てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

【コードギアス解説・考察】 映画『復活のルルーシュ』の感想① 復活否定派やおかしな感想への反論

Noteで書こうと思ってアカウント作って色々やってたら、どうも新しく始めるため設定あれこれいじるのに時間がかかりそう。下手したらそれだけで2日位取られるんじゃないかな?という気がしてきたので、こちらで書いてしまいます。まあ、シリーズ的に解説・考察というタイトル入れてますけど、そんなに大した解説や考察するわけでもないですし、有料記事にするほどの内容でもないのでいいでしょう。とりあえず手短にまとめて、増補・追記したものをnoteで公開すればいいですし。

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目次

 

ルルーシュの復活(生存)についての否定的な意見について


 まず、ルルーシュの復活について否定的なコメントをチラホラ見かけたので、それについての疑問や反論を。既に書いたことですが、ルルーシュが生きていたとしても物語の整合性は崩れない。
 こちらで書いたことを今一度まとめます。ルルーシュが最後に自分の命を犠牲にして世界を救うことで物語が締まる。大団円になる。それなのにルルーシュが復活して、生きているという展開になると、その自己犠牲・「献身」性がなくなってしまって、ラストの感動がなくなってしまう。主人公・ヒーローが我が身を犠牲にして、世界を救うというところがカッコいいのに、その感動がなくなってしまう。
 また自らの罪の償い・贖罪という要素以外にも、ルルーシュの持論として「撃って良いのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ!」というルールがあった。ルルーシュは戦いにおいてフェアな戦いを前提にしていた。劇中に散々出てくるブリタニア軍のキャラクターのように、自分が勝って当然という卑怯な精神性を持っていなかった(まあ、ギアスというチート能力を使ってはいましたが、それは「撃たれる覚悟のない者」「卑怯者」に対してなので)。ルルーシュの精神性の気高さ、矜持が「撃って良いのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ」というメッセージの中に含まれていて、それが最後の最後で完璧な形で果たされたからカッコよかった。ところが、ルルーシュが生きているとなると、最終回でビシッと決まったルルのかっこよさが台無しになってしまう。「何だよ!生きてんのかよ!」となってしまって感動が薄れてしまう。ラストの感動の自己犠牲で上手く完結する話なのに台無しになってしまう。
 ―というのがまあ、復活否定派がルルーシュの生存について反発する理由となっている。大体こういう主張が根拠になっているものと思われますが、とうの昔から指摘されているように、ルルーシュの復活とは、実は「罰」であるわけですね。「救済」でもなんでもない。ルルーシュが生きていたとしても、それでルルーシュは幸せにもならないですし、いわんやハッピーエンドであるとは到底言えないわけです。ルルーシュの復活というのはコードを継承した結果、つまり「不老不死」になることを意味します。C.Cがその「死ねない」という呪いから逃れようと行動していたように、「不老不死」は実は「罰」になるんですね。C.Cがその呪い・呪縛故に苦しみ続けてきたことを考えれば一目瞭然。その「罰」の重み、今後の人生が辛いものであることは言うまでもないことであるので、ルルーシュが復活してもそこに何の違和感もないわけですね。
 ルルーシュが仮に生きていたとしても、そこには艱難辛苦の道が待っている。むしろ死んでいたほうが幸せだとすら言えるわけです。そんなルルーシュの境遇を考えれば、一個人の人間に対しても、物語のプロット・テーマ・メッセージ性から見ても「死んだほうがキレイに完結して良かったね」なんて言えるわけがないはずです。まあ、ルルーシュラブ派の人間が、「これ以上ルル様に苦しみを追わせたくない!死なせて安らかに眠らせてあげて!」とでも言うのならまだわからなくもないですが、それはそれで怖い考え方であると思います(^ ^;)。

 

 

ルルーシュは復活して更なる贖罪の道へ。更なる戦いを続ける

 当時の記事では、意図的な選択の結果かどうかは不明と書きましたが、今回の新作映画でそれがやはり意図せざる結果だということがはっきりしましたね。C.Cの口からハッキリとルルーシュは死ぬつもりだったということが明言されていました。当時から、確かめようがないので、おそらくそういう可能性もあるだろうくらいの感覚だったというふうに書いていましたが、やはりそうでしたね。ズバリ的中ですね。予備校なら試験問題予想的中と張り出しているところです(笑)。大事なのは今の世界を救うこと、その目的を達成することなので、あとは出たとこ勝負。もしそうなったらば、そのときはそんとき考えるとなるのは当然でしょうね。
 それはひとまずおいといて、ルルーシュは死ぬつもりだった。我が身を賭して世界を救うつもりだった。この説明でもう十分ですよね?ルルーシュはたとえ死ぬことになったとしても、それで世界が救われるというのならばそれでよかった。それが嘘偽りのないルルーシュの本心だった。
 そういうルルーシュの本心がわかった以上、やはり自己犠牲・献身というメッセージ性・物語の一貫性は崩れない。むしろその崇高な精神でハッピーエンド・大団円でした~(チャンチャン♪)で幕を閉じずに、復活をして更なる道を歩むのですから、何をか言わんや。死ぬより更に苦しい道を行く。また世界を救おうとする新しい道を歩んでいくというラストになったのですから、「はぁ~、かっけぇえ」となって、いやあさすがルルーシュ!俺達のルルーシュ!さすルル!という感想になるはずなんですが、どうもそういう事がわからない人が一定数いたように見受けられました。
 まあ、ツイッターで復活の検索をかけてチラホラ感想を見たくらいなんですが、俺の知ってるルルーシュじゃない!とか、私の知ってるルルーシュ&C.Cじゃない!とか、キャラクターの声がイメージが違うとネット上で脅迫するような、???という意見がチラホラありまして、うーん…となりました。かなりもにょりましたね。*1


ルルーシュが覚悟あるものにギアスを与えるのは当たり前

 話の展開上、いきなりラストシーンの話からになりますが、ルルーシュがC.Cにワイは今日からL.Lになるんや!とプロポーズをしたあと、ラストで森に潜んでいる、棲んでいるのかなと思わせるシーンでギアスを奪う・回収する&覚悟があるのならギアスを与えようという語りで終わりました。これについても「なんでギアスを与えるんだ!不幸の源なのに!おかしいだろ!!」という変な意見を目にしました。
 あのですね、
ここで、既に論じましたけど、ルルーシュは「仮面もギアスも、そういった人々の努力の現れなんだ」と言っているわけです。仮面も、ギアスも悲劇をもたらすかもしれない。しかし人間である以上、仮面というものから逃れられないように、ギアスという悪魔の力も同じように乗り越えることが出来る。現にダモクレスに乗り込む前のC.Cとの対話でC.Cから「私のことを恨んでないのか?ギアスのせいでお前の運命は大きく替わってしまった」という問いかけをされて、「お前がいたから歩きだすことが出来た、お前がいたからここまで来れたんだ。」―って、ハッキリ作中で言っているじゃないですか。行動の結果は全て自分の責任だって。ギアスというのは悲劇をもたらすけれども、それを使いこなす・悲劇すら乗り越えることが出来るって明言しているじゃないですか。使いこなして悲劇を乗り越える云々はダイレクトに言ってはいませんが、ルルーシュの最期・行動の結果を見れば、そういうメッセージだとわかるじゃないですか。今まで一体何を見てきたんだ、オマエラは!って、喝ッ!と叱り飛ばしてやりたい気分になりましたね…。本当、何を言ってるんだ…。今まで一体作品のどこをどう見てきたらそんな感想になるのだ…と心底呆れ返りましたね。
 今一度、ラストシーンのルルーシュのセリフの意味合いを解釈するとしたら、そんな事する必要もないほど自明のことなんですけども、今回のジルクスタンとの戦いでわかったように、ギアス能力者はまだまだ世界中にたくさんいる。ギアスの欠片はばらまかれている。それを回収しないといけない。ほっとけば、今回のシャムナが時間を巻き戻して世界を作り直そうとしたような人間だって出てきかねないわけですね。シャムナケースの再現、下手すればもっと悪い事を起こす人間が出てくる可能性もある。つまり人類や世界が滅ぶようなリスクがまだまだある。そういうことを防ぐために、ルルーシュとC.Cは旅立った。今後も人類や世界のために、ルルーシュとC.Cは戦い続ける。人知れず大事な戦いに挑む、皆のために行動し続けるわけです。ですからR2での最終回の感動も消えてなくなってしまうことはないわけです。
 ―という展開になったわけですから、そういう旅路で、かつてルルーシュ本人がそうだったように、戦いのさなかで力を求めて足掻いている人間に出会ったら、ギアスを与えるに決まっているじゃないですか(もちろんその覚悟がある人間、ルルーシュのお眼鏡にかなった人間・条件を満たした人間に限られますが)。かつてC.Cがそうしたように、今度はルルーシュがかつての自分のような存在にギアスを授ける。世界を変えたいと願うものの、何も出来ない。力がなくてどうしようもないと苦しんでいる人間に、ギアスを授けるのは当たり前じゃないですか。至極当然なラストで話が終わったのに、「なんでコードホルダーとなったルルーシュがギアスを他人に与えるんだ!」という感想になるんでしょうかねぇ…。さっぱり理解できない感想ですね。


■戦いはずっと続いていく

 事前予想・雑感では、劇中でコードホルダーとなったルルーシュが誰かにギアスを授けるんじゃないか?という予想をしていました。それでギアス能力を手に入れたキャラが、次のコードギアスシリーズの主人公だったり、キーキャラクターになるという予想をしていましたが、それをラストシーンのセリフで匂わせるだけという形で終わるという展開になりましたね。今回の作中で次作へとつながる伏線やヒキはなされませんでしたね。
 nextコードギアスシリーズの紹介、そのためにチラホラ新世界観だったり、新キャラだったりキーアイテムや概念が出てくる、ちょいちょいうま~くさしこまれて表現されて次の新コードギアスシリーズの種が蒔かれるものと思っていましたが、そういうものはありませんでした。しかし「復活」するということは、コードホルダーとなってC.Cと共に人生を歩むというオチ以外考えにくいですから、コードギアスシリーズが続く限り、ルルーシュがギアスを授けるという展開になることは当然も当然。当然すぎることであって、予想の範疇ですよね?C.Cが果たしたような役割を今後ルルーシュが担っていくんだろうなぁと想像するのは難しくないはずなのですが…。まさか、世界に平和が訪れました(チャンチャン♬)。おしまい、めでたしめでたし。「いや~治世、治世」で、平和な世の中のまま話がずっと進んでいくとでも思っているんでしょうか?人生というのはある種戦い、ずっと戦いが続いていく・挑戦が続いていくということは、テーマをみるまでもなく至極当然、当たり前の話でしょう。完璧な世界・理想的な世界、平和なんてのはありえない。
 今回ジルクスタン王国という平和になったがゆえに、軍事国家であった国家体制・経済が成り立たなくなって、反旗を翻したというのは一つの例えでもあって、どこかが満たされればどこかが不満を抱く。あるいはダメになるというのは至極当然。大きな問題が解決されたら、今度はまた別の大きな問題が出てくるなんて言うのは政治的に当たり前。テクノロジーの進歩だったり、情勢の変化で、これまで理想的に上手くいっていたものが、真逆の最悪なシステムになるなんていうのは歴史を見れば言わずもがな。人や世界が「進歩」を求めて、「明日」を求めて変化をし続ける限り、「戦い」は終わるわけがないんですから。「戦い」がなければ平和じゃん?素敵な世の中になるじゃん?なんていう発想は、シャルルやシュナイゼルの世界の発想になるわけですからね。
 まあ、そんな余計な話を置いといても、ルルーシュが契約通りC.Cの苦しみを解き放って、新しい道を歩んでいくラストに何の違和感もありませんでした。「ああ、やっぱりそうなるんだな」という予定調和、予想の範疇のラストであり、「うんうん。まあそうなるよね」という感想で、なんでそれに違和感を抱いたり、ケチを付けたりするのかまるで理解できませんでしたね。
 いつの世も、わからないアホほど大声でいちゃもん、ケチつけて騒ぎますよね。クレーマー精神といいますかなんといいますか、SNS時代になって、そういう痛い人が騒ぎ出して暴れるので、本当嫌になりますね。コンビニのエロ本なんかよりよっぽど目の毒なので区別・管理して、撤去して頂きたいです。


■復活したのはC.Cが望んだルルーシュであり、これまでのルルーシュではない!?

 私の、俺の知ってるルルーシュじゃない!C.Cじゃない!という意見の極めつけが、復活したルルーシュはこれまでのルルーシュではなく、C.CがCの世界で自分の望んだルルーシュを再生したという説ですね。これはルルーシュも、C.Cも状況・立場が変わったということを理解していないから、こういうトンチンカンなことを言い出すのでしょうね。インタビュー記事で語られていましたが、ルルーシュはもう反逆しない。反逆の結果、勝利を収めた。皇帝ルルーシュとなって目的を達成した以上、最早反逆する必要性はどこにもない。インタビューだと、「万年野党じゃないんですから」という一言に集約されていましたね(笑)。勝った今、目的を達成した今、ルルーシュに反逆する必要性はどこにもないわけです。ルルーシュの目的は反逆すること自体にあるわけがないのですから、当然ですよね。「反逆のルルーシュ」という物語、キャラクター性が復活後に失われるのは当たり前。
 ナナリーと生きる道も遺されていたのに、それを選ばなかった。そこには、「あれ?それで良いんだ」というような思いはちらっとありましたが、ちゃんとルルーシュの想いが反映された結果なんですね。インタビューでは「ルルーシュはもう、自分がいなくなることを覚悟している。生徒会のメンバーとも、ナナリーとも、別れる覚悟をしていた。ナナリーが自分の力で一人の人間として立派に歩んでいくことを望んでいた。」と解説されていましたが、ルルーシュの心情・真意はそこにあったわけですね。一生、ナナリーとキャッキャウフフしたいわけではなくて、彼女が自分自身で望む人生を歩めること、ナナリーの自立こそがルルーシュの願いだったわけですね。だからこそ歪な形であれど、スザクがナナリーを守って総督として立派にやっていこうとしたときに、ルルーシュはゼロを辞めようと一時は決意した、リフレインに逃げようとしたわけですから。

■C.Cのキャラの変化は人間性を取り戻した結果

 C.Cが、そんなの私の知ってるルルーシュじゃない!とキレて銃口を突きつけるシーンがありましたが、「あれ?C.Cってそんな感情の起伏が激しいキャラだっけ?キレキャラだっけ?」と違和感を抱く人は多かったはずです。しかし、作中で解説されていたように、大体一年間くらい、ルルーシュの復活を願って世界中の遺跡をさまよってきたC.Cの心情を考えればわかるはずですね。雨の日も風の日も、どんなときでもルルーシュの復活を願って頑張ってきた、ママC.Cとして一心不乱に面倒を見てきたC.Cの中のルルーシュは、相当ハードルが上がっていたはずです。ちょうど『魔法陣グルグル』のククリが勇者ニケを美化して、理想の勇者像を描いて、オリジナルとかけ離れたニケを慕っていたように、C.Cも自分の中でメチャクチャカッコイイルルーシュを思い描いていたわけですね。ルルーシュなら、何でもかんでも見事にやってくれる。ドラえもんが道具を出してくれるように、仙道ならそれでもきっとなんとかしてくれるように、ルルーシュならどやぁ?とキメ顔で、ものの見事にどんな問題でも解決してくれるとC.Cは胸をワクワクさせて、眺めていた。さながらヒーローショーでヒーローがかっこよく、鮮やかにババ~ンと敵を倒すと想像していた子供が、その期待を裏切られたようなもの。だから、C.Cはキレたわけですよね。
 本来、C.Cはそんなキャラではなかった。しかし物語の終盤でルルーシュとの距離を縮めていったことからわかるように、ルルーシュが最後は自分を笑わせてくれると約束をしてくれた。その約束を信じて必死に一人で頑張ってきたわけです。これまでの後ろ向きな「死にたい」という願いとは違って、前向きな「愛されたい」「一緒に笑いたい」という願いで動いていた。その希望を裏切るような態度にイラッとしたわけですね。あれを見て、「ああ、C.Cって本来はああいうキャラ・人間なんだねぇ」としみじみ感じ入るはずですよね。普通は。
 これまで人間性を捨て、名前も捨ててC.Cという仮面をかぶって生きてきた。コードホルダーとなった時に、C.Cの本来の人間性は死んだわけですよね。そのC.Cが、本名セラ説があるので、仮にセラだとすると、「人間セラ」に戻ったわけなんですよね。ただの人間、一人の人間が、ルルーシュを探し求めてさまよい続けてきた。その結果、ようやく巡り会えた大切な愛しい人間に、自分の感情を人間としての感情を吐き出した。一年間ず~っとためにためていた想いがあった。ルルーシュの前で、本当の自分、人間だったときの自分になって、等身大の人間セラとしての感情を爆発させたわけですよね。
 そういう背景に思いを巡らせると、すっごい良いシーンですよね。これまで仮面をかぶってきたC.Cが仮面を外して本心を吐露するというすっごい良いシーンじゃないですか。なんでそういう感想になるのか全くわからない反応でしたねぇ。Cの世界でC.Cの記憶を見た時に、「ハイハイ、もらった贈り物は全て返しました。しょうがないじゃない、ギアスの力なんだから」みたいなシーンが有りましたが、本来結構身勝手なクソガキみたいなところがあるはずなんですよね。勝手にルルーシュの金でピザを頼んで食べてしまうという意味でのわがままはありましたが、「私の思い通りにちゃんと動いてよ!」「私の云いたいことを言う前にちゃんとわかってよ!」みたいな、めんどくさい彼女のようなことは今まで言わなかった。そこにC.Cのこれまでの違い、変化が見ることが出来て面白いシーンのはずなんですけどねぇ。

 

■スザクやシャーリー、最愛の妹ナナリーと何故暮らさないのか?

 ちょうどユフィがコーネリアと一生会えなくなるわけじゃないしと言ったように、ルルーシュも別にナナリーやスザクやシャーリーと一生会えないわけじゃありませんからね。盆と正月くらいには帰省して顔をみせるでしょうし(笑)。人ならざる存在となった、コードホルダーL.Lとなったルルーシュが、ナナリーと一緒に暮らすのはそもそも難しい。悪逆皇帝ルルーシュとして世界中の誰もが知っている、面が割れているわけで、顔を変えて名前も変えて生きる必要がある。ルルーシュだけなら、咲世子さん直伝の変装術でなんとか顔を変えてモブに紛れて一緒に生活出来ても、スザクがいる。スザクも死んだことになっている人間。そんな人間が2人もいるのはリスクが跳ね上がりますからね。何より「君がゼロをやるべきだ」とスザクに言われて、ルルーシュが「俺が復活したのはイレギュラーだ。明日にはどうなってるかわからない」と言っていたように、不安定な状態。この明日どうなるかわからない不安定な状態を解消しなくてはいけない。そして何より前述通り、それに加えてギアスの欠片の回収事業があるわけですから、世界を回るスターダストクルセイダースが優先されるのは至極当然ですね。*2
 そういうことを考えても、特におかしなラストであるとは思いませんでした。まあ、なにより、昔にルルーシュが復活するだろうという話を書いた時に述べたように、C.Cとの契約を果たすというのが物語のラストとして一番自然ですからね。一番つらい思いをしてきたのは、誰よりも苦しんできたのはC.Cなわけですから、C.C救済エンドが至極当然、自然な最後でしょう。
 ※追記:最後のC.Cの涙について、それに最後のC.Cの涙のシーンが象徴的なんですが、それでもルルーシュはスザクやシャーリーと一緒の時間を歩むことを選ぶ可能性もあったわけですよね。C.Cからしたらあと数十年か、50年。下手したら100年位になるかもしれませんが、それくらい時間がかかったとしても待つつもりだったんでしょうね。一応不老不死なので、100年待つことになったとしても全然構わないわけです。最後に自分の元に帰ってきてくれさえすればそれでいい。
 Cの世界が壊れて不老不死が危うくなったとは言え、死なない限りまだまだコード保持者として永遠に生きるはずですからね。忠犬ハチ公・オレンジ公として、待つことを厭わないはずです。これまでずっと一人で絶望と孤独でいたことを考えれば、希望がある分待つことに何の苦痛もない。ルルーシュをおいて旅立とうとしていたように見えますが、ルルーシュが人としての未練を残さないように、人生を全うするまで待ってようと距離をおいたという見方もできるんですよね。C.Cの置き去りは。
 ルルーシュが人生を全うしたあとでまた迎えに行くという選択肢もあるわけです。そうなってから二人で一緒に歩むという選択肢・展開もありえた。ある種、ルルーシュが変に現世の未来を残さないようにしたという、C.Cなりの優しさなのでしょう。しかしルルーシュはそれを選ばずに、C.Cと世界の未来のために、人としての未練を全て置いてきて、名前=これまでの人生を捨てて、C.Cと旅立つことにした。C.Cを、自分を選んでくれた。これからもずっと自分についてきてくれる。一緒の道と時間を歩んでくれる。そんなルルーシュの意志表示がL.Lという名前に込められていた。それに対する涙なんでしょうね、ラストのC.Cの涙というのは。

■the Re;surrectionのRe;の話

 最後におまけとしてRe;の話を。前回、「繰り返し構造」が否定される。でもタイトルに「Re;」が入っている。そんなことは知りません(笑)と書きましたが、R2の25話・最終話「Re;」の続きということ以外に、C.Cとルルーシュの出会いや運命的なメッセージがあるんでしょうね。映画を見てもこれまでの構造の「繰り返し」のようなものは見られなかった(シャムナの「やり直し」は何回もありましたけど)。
 ですが、たった一つ「繰り返し」のシーン・構造がありましたね。C.Cが探し求めていたルルーシュと出会い、ルルーシュを守って死ぬ。C.Cがギアス能力を授けて、そのギアスでルルーシュが敵を始末する―このパターン・展開だけは、見事に繰り返されましたね。ちょうど、大阪桐蔭高校、何年連続何回目の甲子園出場のように、3期連続三回目のCL運命の出会いですね。CL学園高校春夏連覇です。三回だから春夏秋完全制覇ですね。サッカーだったらCL三年連続制覇ですね。
 巷では、C.Cルート、C.C正妻ENDとして語られていると思うのですが、個人的にはルルーシュとC.Cは男女の恋愛関係のような絆で結ばれて終わりというふうには考えてはいません。ま、そこら辺話すとまた長くなるのでまた次回かいずれということで。
 今回は自分が目にした違和感ある感想・変な意見に対するコメントで終わりましたので、次回は個人的な違和感というか、うーんどうなんだろうなぁ?と感じた話をしたいと思います。正直どうなんだろうなぁ?と感じた要素がいくつかあったので、その話をしてみたいと思います。終わり。

*1:ルルーシュの復活に拒否反応を抱くのは、なんなんでしょうかね?あの扇死ね理論のように、美人の奥さんもらったら幸せ的な価値観が根強いのでしょうかね?C.Cという嫁を手に入れた!めんこい嫁を伴侶にしたルルーシュが不幸なわけない!絶許!的な感覚で論じているから、ルルーシュがさらなる戦い・辛い道、不幸な道を歩んでいるということが理解できないのでしょうか?この辺の心理を掘り下げると、まだまだ話が長くなるので飛ばします

*2:※余談: そう言えば、初代ゼロと二代目ゼロなんですよね。ルルとスザクは。二人が一緒にいたらどっちがゼロなんだよ、キャラかぶってんだよ!と漫才やれそうですね。「初代ゼロでーす」「二代目ゼロでーす」「二人合わせて0.0(ゼロ2)でーす。O.Oじゃありませんよ~。それはOPのほうですからね~」がツカミですね。ザ・たっちみたいにどっちだ?ができれば、二人いても良いんでしょうけどね。まあそういうわけにもいかないですからね。ポプ子とピピ美としてならバレないかもしれませんけどね(笑) 。
 ゼロというシステムは世界が平和になった今必要ないとも言えるのですが、新シリーズでは当然また混乱・混沌状態になるでしょうから、そこで三代目ゼロが出てくる形になるんでしょうかね?スザクの子供が三代目ゼロになるとか?まあ家庭を築いて人並みの幸せを手に入れることはもうないという話なので考えにくいかな。親父がゲンブで子供がスザクなら、枢木セイリュウやビャッコが出てきそうな気もしますが、既に一族でそういうネーミングされたキャラが既出なら、まあないんでしょうけどね。いろんなシリーズあるからひょっとしたら既にでてるかもしれないのでなんとも言えないですね。
 ルルーシュとスザクの二人のゼロの想いを引き継いだ新キャラが三代目やるってのが良い展開になりそうですね。一族の希望の星として育てられたセイリュウがゼロになろうとするのを、二人の遺志を継いだビャッコが自分こそがゼロになる!とゼロの地位を争うとか、そういう展開とかだったら面白そう。まあ、スザクとルルーシュの遺志を引き継いだ子供とか出てきたら、腐女子の格好の妄想の種になりそうですが(笑)。こんなの二人の愛の結晶やんけ!とか騒がれそうです(笑)。