てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

渡辺喜美 おおさか維新から参院選比例立候補

 元みんなの党代表、渡辺喜美氏が大阪維新から比例で出馬するようです(選挙区ではしないのでしょうか?選挙区の調整がついていないだけなのかな?)。まあ、一時期飛ぶ鳥を落とす勢いだった二人、橋下さんと渡辺さんが今頃落ちぶれてから手を組むというのは、だったらはじめっからそうしとけという話ですが。

 橋下さんは落ちぶれたわけではないですが、肝心要の大阪都構想が失敗してトップの地位を放り投げて一私人の地位に戻りましたので、まあ微妙な人ということには変わりがない。最近都知事候補として、名前が上がりましたが、そもそも大阪改革に尽力し続けてもう無理だとなって辞めたのに、「東京都知事やりまーす」なんてありえるわけ無いでしょうにね。大阪人大激怒になるでしょう、やるわけありませんよ。

 そんなことはさておいて、党運営に失敗して、何もかも失った渡辺さんが今更おおさか維新の会ってどういうことなんでしょうね?わがまま放題というか、我が強いが故に組織を崩壊させた人だから、大阪維新でもしばらくしたら自己主張を貫いて党を混乱させるだろうという見方があるとかないとか。

 まあ、それはいいとして、みんなの党と維新の党は元々政策にそれほど違いがなかった。合併して戦っていればどうなっていたのか?あそこの政党合併で失敗したからこその今があるわけですね。二人共(両党とも?)重要な決断を謝ったからこその今の窮地といえますね。

 合併するなら、自分たちに都合のいい条件で、それがのめないなら別にあなた方はいりません、合併やらなくて結構です―という態度はわがままを通り越して、大局観の欠如。そして自分の組織を思うように動かさないと気がすまないというリーダー資質の欠如を意味しますね。

 大組織の一幹部じゃやだ、中小規模でいいからトップで思うようにやれないと嫌だ。こういう考えはどういう思想に基づくものなのでしょうか?なんか昔そんなこと書いた気がしますが、まあいいですかね。改革派政治家は「ぼくのかんがえたさいきょうのせいじかいかく」を100%実行したがって、小異を飲めない・妥協ができない。そういう政治家が多いのは日本の政治にとってものすごい不安な傾向ですね。

 敗北・失敗までも見据えて、失敗しても、自分の同輩・後輩・弟子が将来必ず改革をやり遂げてくれる。そのために自分は礎を作る。自分はタダでは死なない。最悪を考えて、これだけはやる。そういう思考ができていない気がします。要するに自己を過大評価しすぎているんですよね。

 今のところ改革派ニューリーダーも出てきていませんし、参ったなぁというところですね。次のニューリーダー達には、ぜひともこの失敗を活かして政治改革・政界改革に取り組んでいただきたいものです。

おおさか維新、足立康史議員 郷原氏に暴言

 おおさか維新の足立康史議員について、以前、元秘書に「残業代払えなんてふざけるな!」という話題を取り上げました。この事自体については、足立議員に一定の理があるのですが、その物言いについては疑問がある。また何かやらかすのではないか?と書いた記憶があります。

 2月24日の衆院予算委の公聴会で、公述人として出席した郷原信郎氏に対し、「専門家ではなく政治屋。予算委の場で売名行為をした」と暴言を浴びせたとのこと。これにより民主・維新両党から微罰動議を出されたと。

 経緯は郷原信郎氏のブログ に書かれていたので、読んだが、甘利氏の事件、あっせん利得について、郷原氏がまさにこのケースがあたるということを話したら自民の平沢議員を中心に、山下議員、そして件の足立議員が郷原氏の陳述人としての正当性がないという攻撃に出たようですね。

 自分たちの大臣が「攻撃」されたら、公平ではない!民主党の手先だ!と言い出すのはどういう神経をしているのか…。まあ自民の人は組織防衛、仲間を守るという意味でそういう行動に出たのはともかくとして、おおさか維新の足立氏が自民ベッタリの擁護を見せるというのはどういうことなのでしょうか?

 また足立氏は1月ごろの国会質問で安倍首相に「秋に国会を開かないで、外交をよくやった」と安倍総理におべんちゃらを使っていました。国会議員が憲法違反をして、国会を開かない内閣を、緊急性があったわけでもないのに外交をよくやった!なんていうセンスがすごいですね。国会答弁がYou tubeにありました。映像はこちら(www.youtube.com/watch?v=yJmNNX )ご参照あれ。

 臨時国会を開かなくてよかったねって本当に言ってますね。「責任野党」の名の下に安倍さんに媚を売っていく当時、なんでこんなことをするのか?とおもいきや、元官僚で行き場がない。おおさか維新も橋下さんがいなくなって、大阪でならともかく、それ以外では当選する可能性が小さい。つまり今から自民・安倍氏にこびを打ってパイプを作っておこうという算段なんでしょうね。まあいわば「偽装野党(議員)」ということでしょう。

 おべんちゃらというか太鼓持ちというか、すごい良いキャラしてるなぁ(笑)と、当時見ていて思いましたが、今回の郷原さんの件で、完全にアウト・危険リスト入りですね。この人は当選させてはならない手合の議員でしょう。政治をやりたい!改革したい!というよりも生き残りたい、権力・おいしい地位にありつきたいというタイプなんでしょう。なので、こういう行動に出るとしか考えられないですね。

 そうでなかったら、本当に「敵」「味方」思考で、「悪」が美しい日本を汚しにかがっているという危険な思考をしている人でしょう。まあいずれにせよアウト。残業代ふざけるなとか、腰が軽そうな人なので、多分またなんか問題発言・行動で辞職しそうな気がします―と、当時つぶやいていたら、ゲンダイに政治資金問題を取り上げられていましたね(公述人に暴言 おおさか維新・足立議員のデタラメ政治資金 )。

 次の選挙に通るかどころか、辞職に追い込まれるかもしれませんね。おおさか維新の方でも早いところ彼を切らないと、イメージダウンを避けられないでしょうね。

新党名候補に民進党、台湾民進党が不快感への疑問と台湾への外交パイプ意識か?

 民主党台湾系の議員がいることは台湾人・議員なら絶対知っているはず、日本の政党が民進党の名前を使う=台湾政治への尊敬。それを馬鹿にするようなことを普通は言わないでしょう。関係者=アレな人か、自民党議員との会話の中での軽口なので、おそらくリップサービスみたいなものでしょう。

 まあ、言うまでもなく、産経の報道なので、相手にするほどのことではない。そう言われるとそうなのですが、まあ真に受けている人が多いですよね。民進党の議員・自民党の議員の名前も明らかでなければ、どういった席での会話なのかも不明。こういう小ネタは何かあった時に、そういえばこんな話がありましてね~と出して、さもありなんという時に使うようなもの。イチイチ一本単独で取り上げるようなものではない。新聞なのに主張がふわっと・もやもやしすぎでしょう。

 

 自民党民進党民主党=国民党とでも言うような軸が存在しているのならばわかりますが、そういった感じもあまりしませんしね。昨今の不穏な情勢を考えると、中国が怖い。従米だろうがなんだろうが、アメリカに協力して安保で頼りになる日本と考えて、自民に好意的という議員がいてもおかしくはないですけどね。まあ主流派・多数派ということはないかと思います(重要な安保面なだけに、今後多数派になる可能性は否定できませんが)。

 親中的な民主党、そのラインから親国民党という話はあまり聞きませんね。台湾情勢は国際情勢上リスクなので、それを減らすためにそういったパイプを持つ政治家がいてもおかしくないのですが、まあ聞いたことが無いですね。民主党に「鈴木宗男」がいない、そういうところも民主党が政権を維持できない要因があるということでしょうか。

 

 それはさておいて、民進党というネーミングを考えるに、「民主党」という党名がアメリカの「民主党」を意識したものであるのは言うまでもありません*1。一案としてでも台湾の既存政党名を持ち出してくるというのは、意外に重要だと思います。前述通り、台湾系議員がいるというだけでなく、台湾とのコネをこの機会に強化しようという思惑があると見ていいでしょう。「民」主+維「新」という対等合併が連想されやすいということで、音が同じになる「民進」という要素が大きいのでしょうけどね。

 台湾の政治ニュースとして、間違いなく民進党というネーミングが有力案に上がっているという報道がなされるでしょうし、台湾の議員はそこに注目して何らかのアプローチをしてくるのではないでしょうか?新党結成後もアプローチをするのでしょうけどね。新党が台湾に何を求めているのが、地味に気になるところですね。

 

※追記、

まあ、そりゃこうなりますよね。というかこっちのほうがオフィシャルになるに決まってるわけで。私的な場面での一議員、しかも匿名で、自社の思惑にそっているからと都合のいいように発信するのはどうなんですかね…。

*2

*1:逆に言うと、米を尊敬して生まれた民主党政権について、なんの特別なはからいも見せなかったオバマ政権の外交センスの欠如を象徴することでもあります。民主党という政党名の放棄は、アメリカ離れを象徴する出来事と言えるでしょう。その延長上、あてこすりとしての民進党というネーミングかもしれませんね

*2:アイキャッチ用 

日中関係史 1972-2012 III社会・文化

日中関係史 1972-2012 III社会・文化