てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

独が許されて日本が許されない本当の理由

 独が許されて日本が許されない本当の理由/石田勇治氏 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150725-
 こういうの見ていつも思うのは、周辺・隣国との関係を完全に見落としているなぁ…ということですね。日本が何かすれば何とかなったっていう例のアレ…。

 独が「許されて」、あるいは独が良好な関係を築くことができたというのと日本との対比はハッキリ言って無意味。もちろんちゃんとやれば意味はあるんですけどね。大体こういうことを言い出す人は、独だったり、日本だったり、その国の主体性を強調しすぎるんですよね。日本がちゃんと「正しい政策・外交」をしていれば「許された」とか、うまくいっていたというのは虚妄・幻想ですね。

 隣国との関係、周辺情勢・国際情勢を考慮すれば、日本が当時取った以外の選択肢を取っていたらなにか変わったかと言われると、そんなことありえないとしかいえない。日本が取るべき外交政策をとっていたら関係が好転するorしないというのが、既に日本中心史観であって分析には不向きですね。

 当時の韓国がどうだったか、中国がどうだったか…、また二国間関係ではどうだったか?東アの地域秩序がどうだった?とか、複合的な要因がそこにはある。それらを無視して日本しか見ていない点で…。

 要するにあるべき理想を、自分の言いたいことを主張するために都合の良い所をのみピックアップしているだけに見えますね。


 あとついでに有斐閣の『国際法』の集団的自衛権の記述の話。

 有斐閣の『国際法』で集団的自衛権について、個別国家の武力行使を制限しようとしてきた時代の流れに逆行するとかなんとか、そういうものがあったらしいんですけど、正直、そういうのって余計な話ですよね。個人の主観・理想の主張をしてはいけないわけではないんですけど、どうかな?という気がします。

 個別国家による武力行使をできるだけ抑えよう・法の下での制度化の努力を図ってきたが、それが完全でないがゆえに集団的自衛権・同盟が認められている。その力学が未だに強いという現状を述べるだけでいいと思うんですけどねぇ…。

 理想を語っていけないわけではない、しかし理想を語るなら、現状の分析・システムや構造を論じて、解き明かしてその上で取るべき理想と現実のバランスを論じるのがマナーというかスタンダードであるべきだと思うんですけどねぇ…。どうもそういうのが未だに少ない気が…。まあ時代、そういう研究者が多いという傾向を反映しているということでしょうねぇ…。それこそ「学問史」の話になるのでしょう。

 何度も言いますけど、外交・国家の戦略・意思決定ってのは相手のリアクションあってのことですからね。そういう「~~が出来なくて残念ですねぇ」的な指摘をする場合、集団的自衛権を容認した国&容認させた・相手側&地域構造、それぞれを平等に非難しないと公平さが保たれないと思うんですよねぇ。

 まあ、書き手が変わらない限りそういう性質は変わらないでしょうけどね。今心配なのは、逆にもっと振りきれてしまって、集団的自衛権ドンドンヤリタマエ!みたいな書き手が執筆してしまうことでしょうかね。割りと親米的な人が、米の主張なぞってそのまま書くとかありそう…。

 まあ、そんな日本一国主義への批判、多国間の相関関係の視点を取り入れた分析がもっと増えればいいな(こなみ)と思った話でした。