てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

消費税は民意を問うべし③

消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―/ビジネス社

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第四章

 日本人の政治音痴は困ったもの。昭和六十四年=平成元年は、永遠に記憶されるであろう。余りにも偉大なる経済に対し、余りにも矮小なる政治。日本を取り巻く米・中・ソの三大国、何れも大きな危機の中にある。この危機の淵源は経済。ソ連と中国とは瀕死の政治的危機に直面している。

 原因は何れも経済の枯渇とそれに由来する国民生活の逼迫。米ではブッシュ政権(第41代の方)が思いの他、上手く行っているので政治的危機は表面化してはいないが、膏肓に入った病いたる双子の赤字(或いは三つ子の赤字)は深く潜伏して、今もアメリカの命脈を狙いつつある。

 米の経済危機との格闘の本番は正にこれからなのだ。一人日本経済だけが絶好調にある。幾度絶好調宣言を出しても足りない程。他方政治は最低。それに付けても現代日本の学者、評論家、マスコミの揃いも揃っての無知蒙昧たるや。それが国民の間に蔓延した為、一億二千万総政治音痴に成り果ててしまった。

 ところで、国民の政治音痴(或いは政治的不能症)は憂うべきである。国民が「政治家とは度し難いほど下等な動物である」と感ずる事は、デモクラシーが初等的ながら健全な発育をスタートした事の一つの徴候なのである。政治家の不毛忍ぶべし。国民の政治音痴忍ぶべからず。

 トツクヴィルは若い共和国米合衆国の選挙を見て深い印象を受けた。有権者達が自分達で選ぶ統治者を軽蔑し切っているのに驚いた。何でそんなに軽蔑すべき人物を統治者に選ぶのか、と。米の有権者達答えていわく。彼らは軽蔑すべき人物だからいいんです。そうでなかったら彼らは我々を軽蔑するでしょう。

 トツクヴィルはここにアメリカン・デモクラシーの真骨頂を見たのだ。筆者にも似た体験がある。一九六一年、ジョン・F ・ケネディが史上最年少で大統領に就任した。執政の始めは失敗の連続。鉄鋼価格問題に未経験なケネデイ大統領が介入してケチをつけるワ、あれやこれやと失敗を重ねた挙句の果てに、密かにキューバに上陸をさせた隠密部隊がカストロに発見され逆襲されて這々の態となった。

 全世界にアメリカの恥を晒した。それでも、ケネディの支持者達は見棄てなかった。ケネディはバカじゃないかとの質問に対し「ナアに彼は未だ若い。失政から学んで、彼は必ず偉大なる大統領になるでしょう。マア見ていてやって下さい」果然それから一年後、ケネディは偉大なる大統領に成長していた。フルシチョフが密かにキューバに持ち込んだミサイルに「キューバからミサイルを撤退させないと海上封鎖するゾ」と。核戦争も辞さざる決意を示した。これに対してソ連は無条件降伏。ミサイルは直ちに撤去された。

 米の全面的勝利として今に伝えられるキューバ事件である。この時筆者はアメリカにいたが、全米挙げての熱狂たるや物凄かった。「大統領は決断した」のポスター、幟、字幕などが至る所に掲げられて群衆が喝采。マスコミの狂喜は言うも更なり。このケネディ。フィーバーに日本も感染した。

 日本人は手近な米人を掴まえて言った。「日本にはケネディのような偉大な指導者はいない。今後出てくる見込みもない。米が羨ましい」この時日本人に掴まった米人の一人に、ニューヨーク・タイムズの辣腕記者が混っていたのが運のつき。彼はレポートした。

 「これが半年前までアイゼンハワー大統領訪日反対のデモやらで、反米の嵐が吹き荒れていた日本とは到底思えない。日本人は一夜にして激変する。こんな国民は見た事ない。米人よ決して日本人に心を許すな」。こんな記事が、ニューヨーク・タイムズ紙に載っていた。

 <拙感想>反日感情というか疑惑が出てくる時期だからねぇ。反日言えれば、なんでも良かった感は否めない。日本の空気の問題があるにせよ。米が熱狂したように戦争に戦わずして勝った。核戦争の危機を乗り切ったんだから日が熱狂してもさほどおかしくないと思うけどなぁ。

 <拙感想>ついでに戦争の極意は戦わずして勝つなのだから、今一度キューバ危機のモデルケース化、分析・研究でもやったらいいかと思うけどね。まあ、敵に対しては宥和政策はダメだ!相手が弱いうちに叩け!くらいしか出てこないと思うけども。どうして戦わせずに片付けられたかを分析すべきなんだが…。

 米人は、偉大なる大統領は自分達で育成するんだと思い込んでいる。為政者(政治権力者)の失敗は失政だが、アメリカの有権者は失政をも許す事がある。偉大なる大統領を育成する為のコストだと納得できれば、喜んで許容する。デモクラシーの代償は途轍もなく高くつくという事を理解しているから

 米人が若きケネディ大統領の初期に於ける失政に寛大で有リえたのは.これに因る。米人の「失政を許す」と言う丹精は、キューバ事件と言う実り豊かな収穫を得たのであった。失政をも喜んで許す。少なくとも暫くは許容して、行く末を見守ってやる。これぞ、近代デモクラシーの神髄なのである。

 但し失政は無条件で許される訳ではない。では如何なる失政が許され、如何なる失政は許されないのか。そのけじめは?ここが急所である。聊か敷衍(説明の追加)しておきたい。為政者は失政から学習して、成長しなければならない。今までの行動様式を変えなければならない。

 ケネディ大統領は失政から学習して偉大なる大統領へと成長していった。だから米人はケネディ大統領を支持した。他方カーター大統領は失政を学習しなかった。依然として呉下の阿蒙(全然進歩しない奴)であった。それ故、米人はカーター大統領を見棄てた。チャーチル以来の大宰相サッチャー首相は言った。

 「カーター大統領ほどの無能な男が、米のような超大国の指導者であるのは恐ろしい事だ」と。カーター大統領ほどの無能な為政者は世界中何処を探してもそういない。そう思って世界中を見渡して見ると日本にいた。鈴木善幸である。カーターは善幸よりはちょっと増しレベル。だから米国民は彼を見棄てた。

 ケネディ・カーター物語は、アメリカン・デモクラシーを理解する為の一つの鍵とすると、ニクソンレーガン物語がもう一つの鍵である。ニクソンはウォーター・ゲート事件で失脚した初の失職大統領。それなのに何故、レーガンはイラン・ゲート事件で失脚しなかったのか。

 スキャンダルを法的側面から見れば、イラン・ゲート事件の方がより重い。イラン・ゲート事件ではイランに武器を渡してはならない、ニカラグアのゲリラに資金援助してはならないと言う議会の決議に反する行為を政府が行ったのだから。これに比べればウォーター・ゲート事件は大したことではない。

 にも拘らずニクソンは大統領職を追われた。これに反しレーガンは任期を満了し、未だに高い人気を誇っている。何故か。ニクソンは国民の期待する変身が出来なかったからである。学習に失敗したからである。ニクソンは有能な政治家ながら選挙に弱かった。一九六〇年の大統領選で現職副大統領ニクソンは、年少無名のケネデイに惜敗。

 さらに前副大統領にも拘らずカリフォルニア知事選で惨敗した。ニクソンほどの政治家が何故に斯くも選挙に弱いのか。ニクソンは狡猾なるニクソンと渾名され、権謀術数の人とされてきた。そこの処が淡白な正直者好みのアメリカ人気質にどうもしっくりしないのであった。

 あいつは何時も何か企んでいるに違いあるまい。ニクソンだけには投票したくないと思う有権者が少なくなかった。ニクソンが大統領に就任した時、人々は彼に廉潔性を求めた。彼が得意の権謀術数を控え目にする事を望んだ。米大統領は米合衆国の為政者であり、元首であるに留まらない。米国民統合の象徴。

 だから米人は大統領職に高い道徳水準を要求する、道徳の裏打ちがあって初めて、大統領の職務カリスマは発揮され得る。大統領職はその職務カリスマなくして十全に機能しえない。故に米人は大統領にスキャンダルの臭いすら許さない。大統領職からスキャンダルが臭ってきたらどうするか?

 解決法はスキャンダルの臭いのする大統領を追放する事か、スキャンダルそのものをないことにしてしまうかである。まず前者、こうすれば個人としての大統領は抹殺されても大統領職が持つ職務カリスマは安泰。これはカトリック教会に於ける「エクス・カテードラル」の手法みたいなものである。

 所謂「法王の絶対無謬性」に付いて、「エクス・カテードラルの原理」はこう答える。個人としての法王に謬りはあるかも知れない。しかし、法王の座という職務にいる法王は絶対に謬りを犯す事はない。こうしてエクス・カテードラルの原理は「法王の絶対無謬性」という神学上の難問を阻却してしまった。

 その要諦は、法王の座の職務カリスマを肉体を持つ法王個人から分離する事にある。この分離に依って肉体を持つ法王個人の如何に拘らず、法王の座が持つ職務カリスマは安泰となる。これと大統領のスキャンダルについての対策は、原理上は同じ。大統領の時は清廉潔白だということにする。

 米合衆国大統領職の職務カリスマは米国民統合の象徴である。故に、合衆国大統領職に在る者はその職に相応しいカリスマが要求される。然もなくんば、追放の他はない。狡猾ニクソンは、どうしても係るカリスマを有し得ない。しかも、米の危機はどうしても、有能なる政治家ニクソンを要求した。

 時に無能なる昇格大統領ジョンソンの下で、ヴェトナム戦争は拡大、泥沼化した。巨人米はどうしても泥沼から抜け出せない。踠いても足掻いてもどうしようもない。敬虔なジョンソン大統領は神に祈りつつ泣いた。「私は第三次世界大戦を巻き起こす米大統領になるかも知れない」と。

 如何にも第一次世界大戦以来、全ての戦争は民主党政権の時に起きている。ケネディの後を継いだジョンソンも民主党。地滑り的圧勝で大統領になったジョンソンはヴェトナム戦争に解決を見出せなくて、次の大統領選出馬を断念。そして民主党の候補は暗殺されたケネディの弟ロバート・ケネディ元司法長官。

 しかし予備選の最中に兄と同じく暗殺。人々はニクソンを思い出した。民主党政権が始めた朝鮮戦争(韓国動乱)が泥沼化した時、米をこの泥沼から救い出したのは、共和党のアイゼンハワーニクソンのコンビではなかったか。選挙に負けて負けて過去の人と成り果てた弁護士ニクソンが再び脚光を浴びた。

 蘇ったニクソンは、大統領に当選した。ニクソン大統領は、ハーバード大学にいた稀代の外交研究家キシンジャーの鬼才を活用して、アメリカの宿痾ヴェトナム戦争を全治せしめた。これだけで青史に燦たる偉業である。が、米国民はこれだけでは満足しなかった。ニクソンに狡猾を止めるよう求めた。

 ところが権謀術数の権化みたいなニクソン。それが難しかった。しかし、今や合衆国大統領。そんな事では大統領の職務カリスマが保てっこない。米人は過去における狡猾ニクソンが十分に学習して変身する事を望んだ。有徳の人となる事を期待した。ここにもアメリカンデモクラシーの極意を看取するが出来る。

 <拙感想>権謀術数の鬼、狡猾な人物だからこそ危機を乗り越えることができたのではなかったか?清廉潔白かつ有能を求めるという矛盾。そしてニクソンを追放した結果がかくのごとし。象徴・統合と執政者を区別する装置を社会的に生み出すことを考えるべきだろう。

 <続き>この失敗に懲りてクリントンは大統領のような清廉潔白でない、象徴としてふさわしくなくても追放しなかったのだが、果たしてそれでよかったのか?別にクリントンが有能だから経済良かったわけでもないしね。それよりケネディ暗殺以来の組織機能不全・腐朽を徹底的に追求すべきだろうに。

 偉大なる大統領は育成すべきである。予め与えられる者では有り得ない。恰も無経験なるが故に未熟で無能な若き大統領が、失敗から学んで有能な大統領に成長するが如き。恰も斯くの如く不徳なる大統領も、不徳なるが故に人に信用されずに失敗するという体験から学習して有徳な大統領へと成長する。

 斯くの如くにして、有徳にして大統領の職務カリスマを保持し得るまでに大統領を育成する事、これまたアメリカン・デモクラシーの極意の一つの系=コロラリーである。が、不幸にもニクソンには、ここの所がどうにも腑に落ちなかった。そこヘウォーター・ゲート事件を起こした。

 米国民は事の合法、不合法よりもニクソン大統領の卑劣さに果れ果てた。合衆国大統領ともあろう人が、何でまた民主党の党大会の有り様を盗聴しなければならないのか。米人はニクソンの真情に疑いを持つ様になってきた。そこから先は急転直下。日に夜に、ニクソンを信ずる者は成長していった。※おそらく誤字、ニクソンを信じない者、あるいはニクソンの卑劣さ、大統領としての品格の無さ―などの誤りだろう。

 終にニクソンの支持者は底を尽いた。ニクソンは一人ホワイトハウスを去る他なかった。米人が偉大なる大統領に育成し損なった人物を棄て去る事、猶斯くの如し。このニクソンと正反対なのがレーガンレーガンの前任カーターは彼のベストを尽くしたにも拘らず、米は著しく弱体化し米の栄光は泥に塗れた。

 インフレは昂進し、経済も弱体化。景気も良くならない。レーガンは一九八〇年、インフレ退治と強いアメリカの復活を公約して当選した。米人は強そうな男レーガンに希望を託した。インフレの退治と強い米実現の為には、軍事費以外の大削減が不可欠である。が、これほど不人気な政策はない。

 特に福祉予算と教育予算が重点的に狙われた。そんな政策が実行可能であろうか。ここで、レーガンに神の恩恵が与えられた。日本式に表現すると、神はレーガンの為に神風を吹かせ給うた。就任後間もなく、暗殺者の兇弾がレーガン大統領を襲った。暗殺劇に於いて、レーガンは英雄を演じて見せた。

 ハリウッドの西部劇に於いて大根役者であったレーガンは、ここでは大した名優であった。強そうな男レーガンは本当に強い男である事を証明した。レーガンは米国民を観客とする暗殺劇と言う天佑に依って、強い大統領へと成長せしめられた。強いアメリカ実現の為に、強い大統領ほどの適役はない。

 偉大なる大統領へは、あと本の一歩である。レーガンはインフレなき好況と言う経済のユートビアを演出。米国民がレーガン時代を謳歌したのも当然である。また、レーガン大統領は軍備を充実して強い米を恢復した(少なくとも米国民にはそう見えた)。後任のブッシュはレーガン路線の継承を唱えて当選した

 これのみにしても、レーガンが担ったカリスマが如何に強大なものであったかが理解され得よう。レーガンこそは米国民の願望を実現した大統領である。この意味に於いて、米国民の希望が育成した大統領である。こうなるともうレーガン大統領は無敵である。

 このレーガン大統領からスキャンダルが臭ってきたならどうする。米国民の希望が育成した大統領を追放することなど出来っこない。ならば、スキャンダルがなかった事にするしかあるまい。これが後者のスキャンダルへの対策。この際退場を命ぜられるのは大統領の方ではなく、スキャンダルの方なのである。

 この事をとっくりと腑に落とし込む為には、彼の法王アレクサンダー六世の事例を参考にするといいだろう。法王アレクサンダー六世。彼は悖徳(道徳に背く事)の怪獣であった。殺人、強奪、姦淫、裏切り……。彼は息子のチェーザレ・ボルジャと組んで、凡そ悪行で行なわない事はない程であった。

 それなのに何故、アレクサンダー六世は永く法王の位を保ち、絶大な影響力を及ぼし得たのか。アレクサンダー六世は絶対に彼の謬ちを認めなかったからである。「法王狙下、あなたは斯く斯くの罪を犯されましたゾ」誰かが、こう告発する。法王アレクサンダー六世少しも騒がず。

 「その告発は謬りであるゾ」と言下に否定する。告発者が喧々囂々と反論した処で、無駄もいい処である。法王アレクサンダー六世、てんで取り上げない。動かない証拠を示したって「猟虎の面に水」なのだ。「そんな証拠、被造物に過ぎない。そう言うお前も被造物。神の御前では塵に等しい」とくる。

 「わしは神の代理人なるぞ。神の代理人の前で、被造物が何を吐かすか」ここまではっきりと断言されるとそれを聞いた人、「何だか変だがやっぱりそんなもんかナア」という気になってくるから妙だ。絶妙な中に、アレクサンダー六世の言う事は、「やっぱり正しかった」と言う事になる。

 カリスマとは本来こういうもの。カリスマの担い手はどんな事があっても己れの謬ちを認めてはならない。それを認めたら最後、刹那にしてカリスマは失われる。しかも、どんな事があっても絶対に己れの謬ちを認めないならば、それでドンピシャリ。カリスマは、真に安泰に担われ続けていく。

 これを「ヒットラーフロイトの定理」と言う。アレクサンダー六世は昔の人ながらヒットラーフロイトの定理の真理をよく理解し、これを実践していたと言う事だ。米合衆国に於ける大統領職の職務カリスマもこれと同じ事。大統領職にある人に謬ちが許されないとするとどうなる。

 既に指摘した様に一つの解決法は大統領職から追放する事。ウォーター・ゲートに於けるニクソンのように。が、レーガンは米国民の希望が育成した大統領である。ニクソンの如くに、レーガンを追放する事は出来ない。とすれば、結局追放されるのはスキャンダルの方なのである。

 そこでイラン・ゲート事件、これに付いてもう少し詳しく見ていこう。この事件の重大さは、議会に重みがない日本では想像もつかない。一九八七年十月、議会がイランの政府に武器を売ってはならないと決めた。となると、これは歴とした合衆国の法律なのだ。米の真面な市民は何よりも遵法精神を重んずる。

 合衆国の法を守ると言う事こそ、取りもなおさず合衆国市民である事の証しなのだ。俳優レーガンが主演した映画の題名も、ズバリ「法と秩序」と言う程である。そのレーガンが合衆国の法を蹂蹴したと言うのだ。スキャンダルの重大さに於いて、とてもウォーター・ゲートなどの到底及ぶ処ではない。

 大統領の了解の下で官憲が合衆国の法を犯したと言うのである。そんなスキャンダルが臭ってきた。大変な事である。この時在米した諸君ならば誰しも記憶の通り、その騒ぎといったらなかった。連日連夜、テレビというテレビはみなこの話題で持ちっきり。日本に於けるリクルート事件なんか同日の談ではない。

 アメリカ中鼎の沸くが如き騒ぎとなった。それでも標的たるレーガン大統領は殆ど無傷であった。米国民のレーガン大統領に対する信頼は結局揺らぐ事はなかった。イラン・ゲート事件に於けるレーガン大統領は、ウォーター・ゲート事件に於けるニクソン大統領と何と言う違いであろう。

 ウォーター・ゲート事件の真相が一つ一つ明らかにされるにつれて、ニクソンは一歩一歩追い詰められていった。そして遂に親友ゴールド・ウォーター上院議員にまで見棄てられて、孤影悄然ホワイトハウスを去って行った。レーガンはイラン・ゲート事件を乗り切り任期を全うし、今も尊敬を受けている。

 この違いは何処から来た。米人の集団無意識から来た、と言うべきであろう。既に強調した様にレーガンは国民の希望が育成した大統領。ニクソンの如くにレーガンを追放する事は出来ない。米大衆は集団無意識に於いて決意した。我々が育成した大統領レーガンに謬りが有る筈はない。有ってはならない。

 大統領職の職務カリスマは、米国民統合の為に不可欠である。だからスキャンダルは抹殺されるべきである。大衆が集団無意識的にこう決意する時、何者も如何なる力を以ってしてもこれを阻む事は出来ない。満天下の狂騒も如何ともし難い。斯くてイラン・ゲートの兇刃もレーガンを傷つける事は出来なかった。

 米人は時に為政者の失政をも許す。この定理は本書に於いて日本の政治を根源から論ずるのに不可欠な補助線であるから、縷説(こまごまと説明する事)した。では何故デモクラシー諸国に於いて、人民は為政者の失政を許す事が出来るのか。少なくとも場合に因っては、寛大である事が出来るのか。

 デモクラシー諸国とは違って、専制国家に於いては人民は為政者の失政を許す事は出来ない。為政者の失政に寛大である事は出来ない。専制国家に於ける民衆蜂起に依って一度革命が成功するや、後の成り行は苛烈極まりない。そのいい例が、現在の中国である。そこで流された血の凄まじさは記憶に新しい。

 いや、これからももっと流れるかも知れない。何故こんな事が起こるのか。デモクラシー諸国に於いて人民は主人であるが、専制諸国に於ける人民は僕婢であるからである。主人は僕婢に対して寛大であり得るが、僕婢は主人に対して寛大である事は出来ない。多くの文芸作品からも察知し得られるように、僕婢ほどその主人に対して辛辣な者はいない。

 また主人たる者は僕婢に対しては容赦なく赤裸々な欠点をも露呈する。召使いに偉人なしとも言うではないか。それ故一度主従の関係が顛倒するや、阿鼻叫喚の地獄が出現する。由是観之、為政者に対し寛大である事、特にその失政をも許す事こそデモクラシーの証。

 この許しに依って、為政者は君主であろうと選ばれたる大統領であろうとを問わず、主人でなく公僕に過ぎない事が証明されるからである。比喩的に言えば正に右の通りであるが、猶も深く考えてゆきたい。近代デモクラシー諸国に於いては人民だけが権威を持つ。ここに権威とは是非善悪の決定権の事を言う。

 <拙感想>なぜマスゴミ報道が鼻につくか、それはかくのごとく奴隷が主人に対する逆恨み、あげつらいだから。分析・論の当否ではなく、本質的に憂さ晴らしの井戸端会議だからなんだろう。あ、大統領の話忘れてた。強いリーダーを望む米に最適なモデルだったレーガン。果たして今のリーダー像は何か?

 <続き>レーガンのイメージで強いリーダーを踏襲しようとしたシュワルツネッガーはカリフォルニア知事→大統領候補となるはずだったのだろう。共和党は強さを好む。しかし冷戦後ブッシュ二世に代表されるように前例踏襲・長老政治の趣が強くなった感は否めない。レーガンと違い結果も出せなかった。

 <続き>共和党は今のところ成功したレーガンの幼児体験を引きずり、それを繰り返すだけになっているように思われる。軍拡・規制緩和の猿真似。決してニクソンのような本質を掴み、構造的革命を打ち出すような名政治家は出てこないのではないか?

 <続き>アイゼンハワーのコンビだったように実務からキャリアを積んできた、苦しい時代を経験した。そういう者がいないのが大きいと思う。民主党ケネディの幼児体験、成功に溺れてイメージ戦略に走りすぎている。クリントン・ゴア・その嫁・オバマどれみてもイメージ先行で中身が無い・内容に乏しい。

 <続き>まあ要するに米の政治風土が貧弱になっている。厳しい現実・見たくない現実をしっかり直視して、既得権構造からの転換ですね。シュワが出なくなったこと、強いリーダーという無意味な理想が消えたことは望ましい変化なのだろう。チェンジは正しかったが、どうチェンジするかが未だ模索中ですね。

変に感想書いたからか、なんかつながりがおかしいな…。あとで見直すか。

 彼らは湖畔の町カペナウムに着いた。イエスはさっそく次の安息日に礼拝堂に入って教えられた。人々はその教えに感心してしまった。聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように。(『福昔書』岩波文庫) 何故、人々はイエスの教えに感心してしまったのか。

 「聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように」とは如何なる事か。これで見ると、何だか聖書学者には権威はないみたいではないか。古代ユダヤに於いて、法律学者=聖書学者とは大した大先生。世の人の師表と仰がれていた。何かあると直ぐトーラー(モーゼ五書)を引用してご託宣を宣う。

 これぞ権威の塊みたいではないか。その聖書学者に権威がないなんて。聖書で言う権威とは、通常の意味でなく、何が正しく何が正しくないか、それを決める能力の事を言う。古代ユダヤ教ではトーラーが、そしてトーラーだけが権威を持つ。トーラー以外の被造物で権威を持つものなど、有り得ないのである。

 族長も持たない。王も持たない。予言者モーゼすら持たないのである。況や、聖書学者に於いてをや。だから聖書学者が安息日に礼拝堂で教える時にも、自らの権威に依って教えるのではない。それはとんでもない事である。思っただけでも恐ろしい。それなのにイエスは見目姿は一人の人間に過ぎないのに、「権威を持つ者」の様に教えられた。

 そんな事がある筈はないではないか。ある筈のない事が目の前で起きている。これ奇蹟か。人々はその教えに感心してしまった。これがキリスト教的考え方の神髄。何が正しく何が正しくないか。それはイエス・キリストが決める。この意味でイエス・キリストは権威を持つ。

 だからイエス・キリストは神なのである。そこに与えられている事ではなく、神が正しいと定め給うたから正しいのだ。神が正しくないと定め給えばそれは正しくない。神は天地と共に正統性をも創造し給うたのであった。近代絶対主義の開幕と共に、天上に於ける神の権威は地上の主権者の上に乗り移ってきた。

 ここに近代国家が、前近代国家と截然と別れる所以がある。近代国家に於ける主権者は、「宇宙に於ける神」の如き存在になったのである。先ず、係かる主権者として初めて歴史に姿を現わしたのは、近代のヨーロッパ絶対君主であった。「近代初期のヨーロッパ絶対君主は中世自然法に基づく支配契約の制約から解放されて自らを秩序の擁護者からその作為者に高めたとぎ、まさに近世史上最初の『自由なる』人格として現われた」(丸山眞男著『増補版現代政治の思想と行動』)

 近代絶対主義国家に於いては、秩序は与えられてそこに在るものではない。主権者が作為によつて創り出すものである。秩序の中でも最も重要であるのは是非善悪(の判定規準をどうやって決めるか)である。是非善悪もまた、与えられてそこに在るものではない。主権者の意思決定に依って決められるものである。主権者の作為に依るものなのである。

 「主権者の決断によってはじめて是非善悪が定まるのであって、主権者が前もって存在している真理乃至正義を実現するのではないというのがリヴァイアサンの国家なのである」丸山前掲書。是非善悪も主権者の決断に依って定められる。これこそ、リヴァイアサンの国家、近代主義国家の致命的な特徴である。

 是非善悪は神の決断に依って、そして神の決断に依ってのみ定められるべきものである。その是非善悪の決定権が、地上に於ける主権者の手に委ねられたのである。いくら驚いても驚き足りないほど画期的な事ではないのか。神の国が終わって、ここに人間の国が出現したのである。

 地上の住民たる人間の手に是非善悪の決定権が委ねられた。近代デモクラシーはここを出発点とする。ここが近代デモクラシーの原点なのだ。ここの処をとっくりと腑に落とし込んでおかないと何もかも五里霧中になる。デモクラシーとは何か。この問いに答える為の補助線として、デモクラシーの反対は何か。

 それを借問(ちょっと尋ねてみる事)してみる。独裁制?デモクラシーにだって独裁制はある。近代デモクラシーは必ずしも独裁制とも矛盾しない。既に古代ローマの時代委任独裁制という考え方があった。これはデモクラシー下の独裁である。

 カール・シュミットを始めとして何人かの政治学者は委任独裁とデモクラシーとの関係に付いて彫琢(詩文などを練り上げる事)を加えている。米北部の政治学者は南北戦争中に於けるリンカーンの権力を委任独裁の理論に依って説明している。尤も南部の学者はこの説明に必ずしも納得してはいないが。

 ともかく米で普通委任独裁制の模範とされているのは前述した独立戦争中のワシントンの権力である。兎に角、独裁制は必ずしも近代デモクラシーとは矛盾しない。では軍国主義か平和主義か。これはデモクラシーであるなしとは全く関係ない。

 デモクラシーの反対が軍国主義だと考える辺り、日本人のデモクラシー幼児体験を思い出させて面白いが…。デモクラシーにも平和主義あり、軍国主義あり。非デモクラシーにも平和主義あり、軍国主義あり。例えば史上有名なルーデンドルフの兵営国家。これデモクラシ―兼軍国主義の典型例ではないのか。

 その反例としては平安時代の日本。常備軍を全廃して、その後も再建しない程の徹底した平和国家ではあった。そして平和も永く保たれた。でも、(民族政治と言う意味での)デモクラシーに至っては、薬にしたくても皆無ではなかったのか。もう一つ例を追加すれば、矢張り我が国の徳川時代がある。

 これもまた我が国の平安時代を除けば、これ程の徹底した平和主義の時代は世界史上他に類例が見出されない。徳川時代には三代家光以後は鎖国したから外国との戦争は有り得ない。国内戦争もまた島原の乱から長州征伐に至るまで皆無であった。斯くも長期に亘る平和の時代と言うのは世界歴史上他には全くない。

 徳川時代には戦争と言う考え方そのものが完全に根絶されていた。鎖国だから対外戦争は勿論有り得ない。対外戦争だけではなく、国内戦争もまた考える事さえ出来なかったのであった。如何にも徳川時代に於いては二百二十七年(島原の乱~長州征伐の期間)も永きに亘って、国内戦争はなかった。これだけでも世界史上、特筆大書すべき業績である。が、更に重大な事は戦争と言う考え方そのものが追放された事である。鎖国とも関係なしに、徳川時代には国内戦争もまた万人の考え方の外にあった。

 徳川時代には幕府の許可なしに動員したら最後、当該の藩はお家断絶にされる事に定まっていた。幕法は各藩の自由なる軍事行動に対して、斯く程までに厳しかった。では幕府の許可があれば良かったか。そうではなかった。例えば隣りの藩の行ないが目に余りますので、我が藩の膺懲の士を興す許可を下さい。

 こんな願いが藩から幕府に提出されたならばどうか。こんな願いを受け取った老中ども飛び上がって引っ繰り返るに違いない。全く予期してないからだ。「何ともご同輩いかが措置したら宜しいやら」「いやこれは藩主(当時この言葉はなかったが)発狂、それに違いあるまい」

 こんな願いを藩主が幕府に提出したが最後、忽ち「殿、ご乱心」。家老や何やらが寄って来て、座敷牢に押し込められるに決まっている。いや、家老や執政が兎も角正気なら、こんな願い幾ら殿様がその気になったからとて幕府に提出できる訳がない。始めから、チョン。

 隣藩との武力紛争もまた絶対にありえなかった。この様に徳川時代は世界にも稀な絶対平和の時代で、対外戦争、内戦いずれも有り得なかった。 では(民衆政治としての)デモクラシーは在ったか。これは皆無であった。政治権力に対する人民参加と言う事実・思考さえ、その芽生えさえ皆無であった。

 <拙感想>そういえば家老によるご乱心の殿様を押し込める構造は、官僚たちが当該大臣をクビにする行為とよく似ている。さしずめ事務次官という家老たちによって殿様=首相ご乱心とばかりに押込を繰り返しているのが現代日本政治なのだろう。そのうちご乱心殿様が家老を手打ちにしそうだなぁ。

 この事は幕末に米を訪れた日本人が入れ札(投票の事)にて大統領を選ぶと言う事に驚倒した事に依っても知られよう。また『福翁自伝』の次の箇所は何とも示唆的である。

 ところで私がふと胸に浮かんである人に聞いて見たのは外でない、今華盛頓(ワシントン)の子孫は如何なつて居るかと尋ねた所が、其人云うに、華盛頓の子孫には女がある筈だ、今如何して居るか知らないが、何でも誰かの内室になって居る容子だと如何にも冷淡な答で、何とも思て居らぬ。是れは不思議だ。勿論私も亜米利加は共和国大統領は四年交代と云うことは百も承知のことながら、華盛頓の子孫と云へば大変な者に違ひないと思ふたのは、此方の脳中には源頼朝徳川家康と云うやうな考えがあって、ソレから割出して聞いた所が、今の通りの答えに驚いて、是れは不思議と思ふことは今でも能く覺えて居る。理學上の事に就ては少しも瞻を潰すと云うことはなかったが、一方の社会上の事に就ては全く方角が付かなかった(福沢諭吉『福翁自伝』)

 福沢諭吉にして猶斯くの如し。徳川時代の日本人のセンスだと当然こう言う事になる。ワシントンほどの偉業を成し遂げた人の子孫を米人は余り知らない。この事が福沢諭吉にとってはショックだった。彼の考え方の枠組は、矢張源頼朝徳川家康。「封建制度は親の仇でござる」と言った男さえこんな塩梅。

 徳川時代の日本は(民衆政治としての)デモクラシーとは斯く程も縁遠かった。それでいて徹底した平和主義国家。この様に軍国主義・平和主義とデモクラシーとは全く無関係。それよりも「軍国主義とは何か」その定義も定かでないんだから、軍国主義をデモクラシーの対極に持ち出す方が余程どうかしている。

 

 軍国主義を国家活動を軍事目的の為に集約する国家とでも規定するならば、第二次大戦下の米などは理想的な軍国主義国家であろう。第二次大戦下の米は全ての国家活動の軍事目的に集中した。斯の行動科学なども、係る活動を通じて生まれた。ではデモクラシーの反対とは一体なんぞや?それは神権政治である。

 神権政治を対極に考えると人間中心の政治こそがデモクラシーとなる。その場合、デモクラシーは人権政治とでも訳すべきか。神権政治に於いては何事も神の意思に則って行なわれなければならない。典型的な例としては古代ユダヤ国家。能く知られているのは、ヘロデ大王の直前のユダヤ国家など。

 人は神の権威に訴たえる事なしには、何事も為し得なかった。近代絶対主義以前にあっては、多かれ少なかれ神権政治の残滓がへばり付いていた。神権政治の残滓を払拭したのが、近代絶対主義国家の成立であった。近代絶対主義国家の主権者は完全なる権威を手中にした。彼は完全に自由である。

 彼は最早何事をも為し得る。近代絶対主義国家の主権者は始めは絶対君主の形を採った。即ち絶対君主こそ「まさに近代史上最初の『自由なる』人格として現われた」(丸山前掲書)のであった。そして、主権を独占していた絶対君主は熾烈な抵抗に面して、漸次主権を民衆に移譲せざるを得ない事になった。

 やがて(完全な)デモクラシーに至って、主権は国民の手に掌握された。しかもこの主権は「中世自然法に基づく支配的契約の制約から解放された」絶対的権威を伴うもの。これこそ、絶対主義から近代デモクラシーヘの遺産。いや、それどころではない。近代デモクラシーもまた絶対主義の一種なのである。

 例えば近代デモクラシーの特徴の一つである多数決原理。これは支配的契約に雁字搦めにされている中世社会に於いては考えられない事だった。近代デモクラシー国家に於いては、議会が決めれば徴税をする事が出来る。誰から幾らでも税金を取る事が出来る。

 今なら誰でも当たり前に思う事。しかし中世までの支配的契約の世界観では、これはとんでもない事だったのである。主権、議会は国内における事なんでもできる。これこそが近代デモクラシーの原理原則であることに注意すべし。

終わるかと思ったら、字数制限で終わらなかった。しょうがなく続きます。