てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

春名幹男著 『米中冷戦と日本』②

米中冷戦と日本① 春名幹男著の続きです。
米中冷戦と日本 激化するインテリジェンス戦争の内幕/PHP研究所

 p98、中国のエネルギー輸送は二〇〇八年当時、八〇%以上がマラッカ海峡を通過する海上輸送だった。しかし、海賊が出没する同海峡を通り、領有権問題を抱える南シナ海を経由するルートを将来的には減らし、ミャンマーなどから陸上のパイプラインで輸送するルートを増やしてリスクを分散する戦略をとると米国防総省の報告書は分析している。
 二〇一〇年、中国とミャンマーを結ぶパイプライン着工。「援蒋ルート」の現代版と言える。これにより、中国=ミャンマー関係の強化予想から、オバマ政権は、対ミャンマー政策を制裁から転換、軍事政権との直接対話戦略に切り替えた。
 米ジャーナリスト、ロバート・キャプラン氏がフォーリン・アフェアーズの二〇〇九年三/四月号に寄稿した論文「二十一世紀の中央舞台」で、中国がインド洋で「真珠の首飾り」と呼ぶ港湾ネットワークを建設中と指摘、「真珠の首飾り」は流行語にもなった。ミャンマーシットウェ港とココ島海軍情報施設、バングラデシュチッタゴン港、スリランカのハンバントータ港、パキスタンのグワダル港など。ココ島以外は軍民両用の施設。これら施設を線でつなぐと地図上で首飾りに見えるからそう呼ばれている。
 インド洋では、米国が冷戦時代、南部のデイエゴ・ガルシア島に大規模な基地を建設、ソ連の進出ににらみを利かせていた。しかし、中国の進出によって、インド洋は中印が角逐する海に一変した。インドは沿岸地域の防衛に加え、一九六〇年代以降、スマトラ島北西部・ミャンマー南部にあるインド領のアンダマン諸島ニコバル諸島に海軍基地を建設した。中国がアンダマン諸島の北数十キロのココ島に建設した海軍情報施設は、明らかにインド軍の動向を探る基地だ。
 中国はインド洋西部のモーリシャスモルジブ、セーシエル、マダガスカルに経済援助。胡錦濤国家主席は二〇〇九年二月、モーリシャスを訪間、空港や特別経済地域の建設に計約一〇億ドルの支出を約束。背景にシーレーン確保がある。
 これに対抗してインドは、モルジブ政府と交渉、南端のガン島に海軍偵察基地を建設することで合意した。この基地は、冷戦時代、英国海軍基地があったところで、インドは偵察機や艦船、レーダー基地を建設する予定だ。また、モルジブの空・海軍に対して、訓練や支援を提供、二〇〇カイリ排他的経済水域の警備でも援助している。また、東アフリカ沖のセーシェルに対しては、中印が援助争いを繰り広げる形となっている。
 中印両国は一九八〇年代後半から関係改善が進み、軍事交流も行われてはいる。しかし、両国は国境地帯の領土問題が未解決で、相互に警戒感を強めてもいる。双方とも軍備、とくに海軍力を増強している。インド洋冷戦あんまりなんでもかんでも冷戦っていうのはどうでしょうね?普通の勢力争い・パワーゲームにすぎないと思うんですけども)とも言える情勢が深刻化する恐れがある。二〇一〇年三月十二日、インドのシン首相はロシアのプーチン首相とニューデリーで会談、ロシア空母ゴルシコフ(四万四五〇〇トン)を二〇一二年末までにインド側に引き渡し、さらに、インドが空母艦載機ミグ29戦闘機約三〇機を総額約一五億ドルで購入することで合意した。
 インドは、現在、英国から購入した中古の空母一隻を保有、ゴルシコフはその後継艦となる見通し。それに加え、インドは二〇一五年に一隻、二〇二〇年にさらに一隻の国産空母を進水させる予定。
 これに対して、中国も国産空母という流れで、先ほどの遼寧につながると。中国は米&印と対抗しなくちゃならんわけで…。どうするんですかね?絶対無理でしょ両方敵に回してシーレーン確保なんて

 p103、ブッシュ(父)は、中国の楊潔篪外相とは個人的に非常に親しく、家族ぐるみの付き合いをしている。一九七六年、フォード大統領の落選で、米中央情報局(CIA)長官を辞任後、中国政府から招かれて、約二週間にわたってチベットを含む各地を訪問した際、楊氏は通訳を務めた。

 p108、米国の対中工作でのポイントは第一がミャンマー民主化の進展、第二に南スーダンの独立。
 p109、スリランカ政府軍は二〇〇九年、反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)の主要拠点を制圧、苛烈な掃討作戦を成功させ、内戦に一応の終止符を打った。だがその裏で、中国がスリランカ政府軍に多大な軍事支援をしていた事実は、日本では報道されなかった。中国の狙いの一つは、スリランカ南部のハンバントータ港の確保にあった。かつてこの港湾施設は日本国際協力機構(JICA)の支援で整備が進められたが、これを引き継いで巨額の資金を投資して港湾使用権を得たのは中国だった。最近日本もアフリカのどっかに基地を作ってましたけど、いい加減日本もシーレーン沿いに基地をもっと確保する、提供してもらうような戦略を取るべきですよね。対中圧力のポイントに成りますからね

 p111、オバマ大統領はカンボジアでは、東アジアサミットに出席しただけで、カンボジアのフン・セン首相とは会談しなかった。しかしその裏で米国は、親中派カンボジアで、フン・セン政権との軍事協力をひそかに進めてきた。オバマ大統領の訪間の四日前、レオン・パネッタ米国防長官はカンボジア北西部シエムレアプを訪間、ASEAN側と非公式に会合したあと、カンボジアのテイア・バン副首相兼国防相とも個別に会談。
 実は、米軍は「テロ対策訓練」の名目で、ひそかに米軍特殊部隊をカンボジアに派遣、カンボジア軍の訓練を行ってきた。小規模な合同軍事演習も実施している。パネッタ長官はカンボジアの人権問題を追及しながらも、軍事協力の継続で合意した。
 フン・セン首相の長男で後継者と目されるフン・マネト陸軍副司令官は米国に留学。米陸軍士官学校卒業後、ニューヨーク大学で経済修士号。次男の情報将校フン・マニト氏はドイツでの米軍対テロ訓練に参加。三男フン・マニ氏も米軍が奨学金を出して米国防大学で修士号を得た。このようにパイプをしっかり築いている。

 p113、おそらく、オバマ政権は国家安全保障会議(NSC)で綿密な協議を行ったあと、大統領命令で対ミャンマー戦略転換を決めたに違いない。過去のホワイトハウス国務省の機密文書を大量に読み込んできた経験上、重要な問題では必ずそうした手続きがとられている―と。

 p116、米国は民間や準公的団体などが、オバマ政権の「関与政策」に従った形で民主化支援に乗り出した。世界各地の民主化支援資金を供与している全米民主主義基金(NED)は、ホームページによると、ミャンマー民主化向けに計四〇〇万ドル以上の活動資金供与先を募集している。NEDは一九八〇年代に、海外の民主化支援のために議会が設置した非政府組織。米国の民間団体などとも協力して活動資金を供与しており、事実上、米政府の別働隊とも言える。米国の官民でミャンマーと中国の関係分断工作をしている。

 p117、パイプラインの起点と伝えられていたシットウェ港が、西部チャウピューに変更された。これはシットウェ周辺でイスラム教徒と仏教徒の衝突が激化したから。米のミャンマー関与政策が大きく進んでいる今、果たして計画通りにパイプラインが完成するか?

 p120、アウン・サン・スー・チーの母親はミャンマーの初代駐インド大使を務めた大物だった。スー・チー氏は幼いころ、母親と一緒にインドに住んだ経緯から一般的にインド寄りとされている。夫のマイケル・アリス氏は一九九九年に亡くなったが、チベット学者だった。母親がインド大使で、夫がチベット研究者である環境から見て、彼女がミャンマーの「脱中国」の象徴的存在になるのは疑いないだろう。

 p121~8、スーダンは「アラブとアフリカの十字路」とも呼ばれる戦略的要衝。北にエジプト、南にケニアなど、そして東に紅海。九カ国と国境を接するナイル川上流に位置し、面積はアフリカ最大の大国。東西冷戦時代には、アメリカは冷戦の同盟国として当時のヌメイリ政権を支援し、多額の援助を供与していた。しかし、一九八九年の軍事クーデターでバシル准将が政権に就くと、米国との関係は一転険悪に。
 国際テロ組織アルカイダを率いたビンラディンが、サウジアラビアを追放されて一時的にスーダンに本拠を置くと、クリントン政権スーダンを「テロ支援国」に指定して、制裁。バシル大統領は一九九〇年代の数年間ウサマ・ビンラディンかくまっていた。
 米との関係が悪化した所、中国がスーダンと関係強化へ。米大手石油会社シェブロンが売却した石油権益が転売され、中国国有石油大手、中国石油天然ガス集団(CNPC)が一九九六年、これを取得。スーダンの石油は宗教も民族も違う南部で産出する。中国が支援していたのは北部のアラブ系が主体の政府。中国はバシル大統領の政権に軍事援助し、南部や西部の反政府組織の弾圧を事実上支援した。
 エネルギー資源の確保を最優先する中国の胡錦濤国家主席は二〇〇六年十一月、北京で中国アフリカ首脳会議を開いたが、その際、バシル大統領も「熱烈歓迎」した。
 中国は一九九〇年代半ばからスーダンに計四〇億ドルを投資、多数の労働者を現地に派遣して、南部油田地帯から北部の紅海沿岸にある積出港ポートスーダンに至る約一六〇〇キロのパイプラインも建設した。労働者の中には囚人もいたとの未確認情報もある。日産約五〇万バレルの原油の大半は中国が輸入してきた。

 だが、二〇一一年七月、南スーダンが独立。南スーダンアメリカの支援で独立すると、翌年一月中国への石油輸出停止。それは中国共産党が長年掲げてきた「民族自決」の原則を、スーダンで自ら踏みにじってきた結果でもあった。中国の石油投資と同時に、スーダンの国内情勢も険悪化した(とあるが、北部のアラブ系政権を支援することと民族対立・虐殺は、どの程度説得力があるロジックなのか?彼らを支援すればこういう非道行為になるという確証はあったのだろうか?)。
 スーダンは北部のアラブ系住民が支配的であり、南部や西部のブラックアフリカ系住民が周辺にあって、対立図式が強まった流れと。それが迫害・紛争・虐殺へエスカレートする流れかな。南部では、黒人キリスト教勢力を中心とする「スーダン人民解放軍」(SPLA)との戦闘が約二十年間続き、約二〇〇万人が死亡。二〇〇五年一月、包括和平が成立。
 西部ダルフール地方では二〇〇三年、約七〇〇万人の住民のうち約二〇〇万人が国内難民化し、約二〇万人が隣国チャドや中央アフリカに、英議会調査で推定三〇万人が死亡した。ダルフール紛争などで中国製武器使用問題も問われた。米議会調査局(CRS)によると、二〇〇二~〇五年の中国の対アフリカ武器輸出は六億ドルで、フランス、ロシアに次いで三位だった。
 ブッシュ米政権は「中国の行動は米国の主要な戦略目標に反する」(二〇〇六年二月、エネルギー省報告書)と警戒感を露わにした。国連安全保障理事会スーダン非難決議が議論され、決議案が提出されそうになると、中国は巧みに「ポケット拒否権」の行動に出た。決議案が出されそうになると、「ポヶットに拒否権を忍ばせるようなふり」をして拒否権行使を示唆した。決議案提出を拒むことを「ポケット拒否権」と呼ぶ。中国はそこまで、バシル政権を支持してきた。ダルフール紛争をめぐっては、スーダン政府と反政府の二派「スーダン解放軍」(SLA)、「正義と平等運動」(JEM)が二〇〇四年、停戦に合意。国連安保理は二〇〇七年、二万二〇〇〇人規模の国連とアフリカ連合(AU)の合同平和維持活動(PKO)部隊派遣を決議し、同年末から国連。AUダルフール合同活動(UNAMID)の展開が始まった。
 独立に伴い、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)、国連アビエイ暫定治安部隊(UNISFA)の二つのPKO部隊の展開が決まった。自衛隊はUNMISSに三二六人の施設部隊、二五人の連絡調整員、三人の司令部要員を派遣している。アビエイはスーダン南スーダンの国境地帯にある地区の名称で、どちらに帰属するかをめぐり係争中だ。
 国連PKOの三つもの部隊が少し前まで一つの国だった地域に配置されるのも異例なら、総勢で国連PKOの実に三分の一の部隊がスーダン南スーダンに集中して配置されるのも、これまで例がない。
 また、国際刑事裁判所(ICC)が二〇〇九年、戦争犯罪や人道に対する罪で現職のバシル大統領に対して逮捕状を発付するという、これまた異常な事態に陥っている。

 南スーダンスーダンからの分離独立は、双方の利権配分で合意できていたら「幸福な離婚」になっていたかもしれない。しかし、産油国南スーダン原油を唯一のパイプラインで北東部の積出港ポートスーダンに輸送するのはスーダンで、しかも原油輸出代金の分け前をめぐって対立して、交渉が決裂、原油生産も輸出も止まるという事態は、双方に不幸しか残さなかった。
 中国にとっても、それは巨額の損失を意味した。南スーダンの分離独立前から、パイプラインや輸出ターミナルの使用料で対立、妥協は成立せず、石油生産が停止してしまった。交渉決裂を受けて、南スーダン側は直ちに油井の閉鎖を石油会社に命じた。このため重質の原油が凝固し、パイプラインに損傷を与える恐れがある、と中国石油天然ガス集団(CNPC)側は懸念している。いずれにしても、中国は巨額の損失を被ることになった。
 中国はこうした事態も予測してか、南スーダンの分離独立前から、南スーダン側に対して、さまざまな融和策に出ていた。中国政府は南スーダンの首都ジュバに領事館を開設。CNPCは首都にある大学にコンピューター研究所を寄贈した。南スーダンキール初代大統領が就任演説で使った演壇は中国企業が寄贈したものだった。CNPCは、南スーダン政府の官僚や議会エネルギー委員会の幹部らを北京に招待し、豪華ホテルでもてなし、スーパーコンピューターなどの研究所見学、全国人民代表大会の経済関係者などと交流させた。中国が石油利権の維持のため、必死に南スーダンをつなぎ止めようとしていたことがわかる。

 二〇一二年七月、クリントン国務長官南スーダンを訪問して政府幹部の説得に当たり、スーダンとの妥協を図った。その結果、南スーダンスーダンに年間約三〇億ドルとパイプライン使用量などとして一バレル当たり九・四八ドルを支払うことで、いったんスーダン側と合意した、とも伝えられていた。しかし、最終合意には至らなかった。
 石油収益以外にほとんど収入源がない両国は経済状況が悪化、国民生活にも悪影響が出ており、スーダンでは反政府デモが続発、南スーダンは財政緊縮策をとっているが、「経済的自滅」も懸念される状況という。
 国連安全保障理事会の停戦要求決議を受け、アフリカ連合(AU)の仲介で両国は和平交渉を再開したが、国境地帯の非武装化などでも対立。懸案の石油生産再開は議題にも上っていないという。両国国境付近での戦闘が続く恐れがあると言われる。
 元米国家安全保障会議(NSC)国際経済部長で、米中経済安保見直し委員会委員長も務めた友人いわく「中国はスーダンを買収したも同然」。

 南スーダンでは、スーダン国内を通るパイプラインの使用を断念して、南スーダン南部からケニアを経由するパイプラインを新設、インド洋沿岸で積み出す新計画も検討中と言われる。
 米国が南スーダン、さらにダルフール地方への人道援助、国連PKOへの拠出も含めた援助額は年間一〇億ドルを超えている。サハラ砂漠以南の国・地域ヘの米国の援助額としては最高額。米国務省は二〇一三年のアフリカ向けプログラムとしては、南スーダンの国家建設を「最大のチャレンジ」と位置付けており、多額の援助を継続する予定だ。
 まあ、だからこそ昨今の南スーダンでのPKOがあるわけですね。韓国への弾丸提供云々でクローズアップされましたが

 p140、ヴィクター・チャいわく北朝鮮が存続することは中国の「核心的外交原則」。①緩衝地帯として北朝鮮国家の存続が必要という戦略的・地政学的理由、②難民流入による(中国国内での)朝鮮族急増に伴う国内の治安問題、③北朝鮮の資源確保という経済的理由から、南北分断が続くことが中国の国益だと考えている。

 p158、ビンラディンの隠れ家急襲作戦でオバマ大統領は、① ヘリコプターによる隠れ家襲撃、②無人プレデターによる攻撃、③好機を待つ―の三つの選択肢を提示され、リスクが伴う①をあえて選択した。
 CIAに独自の取材源を持つ『ワシントン・ポスト』紙コラムニスト、デービッド・イグナシアス氏は、オバマ大統領の秘密工作好きについて、「彼はひそかに決定することを好む。生の情報でもいい。荒っぽい政治論議を聞くことには閉口しているが、行動することを好む。とくに自分の指紋を残さないような形で」と述べている。

 p159、大統領に就任してオバマ大統領も核戦争計画に関する重要文書に署名している。全米科学者連盟(FAS)のハンス・クリステンセン核情報プロジェクト部長は米戦略司令部(USSTRATCOM)作戦計画(OPLAN)8010108という文書を読んで、六つの核攻撃の対象があるとしている。中国、北朝鮮、イラン、ロシア、シリアで、もう一つはクリステンセン氏が戦略司令部の核戦略専門家に尋ねたところ、「9・11のことを考えてみろ」と言われたという。よって、アルカイダなどテロ組織のことを指していると氏は推定している。
 アメリカは冷戦時代には単一統合作戦計画(SIOP)という名前の核戦争作戦計画を維持していたが、冷戦後はOPLAN8010を必要に応じて更新し、核抑止力を維持している形である。「108」というのはブッシュ前政権時代の二〇〇八年に改定された文書という意味。オバマ政権になってさらに一部変更を加えたと。いずれにせよ、オバマ大統領は決してナイーブな核廃絶論者ではない。
 続き→春名幹男著 『米中冷戦と日本』③