陛下の式典での物忘れで思うこと
富山の式典・地方公務の際、陛下が小学生の作文が終わった後に閉会する段取りだったみたいですが、その作文は「もう、終わりましたか?」とわざわざ式典の議長を呼び寄せて確認したということがあったとか。大々的には報道されなかったようですが、どうも陛下が物事をわからなくなったようです。
物忘れというか、記憶の錯誤ですね。一瞬記憶が飛んでしまった、先程までに何があったか、わからなくなってしまったのでしょう。これで陛下が式典の確認を行ったと。
本当に記憶が飛んでしまったのか、つい先程までの認知できなくなってしまったのか?深刻な状態であると言い切るのは早いと思います。陛下は終わったことがわかっていたけれども、式典で最後の挨拶をしたり、退場する前に色々やることがあって、しっかり確認しておかないと式典を壊してしまいかねないリスクが有るわけですから、慎重になるのは当然のことでしょう。わかっていたけど念の為に確認ということはあり得ると思います。
もちろんそれでも、確認しなければならないような状態、一瞬わからなくなったことは事実でしょう。陛下も81歳なのでそういうことがあってもおかしくないですからね。
美智子様は、陛下が傷つくといけないからと、かなり気を使われているみたいです。耳も遠くなられて、聞き取れないことも多いとか。ただ、そんなに傷つくことではないと思うのですよね。年を取れば誰でもそうなる。むしろ、そういうところまで歩んでこられたことを国民ともども染み染み感じ入ればいいことだと思うのですよね。
陛下の友人(?友人という存在というか、定期的に交流する人物がいるのかわかりませんが、そういった人)や宮内庁で陛下にお仕えしている近臣ですね、そういう中に当然陛下と近い年の方がいるはずですから、そういう話をすればいいのではないかと思います。
以前こまどり姉妹の話を書きましたけど、そういう身体の不調がでる・老いるということは生きてきた証、生きる喜びの合わせ鏡であるのですから、そういった話をすればいいと思うのですよね。
「お互い、ここまで自分の道をよく歩んできましたね。平成の御代も27年、ここまで生きてこれて色々な不調を経験しまして、先日も病を患いましたが、私は生きる歓びを味わっています」
―とか、まあそんな感じで、当たり前のことですよ、お気になさらずという感じで気遣われたらいいと思います。「お互い~」だと不敬に当たりますかね、ちょっとわかりませんが、まあそこはうまく考えてください。
でも、年がら年中式典やるのはどうなのでしょうか?地方公務って年何回やるのですかね?それだけでも大変でしょう。式典とか退屈なものを一度もミスなくこなさないといけないというのは非情に大変でしょうね。簡単なものでも、絶対ミスできないというプレッシャーがあるわけですからね。
殆ど不必要でも、式典を円滑にすすめるサポート役がいてもいいのではと思いましたが、実際どうなっているんでしょうか。