てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

小室直樹著 『これでも国家と呼べるのか』続き

 

ブログ引越し&見直しの再掲です。元は10/09に書いたものです

続きです。
【四章】

 ココからの経済の話は昔の話なので、あまり参考にならない話もあります。ただエッセンス、その重要性は全く変わりません。

 歳出増→国債増→国債費増(利子とか)→歳出増…このように、歳出増が原因となって、また歳出増に繋がるという結果に至る。この悪循環過程viscious circle processが、日本の財政システムの中に出来上がってしまった。

 日本経済の構造的欠陥はクレジットクランチにある。歳出増は国債を増やし、利息による無限の赤字スパイラルを生み出していく。ジャパンプレミアムで外から資金を調達できないから、国内から調達するしかない。国債によって民間市場から膨大な資金が吸い上げられれば、それだけクレジットクレンチが起こる。企業は資金を調達できなくなるため、その分経済活動が縮小する。これをクラウディングアウトという。クラウディングアウト100%ならば財政支出効果は無効。逆に0%ならば、効果は満点。
 財政支出が20兆円増えれば、乗数効果が0.8として、(1÷(1-0.8))=5)5倍の100兆GNPが増える。ヒックスは体系的な研究でクラウディングアウトが100でも0でもない場合を示した。この場合、効果はあっても、ケインズが言うほどの効果は得られない。乗数効果ケインズより小さくなる。ケインズモデルはクラウディングアウトを0と考え、古典派モデルでは100と考える。
 国債が膨大な資金を吸い上げ、クレジットクランチが企業活動を抑制してクラウディングアウトを起こし、財政出動を無効化する。 クラウディングアウト=財政支出があればあるほど、悪循環に陥っていく。国債が激増すれば、資金を吸い上げるから資金は減る。ただでさえ、銀行は不良債権で四苦八苦しているのだ。銀行は資金不足。クレジット・クランチヘ――。そうすると経済活動は減少する。ますます不況へ――。上の負のサイクルにさらに以下のような流れが加わる。
 国債増→資金減→クレジット・クランチ→経済活動減→不況→歳入減→国債…となる。

 日本の製造業は問題ない。いかんなく競争力を持つ、徹底的にリストラをやって合理化を図ったから。対してリストラをやらなかった業界はどこも苦しんでいる。特筆すべきは最もリストラをやるべきであった政府と金融業が、やらなかったこと。
 平成七年冬の銀行のボーナスは、製造業の同年齢の社員の一・五倍。日銀が公定歩合を下げて、預金者の金利を切り詰めたのは銀行業の体質改善のため。決して彼らの給与のためではない。これでは泥棒と一緒。世が不況で苦しんでいるときに、こんな状況。あいた口がふさがらない(゚Д゚ )。
 資本主義の精神があれば、不況時に間違いなく、リストラ&経営の悪い企業を潰す。しかしそうしなかった。これで日本経済が立ち直るわけがない。これがすべて。これが大和銀行事件、トップが損失を隠したことによって日本の金融の信頼は地に落ちた。
 アメリカのリストラ、経営合理化など、さらには別にニュージーランドの例があるが、そちらは本書参照でお願いします。重要なことは、体質改善のために明確にコスト削減を意図した再編、合理化が徹底的に行われた。しかし日本の場合は規模の拡大が第一だったことです。いわゆるToo big to failですね。

p160~あんまり書く必要がないウェーバーの話ですが、感想に必要なためにちょっと書きます。
 資本主義発展のために何より必要なのは資本主義の精神the spirit of capitalismである。途上国でいくら資本や技術を与えても全く資本主義にtake offすることがなかったのは、この資本主義の精神にかけていたため。旧ソ連で時は金なり、の観念がなく、納期の発想がなければ利子もないために、うまくいかなかったのは周知の事実。

p172~これもちょっと話がそれますが、重要な国際社会の転換点なので残します。
 クリントンはこれまでの米の「覇権主義」戦略を明確化した。「デモクラシー」と「市場経済」を世界中に進めると。95/12/3でのマドリードの米EU首脳会談でこれに「人権」の概念をいれて確認する新大西洋宣言が結ばれる。「デモクラシー」と「市場経済」を守るためなら軍事行動を辞さずボスニアセルビアの問題に介入している。明白な覇権宣言であり、そこに反省は見られない。

 日本の税制のおかしさ。消費税、所得税法人税。このままでは資本と人材と企業の空洞化が生じる。日本の個人の金融資産は、平成六年末の総額でなんと一一三一兆円である(日銀統計)。しかも、毎年五〇兆円前後のペースで増えつづけている。この巨大な資金が、驚くほどの低利で国内に呪縛されているの。円高神話が崩壊すれば、一気に海外に逃げる。海外の製造業が成長して、優位を失えば日本経済は詰む。

【五章】
 大前氏、大蔵省の役人がいかに経済学を誤解しているかを説く。筆者は大前氏を低く評価するどころか、大前氏を現代日本の最高のエコノミストの一人として、きわめて高く評価している。大前氏の『「金融」危機からの再生』を、大蔵省の役人が理解していたならば、日本はとっくに不況を脱し、再び高度成長の軌道に乗っていたことであったろう。だが、この人にして、経済学を誤解している。「欺の人にして欺の疾有り」。

 日本は経済学小国。大前氏は古典派経済学とケインズ経済を一括している。これらは明確に別物。そしてボーダレス経済の時代になって、これら古い経済学は通用しなくなったという。そうではなく経済学の古典モデルはすべて市場経済を前提に考える。通用しなくなったどころか、むしろ古典、理論経済学モデルにますます現実が近づいていくのである

p187ヒックスの古典モデルとサミュエルソンの混合経済の話、すばらしい説明なので丸まる掲載。↓
 ヒックスの『価値と資本』は、現代理論経済学の基礎となる模型を提供した。爾後、理論経済学は、ヒックス模型に準拠する。これこそ、資本主義の模型・理念型である。本来、資本主義における経済主体は、個人(消費者)と企業であり、それ以外の主体というものはありえないのである。経済学の理論は、まさに、このとおり。
 近代社会においては、経済理論と政治理論と法理論とは、いわば三位一体。経済の主体は個人(消費者)と企業であるから、政府は、畢竟、必要ないということになる。経済理論において、まずは政府を捨象する、つまり、ないことにしておくのである。
 とはいっても、現実には政府がないことには、火付けや強盗が横行して、経済活動なんかできなくなってしまう。そこで政府の仕事としては、治安維持。そのほか、外交と戦争。これだけは、どうしても政府にやってもらわないと困る。が、政府の役目はそれっきり。
 その他は何もしないで自由放任。何もしない政府が、いちばん良い政府。規制したり、社会保障したり、経済政策とやらをしでかしたり。経済に干渉して市場の自由作動にちょっかいを出すなんてとんでもない。「自由市場がベスト」なんだから、そんなことをしたら最後、ベストでなくなってしまう。
 政府の役割は、戦争、外交、治安維持、それに限る。それ以外は何もするな。これがいわゆる夜警国家論である。国家とは夜警(夜のおまわりさんみたいなものである。市場には、一切、口を出すな。これが、古典近代(古典派の経済理論が妥当した時代)の政治理論である。 ところが、ケインズ以後、経済政策(財政政策と金融政策)が重要な意味を持ってくるようになってきた。また、社会福祉も政府の役目であるということにもなってきた。
 そうすれば、自由放任オンリーというわけにもゆかない。政府もまた、経済の主体の一つとして介入してきた。資本主義と社会主義との、ある意味での混合である。MIT(マサチューセッツエ科大学)の経済学部教授・サムエルソンは、これを混合経済(mixed economy)と呼んだ。今、われわれが住んでいるのは、よく考えてみると、純然たる資本主義ではない。政府もまた主体の一つであるという意味で、混合経済なのである。

 市場経済」market economyと言っても、それは一つの模型(理念型)である。いくつかの諸仮定の上に成り立つ。これらの諸仮定は、高度の抽象化の上に立つ。多くのことが捨象されている。だからこそ非現実的だと批判されてきた。ところが、第二次産業革命の結果、ネットワーク革命の結果モデルでしかなかった過程のいくつかの条件が事実となったのである。
 経済学は「完全競争」Perfect competitionを次のように定義する。
 ①財の均質性uniformityある財は、どの企業が生産したものでもまったく同一である。製品分化defferentationは行なわれていない。
 ②完全情報perfect infomation――市場価格bidとそれに対する需要量・供給量、財の内容・性質をすべての主体が完全に知りうる。各主体は、右の諸情報を無料で刹那に知りうる。 すなわち、一物一価(同一財には同じ値段)の法則が成立する。
 ③主体(需要者、供給者)の数は充分に多い――どの主体も価格を動かすことができない。「プライス・テイカー」price takerとして行動する。数学的に言うと、各主体にとって価格は所与(定数、与件、パラメーター)である。
 条件①②③を満たす競争を、純粋競争pure competitionと言う。純粋競争であり、かつ次の条件④を満たす競争を完全競争perfect competitionと呼ぶ。
 ④参入と退出の自由――新主体がこの市場に参加(参入entry)したり、すでに市場に参加している主体が出ていったり(退出outlet)することは自由である。また、この完全競争市場には、次の諸条件も設定される。
 ⑤時間はかからない――この市場における取引(商品の売買)は、瞬間に行なわれる。
 ⑥コストもかからない――取引の費用はゼロである。
⑤⑥は、特に独立して取り上げられないこともある。しかしこの⑤⑥がネットワーク革命によって現実のものとなったのである。これが与える影響は非常に大きい。
 また特に「非現実」的だとして批判が集中されていたのが、「完全情報」complete information。これがネットワーク革命の登場で、ほぼ成立するようになった。
 コンピューターCALSによって瞬時に取引ができるようになって、コストも時間も格段にかからなくなった。②の完全情報が達成され、④の国際的な入出自由になり、①国際的な均一な商品が登場するようになった。

 完全競争と、市場の最適配分、およびパレート最適などすばらしい説明があるが、めんどくさいのでパス。買って読みなさい。読むよね?
 
 アメリカのレーガン大統領とイギリスのサッチャー首相実例で見てゆくと、規制撤廃後、市場が完全に自由に動いて最適状態に至るまでには、少なくとも一〇年くらいはかかる。 すべての規制は撤廃し、市場の最適な配分に任せるべきであるが、「市場の失敗」market failureの問題があるから、それに注意しなくてはならない。米英は10年苦しんで、改革を断行し、今がある。対して日独伊はそれができずに苦しんでいる。※メモとして、ニュージーランドの壮大な経済実験。そしてその成功に対し、重要だったのが、税制改革・大簡易化であったことは注目すべき事実である。

 さて移行経済学なんて学問があるように、どうすれば資本主義化するか、市場が作動するかが問題である。
 中国は、社会主義市場経済と称して、市場を何とかして自由に動かそうと苦心惨愴している。が、いっこうに「自由に動かない」市場が多いので弱りはてている。旧ソは最終的に破綻した。
 「資本主義の精神」が存在しないから動きようがないのである。「資本主義の精神」を要約する。まずは、目的合理的精神である。経営者は目的合理的な経営ができる。労働者は目的合理的労働ができる。経営者は、かかる労働者を組織して目的合理的経営を行なうのである。次に、労働をもって救済salvationの方法であるとする精神である。この精神によれば、労働は一種の宗教的活動である。これが労働者のエトス(行動様式)である。経営者のエトスとしては、経営活動もまた宗教的活動と看倣されなければならない。「労働(経営)を宗教的活動であると看倣す」精神は、資本主義の発生期では必要である。が、資本主義が成立し軌道に乗った後では、かくほどまでの精神は、必ずしも必要ではなくなる。経営者も労働者も、目的合理的エトスを、資本主義システムの中で自ら学習するようになる。さもなくんば、落伍して、資本主義で生活をしてゆくことができなくなってしまうであろう(ウェーバー著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神大塚久雄訳・岩波文庫51頁など参照)。

 資本主義、あるいは「資本主義に近いもの」でも、次のような労働者と経営者とがいなければ作動しえない(これがいわば、最小限の要請である)。
 よく働けば、それなりの報酬が得られると納得している労働者。生き生きと張り切って新機軸を出す経営者。このエトスを広義の資本主義の精神と呼ぶことにする。右のような資本主義の精神が存在することこそ、市場が自由に動くために不可欠な条件である。分析は省くが、中国以下の国々には、これが存在しない。ゆえに市場経済は作動しない。このことの重大さについてはいくたびも強調してきた。しかし、いくたび強調しても強調しすぎることはない点である。


自由市場(完全競争)のための諸条件(仮定①~⑥)のうちのどれかが満たされなければ、「市場は自由に動かない」(完全競争ではない)。ここでも「市場の失敗」が起きる。

 「市場の失敗」は、「著しい規模の経済(費用逓減)が働くこと」によって生じることがある。この「著しい規模の経済が働く」ことが先鋭な問題となるのは、新企業の参入である。「著しい規模の経済が働く」自由市場においては、新企業が参入しても採算は合わない。損失を出すだけである。この自由市場への参入entryの動機はない、と言うべきである。
 が、後進国において、政府がどうしてもこの産業を育成したい場合にはどうか。たとえば昭和三十年代の日本の自動車産業、あるいは四十年代のコンピュータ産業のようなケースである。政府は、この産業に参入する企業に資金援助をして、さもなくんば損失を出したであったろう企業に損失を出させなくすることによって参入の動機を作ることができる。あるいは、競争を制限して自由市場ではなくして、損失を出さないようにすることもできる。
 このように、幼稚産業の育成を欲する場合には、右のような規制が必要となってくることもある。が、これらの諸例からも明らかなように、規制とは、あくまでも、「市場の失敗」を匡正するためにこそ必要なのである。
 「市場の失敗」のないところに規制の必要はない。市場の失敗がない場合には、規制は自由市場の作動を妨げ、資源の最適配分を妨げる以外の何者でもないであろう。
 そして成長した後は、当然規制は必要ない。そして政府が資金を保証するとき企業努力を怠るケースがある。これは理論経済学で、「いかにすればモラル・ハザードが防げるか」という大きなテーマになっている。日本はこのモラル・ハザードの病に侵されているのである。
 結論は市場の失敗(公共財、公害など)がなければ、自由市場がベスト。我が国では役人が不必要な規制にしがみついていることこそが諸悪の根源。

古典派経済学とケインズ経済学の違いは「セイの法則」Say’s law of demandにある。これを認めるか認めないか。ケインズ経済学は最早「セイの法則」が通用しないと考える。「供給は需要を創造する」Supply creates its own demandこれが、「セイの法則」。この法則が作動するうちは経済はうまくいって、お父さんも、お母さんも安心、日本のバブル時代のように何の問題もありゃしない。しかし、大恐慌然り、失業がドバッと生まれた。
 ケインズピグー論争も面白いが、それは買って読みなさい。もう、めんどくさくなってきた(^ ^;)。一つだけ面白い話を、失業は市場で是正される、自然調整されるという説を信じて、時の墺首相は労組=社会民主党に大砲をぶち込んで給料を引き下げさせた。無論失敗して、民衆に殺された。対照的にドイツはケインズ経済学を知っていたわけではないのに、アウトバーンをひいて有効需要を創出して失業をなくした。失業問題のスペシャリスト、ヒトラーに墺が併合されるのは自然の流れだった。げに、おそるべきかな、ヒトラー!この時代、ケインズ博士と彼だけが、有効需要の理論を知っていた。そしてヒトラーただ一人、実行しえたのであった。まさに経済対策については、史上に名を残す名宰相であった

↓感想でこのセイの法則について書くので、詳しくメモ。
 では、セイの法則が成立するための条件は何か。そのための条件は、森鳴通夫教授によって明らかにされた(『思想としての近代経済学岩波新書・平成六年・150頁参昭)。資本主義の初期のように、耐久財が存在しなければ、セイの法則は成立し失業は存在しない。また、初期資本主義のように、資本家と経営者が同一人であれば貯蓄は投資されるから、セイの法則は成立し失業は存在しない。ケインズは、また、賃金の下方硬直性が失業の原因である、とも論じている。

 産業革命が完成し、工場生産が一般的となるや、大型機械などの耐久財の存在は、もはや無視できないほどに資本主義に普遍的となった。かくて、耐久財のジレムマが発生してセイの法則は成立しなくなり、失業の発生は必然化した。また、シュムペーターが強調するように、資本家と経営者は別人となって、貯蓄はすべて投資されるともかぎらないことになった。セイの法則は必ずしも成立せず、失業の発生はありうることとなった。
 市場における価格調整によっては、失業が調整されるとは言えなくなったのであった。有効需要の増加による(財の)数量調整によらなければならないのである。

 今の日本経済で耐久財は一般に普遍的である(ゆきわたっていく)。資本家と経営者とは分離している。ゆえに、セイの法則は成立せず失業はありうる

 経済法則はまさにこのとおりではある。が、日本企業は、独自の社会学的理由によって、この「失業」を企業内潜在失業latent unemploymentという形で吸収してきた(現代―昭和三十年以降―の特殊日本型経営)。企業は、賃金と配当を最小にして収入の大部分を、企業内留保として残すという経営をしてきたのであった。この経営方針は、成長経済下においては威力を発揮する。共同体としての企業を保全する。アメリカ企業とは違って、長期投資計画を有利にした本業は株主の顔色をうかがう必要はない)。長期の研究開発も容易にした。また、共同体としての企業の景気適応も可能にした。アメリカ企業は、労働者の雇い入れと放出によって、つまり失業者の増減によって好況、不況に対応する。これに対し、日本企業は、社内留保の増減によって景気のよし悪しに対応する。(本当の)失業者の増減ではなく、社内失業者の増減によって景気への対応が調整されるのである。このことによって、共同体としての企業は保持され現代の特殊日本型経営は保持されてきた(吉田和男京都大学教授)。

 アメリカにも増して、日本は生産指向型経済となった。クラウディング・アウト(締出し)なんか何のその。アメリカではレーガノミクスによって、有効需要増、そして減税。インフレなき繁栄を謳歌した。が、副作用として双子の赤字結果(財政赤字貿易赤字)は――。双子の赤字がアメリカ経済に取り憑いた。これも実は、クラウディング・アウトの一種。有効需要増、減税によって有効需要は、ますます増える。かくて好景気。
 が、その好景気を支える厖大な有効需要。アメリカ経済の生産力に問題はなかった。べつに生産してできないことはない。けれども、日本は、もっと安く生産することができる。日本製品とは太刀打ちできないものが多くなってきた。国際競争力におけるクラウディング・アウトである。そのために、アメリカは、たいへんな入超(貿易赤字)。そのために財政も赤字になった(貯蓄マイナス投資=輸出マイナス輸入(入超)であることに注意)。
 これに対して日本は、有効需要が増加しても入超になることはない。生産力は、国際競争的に充分に強いのである。この意味では、クラウディング・アウトは起きていない。この意味で、日本経済はアメリカ経済よりも、はるかにケインズ的であると言える。
 日本にケインズ経済学は生きている。有効需要の原理は依然として生きている。日本における財政大赤字は、アメリカとはまったく別の理由による。それは金融システムにおける致命的欠陥なのである。構造的欠陥は次章で論ずるとして、本章の結論は、「各論、古典派。総論、ケインズ」つまり、個々の市場(企業)を元気づけるには「古典派」、日本経済全体に活気を与えるには「ケインズ経済学」が有効とする。

【六章】

そして最終章。ああ、ようやくココまで来た。長い・・・(´-ω-`)。
 構造的腐蝕を起こした大蔵省は解体すべし!今だと財務省ですね。朝日新聞社会部著『公費天国』から、いかに大蔵省という組織が腐敗しているかを説明します*1

 結論は、戦後軍と財閥は解体されても、官僚機構はそのまま残った。そして自己肥大化を続け権力を増していった。戦前と比べ物にならない強大な権力機構はいかにして生まれたか?それは公共事業主導型経済である。古典派と真逆の社会主義。だからこそスターリニズムが潜入する余地がある。権力の増大は腐敗への道。まんま腐敗への道一直線、猫まっしぐらであった。
 腐敗は国家を危機に至らしめる。しかし必ずしも滅ぼすものではない。ウォルポールのイギリス(1721~42)・グラント将軍が大統領のときのアメリカ(1869~77)のように汚職が蔓延しても国は栄えていた。滅ぶときと滅ばないときの違いは何か?それは自己浄化能力の有無による。自己浄化能力がありさえすれば、いかに不正があろうとも国家が、組織が滅びてしまうことはない。
 出るわ出るわ、大蔵省の不正の実態、カラ出張、不正接待、天下り。腐敗のオンパレード。さて、これで誰か処分されたか?ノー。キャリアに罪は及ばず、下っ端だけが処分されて終わり。
 大蔵省銀行局は、アメリカの法律も慣行も知らなかった。ルールに反して、大蔵省は、大和銀行から不正の報告を受けながら、米当局に六週間も通報を怠ったのであった。通報を怠ったことに関する榊原英資国際金融局長の説明が、日本の金融機関と当局の信用を、泥土に落とした。榊原局長は通報遅延の理由説明で、何と、「日米の文化の違い」に言及し、「対米連絡の遅れについては不適切な措置は何もなかった」と述べた。この説明に、米下院公聴会で非難が集中した。米国側では今や「大蔵省は大規模な不正事件を米側に六週間も隠して、国際協約と信義とを破り、『文化の違い』を口実にその非さえ認めない」という認識が定着してしまった
 そこでもし、この完全情報の原則に何らかの留保があるとすれば、そちらのほうこそ例外なのだから、特に断るべきなのである。必要とあらば、特に合意か法律の形で明示するべきなのである。ゆえに、何の合意も法律も特にない(知らない)とすれば、当然、完全情報が前提とされていると解釈されるべきである。それよりも何よりも、この「文化の違い」という説明は、大蔵省(特に国際金融局、銀行局)が、自由市場について何も知らないことの告白である。自由市場においては、完全情報が前提である。何の法律もルールもなくても、それは当たり前のことである。それと正反対の解釈をして、通報を遅延するとは。これは文化の差ではない。自由市場の何たるかを知らない白痴的無能ぶりが招来させた結果にほかならない。
 ちなみに、この榊原英資という男、昭和六十年、理財局国庫課長として「昭和天皇在位六〇年記念一〇万円金貨」発行を画策した人物である。だが翌年に発行された金貨の原価は四万円。販売価格の一〇万円とは六万円の差があった。日本経済バブル化第一号の事件を起こした犯人だが、ここに逸早く着目した海外の偽造団は偽金貨を大量に偽造。結局、大蔵省内でも見通しが甘かったということで、回収策を講じることになった。だが、この大事件を犯した紳原は、国際金融局長に上りつめ、日米交渉の最高実務責任者となった

 ミスター円とか騒がれて、本を昔一冊読んで?イマイチだった感じがありましたが、やはりか…、典型的な腐朽官僚ですよね。普通は恥ずかしくて言論活動なんかできませんけどね。本人はともかくとして、使う方の問題でしょうね。

 結論、提言―戦後、軍部を解体したように徹底的に消滅させよ。そのうえで、主計、主税、金融、証券監視などの諸機能に応じて、必要とあらば、新官庁を作るべき!またアメリカの猟官制、中国の易姓革命のように、改革に応じて官僚をごっそり入れ替えるべし!外務省も廃止。理由はいうまでもない。危機に応じて行動できないものなど大使ではない。小使で十分。いまや電話で一秒で戦争でも何でも通告できる時代。大使など無用の長物。あわせて文部省も解体して、役人の大リストラ、大スリム化をやるべし!官庁リストラで、巷間に役人があふれる役人の大海賊時代にすべき。

*1:朝日といえば単なる人民日報と思われがちですが、こういうところで朝日という新聞が一定の人気を保ったことが分かりますね。社会部の調査能力が高かったって大前さんがたしか書いてましたもんね