てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

日米同盟は破棄されるか? 米の思想・歴史観と日本の取るべき外交+おまけアフガン戦争に参戦すべきだったか?日英同盟破棄=日米衝突は避けられたか

ーという話がありましたので、それについてあーだこーだ語った記事です。旧ブログを消すので、一応こっちに引っ張っておいたほうがいいかなと思う話なので、今更インポートしています。

 「見捨てられ」と言うのはヘロドトスの『歴史』を研究した結果、同盟の理論で、同盟というのは大国であれ、小国であれ同盟を結ぶことで第三国からの戦争に巻き込まれる(entrapment)リスクを恐れ、同盟を解消しようという力学が働くことを言います。そして、そういう力学が働くと同時にもうひとつ真逆に相手国から見捨てられる(abandonmet)のではないかという恐怖の力学が働くという。この相反した力学にさいなまれながら、国家は同盟についての政策を決定する。この研究はなるほど確かにごもっともだと感心した覚えがあるのですが、誰だったか思い出せない…。メモったと思ってたら、なかったorz。よって「同盟見捨てられ」という言葉を用いる際にはこの同盟力学理論を踏まえていないと、読む人間に誤解を与える恐れがあります。自分も遣い方に気をつけるべきだったかなぁと反省しております
(´-ω-`)。


 スタート地点として、己は日米外交というのはまず、中国権益をめぐっての戦争、これこそが絶対に欠かせない戦後外交の基点であると認識しておくべきだと思います。大東亜・太平洋なんでも良いですけど、結局日米戦争というのが東亜・東アジアの一大基点でした。
 己は第二次世界大戦という言葉が好きではありません。そうすると、一連の歴史の本質が見落とされると考えるからです。まず欧州というメイン舞台・メインランドがあって、世界その他の地域は辺境であるというのが19・20世紀の常識。それが現在大きくメイン舞台がシフトしていると己は考えます。よって第一次欧州戦争=WWⅠ。第二次欧州戦争+第一次東亜戦争=WWⅡと己は捉えています。
 米は欧州を旧世界、アメリカ以西を新世界として、マニフェストデスティニー=欧州のような因習に縛られない素晴らしい世界を建設するという思い込みを抱いて日本に戦争を挑みました。中国をクリスチャン化させ、米のような社会にすることこそが、米の日本への圧力の正体でした。悪しき東洋的性質が日本の支配で、そのまま固定されてしまう。それを打破するための正義の戦争をした。米にとっての日米戦とはそういう戦争だったのです。もう一つは日本人、黄色人種に航空機を飛ばせる頭脳などないという人種差別の要素が大きかったでしょう。ソーン博士の著にあるように、白人と日本人の掛け合わせはまぁ優秀な性質になるとか、他の黄色人種同士なら、黒人はダメ~、とか人種的な要因がローズヴェルト大統領政権下で、真剣に議論されていたくらいですから。
 現代(当代でもか)日本人には理解し難いでしょうが、米は既に事実上戦争状態にあるといっても良い状態だったのに、高々真珠湾を先制攻撃されたくらいで、ものすごいショックを受けました。そして、異常なまでに日本人への敵愾心・殺意を抱いて虐殺という復讐をしました。なぜこんな国際法的にありえない、非人道的所業を行ったのかというと、米人には米の自由と平和と財産は外部から脅かされる。しかも守り抜くことは出来ない。―という恐怖感があるのです。米社会、集合意識に根付いた規範・行動様式なのです
 ソフトパワーの記事で指摘したように、米は戦争を仕掛け、圧制社会の独裁政権を打ち倒して解放してやれば、民衆は米軍を歓迎し、簡単に米を尊敬する民主主義社会になるという思い込みを持っているのです。まさに米こそが世界の人民解放軍なのですね。エリートはともかく、真剣にそういうばかみたいな歴史観/価値観をもっている人は未だに多いのです。
 自由・民主主義に向かっている中国。それを妨害し、いじめている日本軍国・全体主義を打倒する!これが米の志向でした。おいおいジョーダンきついぜセニョール。そんなわけねーだろと突っ込むのもわかるのですが、だからこそ米はアフガン・イラクと限界なき戦争に突っ込んでいったのです。短期で終結するという楽観論なくして、何故イラクまで開戦したか、そしてそれを国民が支持したのかというのは理解できないでしょう。
 とにもかくにも、日米戦によりご存知のとおり、我らが大日本帝国は解体され占領され、現在の状態に置かれるようになりました。米は共産化した半島と大陸に悩まされるという、誰が見ても何のための戦争だよ!戦争した結果がこれだよ!!!という愚かな状態に陥りました。戦場で、戦闘に勝ちながら、戦争=外交で敗れるという最悪の状態になりました。イラク戦争というのはまさに、日米戦争型の変則型・亜種なのです。外交的失点があるからこそ、吉田茂はその後の外交交渉を有利に進め、日本はヴェトナム戦においても、参戦をせずに済んだのです。決してフリーライドなどではありません。
 惜しむらくは外交的正当性を主張した上での勝利ではなく、単に反戦という国内世論だけで、この外交交渉を乗り切ったということです。しかも勝利といっても人員を派遣しないことで、おそらく金銭・補給の負担・供出を迫られたはずで、ここでも従属状態を跳ね除けられなかったでしょう(詳しいこと調べてないので、類推です。少なくとも出兵した韓国に経済協力増やしてますから、米にも金出してるでしょう)。日本は戦後引きこもり、独自外交をすることもなく、ただ米に従属するというその場凌ぎ外交で終わってしまいました。
 日米戦で、米の現状認識の誤りによる対日外交および対中の失敗こそが現在の半島・大陸の問題を招いており、責任は米こそが一身に負うべきものである。しかし、米の道理、動機が正しい場合にのみ、日本としても協力するのにやぶさかではない―この当たり前の原則が教えられることもなく、政治家さえも知らず、アジア情勢に対する日米の跛行(正常な歩行ができない状態)が続いているのです。
 己はこれを同盟とは思っていません。単なる基地貸与条項です。米に道義などかけらもありません。なのに無条件に米を支援しようという言論を見ると、米の外交能力の低さにもかかわらず、何故そんなことが言えるのだろうか?と不思議に思ってしまいます。
 東アジア共同体はともかく、アジア独自の地域機構こそが日本の進むべき道であることは間違いないでしょう。そこは非核・非戦を念頭に置いたものになるでしょう。アイケンベリー氏の制度理論、次回書きますが、日本はその東アジア地域機構・制度により、対米不当要求・干渉の排除、対中抑止&中国を地域秩序にふさわしい大国に導くということこそが外交の基本になります*1。もちろん日米関係を基本として行ないます。将来的には米が不必要となり排除される可能性もありますが、それよりかは米さえも組み込む第二の国際連合クラスの機構を日本は目指すべきでしょう。

【おまけ①】日本は戦後、戦争すべきだったか?アメリカの戦争に協力・参戦すべきだったか?*2
 いわゆる『ネオコン』はアフガン戦争を報復ではなく、中東戦争、革命の始まりとしました。アフガン・イラク・イランetc…その政権を武力で妥当すれば各地で民主主義革命が起こる。イスラエルを中心に中東情勢に悩まされた歴史に幕を引けると考えていました。best and brightest(笑)がもたらした結果でしたね。
 どう考えても、そんなことになるはずは無い。アフガンを安定化して、着実な中東安定化を狙うのが常識的な解決法。そのためパキスタン・インド・イランおよび中央アジア諸国との連携を一段と強化して、20~30年単位で民主主義を根付かせるためにどうするか、と戦略を練るのが常道なのに…
 日本が朝鮮戦争以後、参戦する可能性があった戦争、1ベトナム戦争、2イラククウェートを侵略したことで起きた湾岸戦争、3アフガン戦争、4ブッシュ大統領(息子)のイラク戦争。正しかったのは湾岸戦争だけという意見がありますが、己は
2・3の2つの戦争は参戦すべきだったと考えます*3。湾岸は国際法上正当性がある。小沢さんなんかまんまこれを念頭においてますね(国連の決議により、日本は軍事行使をするという小沢氏の持論)。

 3は少し国際法的根拠が怪しいところがあると思われるところですが、それよりなにより、我が国の国際事情から参戦すべきだったという声質があったからです。40~50年近く有事を経験していないのですから、軍事訓練の絶好の機会でした。日本の愚民化教育では軍事の本質を教えないために理解されていないことが多いですが、戦争とは戦闘のみを意味するのではありません。干戈を交える前の段階で9割方決着はつくものです。
 あの時点で、日本が参戦し今後の脅威となる国、というか戦略的には北と中国しかありえないのですから、その国に対して自国の軍事的技量をアピールする意味合いがありました。国防=予防戦争を理解できないことで、軍事的リスク(自国民の身体・財産を危険にさらす可能性)はより高まりました。
 アフガンは戦後維持がいくら難しくとも、民間人を標的にされたのですからやらざるを得なかったでしょう。根本的な解決法を備えていないという戦後の問題、米の体質の問題であって、やるべきでなかったというものではないと思われます。
 外交的に、国際機関を通じてプロセスを重ねても人員損失のリスクが高まる余地などなかったのですから。問題は戦後を見越した外交・国際的協力をこぎつけなかった指導者にあるでしょう。


【おまけ②】日英同盟、欧州戦線に師団派遣で日英同盟破棄を避けられたという説について―
 渡部昇一教授も欧州に二個師団を派遣しておけば、破棄されることはなかったと説いています。それで日米戦を避けられたと。しかし、結局英の仮想敵国、封じ込めるべき相手・対象が独であり、露より独のほうがより重要な敵対国になったことと、中国権益の共同防衛が目的であって、そのどちらの目的でも日本より米の方が有意義なパートナーでした。勿論対中貿易上、英は日本の重要性を高く評価していましたが。日米は中国権益をめぐり 深刻な対立状態にあったので、それはありえなかったでしょう。

 よって二個師団説、アングロサクソン一括論否定は同意します。しかし、日米同盟「見捨てられ」はありえないと思います(日米同盟が米によって破壊されるのではないのかという説を受けて)。つまり、
 ①日本より中国がパートナーとして重要になる(特に大規模な戦時において)。
 ②日中が死活的対立に陥る 
という状況が成立して初めて米日→米中というシフトが起こります。①経済成長が永続して米国債を支え続けることはいずれ難しくなるであろうし、中東などで 米のテロ戦争を全面支援することも考えにくいです。少なくとも現時点ではそれはないですし。②日中が対立する要因は殆どありません。歴史くらいしか対立点がないというのは裏を返せば、史上稀に見る友好時期といっても過言ではないわけです。
 国際政治学では制度理論全盛ですから、その主流からして不要になっても日米同盟という名だけは絶対に残ります。そして同じ民主主義国・制度であるというのは米にとって絶対条件なので、中>日は世界戦争が起こるような事態にならない限りありえないといえます。*4


 さて、米の理性への懐疑についてですが、その可能性もないとはいえません。しかし民主主義国家では集団・政党・メディアなどが様々な形で政治に参与し、決定するわけですから。変化をしていくなかで、必ずその変化の過程が見えます。その過程を追っていけば日米→中米のような形が起こりうる場合、見えると思います。
  確かに、一部には中国に思い入れる勢力もありますが、それが主流になるまでとは到底思えません。少なくとも現在は。ありうるとしたら日米中の機構化、大きな枠内での発展的解消しかないと思われます。その場合日本はかなりシュリンクしているでしょうが、小国としての地位をそれなりにその機構の中で担うでしょう。ただし、中国が安定的に発展したという条件付で。
 米の偏狭性、エヴァンジェリズム(キリ原)のようなものはありますが、イラクによる敗戦(民主化→中東安定といった目的を達成できなかったため)現実派が力を取り戻している現在、米中心主義≒一国・単独主義が力を取り戻すとは思えません。何より、当時の日米戦では人種差別に基づく要因が大きかったと思いますが、現在ではそうではないので、その米の偏狭性が発露するかというとそこまでは行かないのでは?というのが己の感想です。

 蛇足で、昔からトライアドという理論があります。米一極とは別に、地域を主導する三つの極を置いて、三角形のそれぞれの頂点である国・地域がその地域を引っ張って経済・民主主義を進めて、世界が安定していくというものです。昔は日本がその一極を当たり前に占めていましたが、今は中国、または日中協力を中心とした東アジア地域機構がそれに変わっています。ですから米は東アジアから手を引き、日中や、その機構に任せるべきだという意見は国際政治上あまり珍しくありません。ですからそれが米が東アジア地域から全面的に引き上げるとしても、安定化が確保されていない限りないでしょう。または本当に米が世界的な軍事網を維持できなくなったとき、国家的に崩壊レベルにあるときしかないのではないでしょうか?現在より軍事負担は冷戦期のほうがはるかに大きいですから、『大国の興亡』のような大国によるオーバーコミットメントによる崩壊は到底考えにくいという意見が主流のようですしね。

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提言 日米同盟を組み直す 東アジアリスクと安全保障改革

*1:それを可能にする地域機構の建設と東亜地域の相互理解の促進及び関係の深化ですね

*2:他所で論じた外交・同盟云々の話を面倒くさいのでここでまとめてしまいます。

*3:本当は個人的に4も参戦すべきだったという話もあるのですが、冗長になるのでカットです

*4:というか米の戦略を支えるロジスティクス、基地と補給・整備という役割を中国がこなさない限り、米は日本を「見捨てられない」ですからね。