てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

フォーリン・アフェアーズ・リポート 2012/2

フォーリン・アフェアーズ・リポート2012年2月10日発売号/フォーリン・アフェアーズ・ジャパン


長くなったので分割します。前編は基軸通貨の話です。

特集 金融危機 第三幕―不安定化する国際通貨システム
国際通貨システムの未来― 再現されるのは1930年代か1970年代か
/バリー・エイケングリーン

 国際通貨システムはドルとユーロという二つの通貨に依存している。各国の中央銀行や政府の外貨準備資産のほぼ90%はドルかユーロ建てで、IMFとそのメンバー国間の取引に用いられる国際準備資産である特別引出権(SDR)の80%もドルとユーロで構成されている。世界の外貨建て債務証券の四分の三以上もドルかユーロ建てで発行され、世界の外国為替市場における取引の約三分の二もドルかユーロで決済されている。ドル・ユーロの危機はすなわち国際通貨システムの危機。1930年代と1970年代の通貨システムの崩壊があり、前者は国際的な経済制度の破綻に至ったのに後者はそうならなかった。今回はどちらか?という話。

 ブレトンウッズ崩壊は世界経済の成長を大きく減速させることもなければ、金融市場を大きく不安定化させることもなかった。たしかに、1970年代の通貨システムの崩壊によって1973~1975年に米経済はリセションに陥ったが、その余波は、1930年代のシステム崩壊による経済、金融危機の衝撃とは比べようもないほどに小さかった。アメリカは低金利政策を維持したが、ドルからの大規模な資本逃避は起きなかった。それどころか、ドル建て外貨準備のシェアは上昇し続けた。

 実際、1970年代を通じて、国際的な貿易と金融の成長にブレーキをかけるような流動性不足は起きなかった。オイルマネーをもつOPEC諸国も、他に資金を預ける適切な場所がなかったために、資金をニューヨークの銀行口座に預け続けた。アメリカの商業銀行は、この資金をラテン・アメリカや東ヨーロッパヘのドル建て融資として循環させた。世界の貿易は経済生産の倍のペースで拡大し、先進諸国間、先進国と途上国間の資金の流れも拡大し続けた。

 なぜ、1930年代と1970年代の通貨システムの崩壊はかくも異なる軌道を描いたのか。1970年代の場合、米経済は問題を抱え込んでいても、ドルヘの信任が完全には失墜しなかった。むしろドルに対する不安は米経済のインフレ率が二桁代に達した1970年代末に高まった(これは連邦準備制度理事会議長ポール・ボルカーが、金利を引き上げて融資を制限すると沈静化した)。

 また、1970年代の制度崩壊時には、ドルに代わる選択肢が見あたらなかったことが大きい。他国の金融市場はアメリカに比べてはるかに小さかったし、各国の中央銀行はインフレと輸出競争力の低下のを恐れて自国通貨が買われるのを嫌がった。理屈の上では、SDRがドルの代替機能を果たす余地はあった。しかし、1970年、71年、72年に3度の発行を経ても、金以外の外貨準備に占めるSDRのシェアは10%にも達していなかった。企業、銀行、政府の国際決済はドルで在り続けた。

 この意味において、1970年代の経験は、(準備通貨への信任が失われない限り)国際通貨システムの崩壊が必ずしも世界の貿易と金融を壊滅的に混乱させるわけではないことを示唆している。

 ドルとユーロの信頼が低下している今、代替策が模索されるも、魅力的なそれはない。金本位は価格の不安定さから不可能。各国の中央銀行が外貨準備を二次的な国際通貨へとシフトさせていくことはありうる。(スイスの金融グループ)UBSが最近実施した各国の中央銀行幹部を対象にした調査によると、ほぼすべての中央銀行の責任者たちは、ドルやユーロから離れて、外貨準備を多様化させたいと考えている。最近のIMFのデータをみると、2010~2011年に、ドル建てやユーロ建て以外の外貨準備の比率は11%から13%へと上昇している。
だがこのくらいでは、1930年代のような二次的な国際通貨が外貨準備の主流を担っていくことはない。

 アメリカやユーロゾーンに及ぶ程の市場規模がない国ばかり。相対的な大きな規模をもつ日本の国債市場でさえも、アメリカとユーロゾーンを併せた国債市場の七分の一にすぎない。
 もちろん、スイスフランを大量に購入することで、投資家がその為替レートを上昇させて、スイスの債券市場の規模を相対的に大きくすることはできるが、スイス国債が大量に買い込まれ、為替レートが上昇すれば、スイスのような小国は輸出競争力をめぐる問題を抱え込む。資金がスイス・フランにとどまり続けるとは考えにくい。
 (国際決済の手段としての)準備通貨の使用についても外貨準備と同じ。銀行や企業が国際決済のより多くをスイス・フランで行うようになれば、スイスの通貨当局は、実際に使用される以上のスイス・フランを準備しておかなければならなくなる。大規模な資金がバランスを失した形で小さな経済に流入してくれば、マクロ経済上問題がある。さらに、スイスで外国銀行のプレゼンスが急激に拡大すれば、危機に陥っても、政府が救うには大きすぎる銀行部門が出現する。このシナリオを懸念する金融当局は、すでにスイスの銀行により多くの資本を留保するように求めている。

 では、規模が大きくなりつつある中国はどうか?人民元の国際化(中国人民銀行が外国の中央銀行との間で現地通貨と人民元を交換するスワップ協定や2010年8月各国の中央銀行人民元保有し、中国の国債に投資することも可能になった。)が進んだが、国際金融取引において人民元がどのくらいのペースでシェアを伸ばしていくかはわからない。中国経済の規模は大きいが、金融市場はまだ整備されていない。その債券市場は3兆ドルを超える程度で、アメリカのそれの十分の一にも満たない。日本と同様に、国内の投資家が政府系債券、民間債券のほとんどを満期まで保有し続けるために、市場流動性に乏しい。発行残高に占める年間取引の比率は、アメリカやヨーロッパのそれに比べれば、ほんのわずか。要するに、中国は外国の投資家に開放された奥深く流動性の高い債券市場を依然として整備できていない。これではユーロ・ドルに代われない。

 さらに中国政府は、2020年までに上海を国際的な金融センターにしたいと考えている。取引量的に増やすという意味なら目的は実現するだろうが、上海を一線級の国際金融センターに変貌させ、人民元を金融領域におけるドルやユーロのライバルにするか、せめてこれらを補完する存在にするという意味なら、中国は金融のインフローとアウトフローに関する規制をすべて撤廃し、為替を自由に変動させなければならない。銀行を政治的な融資インセンティプから解放して、商業的活動に専念できるようにする必要もある。当局はこれらを含めて、対中金融投資に派生する懸念のすべてを排除していかなければならない。それには経済モデルを抜本的に代えなくてはならず、少なくとも今後10年は難しい。
 貿易金融領域で大規模な輸出相手国の通貨を決済で使うようになるだろう。特にその通貨の切り上げが予想されるならなおさら。だが、人民元を国際的ツール、そして魅力的な外貨準備のための通貨にするという試みを進展させるのは簡単ではない。

 60年代末から1970年代初頭にSDRが導入されたようなことになるのも考えづらい。中国人民銀行の周小川総裁やジョセフ・スティグリッツも「SDRのような国際準備資産の役割を拡大させていくべきだ」と提言しているが、これは進まないだろう。ケインズもブレトンウッズで人工的準備資産(バンコール)の導入を求めたが、40年以上経っても、SDRの国際準備に占める比率はわずか3%程度。その理由はSDRの配分合意が難しいから。世界経済に占めるウエイトで配分を決定すれば、その対象は主要先進国だけになってしまう。一方、必要性に応じてそれを決めれば、そのほとんど、あるいはすべてが貧困国に配分されてしまう。
 国際決済に用いられるようになるとも考えられない。企業が
SDR建ての輸出決済を受け入れるには、現地通貨と交換できるようにSDRの交換レートを定める必要があるし、商業銀行がそのような決済サービスを提供しなければならなくなる。企業も銀行もSDRの導入に関心がなければ、他の誰かがSDRを進んで保有し、流動性のあるSDR先物市場を形成し、企業や投資家に現地通貨とSDRの交換レートの変動リスクに対するヘッジを提供しなければならない。企業が社債SDR建てで発行するには、それを購入するバイヤーを見つける必要がある。だが、契約を国の通貨建てで結んでいる年金基金や保険会社などの機関投資家が、特定の通貨に対して値を下げる恐れのあるSDR建ての社債を引き受けることはほぼあり得ない。


 まあ、要するに30年代のようなことは起こらないってことですね。ドルやユーロがぐらついてるからこそ、人民元云々言われるんでしょうけど、経済構造的に無理ですから、ドルやユーロが危機になれば、中国もその影響を受けて無事にはいられないでしょうからね。人民元も中立性の強いSDRもネクス基軸通貨としてはまず難しいということですね。日本の金融市場をもっと取引市場として魅力的にしないと!ってここんところず~っと言われてますけど全然進まないですね。



人民元の国際化路線を検証する― 中国のドル・ジレンマと経済モデル改革論争 /セバスチャン・マラビー、オリン・ウェシングトン


 ドルは準備通貨に期待される価値の保全という機能を提供できず、価値は低下し続けている。為替相場が導入されて以降、アメリカの主要貿易相手国の通貨に対してドルは価値の4分の1を喪失している。特定の消費財の購買力という指標でみても,この40年間でドルは価値の5分の4を失っている。
 といっても、人民元は準備通貨としてドルに取って代わるというのは誤り。ユーロ、日本円、スイスフラン、英ポンド同様に二次的な準備通貨の地位に留まると考えるのが妥当。
 北京の人民元国際化政策は、十分に考慮された一貫性のある戦略ではなく、むしろ、金融改革の規模とスピードをめぐる中国の政策サークル内の亀裂を映し出している。この政策からは深刻な内部抗争が見える。

 台頭する大国は、自国通貨を国際化しようとはしない。むしろ、その逆を試みることが多い。戦間期アメリカも1970年代のドイツと日本もそう(もちろん後に国際通貨となっていったが)。米独日とも外国人が自国通貨を保有することで通貨価値の上昇=輸出競争力の低下を恐れた。また貿易大国として台頭途上にあった当時の米独日の国内の金融システムは厳格に規制されていた。政府は銀行の預金金利を抑え、年金や保険の投資機会を制限することで、資本コストを抑制していた。貸し手(預金者)に低金利を押しつけることで、低資本コスト開発モデルを成立させていた。当然国際化を進めればこのモデルは脅かされる。

 米独日とも率先して国際通貨という地位を求めたわけではなかった。アメリカは1872年には経済規模においてイギリスを上回るようになったが、ドルが国際通貨としての英ポンドに取って代わり始めたのは第一次世界大戦後になってから。完全に変わったのは第二次世界大戦後。戦後もアメリカはドルの新しい地位に無頓着だった。1970年代に金本位制を放棄し、国内経済を刺激するためにドルの国際的な名声を犠牲にした。
 日本も、ワシントンの圧力に抗しきれなくなり、アメリカの金融機関が日本市場に参入し始める1980年代まで、円の国際化を拒み続けた。独マルクは準備通貨の一つになったが、これも、外国人がマルクを保有することを望んだからで、ドイツ当局が積極的にマルクの国際化を模索したからではない。

 膨大なインフラを建設する国有企業、及びそれにつながりがある政治力のある借り手は有利な資金アクセスを手放したくないし、地方政府にとって地域雇用の多くを依存している輸出企業も、今の為替レートを維持したいと考えている。一方、人工的に抑制された金利配当しか得られない預金者、高い輸入品を買うしかない消費者など、改革に利益を見いだすグループの政治的影響力はあまりない。
 金融危機前は、「経済モデルの改革は人民元の切り上げを求めるアメリカの要求に屈服することになる」と否定的にとらえられていた。だが、金融危機によって中国の脆弱性が浮き彫りにされた結果、改革を求める議論はこれまでになく「愛国的な」意味合いを帯びるようになった。この環境において、改革派は「危険なドル覇権に挑戦する愛国者」として自らを位置づけられるようになった。愛国という言葉で改革政策を実行しようというのがまあ中国らしい発想ですね
 中国の研究者たちが「ドルの罠」と呼ぶ現状批判は広く受け入れられ、「ドルの罠」論への対策として人民元の国際化が公的目標に据えられている。こうして中国政府は二股をかけ、現実には両立し得ない道を歩んでいる。輸出を促進しながらドル建て外貨準備を減らし、預金者の犠牲のもとに低金利融資を特定の企業に提供しながら、国内消費を増大させることを目指している。
 人民元の国際化が公式な政策目的とされたのは、改革派と主流派との長年にわたる議論が決着したからではなく、人民元の国際化によって議論の境界線が分かりにくくなり、「少なくとも短期的には」、意見の異なる勢力が連帯できるようになったからにすぎない。

 こうした政策サークル内の対立の結果、非通常型の一連の改革が実施されている。エコノミスト伊藤隆敏が説明するように、抑圧的で自己完結型の金融システムを開放する最良の方法は、まず国内の金融改革を始めることだ。巨大な外国資本が国内金融システムに出入りするようになる前に、銀行は資本を充実させ、政府は競争を促せるように制度と規制を改革しておかなければならない。急激な価格変動を防ぐには外国資金を吸収できる大規模で十分な流動性をもつ債券市場を整備しておく必要もある。さらに、破滅的な横並び行動を防ぐ多様性を育むために、異なる時間枠、投資目的、世界観をもつ、様々な投資家を魅了しなければならない。
 このように国内金融システムを十分に整備して初めて、金融を自由化して、外国資本の流入を認め、為替レートを変動させ、自国通貨をオフショアで流通させられるようになる。つまり、通貨の国際化は改革の最終ゴールであって、最初に行うものではない。
 中国はこうした順序を踏んでいない。中国政治の主流派はいまも迅速な国内金融改革と為替レートの自由化を拒絶し、一方の改革派も標準的な条件を整備せずに通貨の国際化を進めようとしている。2008年の胡錦濤のスピーチ以来、中国はアルゼンチン、ベラルーシインドネシア、 マレーシア、韓国を含む13カ国との間で、象徴的な意味しかない通貨スワップ協定を結んだ。2011年9月には、ナイジェリアの中央銀行が5―10%の準備資産を人民元建てにすると表明した。
 だが、もっとも重大な改革は、2009年4月に中国政府が東莞、広州、上海、深釧、珠海の5都市に香港との貿易を人民元で決済することを試験的に認めたことだろう。2010年6月、この実験的措置は20の省、都市、自治区に、2011年には全国へと拡大適用された。専門家の一部は、その結果もたらされた人民元決済による貿易の爆発的拡大を人民元国際化路線の成功として称賛したが、ドイツ銀行のピーター・ガーバーが言うように、その拡大は明らかにバランスを欠いており、想定外の深刻な結果をもたらしている。人民元が対ドルで切り上げられると予想する外国人は、香港で流通している人民元(香港では本土の通貨と区別するためにCNHまたはCNYと呼ばれている)購入に血道をあげている。その結果、CNHは対ドルプレミアムがつくことが多く、中国政府が管理している公的な人民元ドル為替レートおよび中国政府の管理下にあるオフショア市場でのCNHの対ドル為替レートとのギャップが生じている。
 このギャップを前に、中国の輸入企業は、中央銀行の低い為替レートでドルを調達するのではなく、CNHで外国の輸出企業に代金を支払う方法を模索している。
 中国の輸入企業は、香港の為替レートを利用しようと、中国本土から香港のCNH口座へと人民元を移動させ、外国の輸出企業への支払いにCNHを用いている。外国人は人民元の切り上げを期待してCNHを購入するか、通貨投機に興味がなくても保有するCNHを投機に関心のある外国人へ売却している。こうして香港に人民元が積み上げられている。2008年の胡錦濤のスピーチ以来、香港での人民元預金額は10倍に上昇し、2012年末までには現在のレベルの4倍の3400億ドル程度へと増大すると予測されている。
 これは中国の政策立案者たちが意図した流れではない。理屈で言えば、人民元による貿易決済を認める規制緩和は、中国の輸出企業と輸入企業の双方に適用される。輸出企業がこの新しい自由をうまく利用すれば、香港のCNHは蓄積されると同時に枯渇していくはずだが、輸出企業は輸入企業とは逆のインセンテイブをもっている。輸出企業にとっては、香港を経由するのではなく、ドルで支払いを受け取って、ドルの価値を管理為替レートで中央銀行に売却する方が、メリットがある。
 そこにあるのは、「想定外の結果の法則」が示すとおりの現実だ。香港のCNH市場が開設される以前は、中国の輸入企業は中央銀行から外貨を購入し、これによって、中央銀行のドル資産の保有は減少した。しかし現在では、輸入業者は香港の外国人投資家から間接的に外貨を購入し、中央銀行のパランスシートにはドルが積み上がっている。
 言い換えると、中国の輸入企業がCNHを利用して代金を支払えるようになったために、世界の通貨市場から(中国の中央銀行が)ドルを購入するインセンティブが小さくなっている。中央銀行人民元とドルの為替レートを維持したいのなら、保有するドル資産を増大させることでこの効果を相殺しなければならない。ドル保有を低下させることが、中国が人民元の国際化を模索する理由の一つだが、皮肉にも、その結果、すでに膨大な規模に達している中央銀行のドル保有をさらに増大させるという現象が起きている。
 通貨の国際化路線は、このような皮肉な事態をもたらしただけでなく、コストも生じさせている。どこかの時点で中国が人民元の価値を抑制する路線をやめれば、ドルの人民元に対する価値は低下し、大規模なドル資産を保有する中国の中央銀行は大きな損失を抱え込むことになる。中央銀行がドルを保有すればするほど、潜在的な損失の規模は大きくなっていく。
 さらに中央銀行が追加的にドル保有を増やすには、人民元でドルを購入しなければならない。インフレを回避するには、この通貨総量の増大を債券発行や政府が利子を支払う銀行準備の受け入れを通じて「不胎化」させる必要があるが、これが、中国政府が負担するコストをさらに増大させる。不胎化の問題は、CNHの銀行口座にある資金がCNH債券を購入するために利用され、これらの債券発行者がその資金を本土へ送金すると、さらに深刻になる。香港市場が小規模である限りは、中国はこれらのコストをほとんど問題なく吸収できるが、当局が既定路線通りに人民元の国際化を推進し、しかも国内改革を実施しなければ、このコストはすぐにでも増大し、予期せぬ結果を管理していくのはますます難しくなる。

 ビジョンはあっても改革には積極的ではない。自分たちの政策は市場の要求へ対策をしているだけというのが今の指導者の姿勢。人民元による貿易決済を承認することは、たんに輸出入の業者また外国政府の要求に応じただけだという主張も、外国の中央銀行人民元スワップのごく一部しか利用していないという事実に照らせば、矛盾している。
 中国の指導者たちが矛盾する政策を合理化することに苦慮しているとしても、人民元国際化路線は破綻すると断定するのは間違いだろう。中国にはこのような矛盾をうまく管理してきた実績がある。ここで書かれている矛盾した政策の管理というのがどれだけ正しいかわかりませんが…。共産主義統制経済の自由化のための矛盾した政策の管理というのと通貨、金融市場のそれは同一に論じられるものなのでしょうか?中国経済の発展の限界点・臨界点に達すると個人的には見ていますが、そういう発想は著者にはないのでしょうか
 これまでも問題に真正面から取り組むよりも、現状を放置しつつ、代替策を育むことで改革を進めてきた。例えば、中央統制経済からの移行の初期段階にあった1980年代、農家は依然として毛沢東時代の生産割当に従うことを要求され、政府が設定した農産品価格を受け取っていたが、同時に生産割当を超えて生産した分については新しく誕生した自由な市場で販売することが許されるようになった。最近でも、民間企業が国有企業と共存し、中央統制型の5カ年計画が、自由な資本主義経済の一方で進められている。さらに、大陸では改革の緒についていない管理された資本市場が存在する一方、香港では人民元の資本市場の拡大が容認されている。こうしたポリシーミックスは首尾一貫していないかもしれないが、最終的には効果を上げるだろう。
 実際、矛盾が有利に作用することもある。矛盾する路線を共存させることで、変革の実験を行いながらも、その副作用が許容できなくなれば撤退するというオプションを温存することができる。矛盾を受け入れているがゆえに、政策立案者たちは香港市場の発展を育んでいけるし、この試みを通じて、通貨市場を機能させるために必要な制度を香港で段階的に構築していくことができる。中国と外国の企業が短期および長期のCNH債券を発行すれば、市場が決定するイールド・カーブが形成されることになり、中国の投資家は金利裁定の真髄を学習し、この市場を利用する中国企業は財務管理のコツを習得できるようになる。このシステムを大陸で導入する前に調整したりテストしたりすることもできるし、一方では中国政府に有用な価格シグナルを与えることになるかもしれない。
 CNHの価値が対ドルで急上昇すれば、投機筋からの圧力が強くなっているという警告を当局に与えることになる。長期金利に比べて短期金利が上昇すれば、投資家が経済見通しに悲観的になり始めたことを示すシグナルとみなせる。資本規制が緩和されていけば、やがてはオンショアとオフショアの市場が統合されることになるかもしれない。
 もちろん段階的なアプローチが、自由なオフショア市場と規制されたオンショア市場との間に摩擦と亀裂を生じさせ、これが、中国政府にとって管理できない事態を作り出す危険もある。香港の外国人が保有する人民元の作用を相殺しようとドルを購入する中央銀行のコスト負担が増大し、中央銀行がそのコストを圧縮しようと人民元の価値上昇のペースを速めるかもしれない。だが、この予測を織り込んで投機筋が動く可能性は高まっている。そうなれば投機筋はさらにCNHを買い込み、悪循環が生じる。同様に、香港から本土へと資金が流入すればインフレを引き起こしかねない。エコノミストのロバート・マックコーリーが指摘するように、これはドルのオフショア市場が拡大した1970年代に資本規制を実施したアメリカと同じ事態に中国が直面することを意味する。
 だが中国の実験によってもたらされる利益がコストと矛盾を上回る可能性もある。そもそも中国は西洋の教科書的な開発処方箋の多くを無視しながら例外的な経済パフオーマンスを実現しており、中国が理屈通りに、そのうち必ず道を踏み外すとは断言できない。経済成長を例外的と見ているようですね、やはり中国経済の発展の限界点・臨界点に達するという理解ではないようです。まあ、それが主流というわけではなく、中国がこのまま成長を続けてテイクオフ
しなくても、ゆるやかに成長し続けて、経済先進国として安定する・軟着陸するという見方も別に特段変わった見方ではないですけどね
 仮にドルが人民元に取って代わられるとしてもそれはゆるやかに行われるため、中央銀行はリスクへの保険としてそのコストを受け入れるだろうと。まず、香港でそしてついで大陸で債券市場が育成される。達成されれば取引が多いアジア市場は人民元資産を保有するだろうと。そして仮に、米に並ぶ金融市場、金融覇権を握るようになるとしてもそれは相当長い時間がかかることだと。