てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

生活党の敗北と山本太郎合流に思うこと

 小沢さんは選挙区入りして走り回っていたとのこと。初めて比例重複にも名を連ねて危機感ありすぎ!と茶化されたりしていましたが、これは政党要件の直近の国政選挙で2%の票を獲得すれば、議員が5人いなくても政党として認められるという条件があるんで、重複立候補はそのためでしょう。仮に比例復活ということになれば、前から言ってる通り、その任期で引退されるでしょう、多分。

 しかし、なんで小沢さんに必要以上に敵意や悪意を向ける人が多いんだろうか…。まあおざーさんに限ったことじゃないのでしょうか。いたるところで、いたるときに、自分の支持しない政治家に対する悪口があふれていますからね。改革を実行できなかった、少数政党となって組織を維持できなかった。それだけで十分だと思いますけどね。善悪で考えたがる人が多いということでしょうか…。

 まあ、そういう言動は己の品性を疑わせることになるので、慎むべきでしょうね(政策批判は大いにやるべきですが)。

 みんなの党社民党の地方組織は草刈り場。それを生活がどのように取り込めるかがポイント。まあみんなの方は維新にさらわれそうだけどね。社民系も民主に行こうと思えば行けそうだし。まあ新党大地が地方政党化を図ってるように、まずは地元をしっかり抑えることですかね。
 ―なんてことをツイートしていましたが、どうみても生活党の方が草刈り場状態になっていますね。まあ地方組織がしっかりしているという感じでもありませんが。

 今回の選挙で思ったのは、政党要件の2%を満たすために比例票を集める必要性があるにも関わらず、北海道や中国・四国などで立候補自体がなかったこと。これでは票の掘り起こしどころか、そこにいるコアな支持者も票を入れられなくなってしまうのでどうにもならないでしょう。

 今の感じを見ていると民主か維新か、再編の流れに乗ってちょっとでも大きい組織に入り込もうという感じでしょうね。小沢さんの手腕も母体、ある程度の規模がないとどうにもならないでしょう。たぶん今必死で工作している最中なんでしょうね。

 しかし、新党名山本太郎となかまたちってのは何なんでしょうかね…。山本太郎さんは知名度という点ではいいんでしょう。今回の改名も個人的には反対ですが、少数政党で話題性がない。取り上げてもらってまず知ってもらうという点では意味がありますからね。しかし他に入ってくれる人はいなかったのか…。まあ今のところは脱原発系の人くらいしか熱心に支援してくれなさそうだし、いいのかな…。

 政党名に個人名が使えないんじゃないか?と思いましたが、「生活の党と山本太郎となかまたち」は、党代表でないから大丈夫。公選法で禁じられているのは代表者を連想するような名前ということみたいですね。

 未来の党で340万票だったか、そこから100万にがくっと落ちました。維新も1200万から800万か900万だったか、やっぱりガクッと減りました。有権者にとっては「分裂騒ぎ」というのは、まず失望に繋がるマイナスポイントのようですね。己は合流も分裂もその都度その都度の状況に応じて、柔軟に行われればいいという考えですが、政治に興味のない人わかりやすい過程と結果を望む人はそうではないようですね。

 自民党がいくら公約破っても蜂の巣をつついたようにならない世論、マスコミを見て分かるように、日本の社会風土では公約に従って政治家が動くという当たり前の民主主義の公理が働かないですね。

 民主主義は公約、政治家と民の契約である―この基本すら守れないというね…。

 新党「野合」が誕生した時は、自民が割れるまではまず分裂できないでしょうね。それこそ橋下さんが登場した時のように、強力な新リーダー候補が出てこないとまず無理。

 民主党分裂の時、結果としてはマイナスでしたが、公約を守れない・お互いの公約感にズレが生じたのだから分党は至極当然の行為として評価しています(まあ分裂しなかったとして、小沢さんが民主党に残ったとしても同じだったと思いますけどね)。おかしいのはそれでも選挙互助会として存続し続けようとする自民党の方で。自民AとB、民主AとBで割れて、4大ならぬ4中政党制としてその都度その都度連立を組み替えて行くスタイルのほうがいい気がしますね。

 二大政党制というのは米英しかり大味な政治になってしまうので、昨今の小選挙区選挙でシングルイシュー選挙が目立つように、よっぽど小選挙区制がうまく機能しない限り、二大政党制というのはよくないと見ています。一度出来てしまうと政党が入れ替わらないですしね。

小沢一郎失敗の本質
 そんないつもの話はさておき、今回は珍しく小沢さんへの疑問というか批判。中村喜四郎さんという人が無所属で異常に強いということで気になりましたが、調べてみたら郵政造反の人じゃなくてゼネコン事件で逮捕・有罪判決を受けた人。そしてこの人は元小沢さんの盟友だったとか。

 リクルート事件でも日歯連事件でもなんでもいいですけど、そういう汚職事件で政治家が逮捕されて失脚させられるという事件は枚挙に暇がなかったわけです。鈴木宗男さん然りね。そういうことがこれまで何件も何件も起こってきた、まあ本当に業界関係べったりで不健全な関係だったかもしれませんが、政治家をいつでも好きな様に殺せるという政治図式はいたるところに存在してきたわけです。

 田中角栄の愛弟子であり、後継者といえる彼が、その危険性を知らなかったわけがない。そして実際苦しんできている政治家を見ているのに、それに対してどんなことをしてきたのか?中村さんなんかどうも、政策にズレがでたから「もう連絡してくるな」と関係を絶ったようですが、それがどちらが悪いかは別として、苦しい時に手を差し伸べることがこれまでどれくらいあったのでしょうか?

 もう二度と「角栄ケース」を出すな!とちょっとでも疑わしいケースがあれば、ささっと手を回す、そういう支援団体・組織を作っておいて援護・協力するといった発想はなかったのでしょうか?自分の政敵であろうと疑獄と疑わしき件については、村八分の残り二分の条件として救おうとする。そういうことをどうしてしてこなかったのでしょうか?敵でさえ救おうとすれば、政界での評判もまた違ったのではないでしょうか?

 政治家は関係が切れるときも綺麗に別れなくてはいけない、綺麗なケンカをしなくてはならない。果たしてそれができていたでしょうか?

 自分が二十年後総理大臣になった時、角栄と同じようにロッキードみたいな形で殺されかねない。そのための防衛線を何故貼って置かなかったのか?もちろん、あの検察の捜査は異常で、政治資金を一円までしっかり公開するという対応をしていた。それでも万万一に備えて「政治家」という枠組みで防衛ラインを構築しておくべきだった。それがないから結局今ここまで苦しむことになってしまったのではないでしょうか?

 無論、そんなのあとづけ理論で己が氏の立場にあったらそんなうまいこと出来たとは限りません。ですから偉そうなことは言えないのですが、基本的に歴史は個人では動かない。誰か一人英雄が死んで組織が崩壊するようなら、そんな組織は決して成功をつかめない。小沢さんの組織はそのような個人頼みではなかったか?自分が総理になれば万事おkと楽観視していなかったか?

 『からくりサーカス』でナルミが、「俺がダメでも、また次のしろがねが、そいつが倒れてもまた次のやつが…」って言ってたみたいに一人のトップが倒れてもその成果が次に引き継がれないとダメなわけです。社会的な基盤・風土がなければ健全な組織は生まれない。その組織を作るためにきっちり社会基盤・風土に目を向けていたか?小沢さんに勢い・力があった時にそこに目を向けていなかった気がするんですよね。

 今回新人議員にかなり追い詰められたというのは(まあそれでもまだまだ余裕っぽいですが)、これまでの選挙基盤の高齢化が進んで支援団体が弱まっているという話を聞きましたが、結局自分はそこで絶対勝てる!ということにのみとらわれていなかったでしょうか?自分じゃなくて同志・同輩・後身が安定して勝てるような状態にしなければ政権取れないし、選挙で勝てないから仲間も袂を分かつしかなくなってしまうわけですからね。

 至誠天に通ずという形で楽観視していた気がしますね。小選挙区制や党首討論よりも「自由選挙」でしょう。憲政の常道を理解している、多分現今No1政治家である小沢ですら自由選挙によって、民意を勝ち取って政権をつくろうと考えなかった。これはかなり日本の政治の未来について絶望的なことかと思います。だって橋下さんとか民主のニューリーダーとか、自由選挙の重要性について理解してない感じですもんね。口を開けば「自由選挙!」で、そうじゃなかったら重要法案飲まない!絶対譲らん!という態度でないですもの。

 まあ、要するに次の世代も「小沢ケース」という失敗例を活かせていないということですけどね。それとやはり小沢さんは高度経済成長期の政治家ということでしょうかね?長期停滞・低迷期の時代を生きてきた政治家ならまた違ったかもしれませんね。記者クラブや・国策捜査なんていうのが注目されだしたのもつい最近、ここ十年くらいの話ですし。周囲が政治に関心が薄くて困る!なんていう風土・環境じゃなかったかもしれません。当時の常識から優先課題が別にあったということで。

 田中角栄小沢一郎という先人を見習って、次期政治家は未来の日本政治のために対策をきっちり取って欲しいですね。メディア問題・自由報道に自由選挙。これをやらずして日本の民主主義・政治の健全化は起こりえないでしょう。