てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

古代中国の文明観―儒家・墨家・道家の論争 浅野裕一著

古代中国の文明観―儒家・墨家・道家の論争 (岩波新書)

古代中国の文明観―儒家・墨家・道家の論争 (岩波新書)

 

 新書があったので、手を出しました。個人的に気になったことをダラダラ書いていきます。結構文量あるように、個人的にかなりインスパイアされるものがありましたね。

 というかなんで読んでないんだという話ですが(^ ^;)。確か、この人の孔子評がかなり独特というか、孔子なんて!インチキだ!的なもので、ちょっとこれはどうなのかなぁ…?と敬遠していたんですね。で、今回この本を読んだら、まともだった。というかそれを通り越して、かなり面白い指摘が多かった。なんで孔子については、否定的というかそれを通り越して「叩き」や侮蔑レベルに近いものになるのでしょうか?

 ちょうど皇国史観と敗戦の反動で、戦前のあらゆるものが否定的に語られたように、孔子儒教の権威化が強くて、その権威の否定のためにこういうものが書かれる余地・必要があったということでしょうかね?本人の経験で、儒教徒・儒学者になんか嫌な思いをさせられたとか、近代化の障害になるようなことがあったとか、否定的に語らなくては!あるいは脱構築・脱権威化せねば!となった背景が気になりますね。どなたか忘れましたが、論語かなんかの翻訳で、読むには畏れが必要みたいなトンチンカンな記述をしていた人いました。その人は宗教的な経典という意味で読んで、それはそれで必要なのでしょうけど、どうかなぁ?現代でそれが必要とされるかなぁ?と思ったことがあります。そういう神聖化を否定しないといけない時代の人だったということだったんですかね?

 

 青銅器・二里頭文化=夏王朝、殷の時代でさえゾウ・サイ・クマ・トラが当たり前にいた*1。夏の時代では、なおさら森林だらけの自然&動物でその対策に頭を悩ませた時代だったでしょうね。自然破壊と書いてありますが、禹の治水というのは、初めて技術を手に入れた中華の人々がこれまでより大きな規模で開拓を始めていったということだと思っていましたが、自然破壊の結果、氾濫に対処しなくてはならなくなった。「治水」という要請上から生まれたものなのか?どちらなのかな。この文章だと自然破壊で洪水、治水という感じに思えますが。

 自然の猛威の前に、計算してコントロールを前提にしつつ開発しようなんて当時の人間は考えそうにもない。とりあえずぶっ壊せ!くらいの感覚で自然に挑んだ気がしますからね。人が住める環境ではない→自然破壊の肯定→洪水などの災害→反省して自然を敬いながらの開発という感じでしょうかね?動植物の利用や生死の循環などから自然への崇拝・アニミズム的なものが最初に生まれて治水などの開発でより自然というものをコントロールできるという一歩進んだ宗教が発達していくのでしょう。

 

 國という感じの成り立ち、「口」の字が城壁というか囲いで、戈が加わり、さらにもう一つ囲いが生まれた。内壁と外壁。都市・国には二重の城壁があるのがポイント。しかし口の下の下棒はなんなんでしょうか?言うまでもなく、城壁によって、民を守る。我々は国防をパッと連想するわけですけど、最初は災害や自然の脅威でしょうね。安定して豊かな生活を保障出来る住処というのが手に入ったとき、当時の人間にとってどれほど喜ぶべきものだったか、我々には想像つきませんね。読んでて思いましたが、祭祀施設だったり、墳墓というのは宗教的観点は当然として、最初は自然の人界への「汚染」を防止するという理由が大きかったかもしれませんね。今では環境汚染という言葉では自然破壊を連想しますが、当時の人間は「環境(に)汚染(される)」リスク・恐怖があったわけですからね。害獣に害虫の存在は、さらに「呪い」というものを思わせたでしょうからね。中国的な価値観からすると「徳」の聖なる力で鳥獣や災害すらコントロール可能ッ!なので、むしろ聖地を作って、その聖なる力が伝播する。自然の悪の力を転化する意味合いとしての墳墓はちょっと気になりますね*2

 禹の治水の記述は、国引き神話を連想させますね。まあそこまで「神」感あるわけではないですけど、治水によって人が住める地が大きく広がって、王朝というものか出来ていったというポイントは抑えておくべきでしょう(殷からだけど、他に治水以上になにか決定的要素があったりするのかな?)。聖人=文明の端緒を作った。火とかサソリ・蛇避けの住居とか、暮らしを豊かにすることを教えたのが聖人*3(何故かこの記述が『韓非子』にまで時代が下るが、以前にあった記述は失われたのか?)。

中国古代宗教史研究―制度と思想

中国古代宗教史研究―制度と思想

 

 これ読んだ事無いですね。文化人類学的研究というのもあるのかな?ちょっと面白そう。 鬼という漢字は人が髑髏を被って冥界と交信しようとする様。文字の登場で鬼が哭いた。文字=文明の登場が、鬼の神通力を必要としなくなった。文字の記録、経験でいろんなことがわかるようになる。鬼神に頼るより知恵に頼るようになる(宗教力<文明力=文字ということですね)。龍などの神も井戸など人の開発の手が入ることで天に還る(魂は崑崙山に)。それまでいると考えられていた神聖な生物、神獣も文字の前に消えていったと。鬼は三種類いて、①天にいるもの、②山・川・湖にいるもの、③人が死んでなるもの。

 ①周宣王、②燕簡公、③宋文君鮑、④斉荘君、⑤秦穆公に鬼神が審判を下した話がある。孔子は沈黙をすすめたり、巧言を注意したり、そこには孔子の音声言語への不信という要素が見られる。行為や本心が伴わないと不確実なものに過ぎなくなるという思想。音声には呪術性が伴う。気はどこにでもあり、気の力が言葉に乗って、人を動かす。故に音楽にも神秘的な力が宿る*4。対称的に鬼の力、呪術の力というものは文字=文明の進歩により通じなくなっていった。形名参同術、言葉と行動を一致させる技術が重要になる。文書で記録して参照すれば、言い逃れは効かなくなる。故に荀子のような主張、名を正せば物事はうまく治まるとか、名家公孫龍の正名主義が出てくる。荀子*5も鄒衍も言語の普遍性・共通性を基礎とする。

 現代人は、文字がないということが想像できないですが、この時代の人は文字がないという時代のほうが長かったわけですよね(当時の人間がどういう認識だったか別にして)、そういう時代を生きている。文字の整理をして、文字の力によって=文書行政によって、国を治める。韓非子が、そして李斯が文字にこだわるのも当然ですかね。李斯はその後文字の統一にとりかかりますが、自然な流れなわけですな。

 法家とはいえ、荀子が説いていることは、オーソドックスな儒教のそれ。どこかに韓非子のような思想の萌芽があるのかな?と期待して読んだのですが、そういうものがなくて面白くなかった。しかし、『荀子』は文書行政の技術化のような点で意味合いが大きかったのかな?実は。そういえば文書行政の有無、その技術がどれだけ進んでいたかというのは歴史的に非情に重要なポイントであると思うのですが、どうもそういう指摘が歴史関係の本に少ない気がしますね…。気のせいかな?日本に中央集権的な文書行政の歴史が殆ど無かったから?

 白川静の字と許慎の字の価値観は、前者が呪術性を重視するのに対し、後者は合理的な説明を重視している。許慎は甲骨文字などの史料を見ていないから、そうなったと言えるが、文字が作られた端緒はともかく、文字が生まれて以降、呪術性の剥奪の流れにあって、許慎のように呪術性をそこに見出さない方が自然であると。なるほど、白川さんの解釈がおかしいとよく否定的に言われますが、こう言われるとすんなり納得できますね。

 墨子の鉅子とは、規矩・縄墨・権衡のようなこと、はかり・ものさし。*6墨家思想がどうして消えていったか、謎という話がありましたが、別に不思議ではないですよね。文書行政ないわけですから、そりゃ消えますね。鬼神の肯定とか、宗教団体の要素が強い。身分秩序の否定など、教団内ではそれでいいんでしょうけど、組織が大きくなればまず通用しない思想ですよね。少国家が乱立する国際体制の一国家内に於いては良くても、春秋頃までは良くとも、帝国・王朝が登場してくると、まずそこで需要が無いですからね。徹底した無駄遣いの排除・否定というのは、需要抑制の経済政策。経済のパイ自体が小さい前提のものですよね、徹底した実利のために上層・統治階級の華美な装飾・奢侈を廃止する必要があるという訴えは。そりゃ戦国から、秦の統一に至って経済が伸展する時代には魅力無いですね。需要がなければ廃れて消えるのでおかしくもなんともないですね。

 呉起の改革の結果不満をためた貴族たちは、悼王の死の際に呉起を打つ反乱を起こした。陽城君は墨家を雇っており、その陽城君の領土を守るために楚の直轄軍を迎え撃つ。そしてその失敗。鉅子(?)孟勝及びその墨家の徒182名は契約不履行で田襄子に位を譲り自刎と。呉起の改革によって、中央集権化が進み、その前では何の力も発揮できなくなっていったという墨家の衰退を象徴する出来事ですね。

 他の記録にいろんな派があったというように、各地でいろんな諸集団に分かれていたんでしょうね、大組織を形成しそうな思想でもないですからね。所詮戦争技術を習得した特殊な工芸集団にすぎないわけで、その特殊技術・攻城&防御兵器がバレてしまえば、大量動員時代に役に立たなくなるに決まってますよね。それが優れていればいるほど、戦場で分析・研究されてバレる・パクられておしまいでしょうからね。おそらくもう戦争で頼りになるという戦闘集団としては、秦の統一よりも相当早く意味をなくしていた気がしますけどね。思想の担い手・実行者と信者のような支持母体のうち、後者はしばらく残ったでしょうけど。儒家の権力・身分秩序の肯定とその正しい運用の承認という態度とは別ですね。君主をターゲットにしたものと貴族をターゲットにしたものという思想の違いでしょうか(無論、儒家の本当のターゲットは君主に仕える重臣朝臣なんですが)*7

 

 道家―周の史官の天道思想の影響。計然・范蠡の思想(范蠡の思想は長沙馬王堆漢墓から出土した『経法』『十六経』と非情によく似ている。黄老思想黄帝書と老子の思想が近い故*8。『老子』の伝承の多い陳。それと相まって、陳に近い呉・越の興亡の経緯、そして中原との接触の多い楚で誕生という流れがある。『太一正水』『恆先』という『老子』に似た世界観、宇宙生成理論が存在していた。『荘子』には宇宙生成論はない、所与のものとして論じている。文明が自然を破壊するというより、伝統・はじめにあったものを作り変えていくことへの警鐘。文明の機械化という現象は、いずれヒトをも機械化する、物象化・疎外への警戒は文明の端緒で発生しうるということですね*9老子にしろ、墨子にしろ、念頭にあるのは小集団ですね。これでは統治思想になるのは難しいですね。

商君書―中国流統治の学 (現代人の古典シリーズ 38)

商君書研究

こんなのあったんですね。知らなかったな。よまなきゃ。しかし好並さんの方はどういう本なんだろうか?気になりますね。

 

 末尾には中国古代思想を現代にどう活かすか、教訓的な話があります。興味深い指摘ではあるものの、やはり古代中国は現代と似ても似つかないもの。教養としてならともかく、比較研究の材料としてならともかく、そこから一足飛びに教訓を導くのはどうなのでしょうか?これには反対ですね。まあ話のうまいオチとしてこういうのでシメないといけないというのはわかりますが。

*1:そういうことを考えると、中東・オリエントで最古に文明が発達した理由が説明つく。砂漠化・ステップ化など気温の変化で変動すれども、「砂漠」が存在して、動物の猛威・脅威が諸地域に比べて低かった事が大きいのだろう。赤道付近で暖かい時は衣食住の衣と住の問題がカバーしやすいし。多分、インドと西アジアはそういう理由が大きいのだろう

*2:有吉が田舎帰ったら、田舎の良いところが開発されて木とかホタルとかなくなってしまって怒ってたら、住んでる人間は便利になって喜んでたみたいな話ですかね。現代の我々と古代人のギャップは。違うか?(笑) 

*3:余談:最大の聖人=治水、治水によって多くの人々が文明を営めるようにしたこと。ウィットフォーゲルじゃないですけど、大事なポイントですね。そして以後は政治家=王が聖人になるわけですが、それも周まで。それ以後は孔子のような学者になって、以後聖人というのは登場しなくなる。聖人という価値観念は儒教儒学者の手に回収されてしまうわけですね。聖人というものがなくなって、過去の名君の誰々は聖人だったとか、キリスト教みたいな「認定」がないため、最高理念・理想を目指せ!ということが云々論じられない。これは宗教的な規範が薄まったと肯定的に評価していいことなのでしょうか?

*4:孔子の音楽の重視というのは、公の手による民間の呪術力の回収・剥奪かもしれない。というのも当然民間でも呪術が流行る。公的なものと対決した際、如何な権力でも天才に負けることが考えられる。しかし音楽ならそれがない。オリジナルの宮廷音楽の方が絶対に洗練されたものになるから。まあ言うまでもなく、何より国家儀礼・儀式に音楽が必要不可欠ということによるんでしょうけども

*5:荀子を読んでいて、なんでわざわざそんなことを?という当たり前の記述で見過ごしていましたが、そういう背景があったんですね。いやーこの本読んでてよかった。普通にスルーしてました。「名」があるから「約」があると。とすると、文字言語登場以前から存在する「約」、侠・幇の音声言語による「約」というアプローチも出来るかもしれませんね。後述の墨家の集団自決などはまさにその「約」の異常なまでの遵守ですしね。侠が文字に対して、言語に拘る。誓や儀式に拘るというのは学者や統治階級への対抗ということだけなんでしょうかね?

*6:すみなわの墨的な意味があったりするのかな?墨子?また上層の無駄遣いを止めよという思想が非楽、何より音楽に現れているというのが面白いですね。前述の儒教との対称的な思想ですし。舞踊音楽は労働から遠ざけるからダメと言う考えだとしたら、それこそ身分秩序を構成する重要な要素になるので面白いところ。

*7:孔子墨子も同じ魯で活動を開始している。ふたりとも自身では経典を残していないこと。また仕官を目的とする弟子たちから軽んじられていること、これらの共通点が意味することは何か?気になる共通点、今後調べよう

*8:道教に詳しいみたいなこと昔書きながら、黄老思想をろくに理解していない事に触れてはいけない。いいね?

*9:荘子を引き合いに出して現代の警鐘という下りがありますけども、これには賛同できませんね…。現代ならともかく、当時はこの文明の力によってどれほど多くの人が救われたか。それをも含んで論じているならともかく、一方的な指摘はフェアではないと思いますね。この時代においては「危険だから車という乗り物は禁止しろ」という主張に近いことを指摘しないとナンセンスになるかと