てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

ソフトパワーについての思いつき、ダークソフトパワー


 正月実家に帰ったら、いつものように父に結婚しろ、孫の顔見せろと言われると思っていたら、無言のまま数の子ばかり七切れも食わされて、言いたいことわかるな?といわれたと。なんだそのロシアマフィアみたいな意思表示は―というツイートを見て思ったこと。

 当該ツイートとは関係ないけど、直接的に伝える、また論理的に伝える、または法的な正当性を伝えるのではなく、抽象的にサイン・シグナルを送って意思表示をする。また、相手にこちらが望んでいることを考えさせて自ら実行させる。忖度させるってのはブラック(前近代的)な社会の特徴なんだなと今更気づいた。

 魅力・徳があるがゆえに、法的正当性などを伴わなくても、相手が要求を飲んでくれるのをソフトパワー*1と言う傾向があるが、「空気を読む」能力が足りないなどと言って弱者にババを引かせる、弱者に押し付けることを正当化することと一定の共通点がある気がしますね。
 ダークソフトパワーとでもいいましょうか?こちらに魅力があるから、相手が自発的に従ってくれることというのは一歩間違えたら相手に無言の圧力を加えて、本人や組織に望まないことを無理やりやらせることになる。ソフトパワーという発想には、一歩間違えたら無言の圧力・押しつけや命令になりかねない。脅迫という事実上の暴力につながりかねない危険性をはらんでいるわけですね。

 ソフトパワーだ、レジームの力だと言いつつ、実際は背後に「抑圧の力学」が働いている。「ソフトパワーの支配」だったり、「ダーク(ブラック)ソフトパワー」なんて見方があっても面白そうな気がします。誰かそんなこと言ってないかしら?まあ、まだソフトパワーが十全に活かされていないからそんなこともないでしょうが、いずれ「ソフトパワーがあるアメリカに諸外国は従ってくれたのにどうしてこんなことになったんだ?」「それはソフトパワーではなく、アメリカが一方的にソフトパワーと思い込んでいただけで、実際は無理やりやらせていた。相手の意志・文化に配慮しない事実上の強制であって、ソフトパワーとは真逆の行為をしていた」―なんてことが言われる日が来るかもしれませんね。捕鯨のような独善的な態度で異文化に配慮しない傲慢な態度ではダークソフトパワーの方がはるかに強くなりそうです。『米の失敗の本質!―ダークソフトパワー―』なんて本があったら売れそう(小並感)。

 あと、ナイがソフトパワーの資源の事例として文化をあげる話があるんですが、なんというかソ連とか冷戦時代の共産主義社会の前提という気がするんですよね。単に貧しいから消費文化が未成熟だったという要素が大きいと思うんですよね。当時と今じゃそういう文化に憧れる度合いが全然違うと思えますし。日本の例でいうと、自分たちにないものをもっているからこその憧れ・羨望であって、いま日本に当たり前にあるような状態では憧れ=ソフトパワーとしてはなり得ない。起源がアメリカにあるとしても、漢字の起源・箸の起源が中国ですよみたいなものですからねぇ。へぇ~で終わる話ですし。

 途上国の貧困層なら、逃避を兼ねた願望としてそういう思い・憧れは未だにあると思いますけど、「豊かな暮らし」に対する憧れであってちょっと違う気がしますね。世界一・ナンバーワンというブランド力は未だに健在で、そういうソフトパワー・魅力はあるかもしれませんけど。結局それは実力・国力としての裏返しに過ぎないので、そういうものをソフトパワーというのはどうなのか?それこそ、米のNPONGOなどのボランティアによって道路などが整備された、医療行為で命を救われたとでもいったことでなければ恩義としてソフトパワーに直結しないものだと思うんですよね。

 寛容性の喪失がソフトパワーの低迷を招くという話で、ナチスドイツのユダヤ人迫害が頭脳流出を招いてしまい、亡国の要因となったこと。更にそのもっと前の事例、フランスのユグノーの事例を連想。仏・独という有数の大国の失敗の事例を思い、米はアメリカ至上主義のようなものが高まって、寛容性をなくして、反米的なものを排除し、国力を著しく衰退させるとかそういう流れにならなきゃいいが…―とか、そんなことをふと思いました。

 米の宗教的独善性、例外主義などが米外交の誤りの本質的要因と言われていますが、そういうのを見直そうという動きが起こった時、やっぱり排除してしまうんでしょうかねぇ…。9.11以降寛容性の喪失が凄いって言いますしね…。米に歴史を見直す「反省の時代」は来るのでしょうか?
 ※追記、米外交って結局、棍棒外交と言われるような武力外交・実力外交なので、そういう路線からの脱却を暗に主張したいのでしょうけどね、ソフトパワー論は。ソフトパワー論を十全に活かすためには、アメリカの負の歴史であるレイシズムや暴力・略奪といった点に目を向けなくてはいけない。重要なポイントであるそこを無視して、ソフトパワーだ!と言って、表面上柔軟路線を打ち出して、態度を変えて心を入れ替えたように取り繕っても、結局失敗するだけだと思いますよね。どうも本質的なことを無視して、外交の原点を無視して、ソフトパワーがあったら外交問題・国際問題解決するよね!といったご都合主義に思えてならないんですよね、現在米で流通しているソフトパワー論というものは。
アイキャッチ用画像

*1:本来、「」つきで、「ソフトパワー」と書くところですが、いい加減な思いつきだったのでつけてません(汗)。当たり前のことですが、「」だということで脳内補完して読んでください_(._.)_