てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

冷戦の起源⑤

冷戦の起源I (中公クラシックス)/中央公論新社

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冷戦の起源II (中公クラシックス)/中央公論新社

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p166、二 重慶・延安・ワシントン

 中国への過剰評価と思い入れ。中国共産党が必ずしもソ連との距離が近いわけではなかったこと。ハーレー大使という不適格な人選。共産党は<一種のポピュリスト農民労働党>とみなされていた。これはソ連も似たり寄ったりだった。来たるべき中国の内戦に備えた中国の海軍支援、マイルズミッション。陸軍がその空間支配能力や人的資源の限界を知るがゆえに慎重なのに対して、海軍は介入に積極的であった。中国において陸軍と海軍は異なる戦争を戦っていた(※このような陸軍と海軍の組織対立は珍しいものではないが、このような観点からの研究はおもしろそう。たぶん何らかの研究・論文があるはずだから探してみよう)。

p186、三 “ヤルタ取引き”の構造

 延安の強い兵力に注目して共産党にも声をかけたが、彼らの提案を受け入れて国共合作による統一政府を支援することはなかった。軍事的に米が国民党の支援をやめれば、それで共産党が勝利するという構造で、中国共産党が第一党になるものだったため。米もソ連も交渉相手として蒋介石が好ましい相手とみていたこと、また戦後は中国・朝鮮を米とソが管理するプランだったために、両方共中国共産党の申し入れを受けいれる余地はなかった。大連の自由港化と満州の鉄道をスターリンは望んでいた。ローズベルトは香港どころかインドまで英を排除しようとしていた。彼はアジア・太平洋においてはソを重視していた。これはスターリン外交に対する無知からくるもの。

 当時原爆がまだ有効であるとみられていないころ、ソ連の参戦は対日戦を終わらせるうえで必要不可欠であると考えられていた。そのためにソ連に大きく譲歩する必要があった。それこそが戦後の勢力均衡の配慮に欠けた、ヤルタ協定で対ソ譲歩、ロシアの権益回復にソ連の拡大をもたらしたのであった。

 戦後米の協調の必要性を考えて、イデオロギーを重視した外交中国共産党の支援は危険なものに移ったと考えていいだろう。それよりも伝統的なパワーを重視する方針を取ったと。マーガリン共産主義というスターリンの蔑視もまたそこに作用しただろう。中国の同意なくソ連外蒙古満州などの権益が与えられたが、ヤルタバーゲンによってソ連を満足させることで、蒋介石政権による共産党政権樹立を防ぐという中国大陸の新たなビヒモスを封じ込めようという試みがあった。故にこの時点での毛・周と友好関係を築きたいという書簡が実を結ぶ形に発展することは考えられなかっただろう。

 そしてヤルタ体制は米ソが事前に予定していなかった三つの重大な変化が起こった。まず原爆投下による日本の早期降伏とアジア植民地における民族主義革命の高まり。次に、大陸に中国共産党政権の確立と中国がその東洋の覚醒の中心地となること。最後に日本が米の基地を持ち、アジアで有力な同盟国となること。この変化を考慮せずに朝鮮戦争の勃発は理解できない。

p203、第五章 原爆投下の決定

一 問題の所在

 当時においては原爆は多くのアメリカ人の命を救った「合法な兵器」であった。ほとんどすべての政策決定参加者にとってこれは「自明の公理」平和反戦論者のドワイトマクドナルドが原爆投下直後にその性質を、人種差別・復讐、そしてアメリカ的生活様式の産物という本質を鋭く付いている。原爆は不必要かつ非人道的だったが、ソ連との戦略上必要だったというのは「後知恵」以外の何物でもない(※あるいは米の道義的責任を軽減させる役割もあるのだろうか?修正主義は主にソ連よりの立場から見て論を構築するという動機が主になってはいるが…)。

 確かにバーンズ国務長官ソ連参戦以前に日本問題のカタを付けたがっていた。宋子文外相ソ連の交渉が終わり次第、ソ連が参戦することになっていたので、その交渉を長引かせようと蒋介石に要請したいう事実もある。しかしこれは原爆使用が対ソのためということとは繋がらない。欧州の安定のためには、北西部の工業力と南西部の農業力が結びつくことが必要不可欠。東欧を支配するために故意に交渉を長引かせ、ソ連を挑発し、冷戦を引き起こした。原爆を投下したのは冷戦前の計算された政治的・外交的所産である。―このように逆算するがゆえに、何故に原爆の事前通告や、威力を示すため無人地での使用や、対ソ宣戦通知、相手の顔を立てた穏やかな降伏条件を提示しなかったのか?という疑問が提示されて、そのような合理的選択がなされなかったのは、ソ連との来るべき戦いを見据えていたからにほかならないという逆算に繋がる。

 しかしこれは、アリソンの合理的選択モデルを前提とした、組織機構モデルや官僚政治モデルのような視点を見落としていると言わざるをえない。当時の意志決定者の考え方からすると、極めて当然のことをしただけにすぎない。問うとしたら「なぜトルーマンは原爆使用を中止するべき理由を見いだせなかった」かを問うべきなのである。これまで組織機構として、原爆を開発して使用するという力学が働いていた以上、それを止めるに値する強力な理由がなければ、それはもう止まりようがない。アイゼンハワー一人以外政府高官で原爆使用にためらいを感じるものはいなかった。原爆使用は「自明の公理」だった。

p215、二 官僚機構内部の対立

 トルーマンの対決引き伸ばし戦略と言われるものも、既存の政策の延長に過ぎない。つまり<不介入政策>と<延期政策>である。政策の<選択>をしたのではなく、<継続>。既存方針を延長、そのまま適用したにすぎないのである。対ソを見据えての原爆使用であるならば、いくつかの点をクリアしなくてはいけない。米がソの参戦を拒否するようになった、必要としなくなったか、米政府高官が原爆の威力を明確に理解していたか、そして来るべきソ連との対決・交渉材料として、原爆を使用する明確な意図があったか。それらはクリアされていないのである。

 ソ連参戦は必要不可欠というものから、兵士の人命損失を減らすのに有益というレベルに落ちていたが、不必要ではなかったし、リーヒ提督のように原爆が実際に機能するかどうかと疑っているものもいた。それは上陸支援に有効な戦術兵器にすぎないとも考えられていた。

 ギルバードとサリバンが書いた『ミカド』という本の影響から国務省内に言及するのをはばかられるような天皇の悪評があるとスティムソンは言っている。天皇に対する反感は国務省にとどまらず、議員のなかにも強い反感があった。例えば、B ・マクマホンは、「もし日本人が神・天皇の組織を維持することを許されるならば、われわれは休戦はしても終戦をしてはならない。もう一週間たたけば、戦争を終らせるばかりでなく、裕仁を終末にみちびくことができる」と述べ、T ・スチュワートは、「天皇なんぞ許せるものか。彼は戦犯である。私は彼を足の指で吊るして殺すのを見たい」といい、R ・ラッセルは、「天皇の残置はおそろしい間違いで、やがてわれわれは流血を見なければならなくなるであろう」などと述べている(全て民主党上院議員)。

 この世論の圧力(対日″宥和派″ のレッテルをはられることへの恐怖)と国務省内部分裂を避ける官僚的保守主義から、グルー、スチムソン、リーヒ、フォレスタル等の主張にもかかわらず天皇に関する「条項」は削除されたのであって、原爆実験成功がその主たる理由ではけっしてない。

 国務省を中心に、強力な反日姿勢が存在し、日本の外交姿勢を完全に見誤っていた。強硬な姿勢こそが日本を降伏に導くと考えていた。

p230、三 原爆と極東外交

 スターリンヤルタ協定の枠を超える要求を中国にするようになった。おそらくこれは国内の政治局に突き上げられたため。このスターリンの態度の硬化で、米もソに対する警戒が強まる。ポツダム宣言でのソ連除外が原爆使用と関係があるとはいえない。そもそも意思決定者が原爆の使用によって日本が即降伏をするとは考えていなかった。アーノルド空軍総司令官が言うようにそれは一種のサプライズであった。太平洋戦争は奇襲攻撃に始まり、奇襲攻撃に終わったのである

 すぐに降伏するとは考えていなかったからこそ、第三の原爆を小倉・新潟・東京のどこかに落とすプランがあった。バーンズの強行的な姿勢から、原爆を使いたかったというのは誤り。であるならば、日本に早期降伏させればいいのだから。それを許さなかったのは強行的な国内世論。バーンズ・トルーマンの一貫しない態度、決定の矛盾は国内世論に敏感になったがゆえのもの。彼らの矛盾は、国内・国民の矛盾した心情そのものの反映といえよう。

p245、四 内政の拘束と機構の惰性

 トルーマンは大統領就任直後、スチムソン長官から原爆のことを知り、四月サンフランシスコ国連創設準備会議に出席。モロトフ外相ポーランド問題で語りあい、米ソ関係には相互理解がなく、「いつも一方交通のみ」と述べ、ついで、(the Russians) could go to hellという文句を使って、モロトフ外相を激怒させ、「余の生涯でかくも(非礼な)言辞をきいたことがない」といわしめた。このトルーマンの粗野な態度に原爆があったことも否定しえない。

 ※しかしトルーマンモロトフ外相に(the Russians) could go to hellなんて暴言を吐くような人物ですが、人格的に大丈夫だったのでしょうか…。これが当時の米政治家のレベルだったのでしょうか。

 また、バーンズがマンハッタン計画に参加しているトップの科学者三名との会合で、「原爆が日本に降伏を強いるためとは少しもいわず、もっばら、ヨーロッパにおいてソ連を御しやすいものにするためと言った」と言われる。米国首脳部が、六月以降の段階で、原爆使用以外の可能性に真剣にとりくまず、意識、無意識のうちに原爆投下のショック戦略に魅力を感じていった一つの理由として、ソ連のことが念頭にあったことは否みがたい事実であろう。

 何が日本の降伏を決定させたか、原爆投下せずとも降伏をしたのは間違いない。ただ、何が決め手であったかという優先順位をつける試みはあまり有意義とはいえない。日本は遅かれ早かれ降伏をしただろうというのは、戦争継続能力から計っているが、ヴェトナム戦争のように戦争継続能力と抗戦意志というのは別物。原爆という超自然的な力は、軍人に降伏するにふさわしい理由を与えた。また、それに加えたソ連参戦の心理的ショックも大きかった。

 原爆と人種差別はことさらに語られるが、直接の証拠はない。完成する前にドイツは降伏してしまっていたし、米の原爆を米が組み立て、米の爆撃機で使用するのが自然の流れだった。アラモゴード原爆実験での物理学者の言では、ヒトラーという悪が原爆開発の大義だった。ヒトラーに使えないからこそ、日本に対して使うという考えに至った。また日本に対していかに使うかというのは、本来の計画をまた違ったものに変えただろうとも。つまり、もしヒトラー・ドイツが健在であれば、間違いなくドイツに対しても原爆は使用されたと考えられる(詳しくは次章)。

 トルーマンの私信「けだものを扱うにはけだものとして遇するしかない」にあるように、人種差別・復讐心は疑いようにない。これは戦争がいかに、正義と愛国の名のもとに人間性を奪い、非人道的にさせるかを示している。ドワイト・マクドナルドが述べたように、彼らが攻めてきたから、彼らが捕虜を虐待したから、彼らが降伏を拒否したから、彼らが原爆を開発して先に使わないようになど、どんな理由を持ってしてもこれを正当化することは出来ない。