てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

SEALDsが批判に対して激怒した件

 SEALDsのデモを批判したとかしていないとかなんたらかんたらありました。個人的にデモの内容はともかく、それ自体については好意的に見ていました。しかし、今回の一見で、ああやっぱりやらかしてしまったか…という残念な気持ちになりましたね。

 どなたか学者がデモのスピーチについて、この点で問題がないだろうか?という形で言及したらしいです。それについてデモ関係者・支持者が、批判しやがって!ふざけんな!謝れ!という風に絡んでいたわけですけど、批判じゃなくてあくまで個人の「意見」「見解」に過ぎないのに、そういう基本的なことがわからない人が多いんでしょうね。

 なんというか、ピラミッドのてっぺんをその発言とすると、その土台の方にその真意・本当に言いたいこと、思想の背景があるわけですよね。その土台が見える人には、なんとも感じないことでも、それが見えない人には侮辱や罵倒に見えてしまうんでしょうね。

 批判されたから、ゴルァ!ってやってたら、ヒかれて敵を増やしてしまうだけと何故思わないのかしら…。イラッと来るのをグッとこらえて、「失礼ですがこれはどういうことでしょうか?」と丁寧にやらないと自爆しますよ。

 この件について、マナーを守って丁寧に質問している人もいたんですけどね、それでも大勢でずっと粘着というかリプを飛ばしているんですよね、集団で。もし自分が相手側だったらという思考ができないのだとしたら相当問題でしょうね。実社会で、リアルで、質問をする時に普通はどういう態度をとるべきか?それを考えて質問ができないというのはかなり問題ですね。

 迷惑になるという自覚がない。そういう配慮ができないのは個人的にドン引きしますね…。こういう時には、団体を代表する誰か一人、責任者・代表者が手を上げて、その人もしくは2~3人に限定してやりとりをするような配慮がないといけないと思いますね…。大多数が一度にワーッとリプ飛ばしてきたら、相当ストレスですし、迷惑になるということに思い至らないのはね…。

 それでもちゃんと質問をするだけならともかく、罵倒や暴言を飛ばすのですから、何をか言わんや。

 オキュパイデモでも参加者が普通に批判をしていた。大きな集会ならメディアが取り上げて批判をするのは当然あった。スピーチを批判をしただけで怒るというのはおかしくないだろうか?という意見を見ましたけど、そのとおりですね。そういえば日本のメディアはデモを批判したことってありましたっけ?全体を頭ごなしにダメだ!なんていうのはおかしいですけど、この部分については主催者は反省するように―という指摘をして、デモすらもきっちり評定するメディアがないとデモの成長というものもないですよね。これは日本のメディアの問題でもありますね。

 デモをやってわかったが、デモをやると自分の生活と両立ができなくなる。大変だ!努力をしている自分たちを批判するとは何事か!というのを見ました。こういうの見ると、本当に小林よしのりの『脱正義論』の頃から変わってないんだなーと思いましたね(薬害エイズの人が疲れて休んでいる時に、運動している人が何怠けているんだ!お前も運動に参加しろ!と食って掛かったとか、運動をする人間の異常性を取り上げてあるんですね)。学者は何もしてないだろ!って学問侮辱する姿勢は、安保法案並に危険な思想だと思いましたね。

 自分は努力している、人のために頑張っている。その事自体を賞賛することと、間違っている点について指摘されることとはまるで別物だということに思いが至らないというのは大問題ですね。そんなこと言い出したら、国のために&国民のために努力しているエリート、官僚は素晴らしい。だから批判されるべきではない、間違えて一部の人に被害をもたらしても許されることになるでしょうに。ハッキリ言ってその姿勢は傲慢ですよね。

 そもそも批判を許容しないのっておかしくないでしょうか?侮辱・非難と批判は違うでしょう。誰だって批判されるし、批判する。その自由と権利がある。当たり前ですよね?それに対する反論も当然自由。どうも議論のルールを知らない人が多いのではないでしょうか?

 噛み付いている人のなかの意見で「支持しているのはあなたの周りだけ、あなたの身内だけでしょ?」っていうのがあったんですけど、すっごいブーメランだって気づかないんですかね(^ ^;)。「構造」の話をしていると言ってるのに、それが何を指してるかそもそもわからないんでしょうねぇ…。

 「構造への一分析」に過ぎないもの・「一つの意見」に過ぎないものを、「絶対的な主張」と思い込む。それ以外の可能性を考えない人ってハッキリ言って無敵ですよね。もう「謝れ!」の一辺倒ですもん。女子が泣いて、「ちょっと男子謝んなよー、あんたの言葉が傷つけたのよ、泣かせたのよー謝んなさいよー」っていうアレにそっくりですね(笑)。

 デモをするのは正しいから、批判されるべきではないなんていう考えは甘いというかナイーブというか、いずれにせよそういう意見をもつべきではない。主催者は批判に対して、対応をちゃんと専門の担当者に任せるべきでしょう。こういう身内の不祥事に対しては、きっちり取り締まる体制がないと、デモの参加者にこういうことはしてはいけないんですよ!と教育できるようでないと、デモはいつまでたっても成功しないでしょうね。

 図らずとも、今回の出来事はデモというものが持つ欠陥を露呈した形になりましたね。デモの内部問題にどう対処するのか、それが出来なければデモは永遠にただ反対を唱えるだけの一過性の現象で終わることになるでしょうね。