てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

月500時間働いたからお前も働けという「すき家」教

最低賃金の話の続きのようなものですね。すき家の幹部が「自分は月500時間働いてきたからここまできた。今の現場のスタッフも月500時間働くべき」と言ったとか…。

 ワタミさんとか典型的ですが、努力教の信者にとってわかりやすい指標ですからね、~時間働いたというのは。彼らにとって何時間働いたかってのが大事、ゲームにとって重要なルールなんですよね。ですからそれをチャラにされるのを非常に恐れる。反対する人は甘えてる&怠けてるになるわけです。

 努力=成功ストーリーは彼らのアイデンティティですから、その物語が素晴らしい!と言われなくなること&今後それが通用しなくなることは、彼らにとって教義を奪われる事に等しいのです。絶対認めないし、批判・反対意見など受け付けないでしょうね。俺成功している、故に俺正しいという論理ですから。

 まあ、要するに多様な意見・正解というモデルがないんでしょうね。他者からこう見える、こういうモデルもあってこういう正解もあるという思考・視点にたてないということは他者の気持ちに鈍感であるということです。負けるまで過ちに気づくことはないでしょうね。

 むしろ、そんだけ働いてどうして、自分以外の働き方を求めている人が多いと気づかなかったのか。それに配慮しようと思わなかったのか…。完全に働く自分に酔ってますよね。秀吉が中国攻めたら100万石の土地を与えたるで!と言ったのに、大名が日本でいいので1万石くださいといった話を連想しますね。

 すき家の「月500時間労働」がどれだけやばいかは月30日勤務だと約17時間で月26日勤務だと1日約20時間!という数字でもう一目瞭然ですよね。別にあんたが一人で働きたけりゃ、それでどうぞですが、その分実際の給料の倍、特別手当とか出すのか、まあそういう話ですからね。そういうのも何もなしに働けというのはまあねずみ講に近い発想ですよね。

 やりがい詐欺ともいわれていますけど、結局それで頑張って、その分本当に見返りがしっかり保証されているのかという話ですよね。なによりバイトレベルをこき使う理由にならないでしょう。大部分の人は、そこそこ働いてそこそこ遊んで幸せな家庭を築きたいという人でしょうから、そういう人たちに合わせた職場を提供じていない時点で労働者からあそこはおかしい、異常だと叩かれて当然でしょうね。

 時給1500円でも応募なし! バイト獲得大戦争 というのを見ましたが、一端ブラックだというイメージが付いてしまえばもう取り返しがつかないということでしょうね。ワタミさんは今では方針を転換したらしいですが、未だに叩かれ続ける。悪しき教祖の権化として扱われるわけです。それはかつて公害を垂れ流して、企業イメージが失墜した図式と似ているんじゃないでしょうか?

 ハイ止めました、謝罪して賠償しました。それでもダーティーなイメージは拭い切れないというね。過去にそういうことをやらかした企業、組織ならまたいつそういうことを行ってもおかしくない。そういう不条理なことを要求されなかねないという潜在的な恐れが人を呼ばなくなっているということではないでしょうかね?

 米のファーストフード店員が最低賃金あげろ!とデモをやっているとかみましたが、ブラック批判にブラック騒動は今後もまだまだ終わらない気がしますね。