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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

【アノミー】 エヴァンゲリオンと村上春樹、あとよつばと!

まともな分析 マンガ・アニメレヴュー

過去記事の再掲です。元は10/10に書いたものです。

 尖閣外交の話で「喪失感」と、村上春樹、『エヴァンゲリオン』に触れたので、まとめ直しを。結構食いつきがよさそうなのでね。今後は何でもかんでもアノミーに結び付けて分析していくことになるでしょう。もう、「わしがそだてた!」みたいにね。何でもかんでもアノミーにします。

 

村上春樹

 村上春樹氏の諸作品に共通しているのは喪失感。近代化の過程とは都市化の過程そのものであり、都市化とは人間の個人化、孤独化に結びつく。それに伴って個人を結びつける共同体、新しい関係性を保障するシステムが必要なのに、日本ではそれが全く生まれなかった。近代化に伴う孤独化が今の問題の原点です。その問題を知ってか知らずか、村上春樹は上手く描いています。

 『ノルウェイの森(文庫)』に出てくる主人公、人物にしろ、『海辺のカフカ』にしろ、『ねじまき鳥』にしろ、みんな今、生きているうえでの漠然とした不安や、あやふやな自分という存在に対する虚無感が見て取れますよね。「大事な何かをなくしてしまってるんじゃないか?」こういう喪失感がベースにあって、それに対してどの人物もあやふやな行動をしますね。な~んとなく、です。過激な運動、強烈な自己主張、徹底した探求・追及などは作品に見られません。

 なんとなく行動し、なんとなく生きる。まさに現代人の日常に対するこれでいいのだろうか?という不安感が垣間見えます。そのなかでも、時折、おやっと思わせる異常な出来事が出てくる違和感、異世界を演出して、そこに引きずり込んでいくというのが彼のスタイル。そういうものを創りだすのが本当に上手ですよね、村上春樹氏は。そのあやふやで、単純な理由でも、生きようという意味を見出そうとする主人公やその他登場人物の姿勢は現代人そのもので、多くの共感を生むのでしょう。

 

エヴァンゲリオン

 『エヴァンゲリオン』は主人公碇シンジが抱える家族関係の断絶社会関係からの断絶が最初に描かれます。孤独を感じ、自己を喪失した姿、どこにも帰る場所を見出せない彼の姿はまさに現代青少年・少女共通の心情そのものです*1。その他登場するキャラ、自分の存在に疑問を感じ、葛藤する少年少女の姿は現代人と同じ。evangelion福音書を意味しますが、その意味は「救済の到来」です。人がもう苦しむことはない、祝福が約束されたという知らせのことですから。あの作品のテーマに、現代人の苦しみからの救済というテーマがあることは明らかです。

 

 救済をもとめる人間がアニメにひきつけられる。つまり多くの信者をひきつけたオウムがカルトに走ったことからわかるように、現代宗教は全く無力なんです。オウムが他の宗教と異なっていたのは修行があったこと。修行を通じて自己救済を明確化していたこと、よって共同体から希薄化した個人・遊離化した個人がオウムにひきつけられたという側面があります。現代宗教家はこの状態を見て何も感じないのでしょうか?宗教家は宗教再生に向けて本格的に動き出さなくてはならないと思いますね。

 特に宗教に限った話ではありませんが、とにかく今の社会に関係性を構築するシステムを整えなければいけない。そうでなければ現代社会の問題/病理は解決されないということですね。

 

【アニメから消える親の姿―よつばと!に期待】

 ああ、そうそう、最近のアニメ・漫画を見ると家族関係を描いているものが本当に少ない。片親だったり、両親が存在しない。親の姿が物凄くあいまいになってますね。親というキャラクターが希薄化しているCLANNADぐらいではないでしょうか?家族関係を真正面から扱っているものというのは(これ見たことないから、よく知らないのですが)?いずれにせよ、まっとうな親子の交流が、描かれている作品はほとんどないといって良いでしょう。みなみけ灼眼のシャナよつばと!けいおんとらドラ、咲。その他色々あるでしょうが、まともな家族構成でなかったり、そこに親の姿が全くなかったりする。親というキャラクターが介在する余地はない、親がいるとストーリーが面白くならないという構造が今の日本社会にある。なんて恐ろしいことでしょうか…。

 『よつばと』は人と人の交流を描いたハートフルストーリーで、誰でも楽しめる作品でしょう。あずまきよひこは天才だと思います。しかしその裏にある設定の怖さは注目すべきでしょうね。外国から拾ってきた女の子を育てるという設定は日常考え付かない、どちらかというと恐ろしい環境。周囲の人・環境に恵まれたから、主人公のよつばは毎日を楽しく過ごせてはいるが、このようなバックグラウンドを背負った彼女が、成長してどういう辛い目にあうのかを想像すると…。なにやら日本の社会に警鐘を鳴らしているようにも見えてきます。将来は苦難が待っているが、今この瞬間を精一杯楽しんでいる…というふうに見えてしまうのが今の日本の社会です*2

 変則的ですが、父や母を描いて子供を楽しませてくれる、親子の絆がはぐくまれていくであろうストーリーを描いているあずまきよひこには、是非親子関係の物語を描いて、親子関係再生の旗手になってもらいたいと思いますね。たまごクラブ・ひよこクラブを卒業したあとはよつばと!を読むことが、父親・母親の義務にいずれなるでしょう(笑)。

 

【宗教の去勢と言論の自由の喪失】

 信長の宗教の脱政治化、そしてその後の封じ込めは見事だった。それによって、日本に宗教戦争の愚が消えることになった。しかし政治勢力が宗教勢力に勝利をすることで、言論の自由という価値観が欧州のように確立されなかった。多様な価値観を守ろうという風土が消えてしまったのもまた事実でしょう。そこから改革は始めないといけないと思いますね。

 

 宗教・教育・地域共同体=コミュニティの再生、全てはつながっているが、まず言論の自由良心の自由が根底にあるということを理解しなくてはならない。それなくして独立した自由な個人はありえませんし、その個人が有機的に連帯する関係性も生まれ得ないでしょうからね。

 

【市場の原則に立ち返れ】

 何故日本で唯一世界に通用する文化がアニメ・漫画なのか?そこには自由に参入し、競争し、才能あるものが認められるからでしょう。もはや文筆では村上春樹以外に世界に通用する人間がいなくなりました。世界に通用する人材をいかに作るか、それを前提に根底からやり直さなくてはいけない時代が来ています。自由な環境で公平な競争をしなければ天才は育ちません。世界に通用する透明性と人と人の関係性の見直し。全ての政策はここを基準としなければならないでしょう。

*1:エヴァQだったか?映画があったのですけど、そこでも再びまた主人公碇シンジはなんにもよくわからない状況にいきなり放り込まれますね。ハイデガーの言う投企のように、人間というのは誕生していきなり意味設定が確立されているゲームにぶち込まれます。そこから手探りでよちよち歩きから意味を学習して独り立ちするのですけど、結局自分が生きる意味というのは掴みきれないわけですね。そういう問題を描きたいからこそ、いきなりわけのわからない状況・環境に追い込まれて戦わされるという設定を描いたのでしょう、庵野監督は。

*2:そんなのお前の考えすぎだ、バカと言われればそれまでですが。ふと、もし現実によつばととーちゃんがいたら、学校に通いだしたらいじめなど、色々な迫害・衝突があって、幸せな毎日をちゃんと送れないだろうなと考えずにはいられないのですよね。逆に言うとそういうことを考えずに済む社会を我々は作らないといけないわけです