てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

江戸の外食文化+徳川家光ホモ説への懐疑

テレビでやってた歴史の話をちらっと見たので、その話を。

 江戸の外食文化は、武士の参勤交代があったから発達した。参勤交代で多くの家来がやってくる。単身赴任の男が多かったから、江戸の外食文化が栄えたというのをやっていました。本当にそうなのか?

 江戸は100万人都市で、男女比率が4:1くらいで男が余っているとか聞いた覚えがまりますが、男が自炊しなかったとかでは?そもそも都市民・町人は田んぼ持ってないし、生業を日当で=お金で支払われたら、そりゃそのまま外食で済ませる気がするんですけどね。長屋とかああいうのは、そう毎回完全に自炊できそうな感じがないんですけど、どうなんでしょうか?当時の庶民の生活に詳しくないからわからないですけども。

 社交の場としての食事処というのがあったでしょうし、人が交わるコミュニティとして飲み屋、飯屋が栄えるのは当然ではないでしょうか?まあ参勤交代がそれに貢献したとも思いますが。

 参勤交代でやってくる武士の家来の需要がそれほどインパクト大きかったということなんでしょうかね?一定の受注が見込めた結果、料金を下げることが出来た。それにより江戸の都市民の生活が安定するといったロジックが成立したら面白いところですな。参勤交代に、政府の権威のための儀礼以外にも都市の経済政策としての意味合いがあったといえるのですからね。

徳川家光はホモ・男色家だから子作りしなかった?

 それはさておき、もう一つが本題で、有名な家光=ホモ説についての反論を思いついたのでメモ程度に書いておきたいと思いました。

 家光は男色で有名で、女性に手を出さなかった。それを不安に思った春日局が大奥を作った。全国から家光が気に入るような女性を集めて、なんとか世継ぎを作ろうとしたという話。

 ―ですが、これかなり怪しいというか、「?」だと思うんですよね。当時の高貴というか身分が高い人間はホモだろうがレズだろうがなんでも良いですが、そんなことを言ってられない。

 為政者・国を任せられる重要な責任を持ちながら、「私は外見は男ですけど心は乙女なので、女は抱きません」なんて言ってられないわけですね。もし何らかの理由で子供が作れないとしても、無理矢理でも子作り自体はやる。やらざるをえない。気分が乗らないからとか、嫌いだからとか、そんな理由で子作りを拒否するなんてありえないし、許されない。

 跡継ぎを産んで、国家を安定させることは一大義務というか任務・使命ですから、家光が筋金入りのホモだとしても、子作り拒否というのは考えられない。実際のちに子供を作ってますからね。家綱・綱吉然り。

 では、どうして家光は子供を作ることを拒否していたのかを考えるわけです。とすると、まず思いつくのが、①男色=側近・寵臣確保説。信長の前田利家とか信玄の高坂弾正とか。親しい間柄から重臣に取り立てるというのはよくある話。まあつまり「子飼い」をつくるために最適な方法であるから、男色の需要があったわけですね。家光もそういう「子飼い」を求めて自分の有能な部下になりそうなものを選んで男色をしていたと見るべきでしょう。

 酒井重澄は家光に黙って子供を作ったから怒りに触れて所領を没収されたみたいに捉えられているんでしょうか?これは多分、酒井家という超重要ポストを継がせたにも関わらずm勝手に子供を作ったからではないでしょうか?彼がその後手柄を立てれば、酒井家を継承することも許しただろうけど、他の寵臣に競わせてからの話だとか、いずれにせよ家光の意向を無視しての子作りというのは厳禁。それが大問題になるというセンスがなかったことで家光から罰を受けたんでしょうね。

 だって、肝心の家光が何より子作りを我慢している最中なんですからね。「なんで部下のテメーだけ勝手に子供≒家族こしらえてるんだ、この野郎!頭おかしいんじゃないか?」となって寵愛対象から外されても、普通のコトだと思います。別に愛する男を寝取られて悔しい!なんてことではないでしょう。

 あとは、彼一代にのみ限定するという目的・プランだったとかですかね、考えられるのは。だからこそ勝手に世襲ありきで動いたことに激怒したとかありそうですね。宦官のように栄耀栄華は一代限りで、将軍である自分に尽くすことのみを考えさせるようにする。家を作ってしまえば、家>君主で、家のために行動する可能性が出てきますからね。

 阿部重次は老中に、内田正信は1万5千石の鹿沼藩主に、中根正盛は側衆の代表的存在=側近中側近、由井正雪の乱では諜報担当だったとかとも言われますしね。大体が家光より年上であることを考えると(中根正盛は秀忠時代の小姓でしたしかなり年上)、そういう趣味だというのでなければ、まあ政治キャリアのある人間を欲したと見るのが妥当でしょう。

 というか政治キャリア・腹心ありきで選定していたと見ていいでしょうね。家光は自証院(じしょういん)=お振の方が幼いが故に美少年と間違えたからこそ彼女との間に子供を作ったとありますが、オッサンばっかりの男色相手を見ればそれは考えにくいと思いますけどね。まあ、当時は男色が普通で美少年に手を出すのも当然だったという類推かもしれませんが。

 軍事経験・キャリアがある人間が平時ではドンドン消えていきますから、数少ない実戦経験がある人を確保したかったのでしょうね。有力戦国大名の反乱以外にも、由井正雪の乱のような変事から幕藩体制が崩壊する可能性がある。そのためにも危機管理として、江戸周辺に大阪夏の陣に参戦した内田などが取り立てられているのなんか象徴的だと思いますね。

 要するに家光の男色は自分に絶対の忠誠を尽くす寵臣の確保&変事・有事のための危機管理ということでしょう。信長死んで、秀吉に権力を奪われたように、秀吉死後は家康が奪った。家康死後は…となれば、当然家康が死んだら天下は俺のもんじゃい!という関ヶ原の戦いVer2がありえるわけですからね。

 ②対朝廷・春日局説。春日局は家光を将軍に取り立ててくれた恩人とはいえ、彼女が北条家のようにならないとは限らない。関東幕府といえば、どうしても骨抜きにされていった源家の二の舞いを連想する。いつの間にか春日局を中心に稲葉家(斎藤家か?)が乗っ取るということも考えられる。

 それを防ぐためには、あまり早いうちに跡継ぎを作ってしまわないようにしておく必要がある。要するに跡継ぎを作って、家光がホイホイ死んでしまう(暗殺されてしまう)と若い子供、若将軍の後継人が幕府を骨抜きにするリスクが存在するわけですね。

 春日局が朝廷との折衝役であり、正妻孝子を冷遇したことを考えると、家光は朝廷にとらわれないより幕府優位の関係、「幕府>>>朝廷」というようなものを構築したかったんでしょう。おそらくは、家光と春日局の関係がそんなに悪かったとは思いませんけども、そこには万一という論理が存在している。まあ、要するにそのための保険・警戒ということでしょうね。家光は孝子を通じて、朝廷の影響力が増すことを恐れて、孝子を徹底的に遠ざけた感じがありますし。

 子供作って、跡継ぎを作った結果、逆に跡継ぎがいるから、お家が揺らぐことはないと安心して暗殺されてしまいました。何ていう矛盾したロジックが家光にある分、慎重にならざるを得なかったんでしょう。

 ある程度年とってから子作りを始めたのも、そのリスクがなくなったからということでしょう。小姓・側近が育って、自分の「子飼い」による藩屏が出来て落ち着いた。安心できたからとみなすことができると思います。あるいは、春日局がそろそろ体調が良くなくて、あと数年もしたら死ぬだろうというめどが立ったからなどかもしれません。

 あんまり深く調べずに、思いついたことだけパパっと書きました。なんか間違いあったらすいません。