てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

細谷雄一著 歴史認識とは何か

 

  細谷雄一氏の『歴史認識とは何か』。これどうなんでしょうね?「後知恵」感がスゴイんですけどね…。「後知恵」ならぬとも結果論、結果から逆算して組み立てている感が…。序章の歴史とは~というところは、全く同感で、良い文章だと思うんですけどね。

 

 p21~、歴史認識問題を解決できると考えた、村山談話・外交の誤り。

 p44~、道具として利用される歴史。

 p52~、孫崎享批判。陰謀論史観の誤りの指摘。

 

ここまでは違和感なく、むしろ良い文章として参考にして欲しいくらいですね。問題は此処から先です。

 

 p57~、非戦闘員に対する無差別爆撃・錦州爆撃こそが、後の東京大空襲・原爆を招いた。平和主義・国際協調主義を壊すことになった。その前段階を見ていない。「日本が―」という主語があまりにも多すぎて、一国偏重主義になってしまっている。日本の外交・選択の誤りや、強硬的態度など数多くあったが、日本のそれだけを取り上げるのは間違いである。

 

 そもそも、日本の空爆でも、民間人が多少犠牲になるのはやむなしという考えだったかもしれず、それは許されざる戦争犯罪かも知れないが、米の空襲や原爆のように意図的に民間人虐殺を図ったものとはわけが違う。それを端緒とはいえども、並べて論じるのには強烈な違和感を感じざるをえない。

 

 p83~、国際協調主義という新しい流れの登場。それはそうだが、依然としてパワーポリティクスの時代。それを先んじて受け入れろとは当時の常識を無視した論。そのような国が他になかったのにかかわらず、日本にそうしろというのは無茶振りもいいところ。

 p96~、「世界の進運に取り残されている」、欧州情勢を理解すべきことについて異論はないが、当時のトップにそれがどこまで出来ただろうか?東アの新興国が、自国の権益保持以外念頭にないとしてもさほど違和感はない。むしろあったらスゴイレベル。

 p99~、戦勝国5大国からなる「十人委員会」(それぞれの主席全権代表と次席全権代表からなる)、ここから日本を締め出して「四大国会議」とした。日本としても欧州情勢に関わりたくなかったし、相手側としてもそうだったということ。これをもってして日本が遅れてるとか、わかってないとか言うのはおかしいだろう。当時としては東亜は辺境であり、欧州諸国としては明らかに関心域外。むしろキープレイヤーたる日本を外した欧州の視野の狭さを指摘すべきでしょう。要するにどっちもどっちですね。

 

 p105~、石橋湛山の主張を引用して、人種差別撤廃を求めておきながら、朝鮮・中国人の要求を無視するのは二重規範だ―ということを書いているが、これは論理のすり替えであろう。人種差別と植民地支配は別物(欧州諸国にとっては分かちがたく結びついているといえるかもしれないが)。人間として平等の権利を認めるかどうかということと、主権国家として独立させるかどうかということは別問題。それを言うならインドなど独立させよ、こちらも中国・朝鮮を独立させるから、ということになるだろう。それが良い悪いの話ではなく、別次元の話を意図的に混在させる論理のすり替えが目立つ。おそらく現在の価値観から当時の価値観を裁く視点になっているからだと思われる。

 

 捕虜の人命尊重など国際法で保護しようという機運が高まっていったのに、日本はその流れを無視した。これはその通りで、そういった国際法を尊重しなければならないし、欧州情勢も理解しなければならなかった。だが、では米欧サイドはどうだったか?日本のこと、東ア情勢を正確に認識していたか?言うまでもなく、そうではない。相互理解の不在が悲劇の根源、日本のそれのみに限って取り上げる傾向が多々見られて、アンバランス・一面的に思える。

 平和が続いて欲しい―平和だと思わない、辛い環境にある人々・国はではどうしたら良いのだ?フランスの強行的な態度がドイツの復讐熱を煽って、第二次世界大戦のきっかけを招いたし、世界恐慌の対処の失敗がブロック経済となって、自由貿易を殺した。そういった大局的な視点が語られていないのは大問題だと思う。

 

 p138の記述を見ると平和主義が素晴らしい!このような戦争違法化に逆らうとはけしからん!という考えなのかな?と読めてしまうのですが、どうなのでしょうか?p155でソ連ヒトラーの同盟国となり侵略者として堕落したという記述がありますし…。

 

 清沢洌の正しかった予測、独ソ同盟とか、独が米英に最終的に勝てないだろうとか、そういうのは決定的なポイントではないと思うんですよね。ポイントは、日本世論が、米欧許すまじ!と沸騰したことですから。ではどうしてそうなかったか?社会ダーウィニズムとか世界最終戦争とか、そういう文明衝突論、『西洋の没落』の流れを説かないと意味が無い。この流れを論じないものが本当に目立ちますね…。なぜなんでしょうか?

 

 p171、誤った情勢分析で、誤った想定をし、誤った戦略を打ち立てた。それもあるんですが、対決不可避という流れが決断の決定的な基準になったわけで。戦争不可避、やらなくても負ける、やっても負ける。だったらやるだけやろうということになったと思いますが…。

 

 p178、確固たる理由や必要がないにもかかわらず、戦争へと向かってしまった―これはおかしい、この認識が著者の決定的な誤りでしょうね。日本という文明・民族存続の是非がかかっているというのが当時の常識でしょう。ここで生きるか、ここで死ぬか、当時はそういう瀬戸際にあった。「ノー・チョイス」だったわけなんですけどね…。

 

 p189、東亜・東南亜諸国の独立・民族自決を求めるなら大西洋憲章に賛同すればよかった―「!?」

 

 これどこのページか忘れたんですけど、思い出したので一応。

 理念なき権益重視、一国的な視野で戦争に―というのがありましたが、むしろ理想を追い求めて東アの解放というものに至って、現実的な目の前の果実・利益確保を出来なかったことが問題だと思います。交渉材料・対価を米から引き出せませんでしたしね。米サイドに、日本にいくらか譲歩して中国権益を認めるという譲歩の姿勢があったらまた話は違ったんでしょうが、そういうものもなかったのでそりゃそうなるでしょうとしか思えないんですけどね。

 

 p214、東京空襲によって以後、日本軍の捕虜扱いが変わる。向こうがルール無視して民間人を殺しに来てるのに、日本については捕虜の人権を守れって…そりゃおかしくないですかね?それは当たり前の話では?それでも、戦後東京裁判などで日本捕虜の人権を守った、国際法をどこまでも尊重した―というオチになったのであれば、言うのもわかりますけどね…。

 

 東南アジアにおける民族独立という大義名分のもとに戦争を正当化することは出来ない―というのは同意ですが、そこに至る論理、彼らの意図を最大限尊重したものではなかったというの当たり前でしょう。日本の金と血を使って、ただで独立させて、その後何の見返りも要求しないわけがない。ましてや「力の真空」を招くようなことをするはずが無いでしょう。

 

 最後の終戦・戦後処理に至る文書も終わりとしてどうなんですかね?なんというか、戦後世代による、「戦前断罪史観」の延長という感じの本なのでしょうかね?