てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

孟子 (中公クラシックス)/中央公論新社

孟子 (中公クラシックス)

孟子 (中公クラシックス)

 

 まあ、いつもどおりのテキトーなメモです。これ書いて何かあるのか?と言っても、何もない。孟子で重要なのは、まあ重要ってわけじゃないんだけど、身体性の理解があること。厨の牛を解体する職人が全く刀を毀す事無く、切る音がまるでメロディを奏でているようにすら聞こえるという、その見事な動きの話。一見思想と関係無いような細かいことでも、そういうことが実は深い関係性・連関性を持っているはず。それを省略されちゃうと全体のつながりがわからなくなるんだよなぁ。

 それ書いてないからちょっとあれですね、これ。まあちょい書いたように貝塚さんがあんまりわかってる人じゃないってことでしょう。当時の学者ならまあこういうふうに考えるのもさもありなんってことですかね。


 p10、海・山への規制、乱獲で魚・木材が不足するため。つまりそういうことがよくあった。
 p16、苛政は民への殺人という発想。豚という漢字の違い、子豚は祭祀専用。内政第一→斉宣王覇者で領土は全中国の九分の一でしかない。その力で全国統一など無理だ!と言っておきながら、燕については攻めこむことを肯定。ただ占領リスクが拡大しそうなら、すぐやめよと言っている。孔孟も単なる民政第一ではない。単に民を守る!なんていう理想主義ではない。

 p29、宣王の鐘の落成式の儀式において、牛がかわいそうで羊にしたというエピソードを伝聞で孟子が知っている。君主のちょっとした事はすぐに伝わって広まることがわかる。
 p34、物欲で覇者になりたいか?君主であればモノは十分に持っているので違う。朝貢・諸国の上に立つため。王道・内政第一で覇者になれ!結局現実を見て全土を支配できる力がないから最も現実的な一国の統治を主張している。当時はそれがベストだったから、孟子の考えは至極当然。
 ※刑=型・基本という発想。王のように自由市場の侵害をコントロールするという発想もありか?王の人為力、刑で市場の法則を守るという意識は多分あったろう。

 p44、王と狩猟と音楽のリンク。しかも古典ではなく現代音楽。それを是としている(恵王下)。
 p48、人の任用について、慎重に慎重を重ねるべき。斉の宣王に対して、斉の伝統革命による王位継承を肯定。革命理論ー残賊は君主にあらず。

 p57、燕に攻め込んで、有力者殺害、牢に送る。宗廟を破壊し、祭器を移す=強行占領政策。そして孟子はその占領政策を戒める。外交とかブレーンではあったが、実務に携われるほどではなかったのだろう。それとも当時強硬に燕を叩きつぶさねばならないよう事情があったのか?孟子は穏当派だったことだけは間違いない。ともかく斉での王道制の頓挫、そして斉を去る。
 p62、孟子の母と継母で葬礼が違う。士→大夫の礼になった。豊かになった分それで変わった。このことで魯の単行は孟子に会いに行かなかった。魯という土地柄の礼の意味の深さがわかる(公孫丑)。

 聖人論p77、礼制を見れば政治がわかる。音楽は道徳、礼楽二百代不変誤りなし!例えで実際は万世の意味。四足でキリン、鳥は鳳凰、泰山・河海が最高クラス。
 不動心・浩然之気=斉は侠客のメッカで勇気を競うのが常。まあ、当時は文と武であるだけで、客・士の区別はさほどなかっただろうしね。

 p86、下僕、弓を作る弓師、恥を感じるなら仁を行え、身につけよ!貝塚解釈は誤り。鎧・巫・棺桶のような仕事でも先天性に基づくものではないとしている。そもそも孟子ヒューマニストという解釈がおかしい。そういう誤解から入っている、孟子人道主義を見出そうという変なスタート地点から入っているからこういうおかしなことになる。
 人の和が最優先、>地の利>天の時という順。

 p96、礼記には父・主君に呼ばれればスタコラ。対して曽子では官には仁、爵には義があるとする(これあってるかな?メモした字が汚くて自信がない…)。関係ないけど、『孝経』を著したとされる曽子には、母が指を噛んでそれで胸が傷んで家に帰ってくるという話がある。これはネイティブアメリカンとか原住民の人が親が死ぬとわかるように、身体性の共有・共感覚を示すもので面白い。そういうところから身体髪膚傷つけるな!という発想に拡大していくのだろう。

 天下に重要な3つ、爵位・年齢・道徳。朝廷や郷党は輔くもの。関係は臣下でも個人的に師・弟子の関係それを取らなければ仕えない。だから孟子は呼びつけられても行かないし、偶然でも呼ばれていく形になってしまったら引き返す。こうぜんかな?ぷりぷりって訳してたけど、ぷりぷりでいいのか(笑)?

 滕文公、斉から小国滕へと移る。小国故に大改革が可能か?
 p126、重農主義・新農の学を唱える許行への反説。南方の豪族。孔子死後、子夏・子張・子游は容姿が似ているから孔子がわりになった。
 p130、許行に大衆品重視という賛同と、腐敗した商業文化という評価があるが、マルクスの影響かな?なんか正解がある、正しい主義・主張があるような思い込みをしているんじゃないかしら?時代環境が変われば、正解・間違いも自ずと変わるんだし。その認識なく、今の時代から都合のいいそれ、自分の賛同する政治主張を見出して、それに肯定評価を与えてもしょうがないんだけどなぁ。

 下、弁論術の否定、楊墨との必要上そうしているだけ。楊墨は世俗肯定、貴人などに都合いい学説か?大して君主の儒学、のち法家か?
 p154、下役にも天の道あり。両親に気に入られれば、同僚に気に入られる。?どういう論理?孝万能論?
 p162、赤子の心、墨→楊朱→儒の順番で広まった?