てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

続、『日中関係史』(有斐閣アルマ)

日中関係史 (有斐閣アルマ)/有斐閣

日中関係史(有斐閣)の続きです。
 p127、53年1月の人民日報では、尖閣諸島は沖縄の一部と認めていた 78年公明党矢野の訪中、公明党と中国のパイプはこの時以来続いているということかな?76年毛沢東周恩来とトップが相次いで死去&ベトナム情勢を巡るソの脅威があって、反覇権条項・反ソ同盟が最重要になると。

 第三国条項という形で、日本は対ソ同盟の形を避けるという努力をした。反覇権という形で、対ソ同盟の意味合いを残した中国が「実」をとった。メンツにこだわる中国がこういう外交をするのは珍しい。日本が「名」をとるという愚かな選択をしたというのもまた興味深い、まあ時代を象徴するものといえるのだろうけど。

 当時は今からじゃ考えられない、同盟を結んだら戦争する気か!みたいなわけのわからないヒステリックな反応があって対ソ同盟を結びますなんて言えない時代でしたからね。まあ非現実的な思想が幅を利かせてしまえば、外交上損をするという典型的な事例ですかね。中国史では「宋の夷狄なんかと我が中華が交渉できるものか!」というわけのわからないロジックで外交して、遼や金の怒りを買って国を滅ぼすところまで行きましたが、まあそういうものに似ていますね。

 中立を意味する「第三国」という用語は、中国にとって逆に日中の関係とそれ以外を強調するという意味合いにも取れた≒対ソ上の優位性とも解釈が可能だったと。まあ、日中関係が最も良好だった時は、日清戦争後の交流を除けば、この時代ですよね。対ソ準同盟こそが両国関係を友好にしたということですね。

 というか、官僚独特の文字・用語の微妙な言い回しで、この法律はこういうふうにも読めるから、セーフみたいなわけのわからないロジックを持ち出すことがありますけど、外交でもこういうことをやって、自分たちに優位な解釈を持ち出すというのは東ア特有のものと見ていいのでしょうかね?

 こういう風に読めるじゃないか!なんて言い出しても相手の了解がなければ無意味に決まっているのに、文言から自分たち有利な方向に勝手に解釈しようとする。子供の屁理屈みたいなものが昔から存在しますね。「そんなことは知らない!オレは聞いてない!」みたいなわがままを国政どころか外交レベルにまで持ち込むのは東ア特有なんですかね?力によるゴリ押しが当たり前という感覚によるものなんでしょうか?


 話を戻して、親中的なことを主張する人は、この時、日本が対ソで軍事同盟を強化すれば良かったとか、言えばいいんですけどあんま言わないですよね。この時鄧小平が「実事求是」や「脱毛沢東」で華国鋒を追い落として政権を掌握するという権力争いもあった。中国にとって日本との関係改善・強化というのは、対ソ&文革処理がポイントになって行われていたと。

 鄧小平はリベラルな所、改革開放の道筋をつけたところからいいイメージが強いですが、天安門見ても分かる通り、当時の中共を代表する保守派ですね。「脱毛沢東」ではあっても、「脱共産主義」ではない。対ソ上、祖国防衛体制を立てなおそうとした所(及びそのために日本や米との関係改善に乗り出した点)に注目するべきでしょうね。

 p146のコラムで大平首相の時1980年から渤海で石油・天然ガスの共同開発をした。が、成果が見込めずに00年に撤退。それが米との共同開発もあって、重慶に次ぐ中国二位の油田になった。もし日中での共同開発が成功していれば今とは様相がかなり変わったとあるが、このifは有効なのだろうか?

 86年に私的理由の出国が許可される。実はまだ自由な国外への移動は30年経ってないと。地味にポイントになるんじゃないですかね?

 日中関係といえば、最近のホットなトピックとして靖国参拝がある。中曽根・橋本・小泉・安倍という四ケースがある。小泉を例外として、「就任・参拝・非難・以後自粛」というパターンが存在している。これが以後も続くかもしれませんね。重要な型といっていいでしょう。

 今話題になっている「お詫び」だが、98年の日韓共同宣言から重要な意味を持ってくる(村山談話でも言葉は使われているが)。韓国とは文書として明記しても、日中共同宣言では削除された。韓国の場合は、今回限りであり、「戦後の平和・発展に対する貢献」というものを認めたが、中国は拒否したため。

 結果、両首脳(小渕・江沢民)が共同宣言文書に署名しないという異例の形になった。江沢民はパートナーシップ外交で来日したが、軍国主義批判を繰り広げて、失敗と記憶されることになった。ただし日本の経済協力に対する感謝が表明されたと。踏み込めるのはこれくらいしかなかったと見なすべきでしょう。

 小泉の靖国参拝について、改革派の胡錦濤に対する配慮がなかったという外交の戦略のなさというものへの印象が強かったが、小泉は初参拝の2ヶ月後訪中して盧溝橋で謝罪。首脳級が参加しないダボス会議の中国版、ボアオ・アジアフォーラムに参加して配慮を見せていたと。小泉も誠意は示していたと。

 ブッシュの時、戦略的パートナーから戦略的競争相手へと路線を変えた。ステイクホルダーやG2やら、色々手を変え品を変えていますが、胡錦濤以後は関係深化せずと見ていいでしょう。日本は戦略的互恵関係としていますが、どうですかねぇ?日本の場合、ブッシュのような関係の後退の表明がないですね。

 06年の共同宣言をもって、72年のそれと比べて「72年体制」「06年体制」というのはどうなのか?国外情勢が大きく変化したにも関わらず、国内体制は不変。外交から内政を動かしていくつもりがあるのかもしれないが、ちょっとあんまりいい時代区分とは思えない。中国側の視点から世界を認識するのなら、これでもいいんでしょうけどね。

 どうでもいいですが、p232黙祷のルビが「もんとう」と間違っている。次pでは麻生さんの記述でわざわざ「未曾有」という言葉を使って、丁寧に「みぞう」というルビを振っているのはあてつけか?と思ってしまいました(^ ^;)。

 中国は自分たちに都合の良い解釈・視点をいつまでも引きずり続けている。相手方に問題があるという独善的な態度をいい加減改めるべきでしょうね。周恩来が講和会議を「日本と戦争を行った連合国間に分裂を起こさせ、そして極東に新たな侵略ブロックを結成するもの」と非難したのが象徴的。

 中国は未だに「善良な自分たちが残虐な敵国から侵略された」という幻想を捨てられないんですよね。鄧小平や胡耀邦といった対日関係を好転させようとした人ですら、中国に都合の悪い勢力を「(一部の)軍国主義」と一元的な価値観で非難するくらいですからね。

 1982年頃の教科書問題などは、まだ日本が経済大国であり、中国のほうが圧倒的に不利な状況だったので、日本の政治大国化を懸念するのもわかりますけどね。ニクソンキッシンジャー時代に、周恩来と「瓶の蓋論」で米中が意気投合するのも、当時はリアリズム上自然な発想ですから、未だ理解出来ます。

 しかし、未だにそういった幻想を引きずるのは、どう考えてもおかしい。共産党が政権取った時や、冷戦以前はともかく冷戦以後は「国家崩壊のトラウマ」は理由にならない。対外国家に対する認識に問題があると言わざるをえない。人文科学の自由な研究・主張が未だに無理そうですしね…。

 まあ、そういう認識を改めること、学問上の知見を活かして、これまでは自分たち中心で見すぎていた、こちら側の非を認めてこなかったことに問題があるなんていう研究成果を発表したら、否応なく毛沢東などの統治時代の大躍進とか文化大革命とかの負の面を直視せずにいられなくなるので、やりたくてもやれないんでしょうね。海外の中国人研究者ならそういうことを言えるはずですが、そういうことを言っている中国系の人はいらっしゃらないのでしょうかね?

 「歴史に鑑みて、過去の事実を直視すべき」とかお気に入りのフレーズですけど、毛沢東時代の反省と謝罪は未だですか…?と言わざるをえないですよね。


 ※おまけとして、つぶやいた中国の今後の課題の話でも。中国は資本主義を取り入れて、その次に待っているのが「民主化」で、それが最大の課題だと思われている。しかし、民主化以外に対外的衝突・領有権主張を止める「平和化」という問題がある。更に経済混乱などで社会が不安定化する今、国内「安定化」も求められる…。現状の中国には3つの大きな課題があると考えていい。「民主化」「(対外)平和化」「安定化」、三つの解決不可能な大難題ですね。

 「対外平和化」という言葉を使いましたが「安定化」という言葉と合わせて結局は国内外の安定化ということですね。共産党が、国外の政府から未だそこまで強い圧力をかけられていないのは、その「国内外の安定化」を担っているからこそでもあるわけですね。

 ココらへんは中東の政治構造と同じで、「民主化」してしまうと反米勢力だったりイスラーム勢力が伸張して大問題になるというロジックに似たものがあるわけですね。さすがに中東とは基本的構造が違うので、中共がいなくなれば国内大混乱&反日・反米欧勢力の跋扈とはいえないんですけどね。

 「民主化」という困難な課題さえ達成されれば、中国も自ずと先進国クラブに仲間入りして上手くいく、メデタシメデタシと考える人はあまりいないと思いますが、そういう幻想もあるので一応指摘しておく必要があるかなとメモ。

 そんな危険性があるから、じゃあ無理に民主化してもらわなくてもいい、共産党でいてくれたほうが日本や米欧としては好ましい。有り難いから変に口出しせずにほっとこう―というわけにもいかないわけですね。最近の経済問題見ても。まあ何より民主化運動が盛り上がらないわけないですしね。民主化が成功して、混乱が更に加速して、ここから本当の混乱・地獄が待っている…!なんてことも当然ありうるわけで。予断を許さない状況であることには変わりないでしょうね。