかし貴乃花親方はそうではない。こちらの常識が通じず・意思疎通が出来ない、会話が成立しない。そういう点では白鵬のほうが優位にあるかもしれません)

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*1:※追記、これについては協会への誓約書というものがあって、暴行死ない&暴行の場面にあった場合止める義務というものが各力士たちにあったようです。横綱に特別な責任があるという面があり、その点では白鵬鶴竜には暴行を止める義務が確かに存在していますね。それはそれとしてまた別の要素・一面があるということで以下の文章を読んでいただければ幸いです

*2:大鵬はそうだったかな?と気になって、あとで検索かけたら柏戸とともに拳銃を所有していたという事件もありましたね。品格なんてあやふやなもので、完全無欠な横綱なんてまずいないということです。そしてポイントなのはその拳銃所持くらいで特に世間は騒ぎ立てることもしなかったということ。何かあったらひたすら糾弾しようというのは自己批判の変種にしか見えません。ロシアや中国式自己批判文化がいつの間にか定着してしまったのでしょうか…

*3:これで連想するのはドラえもんですね。横綱をなんでも願いを叶えてくれるドラえもんか何かと勘違いしていると思います。ドラえもんの最終回とされた話で、未来に帰るドラえもんのために「僕が勝たなきゃ、ドラえもんが…ドラえもんが安心して帰れないんだ!」と身を挺して戦ったといういい話がありましたが、果たして品格を主張する輩にのび太のように行動した人が一人でもいるのでしょうか?

*4:とするとスパン的に不適切か?直近の相撲、全て横綱足り得ない取り組みになっているわけでもなく、かなり前の時期に相応しくない立ち会いもあったりするので

*5:まあそれはそれとして、依然として相撲の巧さ・強さは際立っているのですけどね。せっかくなので今場所の取り組みをチェックしてきましたが、張り差しなどどうかな?と思うものや、足をかけるなど、個人的に「?」と思うところはあれど、やはり他の力士と比較して飛び抜けた内容のある取り組みだったことは間違いないでしょう。唯一怪しかったのは、逸ノ城との取り組みくらいでしょうか。かちあげのような腕の遣い方をするということは、立ち会いの圧力などが弱まっているということなのかもしれませんね。

*6:張り差し・かちあげは美しくないだとか、横綱の品格に反するといった何か勘違いしたことを言っているお馬鹿さんがいたので追記しておきますが、そもそもなんですけど、なんで張り差し・かちあげが美しくないとされるかと言えば、奇策というか正攻法ではないんですよ、張り差しやかちあげという立ち合いは。
 若乃花が「張り差し・かちあげは脇が空くからそこをつけばいいから、却ってやりやすい」というコメントを出していたように、強い方がああいう手に出てくれるということはありがたいんですよ、実力のない下位の力士にとっては。むしろ勝率が上がるラッキーな話。そういう下手な立ち合いをやっている白鵬に勝てない今の力士の立ち合いの下手くそさを同時に指摘すべきでしょう。横綱相撲という言葉があるように、横綱・強い力士というのは立ち合いで相手を受けるんですね。圧倒的な実力差があるから、相手を見て立って受け止めるような形になっても不利にならない。それどころかそれが却って有利に作用するという技術を持っているわけですね。双葉山の「後の先」何かがまさにそれですね。
 まあ、じゃあなんで、白鵬も後の先やらないの?という話になるんですけど、「品格なんかクソくらえ!なんでお前らなんかの言うことなんか聞かなきゃならないんだ!」と敢えて反発している説と、後の先に必要な「柔綿体」が出来ていないこと。強い力士というのは体を布団のように柔らかく使える。ぶつかった瞬間、柔らかい布団に跳ね返されるような感覚になるんですね、大鵬関と立ち合いでぶつかった力士はそういうコメントを出していました。それが今の白鵬には出来なくなっている説。
 おそらく前者も多少はあるんでしょうけど、後者が理由でしょうね。立ち合いでぶつかることは体に物凄い負担がかかりますから、それを最小限に抑えたい故に=少しでも長く現役を続けるために、「美しくない相撲」に拘っているのでしょう。白鵬に美しくないから張り差し・かちあげやめろというのなら、「お前の体のことなんか知らない。どうでもいい。力士としていつ壊れてもいいから真正面からぶつかれ」と言っている畜生と同じだということを少しは自覚していただきたいですね。