てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

書評― ?アジア主義を問いなおす 井上 寿一

ブログ引越し&見直しの再掲です。元は10/01に書いたものです。

単に保管庫代わりに、使います。内容は取り立てて言うこともない本でした。

アジア主義を問いなおす (ちくま新書)

アジア主義を問いなおす (ちくま新書)

 
 今起こっている東アジア共同体への動き、政治家・学者の動きが書いてあったので、そこに惹かれて読んだら、長ったらしくて要点もわかりづらいのでやめました。
 以下コピペp24~
東アジア共同体評議会
 「東アジア共同体」構想は、経済共同体に止まらず、安全保障共同体を志向している。このことを目的意識的に行なっているシンクタンクがある。元外交官で、戦略理論研究家の伊藤憲一氏(元 青山学院大学教授)が主宰する日本国際フォーラムを母体とする「東アジア共同体評議会」である。
 この評議会の構成は、政・財・官・学界からの立場の違いを超えた組織横断的なものである。たとえば、会長は中曾根康弘氏(元首相)で、副会長が柿澤弘治氏(元外相)、顧問に羽田孜氏 (民主党議員、元首相)といったように、いくつかの政党からの政治家が役職に就いている。財界からも、今井敬新日鐵相談役名誉会長、張富士夫トヨタ会長などが顧問となっている。研究者も専門や立場を異にする人々がメンバーである。田中明彦東京大学教授のようなリアリスト・スクールの研究者もいれば、その 「親中」「左傾」姿勢が批判されることもある中国研究の天児慧早稲田大学教授の名前を見出すこともできる。 
 しかもこの評議会は、単なる政策提言集団ではなく、参与として佐々江賢一郎外務省アジア太平洋州局長と藪中三十二外務省外務審議官の二人を迎えていることからわかるように、外交政策に直接、影響を及ぼすことが可能なパイプを持っている。この評議会の第一回本会議は、二〇〇四年六月に外務省の会議室で開催されている。報告者は田中均外務審議官(当時)だった。
 このような陣容を誇る「東アジア共同体評議会」は、いわば昭和研究会の現代版といってよい。同評議会は、外務省の作業と平行して、二〇〇五年一二月に開催が予定されていた東アジアサミットに向けて、政策提言をまとめることとなった。
 田中教授を主査とするタスクフォースの中間報告において、「内向き路線でも、経済力依存でもない、日本の二〇年後、三〇年後を考えることこそ、日本の最大の国家戦略である」との趣旨説明がなされているように、「東アジア共同体」は、経済共同体の枠を超えた、長期的な戦略目標から組み立てられるものと示唆されている。ここに安全保障政策が意識されていることは明らかである。
 事実、最終の政策提言書には「政治・安全保障面の協力」という項目が立てられている。この一節は「伝統的な安全保障面では、日米同盟、米韓同盟などの既存の同盟の枠組みを活用する」、つまり「米国を中心とするハブ・アンド・スポークスの関係を維持」するとの東アジアの安全保障に関する基本的な立場を確認している。その上で「東アジア地域の政治・安全保障の協力は、非伝統的な安全保障面が中心になっている」との認識を示し、「テロや海賊、エネルギー危機、環境破壊、感染症、薬物、人身取引、津波なども脅威の対象に含む」、幅広い分野での「非伝統的安全保障協力」を進めると提言している。

東アジア安全保障共同体
 これだけでは、安全保障共同体というほどのこともないかもしれない。しかし同評議会のウェブサイトが「東アジア共同体評議会の見解や意見を代表するものではありません」と断りながらも、わざわざ次の新聞記事を転載していることを、先の田中主査の長期的な戦略目標という発言とあわせて考えれば、どのような方向をめざしているかがわかるようになる。
 その記事とは、同評議会有識者 議員の添谷芳秀慶應義塾大学教授が『日本経済新聞』(二〇〇五年一一月二八日)に寄稿したものである。ここで添谷氏は「東アジア共同体」について、「究極は安全保障共同体」と言い切っている。「基礎としての日米同盟に立脚し、その上に中国をも包摂する政策を準備する」過程を経た後、「長期的戦略の到達点として東アジア共同体が想定される」。そうなれば「日米安保は吸収される」と日米安保条約の発展的解消の可能性について言及している。
 添谷氏は強調する。「これは決して絵空事ではない」。この東アジア安全保障共同体に関するきわめて明快な政策構想こそ、同評議会がめざす一つの方向であるにちがいない。

「中国の東アジア化」「日本の東アジア化」
 このような東アジア安全保障共同体の実現可能性は、どの程度あるのだろうか。かつての「東亜新秩序」や「大東亜共栄圏」が、当のアジア諸国から受け入れられなかったように、この構想も独りよがりなものにすぎないのかもしれない。ところが中国研究の専門家の分析によると、答えはどうやらYESのようである。
 毛里和子早稲田大学教授の研究によると、「おそらくは中国外交当局の考えに近い」清華大学国際問題研究所のグループによって、「東アジア安全保障共同体」戦略構想が打ち出されているという。ちょうど「東アジア共同体評議会」のカウンターパートともいうベきこの研究グループの構想は、台湾問題を議題にしないという点で中国側の原則的立場を確認してはいるものの、既存の二国間軍事同盟とは抵触しないとの前提に基づいて、具体的な内容を伴うものとなっている。
 ARF (ASEAN 地域フォーラム)を基礎として、朝鮮半島の核問題の解決をめざす南北朝鮮・日米中露による六者協議や民間レベルの専門家によるアジア太平洋安保協力会議などのすでにある東アジアの安全保障メカニズムと組み合わせて、アメリカを含むARFメンバー国と「複合型地域安全保障共同体」をめざす。毛里氏はこれを 「中国の東アジア化」と呼んでいる(毛里「中国のアジア地域外交」、渡邊、前掲書(あ、書くの忘れた)(^ ^;))。
 中国側の動向がこの通りだとすれば、日中の政策提言グループ間の安保対話は、十分に可能だろう。その上にある日中政府間レベルでも、政策の距離は思いのほか近いのかもしれない。「中国の東アジア化」と「日本の東アジア化」とによって、日中関係が接近する時、東アジア安全保障共同体も成立するにちがいない。
~ここまでP28

P33~ ―「東アジア共同体」構想
 この課題に対する小泉外交の答えが「東アジア共同体」だった。小泉首相は就任後ほどなくして、二〇〇二年一月、シンガポールで初めて「東アジア共同体」に言及し、東アジア諸国と「共に歩み共に進む」ための共同体の構築を提唱している。このシンガポールスピーチを皮切りに、翌年、ASEAN特別首脳会議の東京宣言で、「将来の東アジア共同体構築へのコミットメント」を表明し、翌〇四年の国連総会一般討論演説において、ASEAN+3 (日中韓)の基礎の上に立つ「東アジア共同体」構想を提唱する。そして〇五年の国会施政方針演説では、「多様性を包み込みながら経済的繁栄を共有する、開かれた『東アジア共同体』の構築に積極的な役割を果たしていく」決意を表明した。こうして年を追うごとに、「東アジア共同体」構想が具体的な姿を現わすようになっていった。
 外務省はこの年(〇五年)一〇月に、「東アジア共同体構築に係る我が国の考え方」をまとめる。これを一二月に開催予定の東アジアサミットで披露しようというのだった。この文書は三つの基本的立場を表明している。
1「開かれた地域主義」の原則
2 機能的アプローチによる協力推進
3 普遍的価値の尊重、グローバルなルール遵守
 一般に国民向けの政府の政策文書がそうであるように、これも反論の余地を与えないところまでもっともな文言で構成されている。しかし「東アジア共同体」をめぐるパワーゲームの現実を直視すれば、これらは単なる政治的スローガンになってしまう。もちろんそれを外交当局がわからないはずはない。おそらくはより明確な基本方針を持ちながらも、公にすることを慎重に回避しているのだろう。

―外務省の真のねらい
 外務省の真のねらいがどこにあるかは、間接的に知ることができる。この文書が公になったのと同じ月の号で、外務省系の月刊誌『外交フォーラム』が特集「東アジア共同体形成に向けで」を組んでいる(二〇〇五年一0月号)。これは偶然の一致ではないだろう。一二月の東アジアサミットを視野に入れて、国民世論を啓発する意図があったと推測される。
 巻頭論文は田中均「二一世紀日本外交の戦略的課題」である。「前外務審議官」としての田中氏の論考は、個人の責任において発表されたものとはいえ、外務省の立場と無関係とは考えにくい。これを読んでみると、「東アジア共同体」に関する田中氏の議論は、外務省の公式の立場から逸脱するものではないことがわかる。しかし重要な例外が二つある。一つは、「東アジア共同体」のメンバーからアメリカを除外している点である。もう一つは、日中提携を強調している点である。
 第一の点について田中氏は、「米国など東アジア地域の将来に致命的な影響を有する国との間では、何らかの形で意思疎通を常時図るメカニズムが必要」と念押ししながらも、「東アジア共同体」の構成国をASEAN+3(日中韓)とインド、オーストラリア、ニュージーランドとすることが「常識的ではなかろうか」との立場を明らかにしている。外務省の基本的な立場が「開かれた地域主義」ではあっても、地域主義である以上、構成国に関する何らかの線引きが必要である。田中氏はその線をアメリカとの間に引いたといえる。
 第二に、田中氏は「ビジョンを実現していくために日本としてのコストは支払う覚悟がなければならない。日中関係の再構築なくして東アジア共同体を語ってもあまり意味がない」と、東アジア地域の安定のためには、とくに日中関係が重要であると強調している。
 アメリカを除外して日中主導で「東アジア共同体」を構築すること、これを「アジア主義」と呼んだとしても、先の「東アジア共同体評議会」の議論と重ねあわせれば、牽強付会とはいえないのではないか。これからの日本に 「アジア主義」的な外交政策があるとするならば、それは以上の議論を出発点として形作られるにちがいない。  

 まぁ、中国の研究者が(研究者だから当たり前なんだけど)、賛成しているだけであって、現実に中国のトップは東アジア共同体に反対しているんですけどね。中国の政策の幅が狭められてしまうから。印・ニュージ・豪がどんなスタンスからわからないからなんともいえないけど、日本としては緩やかな地域秩序形成のためには上三国はオブザーバーに留めるべきでしょう。そもそも経済観点だけで、今の日本には安保をどうして、北・中・露にどうするかという戦略構想がまったくないですからね…北東アジア、六カ国を通じた地域機構論を唱える偉大な学者はいまだに現れない。ということは政治家で現れるはずもないでしょうね (´-ω-`)
 中国が進めることは絶対にない。なぜなら今国内状況で、外交で思い切った手を打てないから。何よりそのようなカリスマ性が現指導者には存在しない、テクノクラート型リーダーだから。むしろ中国経済が衰退期に入ったとき、海外の支援を必要としなくてはならないときにこそ、初めて見直されることになる。
 戦前の日本のアジア主義がどうして受け入れられなかったと断言できるのだろうか?どうせ戦前真っ黒の思い込みに基づいたんだろうなぁ…。戦前と今を比較するというアプローチ法はいいけれども、現在と当時の国際状況の変化を説明せずに、何が同じで、何が違うからこのシステム下では「東アジア共同体」はこうなる!あるいはこういう性質を帯びるものになる!という言及が足りない。長々分析して、終わるだけ。まぁ、学際的観点を持たない・研究しない政治学なんてこの程度でしょ。やっぱり*1
 
 ※今は懐かしい、地域機構づくりの話、東アジア共同体の話ですが、現在そういうプロジェクトを手がけている部署とかあるんですかね?中国系、チャイナスクールあたりがでばっちゃうと、カウンターで米系が潰してくるといういつもの流れですよね。今は中国の台頭と挑戦で大変な時ですから、まあそんなことやってる暇無いですかね。東アジア共同体構想などは、中国の現行秩序変革の試みが終わらないかぎり本格化することはないんでしょうね。

*1:戦前の日本のアジア主義云々のところで引っかかった感じですね。そんなことでイチイチキレる必要なんてないんですけど、何キレてるんですかね?成人式かな?