てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

『崑崙山への昇仙』 曽布川 寛

 

 簡単にブログをかけそうなため『崑崙山への昇仙』をまとめますか。漢代儒教支配以前の世界観、神話などについて。戦国~前漢時代などの壁画には四神ではなく、その前身の龍・騶虞・鳳凰・鼇が描かれる。女媧や羿が描かれることも多い。豊富な神話は散逸して、楚辞・山海経淮南子・緯書などに残るのみ。

 

 神話に言及しない孔子のスタンス、合理意識の発達によって遠ざけられ、再解釈されるようになっていく。夔のような一本足の怪獣についての「一足なり」という記述をを、音楽に詳しい夔が一人いれば足りるというふうに曲解した。山海経淮南子などといった書は漢代脱神話へのアンチテーゼか。

 

 これが前漢末ころの話だとしても、やはり後漢末でも中央政界の合理的な思想・世界観に反して南方では伝統的な神話感を色濃く引きずっていたことだろう。呉・蜀の独立だけでなく、淮南の三反をみてもやはり中原とは異なった通念があったことは間違いない。中原とは距離、気候=世界観が違いすぎるもんなぁ。特に長江周辺は。

 

 墓に昇仙図が描かれるのは魂魄の魂が天に~故(なのか?天に登って仙人になる、では祭祀の際には仙人になって帰ってくるのだろうか)。昇っていく先に天帝女禍(月の神ともいわれる)がいる。崑崙伝説では崑崙山が黄河の水源地で山海経によると西南四百里に天帝の下都があるという。これは咸陽・長安と関係するのでは

 

 崑崙天帝の住む上天の世界を昇っていくと段階ごとに、不死・霊(風雨を使う)・神となっていく。俗に言われる不死願望に基づく暴走などではなく、むしろ始皇帝武帝が不死になることは当時の常識に基づいたことむしろもっと先の世界のために準備をすることは至極当然の発想だったことがわかるわな。楚辞でも崑崙は天上への通行路。

 

 崑崙山を管理しているのは陸吾という神、人面虎身で九つの尾を持つ。弱水という川があり、崑崙山の沙棠の実を食べると溺れないで渡れる。渡る手段はもちろん龍。図像には馬・虎が溺れ、羽人は渡っている。楚辞にあるように道を得た人は羽が生えると考えられていた。羿の羽はこれによる。

 

 鳳凰は天から迎えに来る使者、鳳凰が案内はしないまでも、真っ先にやってくる。白虎なんかみてもどうも先天異常が瑞祥とされると見ていいと思う。四つ葉のクローバーがラッキーとされるようにね。鳳凰もきっと渡り鳥が迷い込んでしまった見たことない鳥かも麒麟は額・角・先の3つが他の鹿とは違う。この発想も通常より異なる成長を遂げた大獣特別な力が宿っているとみなす発想。

 

 十二支の動物も先天異常で神聖さを示すそれがある動物といった特徴とかないかしら?

 

 西王母なんか現実の東王父と対比されて冥界・天界を司る王とされたって気がするんだけどなぁ。西王母前漢末に再臨というか、やってくると考えられたのは間違いなく世の中が滅んだ、末法になったという観念があったからですよね。華北一体で西王母の符で騒乱となったり、首都の近辺でも西王母さま!と卑弥呼サマ!って危機をアピールするあのネタみたいに西王母待望論があったわけですしね。

 

 気になるのもう一つは、転輪聖王とか武則天は仏教・道教の価値観で自己の権威を正当付けたわけですが、この西王母にどうしてなぞらえようとしなかったんですかね?千年前は西王母と東王父の共同統治、さらにもっと前は西王母が国を動かしていた~とかそういう神話を持ち出してきて、その西王母が支配・統治する伝統に立ち返る、先祖返りしているだけなんですよというロジックを何故持ち出してこなかったんだろうか?

 

 本当は次の中野さんの本と一緒にまとめるつもりでしたが、分けました。これ昨日のうちに更新するつもりが、ダメでした(´-ω-`)。