てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

今月の読んだ本(2016/04)

 1ヶ月位前に読んで書いて公開したと思ってたら、してませんでした。ので、今頃公開。
招かれざる大臣 政と官の新ルール (朝日新書)/朝日新聞出版
 人事権を握る重要性、役所内の意思統一のなさ。通達を出せば仕事をしたと思っている。懲罰したら、昇進させなかったら、大使として栄転したなどなど。まあ役所がいかに機能不全に陥っているか知りたい方の必読書何でしょうね。大臣の実体験・奮闘記は乏しいですからね。


荒木飛呂彦論: マンガ・アート入門 (ちくま新書)/筑摩書房
 ジョリーンと承太郎の刑務所という共通点。二人共、自分のルーツ・謎のために刑務所にとどまろうとする。そして脱出という共通点がある。
 『ドラキュラ』の主人公がジョナサン。ジョナサン・ジョースターはそれが元。
 東方=東にやってきた、仗助=人助け、杖=杖をつくジョセフ。物語の舞台がずっと西洋だった、その舞台の転換=東方なのかな?承太郎は空条=これまでの物語(条)を空にする=チャラにする。でも大事なものは受け継ぐ=承。
 血統・血の継承物語だが、父親と関係が深いのは実はジョナサンくらい。リサリサ・ジョセフはその後密接な関係が描かれていないし、ジョセフ=ホリィはおそらく関係が濃かったと思われるが、彼女は父から離れて日本にいる。密接な親子・家族関係というのはジョジョに存在しない。あっても片親というパターンが有ることに今気づいた。承太郎も多分世界的ミュージシャンである父との関係は薄い。仗助もジョセフと後に会うも関係は微妙で、ジョルノ・ジョリーンは言うまでもない。「血統の物語」であるのに、「家族」の要素は乏しい。おそらく絆や関係性が絶たれて、家族に乏しい人間が「血のルーツ」をある日知る。そして自分の使命に目覚めるというパターンが好きなんだろうね、荒木先生。


 波紋云々の話があるのだけど、この波紋の解説はこじつけに思える。水だったり何なり、荒木飛呂彦の自然観察の結果の産物だと思う。船=ジョナサンが死んだ・爆発したそれと重ねあわせているというのは、三部においてはそこまで深い意味は無いと思う。一部の終わりと三部の始まりの繋がりを強調させたいのなら、もっと長く乗船して印象づけるだろうし、一発目に何らかの理由をこじつけて飛行機に乗らなかったようにすべきだし。でも、二部のラストでのジョセフの飛行機墜落との繋がりがあるので、二部ラスト→一部ラストという印象付けという意味合いもあったりするのかもしれない。

 ディオがプッチ神父との対話の中で帆船を作ってるという指摘は、なるほど。自分の終わりの船を作って、また新たなる始まりを意味・示唆するものだったと。三部の始まりもその船の引き上げからだし。そういう意味で潜在的なもの、過去の因縁が急に立ち上がってくるというのがやっぱりメインコンセプトとしてありそう。グリーン・ドルフィンには繋船柱という意味があるとあるけど、それは意味があるかなぁ?刑務所から出る=船出という意味を本当にそこに込めたのかなぁ?

 五部イタリア→フロリダは同じカトリック繋がり。ケネディ宇宙センターがあるからこそのフロリダ。

 承太郎の掌カード、ホワイトスネイクの眼。吉良吉影の手首、指や爪にこだわりがあるのかな?腕のポーズなども特徴がある。腕全体に興味・こだわりがある?

 マニエリスムから見た評価・芸術論。
表現技法で受け取っている、論じているが、身体表象という言葉を見ると?になる。別に間違ってはいないのだろうけど、一瞬を表現するために突き詰めたのが身体の斜体化であって、それを指摘しないと意味がない。動き・躍動感の表現の結果、こうなっているわけで。

 岸辺露伴、岸辺=波打ち際というか沿岸というか、そこに惹かれているのは間違いないでしょうね。

 筆者の専門がマニエリスムというものなので、そういう見方から論じているわけですが、まあ牽強付会かな?と思うところが多かったですね。へぇとなった指摘も書いた通りありましたけどね。一応リンクとして過去に書いたジョジョの話を*1

 

日本人の「死」はどこに行ったのか (朝日新書)/朝日新聞出版
 宗教家と宗教学者の区別がない。宗教家と呼ばれたとか。社会・人類・心理学とか余計なものをくっつけるのは信頼出来ない-「?」

 方法論がない、宗教の範囲内ならともかく、それ以外に話題を広げていて、どういう意味・視点で用語を使ってるかわかりにくい。

 夕陽の美しさ。死者を送るときに夕陽の美しさとセットになっている。落日信仰・送り火信仰、自然の美しさと死者への思いを重ねるものと。関東の小中学生の40%が夕陽を見ていないという調査。自然に対する感動がない。自然の美しさ=死者との対話。

 遺影と位牌の位置が変わっている。昔は位牌が中心。死者をあの世に送りたくないというエゴがある。能のことを、「お能」って書いてあるんですけど、お能っていうんですかね?初めて聞いた気がします。引退しない選手、人生の区切りの不文明?往生際が悪い。かねもうけがわるい???ハリー・ポッターみたいな物語は日本人には書けないとか???が多い本でしたね。山折さんに興味がありましたが、優先順位を高くしなくていい人っぽいですね。

 9.11の半年後小泉首相と会食テロがあったらどういうメッセージを発しますかと聞いた、小泉さんはないと答えた。社会・国家の危機において語るべき言葉・ロジックを持たない国・民族。別に宗教である必要はないが、せめてエリートたちにA主義でもB主義でもいいから、何らかの観点から語るべきもの、これだ!というもの・軸がほしいですよね。
 『般若心経』は空が7回、真ん中に心が1回、無が21回。無を説いているのが日本人にウケた。『虚無の信仰』

虚無の信仰 西欧はなぜ仏教を怖れたか/トランスビュー
 西欧で仏教が紹介された時、初めは無・虚無の宗教として善悪の価値観を否定するから恐ろしいものとして受け取られたという話。一応メモっときました。


大臣 増補版 (岩波新書)/岩波書店
 事務次官会議廃止、危機管理のための副総理、大臣就任記者会見でのペーパーがすでに官僚が用意している。官僚の操り大臣の第一歩。大臣一人による官僚の洗脳を防ぐための政務三役及び会議。


 米のGAO会計調査院のような行政監視調査会を作る。橋下総理との答弁で、行政監督権が国会に存在するという答弁を引き出した。

 官庁・内閣・憲法・議会の順で成立した過程から、国家は官庁が統治するという意識が強い。後から出来た議会・裁判所に官庁の統治外の領域を与えたという構造になっている。

 65条には行政権は全て内閣に属するとも、唯一の機関とも書いていないのにもかかわらず、勝手に全て内閣に属するものと解釈している。

 官邸に国務大臣はいない。その扱いの官房長官くらい。庭に建物作って与党政治家を常駐させるべき。いたるところに役所の関係者・天下りがいる、政治任用を増やすべき。

 閣議の間の書類のサイン攻め。官房副長官がいないと閣議を開けない。閣議と事務次官会議両方に出ているのは官房副長官だから、いないと成り立たない。閣議に明治以来議事録がない。官房長官の定例会見で話されることが記録されるだけ。そもそも議事がないので記録の必要がないことになる(※注これが安倍内閣での解釈改憲・変更での議事録がないことに繋がる。都合の悪いことはこの閣議での秘密会を利用すればいいことになってしまう)。細川内閣で閣僚懇談会、大臣での自由討論の場が設けられたが、これにも議事録はない。何かの決定権もないから当然か?事務次官会議を経ないで提出される内閣提出の法はない。事務次官会議が事実上の意思決定の場で、内閣を形骸化させている。
 自民党の長期政権だったにも関わらず大臣の任期が短すぎる。これでは行政の一貫性を保てない。誰でも大臣制で1年でコロコロ大臣を変える悪しき慣習が自民党にはある。内閣改造でコロコロ入れ替えることにマスコミは異議を呈すべき。
 総理が辞任しても新総理が誕生するまで総理。細川内閣で羽田内閣誕生前に名古屋で墜落事故の処理にあたったのは細川内閣。こういうのを「職務執行内閣」という。村山→橋本内閣では、新内閣の組閣に村山氏も参加した。スムーズに組閣をするため。自民では前総理と新総理で組閣内容についてもめることが多かった。
 官僚に大臣就任でおめでとうございますと言われる違和感。よろしくお願いしますだろうとのこと。ここはその通り。組閣直後で就任会見すると、直前まで大臣になるか知らない政治家は官僚の答弁に従ってしまいがちになる、就任後すぐの会見は止めるべき。

 被害拡大よりも、知らせてパニックになることを恐れる役所のメンタリティ。法律がなくても担当の大臣が情報を公開することは出来る。大臣が知ろうとすることを止めることは流石にできない。住専問題で大蔵省と農水省に覚書があって大騒ぎになったことがあったが、その存在を大臣は誰も知らなかった。薬害エイズプロジェクトチームを10日で作った。本人は遅いと感じたが役所では異例の速さ。調べたがわからないという回答をすることが多かったので、誰がどういう調査をしたか明確化させた。文書で指示をした所、大臣にこういう指示をされた事自体がなかったとのこと。いかにボトムアップで動いていたかわかる。
 役人は重要な案件は休みの前の金曜に持ってくることが多い。文書が見つかった時は発見の報告を優先して月曜にずれ込ませる前に金曜にすぐ会見を開いた。
 無所属の議員の行動は制限されている。それでもいい仕事をするためには質問主意書を使うという方法がある。イエス・ノーで応えるように細かく突っ込むのがコツ。どう思うか?だと調査中や検討中でごまかしてくるから。枝野幸男の趣意書で厚労省も応えなければいけないものが出てきて、調査がしやすくなったと。
 0-157で、特定農園のかいわれが感染源という発表が、全てのかいわれが危ないということになってしまった。最高裁で発表が違法と敗訴になったと。
 厚生省の中で情報を統括する部署がない。誰かが知っていなくてはいけないことを誰も知ってない。縦割りの効率の悪さは、有事において機能しないのは阪神大震災で周知の事実。
 自分の担当以外の省庁でも大臣は各自で質問できる。実際は忙しくてそれどころではなかった。縦割りの弊害を防ぐために一括採用後に省庁に振り分けるべき。
 宮沢内閣で持論の郵政民営化を唱えた小泉大臣は孤立した。しかし菅は出来た。それは連立内閣の時にしっかり合意を取り付けていたから。
 時間軸の縦割りで、当時の責任者を処罰することは出来なかった。故に理由をつけて現役職員のポストを処分したと。これは理不尽極まりない不公平な処分だろう。大臣として当時の事務次官らを訴訟するなど、もっといろいろやれたはずでは?負けるにせよ最高裁に持って行って判決・解釈を代えさせるなどやりようはあったと思うのだが…。
 郡司氏の件だけは特別に後任の小泉氏に文書を引き渡した。しかしこの件で処分はなしと。この時点で小泉という政治家がどういう政治家か分かりそうなもんですね
 大臣が人事に介入すると不当と報じられることがあると。当時のマスコミらしいですね。今でもレベルそのままだったり…。
 政務次官のほうが事務次官よりも権限が大きい。自民党長期政権で政務次官が形骸化されてしまった。民間人から登用できる秘書官が一人だけというのはどうなのだろう?給与も出るのだし、10人以上いても良いのでは?

 

 内閣の孤立、与党より政権党の方が正確。内閣・行政のおかしさについて触れられているが、与党・政党にいるものとしては、そのようなことを許さないためにどう内閣や大臣・首相をサポートするべきなのか?そういう視点が乏しい。内閣と党、そして党と支持組織・及び国民(無党派)などと言った広がり・展開がない。上のてっぺんのところばかりに注目が言って、下のビラミッドの下の方に意識が行ってない。そういう欠陥があると感じた。そしてその欠陥・欠点は民主党の組織全体の問題なのだろう
 中立な立場の特別顧問。英で官僚は中立でも、専門家はそれぞれ政権寄りの専門家を選ぶ。官僚は中立を守るために政治家に直接口利きが出来ないからこの特別顧問に訴える。特別顧問が判断すると。正直にそれを伝えられても官僚に命令する権利はない。この業績次第で政治家に転身もあると、良い制度ですね。

 

 せっかく増補版なのに、これから首相・総理になって~という段階なのに、知りたい情報は追記されていませんでしたね。かのように改革派政治家菅直人がいかに日和ったかが、非常に重要なポイントになるわけですけども、そういうのはありませんでした。どうして私は改革ができなかったのか?官僚におんぶにだっこだったのか?そういう本を出して欲しいんですけどね。