てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

共産党の話、無派閥・ブラック・草刈り場

躍進して驚いたこともあり、またまた共産党ネタ。

 昔の自民党良かれ悪しかれ、総裁の首をあわよくばとって自分がリーダーになるという野郎が昔から居た。それが議論の幅の広さと豊富な人材を生み出していた。対照的に共産党に志位さんの首取るくらいの人がいるのだろうか?
 ―という感じのツイートを見て思ったこと。自民党に今そのような人材を輩出するシステムがあるのか?多様な派閥から人材を生む機能があるのか?と言われれば…。

 それはおいといて、そもそも共産党の派閥ってどうなっているのか?勝とうが負けようがトップがまるで変わらないのだから、まともな派閥機能すらなさそうですが。そういえば昔、派閥が悪い!的な論がありましたが、派閥なき組織なんかありえないという当たり前のことを教えるのには、派閥がないのは共産党公明党だけですよという殺し文句があったことに、今さら気づきましたね。うーん、こんなことも気づかないなんて、ぐう無能。

 ちょっと話が変わって、難病対策で各党の公約を読み比べて調べた人曰く、共産党が一番弱者のための視点からの政策について詳しく書かれていたとのこと。他の政党もあまり熱心ではないが、同じ層をターゲットにしている生活にそれがないのはやや意外の感アリ。

 (※そんなことをつぶやいたら、難病の患者団体が共産党の支持基盤になっているということを教えていただきました。患者の声に耳を傾け厚労省との窓口になるという地道な活動で票に結びつけるということもポイントですね。しかし、医者とかを自民党が支持基盤としているのに、そのカウンターとして難病患者団体を民主党などが支持基盤にできていないのは不思議でしかたありませんね。
 まあそれは米などと違い医療保険がある程度機能していたこととかが関係していたのかもしれませんが。民主や生活は今から「我々のほうができます!」と支持基盤を開拓していくべきでしょう。)

 その人は地元の公共事業についての共産党の姿勢が知りたくて講演会に足を運んだ。そこで来ると言われていた小池さんがドタキャンして来なかった。それについて、事前告知もなくドタキャンとは!とプンスコしたが、どうでもいいとすぐ思い直した。なぜならば「共産党の人は言うことが皆一緒だから、誰が来て喋っても同じだ」―とのこと。己は膝をはたと打った。

 そうなんですよね、共産党の人ってみんな同じことを言うイメージなんですよね。政党助成金とか内部留保とか、何故皆同じことを同じ切り口で論じるのか?まあ最低限の共通認識であればそれはいいのですが、安保政策や経済政策で派閥が存在する、多種多様な意見が存在するイメージがまるで無い。

 公明党の方が、まだ政治家によって政策の違いが存在するのでは?と思ってしまうほど。政党は一枚岩で無くてはならないといいますが、一枚岩すぎるのもまた問題。なんというか共産主義という組織の代弁者であり、各選挙区を代表する「代議士」の要素が小さいんじゃないか?という気がしますよね(そりゃ小選挙区で勝てないわけだ)。


 創価学会(支持母体)→公明党(政党)
   ????(支持母体)→共産党(政党)

 ―とするならばどんな構造になるのだろうか?共産主義者?ではその共産主義者を束ねる組織は一体どういうメカニズムをしているのか?いまいちピンと来ない。まあ前者と違い「教団→政党」ではなく後者の場合政党・政治結社が先に立つからだろう。

 政党と支持基盤・階層関係が良くわからない。セオリーで言うと労働者で、中国ならば中国式で農民ということになるんだろうけど、日本の場合そういった広い階層ではなく「共産党員」って感じですよね。トップが東大出身縛りとあるように共産主義が「偉い人の教え」「経典」として機能してないですかね?

 特定の地域・地方や、階層=中か下クラスの農民・労働者、もしくはもっと細分化されたクラスを基盤にしてその上で共産主義が薄く乗っかっているという感じにならないと、まあこれ以上の広がりを得ていくのは難しいでしょうね。中心となる狭いピンポイントの基板があって、核があって、その周辺に薄い大衆の支持が集まらないといけませんからね。今のままだと公明のように創価以外お断りのような感じになってしまいますからね。まあ今さらですが。


 最後に、共産党の問題として、共産党自体のブッラク体質について(ブラックがなんでブッラク担ってるんだろう?グッドラック的なシャレかな?)。次のようなツイートを見かけました。「私は過去に共産党員だったが、派遣社員で収入が少ないのに、毎月5000円近く徴収された。また街頭宣伝やビラ・ポスターなどもタダで行なわさせられた。」
 「政党交付金を受け取らない」とデカい態度がとれるのも、「赤旗」の売上や支持者のカンパがあるから。少年時代に無給で赤旗配らさせられてた私は、何を人事みたいに言うとんねん。お前らんところもブラックやろと腹が立つ」*1

 ―というツイがありました。共産党が躍進を遂げれば、遂げるだけその党内体質がクローズアップされる確率が大きくなる。新規党員が増えて血の入れ替えが進めば組織の運営について疑問の声が多くなるのもまた当然。いつかブラック政党共産党として問題になる日も近い気がしますね。もし、1000万票超えたら、間違いなく問題が日の目を浴びて、どこかがそれを取り上げるでしょう。

 民主でも生活でもどこでもいいですが、脱「共産党員」・脱「共産主義者」を取り込まないといけない。共産党という政党が今支持を集めて票を伸ばしている。10年後かわかりませんが、党員となって熱心に政治活動に参加してくれている人達は、政権を取るかそこそこの規模で一定の影響力を及ぼして法案修正や野党案を飲ませるといった成果を挙げられない限り、共産党を見放すでしょう。

 そしてそれは間違いなく起こると思います。ですから今のうちに共産党員が失望して、違う政治家・政党を支持するようにリクルートする。政治意識が高いからこそ党員になるのですから、勧誘してこちら側に引きこむということを考えておくべきかと思います。共産党の組織をまるまるは無理にせよ、一部を乗っ取ることを虎視眈々・着々と進めておくべきと思います。

 彼らは原理原則で必ず失敗する、実行能力がない。実行能力があるのは我々の方です!と今から外堀を埋めて地味に、着実に政党員を口説き落とす準備をしていくべきと思います。要するに将来必ず草刈り場になるということですね。失望させて野に返してしまうなんてもったいないことこの上ないですから、今から彼らの受け皿に、帰る巣になることを考えて「巣作り」を実行すべきでしょう。政治活動を始めた雛鳥が帰ってくる巣をつくることがポイントですね。

*1:今更ながら思いましたけど、政治活動・行為ではなくて、宗教活動・行為なんですよね。この見返りを求めない精神・行動様式というのは。個人が勝手に信教の自由に基づいてそういう行動をする・献身をするのは個人の勝手。特に問題に値しませんが、問題はそれを人に要求して平然としていること。自分は無報酬で結構です。しかしあなたが望むのでしたら、きっちりと対価・報酬をお支払いしますという常識・メンタリティが彼らには欠けている。故に宗教・信者であるとみなせることが出来るわけですね。当然、まっとうな人は政治をやっているわけで、そこには対価=「現実を自分が望ましいように変革する」という見返りを要求して活動しているわけです。その見返り・対価が払われず、いつまでも「お布施」を要求され続けたりすれば、「私は政治活動に参加したのであって、宗教活動・団体に参加したのではない。入信した覚えはない。もううんざりだ!」となってしまう。「信者」である彼らにはそれが理解出来ない。で、当然の帰結として信者と政治活動員との破綻・衝突を興すことは容易に想像できますよね。入口は政治、出口は宗教ということになればその体質の不健全性がこれまで以上にアピールされてしまう。その時、共産党は一体どうなるのでしょうか?それでもいつまでも変わらずに「教団」のままであり続けるのでしょうか?