てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

消費税は民意を問うべし②

消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―/ビジネス社

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 消費税は民意を問うべし①の続きです。

<三章>伝票方式の他に国民総背番号制が必要不可欠となる。とすると必ずプライバシーの問題が出てくる。これについては医者・弁護士のように守秘義務を徹底する。刑事裁判ですら保証する。これでよし。すべての金融取引をこの番号を通じて行う。

 法人にもこの番号が当てられ、所得・資産全てがガラス張りになることで税の公平は保たれる。糸山英太郎などは選挙買収を小切手で行ったから捕まった。時代の流れに早すぎるのも問題か。膨大な情報もコンピューターでたちまち処理できる。財団法人・宗教法人公益法人問わず全て納税者番号を当てるべし。

 大陸間通信と同じで膨大な量からプライバシーを侵害しようなど土台不可能。業務に携わるものに別途罰則を設ければよし。税に毫釐のごまかしも効かなくなる。この改革ははじめに商工業者の反対があっても、全国民の反対があっても、結局可決される。平等公正が保たれることは誰にとっても好ましいことだから。ごまかしがなくなれば市場法則も貫徹され経済上も利益をもたらす。

 86年のレーガンの税制改革の成功もこれに基づく。納税者番号制と申告義務制。社会保障番号を納税者番号にしたことで所得・資産・取引を全てがっちり抑えることが出来るようになったから。納税者番号制がプライバシーの侵害になるなどというふざけたことを抜かしたアメリカ人はいなかった。

 元々日本に私人のプライバシーと言う考え方はなかった。国勢調査で末端の責任者が町内会長(昔の隣組長みたいな感じ)が務めていた。日本には私人のプライバシーと言う考え方はないから、こんなベラボーな事が平気で出来る。当然事件も起きる。或る人が国勢調査票を提出したら顔役に語った内容と違った。

 これに怒り心頭に発した顔役が、私に語った事と国勢調査票は全然違っている。この大嘘付きめ!と罵る。私は日本国民だから、国勢調査票には正確に記入する義務がありますが、何で他人にプライバシーを告白しなければならない義務があるんですかと抗弁したものの、プライバシーの理論は日本では通らなかった。

 いたたまれなくなってこの街を出て行飾るを得なくなったという話。斯くまでも私人のプライバシーに無関心な日本人が、プライバシーの侵犯もくそもない。しかし私人のプライバシーと公人のプライバシーは違う。公人のプライバシーは公のレヴェルがあがるに連れて、プライバシーの幅がぐんぐん狭まる。

 飛びっ切り狭いのが最高の公人たる大統領.絶対王制時代のフランス王の様に私人の領域は殆どない。次が副大統領。大統領が頓死すれば、直ぐ様大統領職を継ぐのだから、適正審査も厳重なものになる。例えば彼のネルソン・ロックフェラー。副大統領に任命されそうになった時上院が資格審査をした。

 その時の質問の辛辣さと言ったら…。経歴からイデオロギー、宗教までに至る質問も兎も角、プライバシーも糸瓜もてんであったものではなかった。詐欺に等しい手段で金を儲けようとした事がありましたか?自分の妻に不誠実だったことはありましたか?またそんな気持ちになったことはありませんでしたか?

 合衆国大統領を殺そうとした事がありましたか?何でこんな事を聞くのか。こんな質問ナンセンスだと思う事だろう。が、無宗教国家日本とは全く違って、宗教国家米では、この質疑応答こそが資格審査のエッセンス。キリスト教国家アメリカに於いては、良きクリスチャンでないと国政の要職には就けないから。

 それが建国以来の不動の伝統。だからロックフェラーは良きクリスチャンかどうか、先ずそれが審査されなければならない。宗教はプライバシーです―が通じるのは私人。公人にそれは言えない。姦淫をすれば良きクリスチャンではなくなるため事前にチェックしておかなければならない。

 係かる人物はキリスト教国家アメリカの大統領に相応しくない。だからこれは大統領としての公人のプライバシーとまでは言えなくなるのである。プライバシーは貴重なものではあるが、それは元々一人にしといてくれと言う主張から発する。だから一人で有り得ない事には、元来プライバシーはない。

 デモクラシー国家に於いては、誰にでも公人としての領域がある。この領域に於いて私人のプライバシーは有り得ない。一個人の場合といえども、税金はプライバシーではない。税金が絡んでくると、個人の所得も資産も取引も、プライバシーではなくなるとは、こう言う事なのだ。

 国民は税金で国家(権力)と取引をする。=税金と言う対価を支払って国家のサーヴィスを購入する。この売買に於いて、両当事者は国家と国民。国家と国民と言う両当事者は、国家サーヴィスをしてあげるから税金を支払って下さいと売買契約を結ぶ。国家サーヴイスとは国防、治安維持、外交、福祉等である。

 国民は税金で国家サーヴィスを購入するのだから、売買の相手たる国家に税金(を幾ら払うと言う事)を知らせない訳には行かない。この品物に幾ら払うかは知らせてやらないけど、兎に角売って下さいなんて言う売買が何処にあろう。丸で、袋の中に入れた儘で猫を買う様な話(いや、その逆)ではないか。

 この様に税金(を巡っての諸情報)は国家に対しては私人のプライバシーでは断じて有り得ない。ただし他の国民に対しては売買関与外、一人の国民は他の国民から国家サーヴィスを購入している訳ではないため、歴とした私人のプライバシーになる。だからこれは厳重に守ってやる必要がある。

 デモクラシーの元祖開山イギリス。そのイギリス革命は税制改革に端を発している。一六四九年の清教徒革命。英諸革命の中でも最初にして最も根本的と言われる清教徒革命は、一六三四年の建艦税(ship money)に始まった。十七世紀の始め、イギリスのスチュアート王朝は財政問題で苦悶していた。

 この当時大量の金銀がヨーロッパ大陸へ流れ込んでヨーロッパの物価が急上昇。それなのに王室の収入は余り増えない。王朝の収入源と言えば、中世封建の世に定められた、税金やら特許料やら、限られたものしかなかったから。戦争やら何やらで、ステュアート王朝の支出は増えるばかりであった。

 一六〇三年にジェイムス一世がスコットランドから迎えられて英王になる頃になると税制危機は深刻化してきた。それなのに議会はジェイムス一世の収入を増額してやる事を拒絶した。王は己む無く勝手に関税を引き上げたり、独占権を与えたり、貢献金(一種の冥加金みたいな国王に対する奉納金)を課したり、爵位を売ったりして凌いでいた。

 議会は国王に抗議を申し込んだが無駄であった。なんといっても絶対王政時代。王は強く民は弱い。ジェイムス一世の次のチャールズ一世の時になると、王の勝手な政治は増々激しくなっていった。王は議会の同意を得る事なしに色んな種類の税金を課していった。

 特に嫌われたのが建艦税。イギリスの海辺諸市は、国防の為に軍艦を建造していた。それが近代に入ってから、何時の間にか建艦を中止していた。金欠病に悩み抜いたチャールズ一世は、ここに目を着けた。「建艦を止めたのだから、その資金を王に献ぜよ」と命じた。一六三四年建艦税の始まりである。

 これに味をしめたチャールズ一世、翌年海辺以外の地方にもこれを適用しようとした。これは中世封建的諸権利に照らしてみれば違法である。チャールズ一世は、絶対君主たる王の命令に依って、中世封建的税制を改革しようとした訳であった。が、この税制改革には、待ったが掛かった。

 地主達の猛反対に遭遇する羽目になったのであった。ジョン・ハムプデンは、二十シリングの建艦税を支払う事を拒絶した。ハムプデンは「建艦税は違法なり」として裁判所に訴えた。しかし過半数の判事は、王によって任命され、王の影響下にあった。建艦税は合法であるとされた。

 「非常の際に於いては、王の大権は制限を受ける事がない」、こう判決が下った。この判決に、清教徒達は抗議した。王の圧政に抵抗したと、ジョン・ハムプデンは一躍英雄になった。この建艦税騒動が、一六四九年における清教徒革命の発端となったのである。

 清教徒革命のテーマは、「国民の同意抜きの税制改革には応じられない」ここにあった。決して、スチュアート絶対王朝の苛斂誅求に耐えられなくなった訳ではない。現にジョン・ハムプデンが裁判をしてまで争った金額は僅か二十シリング。有力地主のハムプデンなら一投足にも足らずに払える金ではないのか。

 王に嫌われた方がどれだけ損か。三歳の童子にだって分かる。それなのに王党派に占められている事が分かり切っている裁判所に訴えてまで、建艦税の支払いを拒否した。ハムプデンも英国民の同意があったものであれば、喜んで納付していた事であったろう。この際の英国民の同意とは、議会の議決と言う事である。

 が、ここで二つのコメントを銘記する必要がある。一つには議会に於ける言論の自由が確立され、十分な討論がなされると言う事。王が議会に侵入して、気に食わぬリーダーを逮捕できると言うのではどうしようもない。尤も英議会に於いても、完全に議員の言論の自由が確立されたのは、十八世紀になってからである。

 それでも清教徒革命以前に於いても、議員の言論の自由の志向が強烈であった事は否定できない。一六四二年一月四日、チャールズ一世は突如として議場に入ってきた。そして、五名のリーダーを逮捕しようとした。これに対する反撥は凄じかった。王と議会との抗争は、大っぴらな反乱となり、次いで内戦へ至った。

 ここで最も留意すべきは、議会の議決が国民の意思であると解釈されうるためには条件がある―ということである。その条件とは自由に十分な討論がなされるということだ。自由に十分な討論がなされなければ、議会の議決と雖も国民の意思とは見倣され得ない。

 チャールズ一世の様に絶対君主が勝手に入ってきて、気にくわん事を吐かす議員を逮捕する。こんな議会の議決は、到底国民の意思とは言えないであろう。絶対君主の弾圧も受けていないのに、自由な討論を自粛してしまう様な議会が三百年後の日本に出来上がってしまうとはピムもハムプデンもご存じなかろう。

 こと日本に至っては、言語も一黙も雷鳴も道断である。では、日本がデモクラシーのお手本とするもう一つの国、アメリカはどうか。一六九七年にイギリス・インデイアン戦争が終結した。イギリスが勝った。この勝利に依って、植民者達は最早フランスを恐れる必要がなくなった。

 それまで仏人は屡々インデイアンをけしかけて、英植民地を襲わせた。英植民地は繁栄し、富み人口も増えた。これを見ていた英本国人は思った。北米植民地の栄華は、みんな本国のお蔭ではないか。戦費を少しは負担しても良さそうだ。良さそうではあったが、その遣り方がいけなかった。

 英本国は、植民地の人々と十分な話し合いもしないで、勝手に課税をしてきた。王任知事と雖も植民地議会の賛同なしに課税する事が出来ない。概ねここまでは来ていた。が、北米植民地の英人は、本国議会に代表を持たなかった。それにも拘らず英本国の議会は、北米植民地の英人に課税してきたのであった。

 英が北米植民地の為に必要とする費用は、年額約二十万ポンドであった。ジ ョージ三世とかの首相グレンヴイルは、この三十万ポンドの内、半額の約十五万ポンドを北米植民地に負担させようとした。凡そ半額である。額は大した事なく、本国も半分は負担すると言うのだから、理にも適っていた。

 が、英本国は北米植民地の人間ととっくり話し合って課税しようとはしなかった。ここがポイント。グレンヴイル首相は二つの課税法案を英議会に提出し、一七六四年には砂糖税法案を成立させた。これは砂糖に対する輸入課税である。税率は低かった。それ以前の砂糖税の税率の凡そ半分であった。

 しかし徴税の励行は厳しかった。英海軍の将校が乗り込んできて、ビシビシ取り締まった。英本国の執行官は密輸の取り締まりの為には、私人の住居を捜査する権限まで与えられた。英本国は砂糖税に依って必要な金額の三分の一を徴収する積りであった。

 後の三分の二は、一七六五年の印紙税法に基づく税金に依って徴収しようとした。印紙税法に因って、公文書から新聞、パンフレットに至るまで印紙を使用する事が義務付けられた。その為に、新開発行者、銀行家、弁護士、商人などの間に広範な反対が巻き起こった。

 ボストンの弁護士ジェイムス・オティスに依って、「代表なき課税は暴君政治である」と言う有名なスローガンが出来たのもこの時である。北米植民地の法律家は論じた。植民者達は、正真正銘のイギリス臣民である。故「代表なき課税」はイギリス人の大古からの権利の途轍もない侵犯である。

 <余談>米では、弁護士や新聞発行者が「代表なくして課税なしじゃあ(#゚Д゚)ゴルァ!!」と不当な増税に対して怒りを上げたのに対し、日本の弁護士や新聞ときたら…。社会上層が腐ってるんだもの…そりゃ議会も言論も死にますよね…。

 「代表なき課税」と言う有名な言葉が歴史に定着したのも、この時である。結論は。植民者に対する課税は、彼らが代表を有する植民地議会に依るものならば宜しい。しかし、代表を送っていない本国議会の決定に依って課税されるべきではない。課税とはこれ程までの重大事である。

 課税は国家と国民との間の最大のコミュニケーションなのである。印紙税反対の運動は、燎原の火の様に広がっていった。一七六五年十月、ニューヨークに於いて、印紙税会議が開かれた。この印紙税会議に於いて、「自主課税宣言」が採決された。これは重要である。

 「代表なき処に課税なし」と言う事の意味は、「自主課税」と言う事であったのである。これぞ、英米人の課税意識である。自主課税からデモクラシーは出発する。自主課税なき処にデモクラシーなし。この事は、日本国民には看取されてはいない。

 一般消費税反対、売上税反対、消費税反対。反対運動は、矢張り燎原の火の如くに燃え盛っていった。が、自主課税の原則の確認が議題に上る事はなかった。人々は日々に百千の反対理由を捲くし立てた。しかも、反対の主張の中に自主課税の大旆(天子や将軍が用いた旗印)を掲げる者は遂に見出し得なかった。

 <余談>これ「しかも」、であってるのか?「しかし」の誤字じゃないのかなぁ?しかもで読めなくもないが、しかしのほうが自然だと思うが。

 この税法案には断乎として反対である。その理由は「法案形成過程において自主課税の大原則が守られなかったから」。この理由から絶対反対を唱える者はいなかった。ニュアンスに於いて似たような事に言及した者はいたが、重点の置き処がてんで違っていた。

 日本のデモクラシーは日暮れて道遠しと言わなければならない。一般消費税も売上税もこの度の消費税も、税制改革に際してはその何れに於いても、国民は知らしむるべからざる処に置かれた。何しろ、自民党の議員すらその改革の中身に付いて知らないのだから。

 議場における審議なんか、薬にしたくても、解媒にしたくてもありえっこない。野党の議会政治アレルギーも、言語道断どころか、言語「默」断。政府が税制改革法案を出すと、予算案を抵当に取って審議拒否する。この前例が慣行化して、憲法の一部になってしまった。少数党の牌肉を嘆ずるのもいい。

 どうせ、何も出来ないんだと託つのなら、フライ・バターリングでも牛歩戦術でも、そんな事やってみたらどうだろうか。予算案を審議しないと言う法はない。予算の審議こそ議員第一の職責ではないか。最高の職責を放棄してそれでも代議士と言えるかどうか。そんな理は三歳の童子でも分かるに決まっている。

 それが分からないのは、日本の野党くらいのものだ。高々中曽根の証人喚問要求が容れられないくらいで予算審議に応じない野党では、政府と掛け合い漫才さえ出来ない。茶番劇なんて、言うも更なり。日本の国会が税制改革法案の臭いを嗅ぐや、与野党は犬と猿の如く嘔み合う。

 そんなに含みも余裕もあるものではなくなった。刹那にしてプラスとマイナスの電極の如くに互いに飛び退るものとなってしまった。この諸前例が慣行化して、憲法に書き込まれてしまったのであった。こんな事が憲法の一部分になっでしまったので、事は厄介、八戒、沙悟浄孫悟空だ。

 自主課税。税金とは自分で自分に課するものである。自分の税金は自分で決める。これがデモクラシーと言う事の、初歩の入門のそのまた手解きである。それなのに何か。この世のデモクラ屋のオジサン、オバサン達はこの事に付いて、ちっとも議論してないではないか。

 税制改革の内容に付いては、人々の賛否を待とう。が、その手続きに付いては。デモクラシーであるかどうか。要はその手続きに係かっている。政治は結果論理であると言われる。が、事デモクラシーに関する限り、それは手続き論理なのである。結果良ければ全て良し、とよくいわれる。

 誤解がなければ、それは政治論理にも適用されよう。が、事デモクラシーに関する限り、「手続き良ければ全て良し」この様に言い換えられるべきなのである。税制改革に賛成するかどうか、その事に関する実体的議論。これが重要である事は、今更事改めて言う必要もない。

 そして、デモクラシー国家に於いては、そこへ至る手続きがまた同じ様に重要なのである。兎も角何でもかんでも国民の為になりさえすればそれでいい。これはデモクラシーでも何でもない。例えば孟子。学者の中に孟子はデモクラートであると言う説を説く者があるが、果たして孟子はデモクラートであろうか。

 孟子は、事ある度に言うではないか。大切なのは民である。民の次に大事なのは社稜(国家)であり、君主と言うものはやっとその次くらいに来るに過ぎない。では孟子はデモクラートか。近代的な意味においては、断じてそうではない。孔子にせよ孟子にせよ誰にせよ、近代デモクラシーの徒では有り得ない。

 近代デモクラシーの特徴は、被治者が為政者(政治権力者)を選ぶ事にある。その選び方の手続きが確定されていなければならない。中国に於ける為政者=天子は天が選ぶ。天の声とは何か。民の声を以って天の声だとする。儒教にもこう言う考え方はある。だから儒教にもデモクラシーがあるとする学者もいる。

だが、係かるデモクラシーは、近代デモクラシーとは全く異質である。近代社会に於いては、係かる考え方を以ってデモクラシーとはしない。古代中国の場合、民の声を代表して為政者が選ばれるんだとも言われている。が、実態はどうか。 王朝の交替は、兵馬仲惚の間に、戦争に依ってなされる。

 一番強い者が皇帝となって新王朝を興す。如何にも形式的には新旧王朝の交替は禅譲の形を取る事が多いがその実態は放伐に近い。いやそれより酷い事も珍しくない。漢の献帝が魏の文帝に「譲」って以来、大概そうである。なにゆえこの禅譲が、何故に「民の声」であるのか。それを確認する為の手続きがない。

 この際、如何に形式的に禅譲の為の儀礼が完備されていようとも、それは全く無意味である。近代デモクラシーの場合の様に、自由な討論だとか、無記名投票だとか、王朝間の「禅譲」の際に民の意思が確かに表明されたと言う、それを担保する為の手続きが皆無なのである。

 これでは近代デモクラシーとは無縁の衆生と言うの他あるまい。その手続きだが、自由な討論にせよ、無記名投票にせよ、国民の意思が十分に表明された。この事が保障されなければならない。銃剣を突き付けての自由意思の表明と言う事はない。それと同じくらい確実に、何も知らされないでの自由意思の表明これも全然有り得っこないではないか。

 自民党税調、大蔵省主税局が為した事、為そうとした事は、正にこれなのである。税制改革の試みは国民を完全に無視した儘で、疾風迅雷の如く強行された。迅雷、耳を覆う暇なし、と言うが、税制改革は耳を覆う暇もあらばこそ。国民を盲聾にして断行する。これほどデモクラシーから遠い事はない。断じてない。意図が如何に良くても、結果が如何に良くても、これはデモクラシーではない。近代デモクラシー国家に於いては有り得ない事なのである。

 何度でも述べよう。税制こそデモクラシー国家の根幹である。しかもそれは自主課税の大原則に依るものでなければならない。自主課税の大原則とは、自分が納める税金は自分で決める。これはまた「代表なき処に課税なし」の大原則とも言う。これこそ、近代デモクラシーの神髄である。 この大原則が否定される事は、デモクラシーの死である。

 こう論じ来ると、我が国の税制改革に当たっての政府。自民党・国会の有り様は、デモクラシーの眉間を真っ向から叩き割ったのに等しい。まさに呪われた税制改革。その呪いの威力たるや日本を滅ぼすに十分である。事は一大事なのである。

 税制改革ほどのデモクラシーの根幹に触れておきながら、その遣り口は時計の針を三百年逆回転したなんてものではない。税制改革の立役者は自民党税制調査会会長山中貞則。この人「朕は税金なり」と思い込んで始めから日本国民なんか相手にはしない。誰も相手にしなかった。

 なんせ相手が誰でも「税の事はオレに任せておけ。余計な口を挟むな」、こんな態度。相手が誰でもこと税金の話になったら最後、少しも相手にしない。山中語録を一つ、二つ紹介しよう。毛沢東語録は、今じや古本屋でも値は付かないが、山中貞則語録は今でも読む価値がある。

 先ずは売上税騒動の時、山中は首相中曽根を罵倒する。曰く「首相には口を挟む能力はない。まだ懲りないのか、このおしゃべり野郎…」。こんなセンスで、税制敏革を企てたのである。前述のことを理解していれば言う事もできようのないセリフ。山中はデモクラシーを誤解していたとしか考えられない。

 国民を紙めに紙め切っていた。税制改革には中曽根も政府も何も口を出すなとこう言うのだ。さらに「政府税調を軽視する積りは決してない。無視するだけだ」と。この男は「議会と日本国民とを無視する積りだ」と言う必要もない。そんな事初めから明々白々だから。

 こんな事を放言した男が送電塔から逆さ吊りにもされないで、納々と暮らしている。山中発言に付いて、野田毅(大蔵省OBで税調の中堅議員)は言う。 「山中さんにしてみれば、税制なんて議論し出したらキリがない。まとまるものもまとまらなくなる。さまざまのバランスを考慮して最後にストンと落とす。それができるのがプロで、自分しかいない。素人がゴチャゴチャいうな、といいたかったんでしょう」(田原総一朗『中曽根がハメられたトリックプレイ』「週刊文春」)

 これは重大な発言である。これほど見事に関東軍主義を告白している発言も、またとあるまい。デモクラシーを完全に無視しているのだから。ナヌ、「素人がゴチャゴチャ言うな」だと。デモクラシーとは、玄人の仕事に対して素人が最終的決定を下すシステムではなかったか。政治家は政治のプロである。プロでなければならない。その政治のプロを、政治のアマチュアたる一般の選挙民が議員に選ぶ。これが選挙である。

 米などでは裁判に於いても、素人たる陪審員が最終的決定を下すのが原則である。裁判は高度に専門的な仕事である。その裁判にズブの素人が口を挟むとは。口を挟むどころか最終決定を下すとは…。当然弊害も多い。川島武宜教授は質問した。「何故に斯くも弊害の多い制度を存続せしめるのか」と。

 米の専門家は答えた。「裁判の権威を最終的に人民に置く為に」と。デモクラシー原理の貫徹は幾多の弊害にも拘らず、為されるべきだ。こう言う事なのである。これと正反対なのが関東軍主義。俺達軍人は戦争のプロなんだから、素人がゴチャゴチャ言うな!

 軍人達は統帥権の独立と言う事を崎型的なまでに拡大解釈した。ここまで来るとはっきり言って誤解である。統帥権の独立とは元々そう言うものではない。ここまで拡大解釈したら一大事。百尺竿頭一歩を進めてしまう(何をやってもいい事)になってしまう。軍人は勝手に戦争をして良いことになってしまう。

 日本国民は未だ事の恐ろしさを骨身に染みていない。だから先程の野田毅の様なセリフが平気で出てくる。ここで注意すべきことは、当事者の誠意について。関東軍の軍人達程、誠心誠意の塊の人々もいないだろう。斯かる人々が唯お国の為にとそればかり念じて行動する。一片の私心すらそこにはなかった。

 皓々たる月光、我が身を照らす。名誉も生命もいらぬ。馬鹿な男の大西郷が、花の吹雪に濡れて立つ。男ならやってみな。男なら、男なら。そこに一片の私心もない。況して、邪心なんか。それなのに、結果はどうなったか。軍人は勝手に戦争をして良い事になってしまった。良く憶えておきたい。

 <拙感想>関東軍に邪心がなかったものは限りなく多かっただろう。しかしどこまでも軍部の利益・利権というものを徹底的に排除をして公平中立を保とうとしたものがいたのだろうか?気になるところではある。そして野田のような人物が消費税の必要性・重要性を本当に理解していたのか疑問ではある。

 主税局の役人だって、自民党税調の議員だって、当人の意識に於いてはみんな誠心誠意行動した積りでいる筈だ。唯、「お国の為、国民の為」と一切の私心もなかったかも知れない。もし、これを犯罪とすれば筆者はこれをデモクラシー犯罪と断言して憚らない。それは確信犯である。確信犯だからこそ、厄介。

 自分はこれが正しいと思い込んでいる。正しいかもしれないが、その「カモ」からデモクラシーは始まる。自分のカモだけが正しくて、他の力モは駄目。これはデモクラシーじゃない。日本人はどうしても人の動機を問題にしたがる。「あの人も、お国の為を思ってやった事なんだから」

 こうなると、大概の事は許されてしまう。結果が悪くてもまあ、仕方ないでしょうと。ここが曲者。日本人的思考の盲点と言うか。昭和の始めに右翼や軍部が出てきた時、人々は如何ともし難かった。時に政界財界の上層は腐敗堕落を極めていた。政界では瀆職、疑獄は日常茶飯事。

 政治家は人が飯を食い茶を飲むかの如く、収賄した。賄賂が政治の血液になっていた。権門は栄耀栄華に酔い痴れていた。財閥は富を誇っていた。他方、不況の嵐が吹き荒れていた。巷には失業者が浴れていた。日々の糧にさえ事欠く人がいた。農村も疲弊し切っていた。娘の他に売るものはない。

 幼い弟や妹は「お腹が空いたよう」と飢えに泣き叫んでいる。食べる物がないのである。飢えを凌ぐ為には、お姉ちゃんが花街(歓楽街=赤線地帯)へ売られてゆく他はないのであった。農村の窮状を見て、軍人は奮いたった。農村は日本軍の基盤であった。青年将校が蹶起した動機はここにあった。

 <補足>若干補足すると当時の娼婦というのは、農村から売りに出された場合、まず足抜けが不可能。単に売春婦になるだけではなく、永遠の別れを意味する。まさに一生性奴隷になる。性病になって死ぬか、遣手ババァになるしかなかった。下層身分だったことを理解しないと当時の空気は分からない。

 純真であった。一片の邪念、私欲がなかった。青年将校や右翼の志士は決然と立って政界や財界のトップを殺した。世人は喝采した。動機の純真さを愛したからであった。一点の曇りもなき心境を評価したからであった。人生意気に感じては、成否を誰か挙げつらうと言う訳であった。

 青年将校や右翼の志士達は自分達だけが国を救うんだとの信念に凝り固まっていた。三上卓をリーダーとする青年将校の一隊は昭和七年五月十五日、首相官邸に大養毅首相を襲った。泰然として青年将校を迎えて、大養首相は言った。「話せば分かる」三上卓は叫んだ。「問答無用、射て」。

 自分達だけが国を救えるんだから問答無用。この論理、この思想と行動。自分達以外にも国を救える者が有り得る。それらの人々は、自分達と意見が違うかも知れない。が、間答に依って意見の調整が出来るかも知れない。この事は決して、青年将校や右翼の志士の意識に上る事はなかった。

 斯かる思想と行動とが、そっくりその儘自民党税調と大蔵省主税局とに引き継がれて今日に至っているのである。お馴染みの山中貞則や水野勝。その動機に私心はなかったかも知れない。財政危機を救い戦後政治の総決算をする為にこそ粉骨砕身をしたのであったろう。が、彼らの思想と行動は「問答無用」

 <拙感想>このような極端な思想、自分達こそが正しく、他は全て誤っているというものは「原理主義」に近いものがある。宗教的狂信。自分たちこそが正しく後は誤り。誤り=悪魔であるから殺してしまえという狂信は宗教的形態を伴って見られるもの。まあ、当時の法華経とかと関係あるんだろうね、きっと。

 これは何か往時の陸軍中堅将校を思い出さないか。戦前の日本では軍閥が専横であったとよくいわれる。当時「ロボット」と言う言葉が流行った。未だ鉄腕アトムはない頃、ロボットとはアトム擬きの事ではない。中堅将校の愧儡と言う意味である。軍閥の巨魁と言われる大中将も中少佐達の操り人形であった。

 計画や意思決定は中堅将校たる中佐、少佐がみんなやってしまう。大将、中将は只「アー」だとか「ウー」だとか言うだけ。それ以外の言葉が喋れる大中将は、何とも人気がない。「彼奴は胆がない」なんて蛤みたいな奴だと言われる。てんで、人望を失う。軍人の思想と行動は、右の下克上であった。

 中堅将校の十八番は、下克上だけではない。何かと言うと勝手に戦争を始める。自主戦争の嗜矢は満州事変である。関東軍板垣征四郎大佐と石原莞爾中佐とが勝手に事変を起こした。これは大成功だった。張学良五十万の東北軍を一気に駆逐して満州を占領した。そして日本は満州国を造った。

 これに味を占めた陸軍の中堅将校。手っ取り早く戦争を始めるのが癖になった。軍部横暴の範例である。軍部横暴と言ってもその実態は中堅将校。中堅将校が跋扈して大中将を操って勝手な事をする。跛層将軍と言う言葉がある。戦前の日本は跛雇佐官であった。然らば中堅将校は何故に斯く程までも跋扈したか。

 

 乃公出ずんば蒼生を如何せん(=オレがやらなきゃ誰がやる。日本国民をどうするんだ)とばかりに張り切り過ぎたからであった。その意気は良かったが、他人の意見が全く耳に人らなくなってしまった。斯くの如き思想と行動が前例となる事に依って、大日本帝国は破局へ向けて驀進する事になった。

 結果はご存じの通りである。が、右の思想と行動とは戦後にも生き延びた。軍部は去ったが帝大(東大)は残った。いや、日本中の大学が今やみんなミニ東大になってしまった。エリートの一高帝大型の行動様式は一般化されて拡大再生産された。自分の為す処は飽くまでも正しい。他人の批判を受け付ける余地、これは全くない。

 係かる意識で他人を見れば、自分以外の他人なんかみんな魑魅魍魎に見えてくる。魑魅魍魎とは様々のお化けの事、妖怪変化の事である。ちょっと詳しく説明すると魑魅は山川の精で魍魎は木石の精。こう説明するとちょっとロマンチックに聞こえるが、元々あまり良い意味ではない。

 あれやこれやと色んなお化けくらいの意味である。日本のエリートが、「オレがオレが」と力んでくると、世の人はみんなそんな魑魅魍魎に見えてくるっていうんだから、そら恐ろしい。だから、「行く手を阻む者あらば、斬って捨てるに何かある」と言う結論になる。

 山中税調は国民を只管無視する。このイデオロギーに於いて、真に終始一貫していた事を銘記しておこう。後世の歴史家は日本デモクラシー崩壊の切っ掛けを作った男として、山中某を評価する事は疑いない。兎も角こうして導入された消費税、その呪いを解かない事には日本の崩壊を避ける事は出来ないだろう。