てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

シリアの渡航制限の初判決、東京地裁は外務省を支持


 漫画ネタを書こうと思って、色々過去記事を見返したりで終わらなかったので、目についたこんな話を。過去に取り上げたことがあると思っていたら、こちらでは書いていませんでしたね(※昔書いたもの―パスポート返納騒動についてついでに関係ありそうな過去記事のリンクも一応貼っときます→ジャーナリスト安田純平氏、シリアで拘束 安易な自己責任論を振りかざすべからず )。いい加減過去記事全部移せという話ですが。パスポート返納騒動の初判決が出たのでその話をしたいと思います。まあ過去記事で書いたことと被るのですが、思いついたこともあるのでいいかなと。

NHKニュースのリンク先から以下目についたものを抜書
 シリアでの取材を計画していた新潟市のフリーカメラマンが、外務省にパスポートを差し押さえられ、渡航先を制限された事件があり、その判決についてです。東京地方裁判所は「報道の自由より生命の安全を優先したことが不当とはいえない」として訴えを退ける判決をだした。

 東京地方裁判所の古田孝夫裁判長いわく、「当時の状況から見て外務大臣が生命の安全を優先したことが不当とはいえない。命を賭けてでも報道しようとする姿勢は崇高なものだが、日本の憲法がいかなる場合にも生命より報道の自由を優先して保護すべきだとしているとは解釈できない」

 渡航先の制限についても「原告はイラクやシリアに渡航する必要性を具体的に示していない」などと指摘した。

 フリーカメラマンの杉本祐一さんは会見を開き、「このような判断が判例になってはいけない。外務省が勝手に気にくわない人間の行動を抑えてくるような気がしてならない。自分は個人の取材者で立場が弱いので、パスポートを強制的に返納させられたと思うが、今後、報道機関にも影響が及ぶことを危惧している」

―とあるわけですが、まあ言うまでもなく、「報道の自由」という権利というか概念を、国民の身体・生命・財産の保護というロジックで押さえつけることを正当化しようというのは間違っているわけですね。

 まあ13条で「公共の福祉に反しない限り」という留保があることを示すまでもなく、あらゆる自由というのは公共の観点から制限されるもの。公、社会全体に迷惑がかかるからその自由は認められないよと制限がかかるのは至極当然のこと。しかし、この渡航禁止・報道禁止というのはまるで理にそぐわない話。

 自由民主主義社会において自由な報道があるのは当たり前。自由な報道・言論空間なくして自由民主主義は成り立ち得ない。国家・政府が個人が報道のために~したいということを制限するなんて普通はありえない。前にも書きましたけど、まず前提として有事だから・危険だから報道しに行くということは崇高な行為であるわけですね。我が身を顧みずに情報を取りに行く。その情報が回り回って、外交・政治・経済に非常に役に立ってくる。インフラのようなものなわけです。基本的にそれを制限する理由はない。

 ところが、誘拐リスク・殺害リスクが高いという背景がある。だから渡航を制限・禁止するというのは間違ってはいない。が、基本的には「こうこうこうしたうえでこうしなさい」と諸条件を設けることで済ますべきこと。絶対に行くなと一律禁止するようなことはあってはならない。

 メディアの方でも内輪の機関でしっかりした報道人なのかどうか、資格があるのか審査して免許を出せばいい。「この人はちゃんとしたジャーナリストで現地にパイプもあり、リスクは高くないですよ」と証明すればいい。あなたはきちんとした人物ですから渡航してもいい。一般人はダメな危険エリアAにも行っていいですよとか、逆にあなたはまだその資格が無いから行ってもエリアBまでですよとか、ルールを作ればいい。*1

 本来記者クラブという業界の寄り合い内輪機関というのはそういう役割を果たすべきもの。ただの談合機関になっては困る。本来はそういう指摘がなされるべきだと考えるのだがそういう声は聞こえてこない不思議。

 で、本人の身に危険がある。最悪死ぬ、それを本人がわかった上で行くのだから禁止する理由はない。前回も書いたとおり、政府が拐われた邦人について救助努力をするのは当然。救助のために精一杯努力して助かれば、よくやった。助からなくてもそれはそれでやむなし。ただ、政府が適切な対応・処置をしたかは後々検証が必要で、そこでまっとうな対応ができていなければ反省や責任が問われるもの。

 いずれにせよ普通の外交をして、普通の対応をすればいいだけ。そこに自己責任がどうたらこうたらとか、ジャーナリストが思い上がっているとか、国民の税金が無駄になったとか余計な論理を持ち込む必要性はどこにもない。

 そもそも国民の税金が無駄になるというセンスがありえない。「報道=社会のインフラ」という価値が欠け落ちてしまっているとしか思えない。水と平和はタダというフレーズが20年前くらいに流行ったが、「情報はタダ」だと思っているのではないか?ある日思いついたから、この情報を取りに行こうと出かけていって簡単に手に入るものではない。どんな分野でもあたり前のことだが日夜努力して長年の下積みの結果、成果が生まれる。努力を放棄する・一度捨て去ってしまえば一から作るのには途方もない時間と金がかかる。質の高い報道・情報が得られる社会というものがどれだけありがたいか言うまでもない。その認識が欠如している。

 まあテレビのばかみたいな報道を見ているといかに情報精度・リテラシーが低いかわかるはずだが、そういうものが当たり前のレベルだと殆どの人が錯覚しているから気づかないのかもしれないが。

 かのジャーナリストが素晴らしい人間で極めて優秀な報道人であるかどうか知り得ないが、優秀な報道人が危険な場所に行くことを歓迎こそすれ、非難することは本来ありえない。

 ISの支配地域ということは、そこは現状国際秩序から逸脱した危険地域。その危険な反既存国際秩序支配地域を我々は打倒・解放する必要性がある。そういう反社会的勢力と戦うのは当然のこと。問われるとしたらそのISとの戦い方が十分ではない、政府は国際社会に対してきちんと責任を果たせていない―というような批判が起こるもの。当たり前の国際感覚が抜け落ちてしまっているから、渡航するジャーナリストを迷惑だなどと平気でいえてしまうのだろうが…。

 ISの勢力拡大は他人事でも無関係なことでもない。それについて積極的に関与しに行くことは間違いではない。そういう行為について「迷惑だ」なんていうのは国際社会の論理を理解していない感覚だろう。

 政府は政治経済や外交・軍事でそういう危険な勢力と戦うわけだが、個人として報道人が報道をするということを通じて戦うという要素がある。それを国家が制限するというのは戦いを放棄することに等しい。これこそ非難されるべきことである。

 ISという反社会的勢力と戦っているのは、米の専売特許ではない。言うまでもなく日本も同じ。国際秩序を維持する上で大国としての責任がある。既存国際秩序がある上で日本の今の繁栄がある。それを守るために危険な勢力と戦うのは当たり前のこと。一時的な制限ならともかく、このような形での制限は理にそぐわない。それこそ報道人を入れないで色々やましいことをしようとしていると批判されてもおかしくない。

 当然そういう批判は上がらない。何故かというと今回の渡航禁止措置というのは、一般的にありがちな政府が国民に知られたくないがために報道を制限して隠れてコソコソやるというのではなく、単純に能力がないから禁止しているに過ぎないから。

 本来、普通の国であればこういう拉致や誘拐に対して適切な対応・処置を取ることが出来る。事件が起こっても、淡々といつもの危機管理として処理をすればいいだけ。ところがそういうことをする能力が著しく乏しいから、いつも下手を踏む・後手に回る。そういう政府や外務省の能力の無さを白日のもとに晒したくないからやらないようにしているだけ。ハッキリ言ってこれは職務放棄と言っていい。本当は国民は何考えているんだ!職務怠慢だ!と怒るべき出来事。

 にも関わらず、迷惑だ&自己責任になる。一般的な価値観、災害時に迷惑にならないように危険なところに近づかないようにしましょう的な価値観で捉えてしまっている。この愚かしさに気づかない人は多い。今回のようなジャーナリスト一個人レベルならまだ良い。これが海外旅行中の、あるいは海外ビジネスマンの邦人だったらどうなるか?政府・外務省が危機に対して適切な処置をして彼らを救うという普通の国家であれば出来る当たり前の行為が満足に出来ないとなったら?

 一ジャーナリストに対して、打つ手を持っていない。あらゆるパイプ・ルートを通じて国民を守るということが出来ない政府が、そういう時にどれくらい国民保護が出来るか?一々言うまでもなかろう。報道の自由と身体・生命の自由をギリギリのラインで調整して両方守ろうという苦労も努力もしない政府が、その時はちゃんと出来ると考えるほうがおかしい。

 政府や外務省としてはこういう現象を「迷惑だ」で片付けてくれる世論を見てシメシメと思っているだろう。仕事を放棄して責任を追求されるのではなく、放棄した責任を当事者の責任だ!自己責任だ!と言って逃れられるのだから。

 まあその論理に未だに気づかずにいる人々は明日は我が身だということを存分に覚悟していただきたい。危機・非常時において取るべき対策・手順がしっかり構築されていないのですから。

 肉屋を支持する豚とはよく言われることですが、この渡航制限の話を聞いて「当然だ」「自業自得だ」「迷惑だ」と反応する方々はあらためて自分たちに跳ね返ってくる話だと理解していただきたいですね。自己責任だと言う論理はいつか必ず、自分が苦境に陥った時、苦しくなった時も社会や世間から自己責任だと言われてほうって置かれますよ。そういう社会が良い社会かどうかよく考えていただきたいものですね。

*1:まあそうなると必然的にその審査機関について色々な問題が発生してくるんでしょうけどね