てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

イカ娘で気づいた―人はなぜ自殺をするのか?

過去記事の再掲です。元は10/12に書いたものです。今見るとスゴイ強引極まりない話ですね(^ ^;)。

        第九話「ピンポンダッシュしなイカ」より
 この回を見ていて、自殺の一要素に気づきましたので、報告がてらにまとめとこうと思います。

 イカ娘はひょんなことから、清美という少女と友達になります。そして初めて居候している相沢家に彼女を招きます。しかし、イカ娘は善悪の判断の基準を持ちませんから、友達を勝手に家に招いていいものかということの判断が出来ません。ここら辺が子供と同じでかわいいところです。んで、勝手に家に呼んで、怒られると思い込むのですね。
 相沢千鶴という一家の長が作中最強キャラクターで、イカ人間よりも高い戦闘能力を持つというキャラ設定になっています。その彼女を怒らせてしまった!とイカちゃんは思いこみます。

 イカちゃんは当初恐怖のあまり、死にたくないでゲソ!と逃げ出します。ところが、清美という少女・友達を思い出して、
 「清美と出会えて私は本当に幸せだったでゲソ!何があっても私たちは親友でゲソ!」

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 「清美を巻き込めないから、清美はかえるでゲソ!」と言って、彼女を帰します。そして、

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 「勝手に家に友達を呼んでごめんでゲソ~。煮るなり焼くなり好きにするでゲソ~!」
 ーと、まるでまな板の上の鯉、イヤ七輪の上のするめのように五体を投げ出し、死を覚悟します。

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「清美、死んでも心はつながってるでゲソ。カクッ」
「イカちゃんって変な子」
 という、まぁよくあるアンジャッシュのコントではないですが、勘違いによるすれ違いネタですね。イカ娘が殺される!と誤解して行動するさまが面白いという話です。

 ところが、この話を見て己はマジ泣きです(´Д⊂ モウダメポ 。・゚・(ノД`)・゚・。 笑い話に涙がいっぱいです。島倉千代子です。

【自殺の構造】
 まぁ、言うまでもなく自殺には病気から来るものもありますが、一番は苦しむ現状から逃げたいというものですね。パニックに陥り、苦しさのあまり死を選ぶ。そういうのが一般的かと思います。現状の生活苦がいじめであるにせよ、経済苦であるにせよ、人間を自殺に追い込む。これが一番大きなものであると。

 もう一つ日本において特徴なのは「責任を取る」ということですね。たとえば切腹における事例のように、死によってそれ以上責任を追及しない。問題が解決した、終わったとみなされる余地があることです。日本の武士文化においては家を守る腹切は名誉で、腹切をゆるされない処刑・打ち首などとは全く意味合いが違いました。前者は誇りであり、後者は罪・悪・恥なわけですね。後世にまで家を守った人間として語り継がれること。また武士の鑑として賞賛されることでもあり、今の価値観とは違って当時の人間の価値観からすれば、かなり誇らしいものだったでしょう。たとえば三島作品に見る腹切の恍惚感なんかがあげられますね。三島の場合は家から離れて腹切そのもの、あるいはその家が国家であったのでしょうが、武士的な名誉の死という価値観を描いていました。

 現代では自殺においてかわいそうという感情・同情が主流でしょうが、もう一つ大きな意味合いが感じられると思います。それは自殺した人間は、残された周囲の人間に棘が刺さったように永遠に残り続けるのですね。同じ高校の友人に出身中学で自殺した人がいて、そのためにその中学出身者はみんな休んで葬式に出ていましたし、同じ高校の小学校からの友達が自殺したこと、そして出身中学ではありませんが、中学なんて10年近く遠ざかっていて、関係ない中学校なのに自殺の話は聞こえてきます。あの中学で自殺があったのだという話が広がるわけですね。

 己の心の中に自殺した友人のことはずっと棘が刺さったように残っていますし、他でもその周囲にいた人たちはずっと心の中に深く残っているでしょう。

【人は死んで鬼となる、人は死んで力を持つ】
 中国なんか死んだ人間は鬼神になりますね。特に先祖はそのまま神となって、子孫が祀ると神は満足して、子孫たちに褒美を与えてくれます。祀られるごとに先祖は復活する・パワーをくれるという考え方なんですね。そんなことはさておき、死んだ人間が精霊として力を持つのではなく、現代では死者は心の力を持つわけです。

 そんなやつ知らねぇよ~。となる人間もいるでしょうが、多くは、死んだ人間のことを非常に心残りにして、そのために何かしようとするわけですね。残された遺族がその問題に立ち向かい、取り組むようにね。親だったら、二度とそのこのようなことを起こさないようにしようと、問題解決に取り組むわけです。社会問題なんか全てそうですよね。二度とこんなことを起こすまいと、問題に取り組んで、再発防止の運動を行うわけです。学問の神様小室博士の偉業は、二度と日本をこのような苦しい目に合わせないために学問を徹底的に修めようという決意から生まれたものでした。

【日本における自殺は虐殺である】
 自殺とはまさに目に見えない抗議であるわけです。たとえ、天涯孤独であろうとも、自殺の人間が年間最低でも7万人*1を超える膨大な数になると、絶対これはおかしいぞ!とみんな思うわけです。何とかしなくてはいけないと。一人一人顔は見えなくとも、この膨大な数に対して危機感を抱くわけです。だって五年で一つの大きい市が丸まる消滅するようなものですからね。この数字は異常の数倍です。大虐殺ですね、最早。


 この苦しい!なんとかしてくれ!という声に耳を傾けない現代社会はまさに狂っているとしか言いようがないでしょう。発狂大国・先進国日本ですね。

 日本における自殺は虐殺である。日本の社会だとどうしても抗議をする構造がない、討論を重ねて下層・全体の人間に好ましいシステムに変えようという要素が非常に小さいわけですね。強い社会・優れた社会とは、どの歴史においても下層の不満を見事に組み上げる社会・組織なんですよ。その教訓が全く生かされてませんね。わが国は。
 また、システム自体からはじかれて、気づかれないうちに自殺する。目に見えない抗議の自殺に対して非常に鈍感になっている。というか、以前であれば何とかそういう人間を救うことが出来た。都市化される以前は、単純労働力を生かす仕事はいくらでもありましたしね。そういう人間を拾うネットワークがありましたし。今の新卒という特定の人間に限って、それ以外の人間を社会から弾くというのは象徴的ですよね。

 今の新卒は虐殺されています。間違いなくこの世代は自殺世代になってしまいますよ。

【幸せ=幸せな一生=幸せな死】
 便宜上、上のような公式をとると、自殺とは間違いなく他殺ですね。外部的な要因で幸せな死を送られなくなるわけですから。セーフティネットという言葉がこれほどむなしい国はないのではないでしょうか?(幸せな一生=幸せな死という定義はあくまで、この話を進める上での仮定ですから、誤解しないように。)

 とにかくこれをなんとかしないと、いつか大変なことになる。国力が落ちるなんていう話だけではない。確実にテロが、社会不安が起こる。まず連想するのはアキバでの加藤だろう。以前も書いたが、もし霞ヶ関にテロするとか、三権分立を壟断して、若者から搾取している!とやって天下り役人でも殺したら、彼は一気にsengoku38なんて目じゃないくらい、2.26、5,15のような大衆の支持を受けたでしょう。小沢さんもニコ生で危険なことになると言っていたし。今は自殺だったり、掲示板でバカにされたという理由でどちらかというと同じ境遇に近いはずの一般民に対して無差別殺傷するということで済んでいます。今でも結構そういう事件がチラホラおきていますよね。

 オウムはまだカルト宗教でしたけど、追い詰められた個人が蜂起するようになったらどうするのか?国家機能が用意に停止しかねない。この危機認識があまりに少ない。本当に心配でならない。

【再び、イカ娘に戻って】
 イカ娘の行動を見ると、死の恐怖から乗り越えて、かけがえのない友人を救います。その行動まさに!金ヶ崎の秀吉の如し!身を捨て主人・仲間部隊を生かす精神ではないか(笑)!殿のようなその見事なさまは、救えればそれでいいという少年ジャンプに出てきそうな話です。ダイの大冒険のポップですかね?

 最後のセリフ、死んでも心はつながってるでゲソというのが気づかせてくれました。そうか死んで生きるのかと。クレイモアでオフィーリアが「お兄ちゃんは私を救えることがわかったから、最後に死んでも笑ってたんだ。何でこんな大事なこと忘れちゃったんだろう」というセリフがあり、愛するもの、守るものの中で死んでも生きるという精神があるわけですね(裏返すとその存在が亡くなってしまえば、生き残っても死んだも同然になるわけですね)。他者のために自殺をする。身を挺す。こんな単純な話・ロジックに今まで気づいていませんでした。忘れないように書いておこうと思って、とりあえず書いておきました。

 これは前述の武家的な自殺に近いですよね。連帯した上での自殺とでも言いましょうか、するといまは断絶した上での自殺ですからね。誰かと繋がっていて、誰かの為に死ぬのではなく、一人で死ぬのですからね。人間は一人になったら死ぬという当たり前の事実を忘れてはいけませんね。こういう現実を見ると社会の病理はここまで極まったかとしか言いようがありません。

*1:公式な統計では、年間大体3万人前後ですが、死亡原因不明が10万人を超えているわけですね。WHOの統計では半分を自殺とカウントするので日本の場合は低く見積もっても7万人はいると考えられます。

 ただ、日本の場合はちょっと違って異常に解剖する事例が少ない。解剖以外ないというバカな状態になっているので、自殺がそこまで多くないと考えるべきかもしれません。もうこの頃から死亡原因不明が多すぎる&解剖例が異常に少なすぎる!と言われていたのに未だに何も変わってないようですね…。※参照クローズアップ現代増える“原因不明死” ~死因解明が追いつかない~