てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

【コードギアス解説・考察】 映画『復活のルルーシュ』の感想② 個人的な不満点と映画の評価・感想

【コードギアス解説・考察】 映画復活のルルーシュの感想① 復活否定派やおかしな感想への反論の続きです。前回書いたとおり、個人的に不満だったことを中心に書きたいと思います。個人的に不満・違和感を抱いたのは、①ルルーシュがギアスを使ったこと、コードとギアス関係の設定が後付で変わったこと。②シャーリーが生き返るという新しい設定が盛り込まれたのに、それについて何ら触れられなかったこと。この2点ですね。

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目次

 

■不満を抱く理由、TV放送終了から時間が経ちすぎてハードルが上がってしまった

 コードギアスシリーズが続くことについて、強い不満を抱く人の意見を見ました。いわく、「もう、キレイに物語が完結したのに、制作側の都合で無理やり続きを作ろうとするな。余計な手を加えて下手に続編なんて作れば、せっかくの名作が台無しになる」と。
 たしかにそういう意見にある程度賛同するのですが、インタビューにもあったように、最初からシリーズ物を制作する。ガンダムが今でもずっと続いているように、コードギアスもずっと続けられるように、シリーズ化出来るものを作って欲しいと言われて作った。という前提条件があるので、シリーズとして続くことはもう、最初から決まっていたと(まあ、そういう事を考えても最終回がどうなるかという話は論ずるまでもないということですね)。
 売れたから、続編作ってまえ~という安易な発想で急遽続編が展開されたというわけではないのは確かですね。しかし、じゃあどうして、ここまで間が空いたのか?時間がかかったのか?と言われると、監督の谷口氏が続編映画を制作することを拒否していたのだそうです。次シリーズやるのならば、どうぞ次の監督さんがお好きに制作して下さいというようなスタンスだったのでしょう。また、ちゃんと本編でメッセージをすべて詰め込んだ。言いたいことは全て描いた。これ以上やると冗長になる。また後述するように映画という限られた枠で描ききるのは無理があるという要素もあるのでしょう。真相がどうであれ、いずれにせよ谷口監督が今回の『復活のルルーシュ』のような映画を作ることに反対だったので、ここまで時間が経ってしまったといったような話を見ました。
 自分が見た中で、ああたしかにそのとおりだなと思った新作映画への否定的な意見として「男女の恋仲、男女がハッピーエンドで結ばれるというありきたりの展開。いろんな愛の形による結末を描くような時代になったのに、凡庸中の凡庸的結末。これはいかがなものか?*1これが普通の映画・作品なら大して問題にもならなかっただろうが、名作コードギアスのラストである分がっかりした。また、TV放送終了から10年経って、ファンの期待が高まった分、この結末はいかにも肩透かし。ワクワクして待っていた分、がっかりした。もし、これが放送終了後3年程度での続編映画だったならば、特に何の問題にもならなかったと思う。長期間お預けを食らわせられた分、期待した反動でがっかりした。ファンにとっては残念な出来、内容だった」
 ―といったような感じの感想を見かけました。たしかにそのとおりだなと思いました。もし、さっさと新作映画として続編を作っていたとしたら、否定的な意見も目立つことはなかったのでは?と思いました。10年にも及ぶ長期間待たされた結果、ファンの中の期待のボルテージはいやがおうにも高まってしまった。そういう要素は確かにあるでしょうね。
 

■映画という限られた尺・時間の中での限界

 新作映画を制作して、続編・次シリーズにステップするために、このような続編映画を作ることに監督は反対していた。そういう話を聞いてさもありなんと思いました。2時間程度の枠で、コードギアスという作品に要求される項目をクリアした作品を作るのは難しすぎる。ギアスという能力モノの要素・ロボットバトル要素・恋愛要素・これまで築き上げた各キャラクターの人間模様&物語・後日談をたった2時間という枠に収めろと言われると相当難しい。尺的に無理がある。TVスペシャルで1時間や90分枠を数回、まあアニメの6話くらいの枠*2、下手したらワンクールくらい取らないと、余裕を持って満足行くクオリティで作品を作ることは難しい。
 客観的に見れば、可もなく不可もなくという評価になると思いますが、個人的に今回の映画の出来は、2時間ちょっとという枠を考えてあの内容、きっちり一本の映画として作品としてまとめられたという事実に目を向けると、監督の手腕を高く評価して然るべきものだと思います。あの内容を見て、きっとあれも語りたかった、これも描きたかったんだろうと思えました。いろいろ描きたかったこと、入れたかったエピソードがあっただろう。しかし舞台としてジルクスタン王国という舞台を設定して外枠を決めた以上、あれが限界だったのだろうなぁという気持ちになったので、文句をつけたり、マイナス評価をしたりするような気持ちには到底なれませんでしたね。本当に一つの映画作品の枠によく見事にまとめたなぁというのが個人的な感想でしたね。
 監督は「ルルーシュを描く」=ルルーシュの最後・結末を明確に描くということにこだわっていたように思えました。先に結論を言ってしまうと、コードギアス外伝としてスタートした初めてのシリーズ作である『亡国のアキト』がひどすぎたので、自分自身の手でルルーシュの結末をきっちり描いておこうという気になったのではないのか?と思えました。下手したら、続編というか続シリーズでルルーシュがおかしなことをする羽目になりかねない。おかしな描かれ方をする可能性だってある。だったら、そういう危険性をなくすために、明確にルルーシュのラストと次章での役割を明確化しておく必要がある。次章でのコードやギアスの展開・設定をある程度自分自身の手で描いて決めておきたい。
 ―どうもそういう懸念から、コードギアスルルーシュ編をきっちり完結させたというように思えました。『亡国のアキト』は本当にひどかった。どうしてアキトがつまらないのか、そういう理由を説明しているサイトがないか探している時に、要因として「ルルーシュがいなかったからつまらない。やっぱコードギアスは、ルルーシュが出ないとダメなんだよ」という意見を見かけましたけど、決してそうではないでしょう。そもそもコードギアスという作品・ストロングポイントを理解していないからこそ、ああいうわけのわからない続編・シリーズが作られてしまうのでしょうからね。長くなるので「どうして、亡国のアキトは失敗したのか」という話はまた別枠でいつか書きたいと思います。
 

■今後の続編、コードギアスシリーズは失敗する可能性が高い

 話を戻して、コードギアスシリーズが続くことについて反対する意見がありましたが、決して人気作品への便乗商法だったり、浅ましい思いつき。少年ジャンプみたいに作品の一貫性を無視した人気次第の延命連載&打ち切り商法ではないわけですね。しかし、個人的にはコードギアスシリーズが成功するかしないか?と言われると、成功よりも失敗する確率の方が高いと考えています。アキトというわけのわからない作品が作られてしまったことを考えると、サンライズ自体が、コードギアスという名作の要点・ポイントを理解していないフシがあるので、同じようなミスをまた繰り返した続編を作ったとしても、何の不思議もないですからね。
 谷口監督&大河内脚本というコンビだったからこそ成立した名作。その谷口監督が以後の作品を手がけない。インタビューでは、「谷口監督だったからこそ面白かった。谷口じゃなきゃダメだと言われないように」という話がありましたが、多分谷口監督の手を離れたコードギアスはクソ化すると覚悟しておいたほうが良いと思います。
 ルルーシュが出ないとダメではなく、谷口が手がけていないとダメ。これが一つのポイントになるのでしょう。次のシリーズをどの監督が手がけるか知りませんが、その監督がまず谷口の壁を超えられるかどうか。谷口より面白い作品を創り出せ!とまでは言いませんが、「谷口に及ばずとも、なかなか面白かったね」と言われるような合格点をクリアするかどうか。ウォール・マリア、ウォール・ローゼ、ウォール・シーナ、そしてウォール・谷口という最後の壁を乗り越えなられるかどうか。次の新シリーズではなによりもそのハードルをちゃんとクリアできるかという点がポイントになってくるのだと思います。新シリーズが2~3作続いて「谷口の壁」を超えられないのだとしたら、もうシリーズとしては死んだも同然になるでしょうからね。
 
 シリーズとして暗い未来が見える。だったら、もういっその事やらないほうが良いんじゃないの?という意見もあるわけですが、『復活のルルーシュ』でも回収されなかったポイントがあるので、続かないわけにはいかないんですよね。アキトで「青のギアス」や「時空の管理者」という重要な新概念が登場するものの、今回の作品でもそれらについてノータッチ。そして総集編で生き返ったシャーリーという、総集編最大の謎である「シャーリーの復活」についてもノータッチ。これは一体どうなのかなぁ…と思うところ。
 コードギアスシリーズとしてアキトも組み込まれている。①R2→②アキト→③総集編3部作→④復活―という段階を経て、謎が少しづつでも回収されていくどころか、復活で「Cの世界の崩壊」というまた新しい設定が明らかになる=謎が盛り込まれるということになってしまった。こういうのをなんと表現しましょうか、もやもやが残ったまま、次から次へと新しい話が展開してしまう。授業内容が理解できていないのに、授業がどんどん進んでしまって、新しい内容を教わる感覚ですかね?または金田一やコナンくんが、殺人事件を解決せず、次の事件・次の事件と展開して前のケースが放置されるという感覚ですかね。とにかくずっと引っ張られて、焦らされすぎて、観る側はすっきりしない。コナンくん出てきたので、コナンでいうといろんな殺人事件を解決しているのに、一向にメインストーリーである本筋の黒の組織の話が進まずにイライラするという感じでしょうか。さっさと黒の組織退治しろよ!「ワシじゃよ!新一」をさっさと捕まえろよ!という感覚でしょうか。
 全部が全部きっちり最後までやれとは言わないけれども、アキトでやった「青のギアス」やら「時空の管理者」という重要な概念は、ある程度は、説明しておけよという思いがどうしても拭えない。今回総集編を挟んで、シャーリーが死なない・生きて話が進むという新展開・謎が生まれたのに、それにも全く触れられないという展開で「エエッ!?」という感想が消えないんですよね。
 もし、シャーリーが総集編で生存していなければ今回の映画で、特に何の違和感も抱かなかった。ああ、やっぱりそういう結末になるんですねぇ~で何の違和感もなく終わるのですが、シャーリーが復活するという一大変化・一石を投じるどころか、巨岩を放り込むくらいのインパクトが生まれた。物語の大きな変化で新作映画にブレが生じてしまった。前々からルルーシュが復活する・コードを継承して生き返るという話は物語の端々で読み取れたし、散々いろんな考察サイトで語られてきたので、何らインパクトもなかったのですが、シャーリーが生存しているという一大変化で、話の軸がブレてしまった。今回の映画はルルーシュの復活というより、「シャーリーの復活」だったんですよね。個人的には。

■新作の見どころは復活のルルーシュではなく、復活のシャーリー

 今回の映画はルルーシュの復活よりも「何故シャーリーが復活したのか」という大事なポイントをちゃんとやってくれると思っていた。その疑問を解き明かしてくれると思って観に行った。謎がある程度解き明かされる、一から十までやってくれるとは言わずとも、半分か3分の1、せめて触りくらいはやってくれると思っていた。ところがシャーリーの生存についてはまるで触れられていない。完全なノータッチ。これで「???」という変な、妙に後味の悪い思いをすることになってしまった。
 次回の映画か、新作TVシリーズかわかりませんが、そこでシャーリーの生存について解説される。話が進んでいって謎が解き明かされるのだとしても、今回の復活でこの案件についてノータッチはひどすぎる。これでは、「総集編でシャーリー生き返らせる意味あったの?」と言われてしまう。総集編否定派の否定的な意見・マイナス評価を覆すことは出来ない。新作公開記念でアベマでやっていた放送を見ていたとき、否定的なコメントを散々見てきましたけど、「だから新作映画でシャーリーが活躍するんでしょ、重要な役割を果たすんでしょ」の一言ではねつけてきただけに、今回の扱いは少しショックでした。続編で、本当に「シャーリーの復活」が作品に活かされるのか!?
 シャーリーが死なない以上、現実が大きく書き換えられた以上、その生存には当然大きな意味が発生する。予想のところで書いたように、シャーリーの復活がより活かされないといけない。シャーリーがいることで、生きていることで、物語で必要不可欠な大きな役割を果たす。キーキャラクターとなって、八面六臂の大活躍をするからこそ、彼女が生き返った。そうでなかったら彼女を生き返らせる意味自体がない。生き返った彼女が、メインキャラとして重要な役割を果たさなかったら、「総集編でなんでわざわざ現実改変したの?なんで生き返らせたの?」と言われることになる。無駄・不必要なストーリー改変と言われる。テレビ版で名作として完成していたものが無駄に捻じ曲げられたということになってしまう。だからシャーリーが今後重要な役割を果たさないとは考えられないんですよね。
 他所様の考察サイトで、「C.Cがシャーリーにギアスを与えて、そのギアスの影響でルルーシュが生き返る」という考察を見ました。色々なシーンからシャーリーがルルーシュの死を事前に知っていたとか、個人的にはそれはどうかな?と思うところもありましたが、ルルーシュがシャーリーにギアスを与えるのではなく、C.Cがギアスを与えるという発想・視点はなかったので、なるほどそういう可能性もあるのかと感心しました。結果、普通にコードを継承して復活するわけですが、その考察をナンセンスだとか、大外れだなんてまるで思えませんでした。そりゃ誰だって、シャーリーが復活する。死亡から生存という大変化が起これば、彼女が何らかの重要な役割を果たすだろうと思いますもの。
 総集編3部作で大きな変更=謎をブチ込んでおきながら、その続編である新作映画でそれについて一切触れないとは、一体誰が思うでしょうか?いや思わない(反語)。
 

■総集編3部作が制作された理由

 そもそも、総集編いる?と思った人も多いのでしょうけどね。シリーズ化して今後も続編を作り続ける。そういうプランが制作側にある以上、どんなにこけても大体10年、4か5シリーズくらいはシリーズ作品を作り続ける。そうなると10年後、新規が「コードギアスシリーズって面白いじゃん、一番初めの作品ってどんな感じなの?」となって、源流であるはじめての作品に回帰する。ポロロッカ現象が起こる。ガンダムファンがファーストガンダムを気になって見てみようとするのと同じ構造ですね。
  新規ユーザーがルルーシュシリーズを見に来てくれる。興味を持ってチェックしたくなるとはいえ、テレビ放送版50話もめんどくさくて観ていられない。いくら前評判が高いとは言え、配信サイトで倍速で見たとしても、相当時間を取られる。50話もかったるくて見ていられない。また、何より大きなお友達は仕事が忙しくて中々アニメを見ることが出来ない。新作アニメを見ることで忙しくて過去の大作をチェックしている時間がないし、大抵の社会人・家庭人にはそもそもそんなに時間・余暇がないですからね。長時間の大作を見るということは、どんなに前評判が高くて面白いとしても、心理的ハードルが存在する。そういう長い作品を見ること自体を忌避するユーザーに向けて、とっつきやすい入り口として総集編を作る必要があった。総集編なら大体三分の一ですからね。それで面白いと思ってもらえるかどうかはさておき、「ああ、そういう世界観なのね」と大体のところを理解して貰う必要があった。そのための総集編なのでしょうね。
 そういう意味で総集編を今から作っておく必要があったという制作側のニーズ・都合は理解できるわけですね。そこで、シャーリーというキャラクターが本編では死んでいるということになれば 、つかみとしてなかなか面白いじゃないかとハマった人は、総集編と本編の違いを知るために、じっくり50話丸々見てくれる。コードギアス沼に沈めるための半魚人みたいな役割が総集編にあるというわけですね。
 そういう諸々の事情を推察しても、アキト・総集編・復活と続いて謎が放置された展開には疑問を呈せざるをえませんね。前述通り、ここまで謎を放置し続けると、「本当にその伏線回収できるのか」とか、「広げた風呂敷を畳めるのか」という話に通じるように、数多くのポイント・疑問点を上手く次作にきっちり活かせるのか?前述通り、時間が開けば開くほど期待値は高まってしまう。散々焦らして引っ張られた分、視聴者・読者のハードルはギュンギュン上がっていく。そのハードルを本当にクリアできる作品を作れるのか?視聴者は最低でもルルーシュシリーズと同じくらい、下手したらそれよりもさらに面白いものを要求するようになる。その期待値を上回る作品・名作を作れると本当に断言できるのか?このような懸念が拭えないわけですね。
 

■次シリーズ・新作でさっさと謎の回収をせよ

 そういうことを考えると、もっと短期間で復活を作っておくべきだった。思い切って復活→総集編の順番でも良かったのではないか?復活でシャーリーをいきなり出してしまって、「あれ?なんでシャーリー生きてるの!?」という展開にしてから、シャーリー出る出る商法で総集編でシャーリーがチラホラ出てきて、ネタを提供するという方式にしたほうが、復活のテーマがブレなかったと思うのですよね。
 復活の次に新シリーズが始まることは決定しているわけですから、さっさと新シリーズをやって、これ以上期待値ハードルを高くしないようにすべきでしょうね。予想のところで書くと長くなるから止めたんですが、シャーリーはキーキャラクターとしてどういう役割が自然に思えるかと言われると、ルルーシュに付き従う形がベストだと思います。「何度生まれ変わってもルルを好きになる」と言った最期に、ルルーシュが「もし生まれ変わったならシャーリーのために…」と言ったように、二人が一生寄り添うのが自然な流れ。
 ―となると、ルルーシュ・L.LがC.Cと一緒にギアス回収に動く上で教団のようなものを作る。これまでのギアス研究組織は嚮団というものでしたが、二人の組織は以前のような組織とは違って、ごく小規模のものとなる。基本的にはL.LとC.Cのツーマンセルなわけですが、やはり何名かの信頼できる部下がいないと、ギアス回収云々のミッションはこなせない。そこで実働部隊だったり、ルルーシュと現場のつなぎ役として大事な役目をシャーリーがこなす。ジェレミアが忠臣として働くことを考えると、アーニャもついてくる可能性が高いでしょうね。個人的に、シャーリーはルルーシュとC.Cの神官とか忠実な部下になるという役割があって、そういう形で活躍をすると思ってたんですよね。無論、それを描くと映画で尺をがっつり取られてしまうので、描くことは無理。それを示唆する何か、シーンをちょいちょい挟んでくれると思っていたんですが、そういう示唆すらなかった…。まあ、それが当たっている推測かどうなのかはさておき、次作で本当にちゃんとシャーリーの復活を活かしたものを作ってくれるのか!?高まったハードルを超えてくれるのか…。かなり心配なところですね。最悪なのが、ただ生き返っただけでおしまい。「時間の管理者」云々関係で生き返っただけという展開ですね。流石にそれはないと思うのですが…。

■設定変更への不満

 最後に、一番始めに触れたギアスとコードの設定を変えたことについての不満の話をして終わります。どうして今回Cの世界が壊れたことで、イレギュラーが発生してルルーシュがギアス能力を持ったまま復活したことについて不満なのか。それはそういう後付をやると何でもありだからですね。別にコナンくんのような推理モノではないので、読み手側がラストの展開をちゃんと推理したらちゃんと当てられるように作る必要性はないわけです。とはいっても、初期設定で条件付けられたものを、あとからホイホイ変えられると見ている側が予想する楽しみがなくなる。こういう能力・こういう制限があるなら、きっとこうなるだろうという枠組みがあって、それをきっちり守るから受け手側は爽快感を感じる。予想を裏切る展開があったときでも、無理くりな超展開でないからこそ「ああ、そう来たか~。今回はこういう展開になったのか~」と盛り上がることが出来る。
 まあ、ゲームのルールみたいなものですね。後付変更は裏技やバグみたいなものであって、基本的には許されざること。そんなことがゆるされるのならば何でもありじゃないか。そんなことがありなら全て作り手のさじ加減じゃないかとなって興ざめしてしまう。
 Cの世界が壊れた、それによってイレギュラーが発生したというのは、わからない話でもない。しかし、コードとギアスという関係というのはこれまできっちり条件づけされていたこの作品のメインの設定のうちの一つ。それをあとからいじるのは個人的にかなり気に入らない変更ポイント。ルルーシュがコードホルダーとして復活したからには、ルルーシュからギアス能力は失われていないといけない。そうなるからこれまでの世界観、コードの継承話というストーリー・物語性が維持される。コードホルダーでギアス能力者・ギアスユーザーといういいとこ取りは「なんだそりゃ?そんなこと言ったら、なんでもありやんけ!」と思えてしまう。別にルルーシュがギアス能力を喪失していても、今回の映画のような活躍は描けたはず。それが尺的に厳しくなるなら、前に書いたように新キャラがギアス能力を持っていて、そのギアスを有効活用する形にすればよかった。ルルーシュが司令塔で、ギアス持ちの新キャラをコマとして戦えばよかった。
 

■より作品を面白くしてくれる・盛り上げる設定変更ならばよし

 個人的に「なんでそんなふうにしたのかなぁ…」と思いつつも、「そんなのご都合主義だろ!変な設定改変するな!」という思いがありつつも、それを許容することは全然余裕でできます。設定改変があまりよろしくないことだとしても、それによって次の物語がこれまで以上により面白くなるというのなら一向に構わない。話を面白くしてくれるポイントになっていたというのなら、構わない。「Cの世界の崩壊」というのは、一応これまでのストーリーからいって、ああそういうことだったのねと納得できる話。であるならば、まあ十分許容できるライン。むしろそれを活かして面白い話を描いてくれれば、「なるほどね。だからこういうふうに設定を変えたのね。良い変更だった。流石!」と称賛するでしょう。なので、Cの世界の崩壊とルルーシュのギアス能力保持・コードホルダーがかつてのギアス能力を復活させて使用できるというこれまでとは違う2つの変更が物語をより面白くするポイントになるのなら、全然許容範囲内。
 いくらルールを守ろうが、作品としての一貫性を保持していようがなんだろうが、つまらなかったら意味がない。創作物とはエンターテイメント。面白いかどうかが作品の絶対的な基準。つまらなかったらそこに何の意味もない。たとえご都合主義だろうがなんだろうが、その変更が作品をより面白くしてくれるものなら大歓迎。論文なら学術性・正確性というものが問われますが、当然コードギアスはアニメ・エンタメであって論文ではないわけです。面白いかどうかが創作物の要点。
 ちょいちょい触れてきましたが、結局の所、今回の映画の評価というのは、次作で面白いものが作れるかどうかにかかっていると思います。新シリーズが、新作が、きちんと今回の謎ポイントを見事に描いて読み手に爽快感・驚き&感動を与えてくれるかどうか。ハードルを乗り越えた評価を与えるにふさわしい作品を新監督が作れるかどうか次第になると思っています。

■個人的な作品への評価

 ―ということを書けば、結局今作の評価は保留で、次作次第というオチになるかと思いますが、個人的な映画の評価は?と言われたら、そりゃ100点満点ですよね。多くの人が今作を見て「同窓会だった」と表現したように、ファンにとっては動いているルルーシュ達、その後が見れるだけで満足。ゼロレクイエムで皆が望んだ世界で、どういうふうに生きているのか、実際に生きて動いている画を見れるだけでそりゃ満足しちゃいますもの。沼に沈められて半魚人化した人間にしてみれば、久々に彼らに会えた喜びで謎の喜びの舞を踊って歌って、宴を開くってなもんです。
 疑問や不満があっても、映画という尺制限の中でしっかり一つの作品を作り上げてくれたこと。コードギアスというこの素晴らしい作品を世に送り出してくれた谷口監督に尊敬の念、敬意を表せざるをえませんので。谷口監督やこの作品に関わった大勢の制作スタッフ皆さんに、本当に有難うございましたという気持ちでいっぱいですね。このような素晴らしい作品を作ってくださった人たちにどうお礼を言えばわかりませんが、一連の駄文をもって感謝の意を捧げたいと思います。

アイキャッチ用画像

今、こんなコラボ?商品あるんですね。ルルーシュテディベア…そういうのもあるのか!ゼロマスクはついてないのかな?ギアスにハマったおじさん・おばさんが子供のプレゼント用に作ったのかな?確かに買ってあげたくなりますね。

*1:ちなみに個人的には、男女の恋愛関係で終わったとは捉えていません。無論、別にルルーシュとC.Cの二人に男女の恋愛関係があってはならないとか、そういう関係性が存在していないと言いたいわけではなくて、二人の絆はそれを含めたもっと大きな絆・関係性で包括されている。共犯者という枠組みがあるように、二人は特別な人間関係で結びついている・紐帯があると考えたほうが適切だと思います。長い時間、苦しい戦いを共に乗り越えてきた戦友に近しいものがあると。これを語ると長いし、いまいち自分で整理しきれていないのでこんなところで。

*2:6話って書いたけど、6話じゃ大して変わらないですね。1話=30分じゃなくて、24分位ですからね。3時間位の尺を取るなら8話か9話くらい必要ですね