てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

鹿島茂著 『セックスレス亡国論』

セックスレス亡国論 (朝日新書)/朝日新聞出版
 興味が湧いた。鹿島先生の本、目についたこれを。前回のとまとめても良かったんですが微妙に長くなるので、これ単独で上げました。
 セックスとオナニ-では、人はオナニーに流れる。資本主義はお金で代替サービスを提供し、人をどんどん怠惰にする。資本主義の結果がオナニー>セックス。そういう要素は間違いなくあると思うが、それが全てではないと思う。引きこもってオナニーするのは何よりカネがない・貧しい&時間がないというところを見ないといけないしね。でもまあ、そういう視点から論じるということで読む分には有益な本かな。

 ○創世記オナンがオナニーの語源。
 ○類人猿は子が乳が飲みやすいように垂れている。垂れていないのは人間だけ。
 ○美人とは平均顔、平均顔は遺伝子異常が少ないので惹かれる。
 ○ブータンでは子供がいても目の前で平気でセックスする。―と書いてあるが、今でもそうなのかは不明。
 ○宗教は世界的に婚姻・出産奨励で、出産につながらないセックスを禁止する。僧侶・司祭が結婚しないのは、美人を自分がとってブスを他にあてがうという批判が起こるから。日本の場合は、交通が不便で統一的な機構・国家が不可能だから強力な組織が必要、婚姻で組織の強化が求められたというところかな?もともと人口も少なかったし有能な人物が求められた的な。
 ○識字率の向上と革命志向、そして出生率の低下という文明のパターンをトッドは主張する。日本は1850年江戸末期に男子の識字率50%を超える(もっと早くなかったっけ?)。
 ○アメリカから輸入されたプロテスタントの「ボーイ・ミーツ・ガール」の思想が明治20年ころ入ってくる。島崎藤村が初めて恋愛は尊いものであるという恋愛文学を書いた。それまでは遊女との恋愛が主流だった。
 ○70年代、恋愛自由経済なのに、恋愛証券取引所がない。会社やダンスパーティーが出会いの場だった。
 ○女性の快楽追求が当然になって、男性がセックスにプレッシャーを感じるようになった。
 ○学校群制度で、優秀な生徒が私立の男子校・女子校に流れ、学校での出会いの場がなくなった。これで出会いの時期に異性と触れ合っていない分奥手傾向になる。当然都会と田舎、地方によって話が違ってくるのだろうけど。
 ○米映画『草原の輝き』、結婚するまでセックスしないという倫理故の悲劇。男はやらせてくれないから別れて違う女を選ぶというもの。
 ○カトリックのナンパ文化ではポルノは必要なかった。結婚するまでセックスできなかったプロテスタントでポルノが必要とされ広まっていった。
 ○性的弱者は経済弱者であるという問題。ロリコン漫画の登場を書いているけど、ロリコンモノって一部・特定の人間だけであって、そんなに広範な現象だろうか…?露はお尻、伊は巨乳、日はロリ顔って書いているが…。それに嫌悪感を持つ人は多いと思うのだが…。バカそうな女がもてるというのも一部の嗜好に思える。バカそうな女「も」モテるならわかるが。
 ○広く薄く商売するほうが儲かるから、オナニー産業は発達してニートオナニストが増える。
 ○民衆はセックスと恋愛と財産を結びつけて考えていなかった。農作業の辛さといやし、一番手軽な娯楽として存在した。下の本に詳しく書かれているとのこと。

非常民の民俗学 (赤松啓介民俗学選集)/明石書店
夜這いの民俗学・夜這いの性愛論 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

 ○イギリスは現地民とは交わらない。ラテン系は現地調達主義。男を皆殺しにして混血を生む。
 ○王族は、血統の良いものとしか交わらない。ゆえに欠陥が生じる。アンリ4性は結婚して子供が生まれないことを理由に離婚したが、教会の許可が降りないので名目上は近親婚で離婚した。
 ○王族には嫁入りの際、処女膜チェックがあった。マリー・アントワネットも行われた。夫婦の寝室に両家の侍医が立ち会って確認をする。
 ○19世紀以前の文学は「持参金文学」。持参金なき嫁入りは奴隷と同じ。アキテーヌ公国アリエノール・ダキテーヌが仏ルイ七世と離婚して、持参金のアキテーヌ公国を持ち帰る。今度はアンジュー伯アンリと再婚。そのアンリがイングランド王になって、アキテーヌ公国が英領になり、100年戦争の遠因となる。リア王が娘に持参金をやらないと言ったり、持参金のない貧しい娘が努力する文学が多い。処女膜と持参金はセット、なければ持参金がより必要になる。
 ○バルザックトルストイフロベールは不倫。こういう文化では人妻としか恋愛できない。子供を産めば後は自由恋愛が出来た。
 ○性欲を戒める故に子供を産んだら、去勢するロシアの宗派があった。ラスプーチンは鞭打派で、自分をムチで打っていた。
 ○フランス王の妾は貴族でないといけなかった。デュ・バリー夫人のように娼婦上りの場合は一度貴族に嫁いでから妾になっていた。
 ○ナポレオンが民法を書いて以降、法律的に持参金文化は消えていく、慣習自体はその後も残り続けて、長い期間を経て消えていった。持参金を通じた娘のコントロール、及びその相手・家へのコントロールという文化も、人妻が独身男性と恋愛する文化も、父親の権利も消えていく。そして「娘対父」から「母対息子」になっていく。プルースト失われた時を求めて、ロレンスの息子たちの恋人たちがそう。
 ○トクヴィルは米で若い男女がデートしているのを見て驚いている。セックスしないはずがないから。アメリカは子作り以外のセックスにも寛容になった。しかし不倫は厳禁。カトリックは人間の弱さを認めて不倫にも寛容。これはクリントンミッテランの時のスキャンダルの違いで明らか。仏人は冗談であの不倫で米人に親しみが持てるようになったという。ハグ・キス文化がハリウッド映画経由で仏に持ち込まれる。
 ○サドの死刑はアナルセックス、マサチューセッツアリゾナ州ではフェラチオで刑務所に入れられる。人間の弱さを認めてアウグスティヌスが売春を合法化した。厳しい性倫理が適切な風土・時代なのか、それとも寛容な性倫理のほうが適切なのか?それによって宗教倫理の変遷、宗教の布教成功などの点から見てみるのも面白いのかもしれない
 ○1960年代までプロテスタント文化の影響でヌードに厳しかった。エロいのはヨーロッパと決まっていた。結婚するまでセックスしないという「フラート」を実践したボーヴォワール
 ○日本の禁欲は儒教、戦争の際に嫁が浮気されたら困る(まだ儒教全盛ではなかったと思うのだが…?)戦場で楽しむために稚児文化が生まれた。薩摩ではそういう慣習が残っており、大久保も西郷も子供の時には掘られていた。薩摩趣味と言われて、長く存続していたという。男を買う陰間茶屋で、夫人が偉い坊さんの説法を聞きに行くという名目で出かけていた。
 ○男女交際・恋愛が必要とされるようになって鹿鳴館・ダンスパーティーが生まれたと。出会いの場だったわけだ。
 ○田中小実昌の小説を読むと、セックスしたいから結婚していたということがよく分かる。自分の奥さんが美人と語るから見に行ったらひどかったという話がある。イメージできるものもないし、簡単にセックスできる時代でもない。セックスできれば容姿は問わなかった。
 ○若衆宿のような未亡人から始めよ?そんな都合の良い未亡人がいるだろうか?
 ○ポルノ解禁で、そうしたら実際に行動に移す男が増えるのではという危惧があった。実際は真逆。男はイメージする動物だから、イメージで自己完結できる。男はほっといたらオナニーする。女は妊娠しなくてはいけない体感的な動物。リアルを必ず求める。オーガニズムで子宮がイソギンチャクのように動きバキュームする。それで妊娠率が上がるという仕組み。男の好む体位と女では異なる。神の設計ミス?女が自分から動かないと快楽を得られない。女は放恣状態、男への絶対的な信頼感が必要。オナニーでポイントを知って、オーガニズムを経験していないと本番で出来ない。イメージ的動物の男は目を開き、食感的動物である女は目を閉じる。

まあ、文学ネタもあり、トリビアネタもあり、そこそこ面白い本じゃないでしょうか。色々?と感じることもありましたけどね。