てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

2013大みそか特番の感想―芸能の基盤の喪失がテレビから活力を奪っている

※芸能カテを作ったんで、せっかくなんで旧ブログから転載。まあ残す意味あるかどうか微妙ですが。

 ボクシングは世界戦が五試合ほどありましたが井岡と内山戦以外見れる、面白いという感じではなかったですね。まあ別途詳しく感想を書きたいと思いますが、この二人の試合内容だけは突出していますね。井岡は世界戦ということにきづかなかったですね。ちょっと井岡は軽量級で頭抜けてますね。二階級上くらいが適正なんでしょう。内山はガンボアという最大の敵が次に待っていると思います。でも内山が普通に勝つと思いますけどね。ガンボアこの階級適正の選手だったら、内山でも危ないかな?と思いますが、彼は一階級・二階級下が適正の選手でしょう。内山の壁は超えられない気がしますけどね。


 でガキ使を2日か3日後にようやく見ましたが、うーんって感じ。面白いところはパターン通りでも面白いんですが、全部で6時間でしたっけ?間延びし過ぎてつまらない時間が増えてしまったなという感じですね。引き出しあたりのメンバー通しの潰し合いとか、浜田いじりとか、遠藤いじりは面白いとおもったんですがね。やっぱり大物とか連れてくればウケるだろうというのが、モノマネの本人登場みたいな安易な感じでちょっとなぁとなりました。長州・天龍がなに言ってるかわかんない、萬田久子のネタは面白かったですけどね。あとは微妙でした。

 ジミーも飽きましたね。毎回あんな感じ。毎回新おにぃが個人的ツボなんですが、今回の新おにぃはイマイチという感じでした。いつもはもうちょっとハマるんですけどね。ああいう素人、環境・状況を生かしたなんでもない素人で笑わせないと毎回シリーズごとに見たいって思わないし、新鮮味が足りなくなるんでだめになるって未だに気づいていないんですかね?去年も言いましたけどマンネリはお笑いに一番マズイ昭和パターンです。昭和のお笑いが廃れた最大の要素はお約束、チャンチャン♫パターンが飽きるからです。松本人志本人も、もう止めない?って言ってましたしね。そろそろなくなるかもしれません。

 マツコ毎回使うのも、使い方変えればもっと面白くなるだろうになぁ、微妙な使い方ですね。あの芸人の暴露もシリーズと関係がない、流れ無視でダメですね。芸人使ってネタ見せやる、時間潰すみたいなのは絶対無意味、積み重ねで笑わせるという基本を無視しているので止めるべきですね。なんなんだろ?あの運動会的なやつは?あそこだけ全く面白くないのに、誰がやろうとしたのか?んで芸人たちの根性だめしみたいなのも、穴埋めとしてやってるんでしょうけど面白くない。正月特番で後輩とか売れていない芸人救済のためにやろうとしてグダグダになる。

 なんというか深夜の30分番組でむちゃくちゃ面白いのがゴールデン一時間に移ったら尺足りなくなってしまって、本来の持ち味を生かしたコーナーじゃたりなくなって、穴埋めに忙しくなって持ち味をなくしていくというパターンに似ていますね。30分ならボツにしていたのが、一時間でボツにできなくなって練り上げられなくなっていくというやつですか。温泉旅館とかあの頃は3時間くらい?多分時間も短かったからそういう練り上げができたし、面白かったんでしょうけどね。ダウンタウンのどっちかが企画に参加しないとそういう練り上げが足りないし、マンネリ化しますね。構成作家ちゃんとネタ作り込めよって怒られてそうですがどうですかね?

 あの寸劇も毎回やってようやく止めたのは賢明だったと思いますが、今回特にひどかったのが、熱血教師と言いながら江戸時代に途中でパターン変えてしまったこと。だったら「笑ってはいけない」シリーズの一貫性がないでしょう。はじめっから笑ってはいけない大江戸~で作りこめばよかったのに。一年の特番でこの日のために半年近くはかけるもんじゃないのかね?消化不良、中途半端感が否めなさ過ぎでしょう。企画段階で教師で行くか、江戸で行くか最後まで迷った挙げ句の折衷案という最悪の選択に出たんでしょうか?

 あと、何があったかなぁ?あんま見なかったかな?ウンナンの芸人が5つチャレンジして成功したら100万円ってやつありますね。最後の5人笑わせるのが難しいんですけど、最後でなんでサイレントを持ってくるか毎回意味分かんないですね。初めっから諦めて少しでも尺長く映ろうということですかね?選ばれた五人が笑いやすいか、笑いにくいかという運の要素が大きいですが。一分しかないんだからネタをどんどんテンポよくやることが重要なのに、一回一回長いネタやるのはバカなのか?という気がします。あと客の反応じゃなく、審査員の笑いのツボがどこにあるかわからないんだから、いくつか引き出しを別にして笑いのパターンを分けてやるのがセオリーだと思うんですが、なんで天丼ネタをやる人がいるのかわからないですね。ツボにはまってなければ天丼は時間の無駄。天丼やるならコーナー単位でやらないとダメでしょう。

 ※追記ー忘れてた。ドリームマッチがありましたね。渡辺直美が優勝しましたが、ああやっぱりねという結果。ネタとかではインパルス板倉とか、塚地とかそういうのも面白いと思いましたが、渡辺直美のキャラで全部持っていかれちゃうことになるんだろうな~って感じでした。

 あの番組ってネタづくりに欠ける時間が短いので、お互いの関係も浅くて完成されないから結局キャラクター次第なんですよね。キャラクターが濃い人間がインパクトを与えて勝つという構図になっている。ネタも必然的に新結成コンビの即興的性格が強いので浅くなりがち。志村けんがスイカ早食いしただけで優勝したように、完成度とかよりも一発芸要素やキャラが濃いことで決まる感じになってる。

 渡辺直美リズム芸、歌&ダンスが出来る。演じるキャラの引き出しが豊富なんで、豊富っていうか他の芸人にない際立ったものを持ってますからね。彼女だけ異彩なんで記憶にも残りやすいですし、彼女が勝つでしょう。正直相方だれでもいいでしょう。「彼女が」勝ってしまうという図式が成立してしまっている以上、次回から構成考え直さないと厳しいですね。あとダウンタウンとかウンナンとか大物が出るから面白いのに、また芸人のステップアップ番組みたいにするとマンネリ化してダメになりますよ。吉本芸人多すぎで偏ってるのもあれですしね。


 そうだ。これを書くのを忘れていました。前回はこれを書きたいから書いたところがあったのに、肝心なこと忘れてどうするよ(^ ^;)。

 ガキの使いの笑ってはいけないでドラマの女優とかがセリフ合わせするシーンがあってふと思ったこと。それは、これまでTV文化を支えてきた下積みをする文化があった。その下積み番組が消えてしまったことが今の喪失を生んでいる。数多く下積み用の番組があったことによって育成されてきた俳優などが消えていっているのでは?ということを感じました。

 バラエティ番組がTVの主流になるまではクイズモノだったり、火サスに代表されるようなドラマがかなり割合が多かったという気がしています。時代劇枠などもそういったのがあって、かなり多くの俳優なり構成作家・脚本家が要請されるといった環境があった気がします。刑事モノ、時代劇モノがあって、しかも再放送がバンバンされるという時代があったのが基盤として大きかったんじゃないかなと思います。

 ところがお笑い芸人が登場してバラエティ全盛になって、そういう下地がなくなってしまった。だからこそ歌手なり、俳優なり、本来の芸能人が出て来なくなってしまったという図式があるんじゃないかな?という気がしてきました。昔は歌舞伎・相撲を江戸中の大衆で楽しんでいて、客によって身体文化が支えられてきたのが今は見る影もなくなってしまった―と高岡さんが指摘していたアレに近いものがありますね

 まあ、お笑い芸人以外にも特定の強い事務所の問題とかあるんでしょうけどね。

 最近のテレビに出てくる俳優というのはキャリアが浅い、経験を積んでいないんでしょうね。演技がうっすい。ペラッペラですね。舞台で何年も下積みを積んでやっと一本立ちというルートがないんでしょうね。あと身体動かしていないから固まってしまっていて、内にほとばしる熱いエナジーとか伝わって来ませんね。

 栗山千明が大好きで、ドラマやってるので見ましたが、うーん成長しているかどうか微妙な所…。中居は昔は演技上手かったですが、バラエティ人間になってだめになりましたね。加齢とともに演技が熟していない。むしろ下手になっている。トレーニングしてないんでしょうね。難しい役柄(サヴァン症候群の人だったかな?)というところがあるんでしょうけど、全くそういう人特有の身体動作、言語ができていない。瞳孔開いて首傾けてるだけじゃ異質性が全然伝わって来ませんね。


 テレビ局60くらいあって、いろんな番組いっぺんに見られる超競争状態にならない限り、テレビ文化の復権はないでしょう。報道の民主化なくして、日本の隆盛なしですね。資本主義どころか文化的、社会的にも劣化してますからね~。まさに底抜け。

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日本の伝統文化・芸能事典