てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

靖国本のバランスの悪さ

14歳からの靖国問題 (ちくまプリマー新書)/筑摩書房

 小菅信子さんの14歳からの~を読みました。TLでたまたま氏のツイートが回ってきて気になって読んでみました。すると…うーんと言わざるをえない内容でした。

靖国問題 (ちくま新書)/筑摩書房

 確か高橋哲哉さんでしたっけか?なんか出版社違うかもしれないけど、多分この本でしょう。かなり昔この本をチラ見した記憶がありますが、やはりこれも非常にバランスが悪いなと思った記憶があります。

 別に特定のスタンスから語る分には全然構わないのです。本にはまんべんなくそれぞれの視点を検証して、こうだよね?と説くものもあればこのように特定の立場、モノの見方を絞って有益な視点を提供しようというスタイルもありますからね。

 問題だと思うのは、こういう本を書く人ってこれでバランスが取れていると言うような見方をしているニュアンスを感じさせるんですよね。そこがまずい。読み手として肯定派を考慮していない。ハッキリ言ってこういうスタンスでは「靖国参拝すべきだ!」という人が、「ああそういう性質があるのか、じゃあ参拝も考えないとな~」という意見にはまずならないでしょう。

 つまり、「なぜ靖国参拝が必要なのか」と訴えている人達の意見・ロジックの急所を押さえられていないんですよね。だからそういう人達が読む際に、反論に対するカウンターパートとして成立していないので、有益という感じがしません。ニュートラルな人でも、じゃあなんで賛成派の人がいるの?その人達はどんな主張をしているんだろう?と消化不良になってしまいますからね。

 一方的主張になってしまっているという感じがします。これは逆の立場の人のロジックにもまま見られることですけどね。「行くべきだ!」「行くべきでない!」っていう意見の対立が起こっているトピックに対して、相手の意見のツボを押さえていないってのはそもそもの書き手の良識が疑われてしまうのではないでしょうか?

 神道系の人が靖国参拝を否定してくる人で史料を読んで神道を理解した上で話しをしてくる人は本当に少ないと嘆いていましたが、この問題を論ずる上で靖国の元になっている神道の理解及びその変遷って基本ですよね?その「宗教マター」を無視して「政治マター」のみを取り上げるっていうスタンスはかなり疑問に感じます。こういうのも宗教教育欠如のツケなのでしょうかね…。

 末尾に娘さんとの対談がありましたけど、まだ娘さんのほうがわかってるんじゃないかな?と感じました(笑)。

 江川紹子さんが国内問題として靖国を考えるみたいな文章を書いていましたけど、やはり同じくバランスが悪い。完全に因果関係が逆転していますよね。戦争に動員する装置としての靖国を上坂さんも主張していましたが、戦争があったから靖国があったわけで、靖国があったから戦争があったわけじゃありません。因果関係が逆・ごっちゃです。「尊い犠牲者・献身」に対する感謝と賛美と、「戦争」への賛美は次元が違う。これ、いっつも出てきますよね。そういう乱暴なロジックを主張する間は、賛成派の意見を組み込んだ新ロジックを提唱できない間は、参拝をするべきではない!なんて意見が国民の主流にはならないでしょうね。

 お前はオウム問題だけやってろ―という失礼なコメントを見て思い出したんですけど、彼女は元オウム信者について絶対教義に戻らないように、オウムという宗教が存在しないようにすべきという意見で、小林よしのりにそれではスターリンじゃないかと非難されたことがありましたね。小林よしのりは何を信じようが自由だが、刀狩りだけはキッチリやれという主張でしたがその通りでしょう。公共の秩序に反しない限り「信教の自由」「内面の自由」を保障すべきですね。

 彼女のセンスだとキレイなもの、ケガレたもののようなざっくり二分法で捉えている気がするんですよね。オウム・靖国はケガレたものだからダメというものすごい乱暴な感覚に見えますね。

 忘れていましたが、小菅信子さんの本を読んで、靖国は平和を祈願するところではない。故に新しく平和を祈願する施設を作るべきではないか?という気がしました。あそこは「あなた達の尊い犠牲に感謝してこれからも平和な社会を作っていきます!」と報告するならともかく、基本的には死者への感謝を告げる場所であって、願い事を叶えてもらう神社じゃないですからね。靖国&平和追悼施設で、そっちの方で平和祈願をするという方が論理的に矛盾がないだろうと思いました。

 あと、未だに西南戦争の敗者、つまり時の政権に逆らったとされる者は祀られていないという批判があります。それについては別に祀っても構わないと個人的には思いますが、確か地方の神社、招魂祭みたいので祀られているんですよね?未だに慰霊が許されていないとかなら大問題でしょうけど、祀られているんなら特に問題ない気がしますね。西郷とか吉田松陰とか功績がある人についてはまた更に違った、特別な配慮をするってことでいい気がします。

 あと石橋湛山が戦後靖国廃棄論を戦後国際社会におもねるために主張していたとは知りませんでしたね…。まあ当時の空気を象徴する話ではありますね…。