てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

【コードギアス解説・考察】 新作映画『復活のルルーシュ the Re;surrection』についての事前予想というか雑感

 こんなちょいネタ書くために久しぶりにブログを更新しましたが、まあ、そんな大した話でもないんですが、気になったので書いておきます。コードギアスは本当にハマったアニメなので、劇場版商法で足を運ぶことがない人間ですが、制作会社の思惑にハマってホイホイ観に行こうと思ったので、事前に観る前にどう思っているかということを書いておきたいと思いました。

 というか追記した時に、書きましたが、総集編だと思って観に行かなかったんですよね皇道とか。シャーリーが生きているとか本当最近知って、最後の3作目だけでも観に行こうかと考えたら、もう近場で公開しているとこがなかったので諦めたくらいです。で、公開終わってから、3作チェックしたので気づいたこと、気になることを書いておこうかと。ギアスブロガーとして書かねばならぬ、何事も。ギアサーの姫として、姫サーのホモとして(意味不明)。

 映画とか、もう何年も観ていないんですよね。5~6年前かな?観に行ったの。観に行くきっかけがないと本当観に行かないですね、映画って。どうしても観たい作品なんてまずないですからね。しかし、コードギアスが新作映画をやるとなったらそりゃあ行くしかないでしょと。

 

■ 新作映画では「繰り返し」構造が否定される

 で、前回からの続きですが、ここで書いたように、 『コードギアス』という作品は、「繰り返し」構造になっている。「繰り返し」ているという事実を指摘したわけですが、総集編3部作映画ではなぜかシャーリーが生きている。これについてどう考えるべきなのか?シャーリー生存ルートということなのか、それこそシュタインズゲートの違う世界線という概念から、世界が修正されたみたいに考えるべきなのか?

 まず、我々にとって言えることは、新作映画はこの「繰り返し」構造を否定したものになるということですね。コードギアスが巧いのは、今回の新作映画・劇場版を劇場版商法だ!と否定できないことです。というのも、コードギアスという作品が、「繰り返し」構造で2期50話で完結した。もしもう1期、続編を作るとしたら、R3でもV3でも、OOでもSEEDでも∀でも、シリーズ名はなんでもいいですが、作るとしたら、25話で同じようになぞらえて作らないといけない。もう一度「繰り返し」構造に当てはめて作らないといけない。それがどれだけ難しいかは言うまでもないでしょう。そして何より、もうその「繰り返し」が理解されてしまった以上、興醒めというかコードギアスの売りである作品のヒキと次回の急展開・驚愕の展開というものが無くなってしまう。人気・魅力が半減とはいかずとも、かなり損なわれてしまうことになるのは間違いないでしょう。

 だからこの「繰り返し」構造を否定するのは当然すぎるほど当然すぎる結果ですね。

 「時空の管理局」が時間をさかのぼって過去を変えた、死者を生き返らせることも自由にできるとかなんとかかんとかありますが、そういう話を置いといても、シャーリーが生き返った結果から、間違いなくこの「繰り返し」構造は明確に否定されることになりますね。

 総集編がカットの雨あられで「えーここカットしちゃうの~」ということがあったかと思いますけど、尺の都合という他に「繰り返し」を意識させる部分のカットという意味合いも大きかったのでしょうね。1期と2期の出だしがそっくりな展開であるのは、誰が見ても一目瞭然。その2期の出だしをまるまるカットしたというのはそういうことなんでしょう。多分、繰り返し展開で残されていたのは最後のシーン。ユフィの虐殺とゼロ・レクイエムくらいでないかと思います。流石にここをカットすると話自体がわからなくなるので、カットして「繰り返し」構造を否定するというのは不可能でしょうからね。あとは、ロボットアニメにふさわしく見栄えする戦闘シーンを極力残すようにしたというところでしょうか。

 新作カットとしてディートハルトを殴ってボコボコにしたと思われるカットがありましたが、報道屋・政治に介入して歪曲しようとするものに対する批判のメッセージが追加されていましたが、そういえば、実はコードギアスは報道の問題とバットエンドという視点があるという話をしていなかったなぁと思い出しました。書いてる時間は勿論ないので、新作映画を見たあとにでも書きましょうかね。*1

 また、最後にルルーシュが死ぬシーンで、過去の思い出・回想がフラッシュバックしていくシーンが、現実から過去へとさかのぼっていくのではなく、逆になっていた。総集編映画では、過去から現在へと順になっていくように変わっていました。また、過去に帰って一からやり直すというメッセージが否定されたことからも、明らかだと思われます。新しい展開、新しい物語、新章突入!ということが想定されますね。

 

①シャーリーの生存*2

②繰り返し・なぞらえたパターンが殆どカット

③フラッシュバックが過去にさかのぼるのではなく、時系列順に展開

 

 ー以上の3点を考えると、新作映画では「繰り返し」は起こらず、新編ストーリー・新章展開になる可能性が強いと思われます*3。マリアンヌという最強のラスボスがより強くなって復活してくるパターンが有るのでは?と思ったんですが、PVなんかを見ても、どうも普通におニューの敵キャラ・勢力登場&バトルで終わりそうですね。マリアンヌ対決も観てみたいんですけどね、ジェレミアが戦うかどうか迷いそうですし。

 余計な話ですけど、ジェレミアはマリアンヌがCの世界で滅ぼされたのを知らないままだったのかなと思ってましたけど、最後のゼロ・レクイエムでルルーシュの望みをただ優先して聞き入れたのではなく、マリアンヌの悪事を聞いて、ゼロ・レクイエムのプランに賛同したんでしょうね。純血派で身分・出世のことしか考えていなかったヴィレッタが最終的に愛によって信念・主張を変えたように、ジェレミアもルルーシュの想いに触れて、純血派という思想も皇帝・皇族への忠義という思いも、ルルーシュという個人に対する忠誠へと昇華していったと考えるべきでしょうね。

 アーニャとのラストバトルも、過去のマリアンヌとの決別を意味する戦いなのでしょう。キャンセラーで記憶を取り戻したアーニャが恩義に感じて、ジェレミアのみかん畑・農業を手伝うという絵だと思ってましたが、ジェレミアの贖罪でもあるのでしょうね。マリアンヌによって人生をぐちゃぐちゃにされたアーニャ、マリアンヌという人間に忠義を捧げていたジェレミアにとって、間接的に自分が彼女を傷つけたも同じ。その彼女を支えてあげようという人間、柑橘類の鑑ですね。まあ、そんなことを考えると、そこまで悩みもしないんでしょうけどね。

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■個人的に気になるポイント・見所

 で、新作映画で気になるポイントとしては、シャーリーの生存でルルーシュの想いは一体どうなるのか?シャーリーとの純愛物語となって、C.Cは放置なのか?

 stage15「喝采のマオ」で「シャーリー、お父さんのことはすまなかった。もし生まれ変わることが出来たら…君に…」(多分、「一生をかけて償いをしたい」とでも言うようなセリフが続くのでしょう)とか、そういう事を言っていたので、この伏線を回収する。

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 またturn13「過去からの刺客」でシャーリーが「ルルを守りたい。取り戻してあげたいの、ルルの幸せを。妹のナナちゃんも一緒に」と言ったこと。シャーリーがルルーシュを守り、妹のナナリーと平和に暮らせるような努力をしてハッピーエンドにたどり着くという展開になるのか。そしてルルーシュがシャーリーの死に際して、「死ぬな!」というギアスをかけた。

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この願いがギアスという能力を通じて、シャーリー復活に繋がったのかという点が気になるポイントですかね。

 そして最終回turn25 「Re;」で、ナナリーが「目を開けてくだい、お兄様」と言ったこと(願い)が、ルルーシュの復活となって繋がるのか、「私はお兄様だけでよかったのに、お兄様のいない明日なんてそんなの…」(この後に続く言葉は、「一体何の意味があるんですか?/何の意味もないじゃないですか」でしょう)という言葉通り、ルルーシュの復活で兄と幸せに暮らすというナナリーの願いが果たされるのか?

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 また、stage3「偽りのクラスメイト」での折り鶴を千羽折ると願い事が叶うというくだりで、ルルーシュがナナリーに願い事を尋ねた時、ナナリーは「優しい世界でありますように」と言いました。

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ナナリーの願い事は「優しい世界」でした。「創らねば…。ナナリーだけでも幸せに過ごせる世界を…」とルルーシュは心の中でつぶやいたわけですが、救うべき・守るべき対象がどんどん拡大されて、最終的に対象が全人類・世界まで広がったわけですね。

 ルルーシュは「お前の目が見えるようになる頃には、きっとそうなっているよ」*4とナナリーの問いかけに返して、ナナリーと指切りをします。目が見えるようになったナナリーに、「優しい世界」を見せてあげるという約束を果たしたわけですね。

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 でも、「焦らなくても大丈夫だよ、俺はどこにも行かないから」「俺は嘘はつかないよ、お前にだけは」と言っているのに、姿を消してナナリーの前から消えていなくなってしまったし、ナナリーに嘘をつきまくったので、指切りの約束通り針を千本飲むかどうかですね、見どころは(笑)。

 

■よりハッピーエンドで皆救済される大団円エンドになるのか!?

 より視聴者に爽快感というか、ああよかったよかったという結末。ハッピーエンドにするのならば、C.Cとルルーシュのコードが失われる展開になりますよね。コード保持者である限り、C.Cとルルーシュが永遠に生き続けるということしかなくなる。シャーリーもナナリーもそういう辛い思いを見続けるという展開になるとは少し考えづらいような…?

 スザクも共に罰を背負ったことになったわけですが、新作映画でその罰がコード放棄で贖われ、スザクも偽りの英雄ゼロの仮面を被り続けるという罪や呪いから解き放たれるという、さらなるハッピーエンド展開になるのか?シャーリー生き返ったんだからユフィもなんとかなるんじゃないの?と思うのも当然なので、そういう展開があるのか?

 谷口監督が新作発表PVみたいので、ルルーシュが復活して登場することを明言してますので、シンクー(星刻)の「死ぬ死ぬ詐欺」みたいに、ルルーシュ「出る出る詐欺」みたいなことはやらないかと思います。映画一本できっちり完結するようなことを言ってましたので、無駄な引き伸ばし&引き伸ばしで、実は三部作でした~。ルルーシュ登場は次回!また見てギアス!はやらないと思います。まあ、仮に出る出るやっても完結まで観に行くと思いますけど。

 コードギアスというドル箱をそう簡単に手放せないから、また三部作で劇場版商法では?という声もありましたが、「時空の管理者」とか「青のギアス」とか、コードギアスという世界観・舞台で色々な謎や設定がまだ残っているので、舞台や世界観をそのままにして、アキトみたいな別のシリーズで続きをやるのでは?と考えています。

 なんとか公開前日ギリギリに書き終わることが出来た(笑)。公開日の2/9には観に行けないですが、その翌日には観に行きたいですねぇ~。

 

※追記:事前予想ですら、書き忘れていたことがあった(^ ^;)。当たり前すぎることかと思って書かなかったという要素も多少はありますが、まあ一応。ちゃんとネタバレにならないように配慮して書いていますのでご安心を。

 「ルルーシュの復活」で間違いなくルルーシュが出て来る。が、最初に(早いうちから)何のもったいぶりもなく、ババーンと出してしまって、「日本人よ!私は帰ってきた!」的に、ルルーシュがでた~~とやって、あのルルーシュが事件を解決していく。カッコいいルルーシュを描くのか。それとも、みんなで頑張ってルルーシュの復活を手がけて最後の最後でようやく、ルルーシュが復活のパターンなのか。復活させたルルーシュを取り囲んで、皆して喜ぶ。ハッピーエンドの後日談話をチラホラやって、よかった×2的な話になるのか。

 ―といった、大まかな2パターンが考えられて、そのどちらになるのかという事前の気になるポイントがありますね。というのも、ルルーシュが復活する=コード継承でコードホルダーとなった今、ルルーシュはギアスが使えない。ギアスによる絶対遵守の力がない以上、指揮官としての知略・戦略しか頼れるところというか、見せ場がない。「コードギアス」と言いながら、作品の売りの一つであったギアス能力がないということになる。お約束・おなじみのギアス能力によるギアス無双、言う事聞かせて操るギアス芸が見られないことになる。

 まあ、別にギアス能力なくても、さすがルルーシュ!さすルル!は描けることは描けると思うんですがね。そういうギアスなしのルルーシュ、わさびの入ってない寿司、ネタがのってないお寿司=シャーリーみたいな感じになるのでは?という懸念があるので、ルルーシュが出るのは最後の方になる。ルルーシュよりも他のキャラが主体で話が進んでいく展開もあるように思えます。

 また、気になる点として、コードホルダーのルルーシュがジルクスタン王国と戦う上で、普通に戦って何の問題もなく勝ちました。余裕でしたーとなることは考えにくく、多少は苦戦する。そこで既存のキャラの誰かにギアスを授けるのでは?という予想が当然出てきますよね。例えば、カレンとかシャーリーに、ギアスを授けることでその新しいギアスを使うことで、勝利を収めるというパターンですね。

 勿論、ルルーシュのこれまでの歩みを考えると、ホイホイカレンやシャーリー(他の誰でも良いんですが)に、勝つために、未来や世界のためとはいっても、ギアスを与えるかと言われると疑問。その前提をどういう理由でお互い、与える側と与えられる側が乗り越えるのか。そしてその結果、どういう未来が訪れるかということですね。やむを得ず強制的にギアスが与えられてしまった的な展開も考えられることは考えられますかね。やらなきゃ死ぬ、一か八かギアスを授けたとか、何らかのイレギュラーで「うっかりギアス」みたいに「うっかりコード継承」に続いて「うっかりお授け」とか。

 一番有り得そうなのが、新キャラですよね。コードホルダーのルルーシュが、新しいキャラクターを連れていて既にギアスを与えている。んで、ルルーシュの言う通りに動いて、敵をギアスでバッタバタやっつけてEND。んでもって、コードギアス新シリーズの主役、もしくはキーキャラクターとなって出てくるとか。これまでの物語のまとめと同時に新シリーズのつなぎという展開が一番有り得そうに思えます。

 あと、まだなんかあった気がしますが、思いついたら追記します。※追記、ああ、そうそう。前の記事読み返して思い出しましたが、ルルーシュとスザクの対立はすれ違いという悲劇は乗り越えられたけども、ブリタニアと日本人&その他の対立も解消されたけど、スザクとカレンの二人の対立、すれ違いという構造は原作では最後まで解消されなかった。映画で当然二人のエースパイロットが出てきて、共闘するはずですから、そのすれ違いがどういう着地点を見せるのかという見所もありますね。神根島のようなお色気シーンがあるのか!?R2でカレンが捕虜になったところで、カレンがスザクを対戦格闘ゲームばりにボッコボコにするようなシーンが見られるのか!?注目するポイントの一つですね(笑)。

*1:「力の支配」の否定の話とか、本当作品解説で大事なことを書いてない。結構重要と思えることでも書いてないこといっぱいあって笑えますね。(^ ^;)

*2:最初、幽霊的な何か。そういう可能性も考えて、実はやっぱり死んだまま。幽霊のシャーリーが、勝手に喋って勝手に行動しているだけという某有名映画のような可能性も考えたんですけど、普通に会話しているのでその可能性はないでしょう。

*3:そんなこと言ったって、タイトルに「Re;」が入ってるじゃないか。繰り返しを象徴する「Re;」が入ってるのはどういうことなんだ!?という思いがありますが、そんなことは知りません(笑)

*4:どうでもいい話ですけど、創り手(監督・脚本)が言葉遊びが好きな人だと思うんですけど、「目が見えない」・「目が見える」という言葉は「女神」とかけてるんですかね?マオも多分、魔王をもじった名前なんでしょうね。偽魔王との対決を制して、本当の魔王となった的な

【コードギアス解説・考察】 Re; 「繰り返し構造」の解説補足 1期と2期の対応シーン:スザク救出劇とゼロ・レクイエム&ルルーシュ≒ユフィ

見直したら文量がおかしなことになってたので分割です。

こちらが元ネタで

こちらが前回・分割元です。 


■スザク処刑のシーンとクロヴィスの御陵車
 ああ、そうそう。意外と気づかれていないのかな?と思ったシーンが有ったのでその話を。stage4「その名はゼロ」でルルーシュがゼロになった事件、スザクの救出劇とジェレミア卿がオレンジになった場面ですね。これが最終回の伏線として機能していたことがあまり指摘されていないのかな?とふと思ったので、その話を(まあ面倒くさいからググって色々なサイトやブログを見ていないので普通に指摘されているかもしれませんが、気になったので書いておきます)。
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(※処刑されるスザクを助けるためにゼロの仮面を被るシーンです)

 ルルーシュルルーシュらしく、策略とギアスでスザクを奪還というか、救出・解放しました。ゼロのデビュー戦(?)として華々しく衆人の中から、目的の人を救う。奇跡を実行するわけですね。ジェレミア卿はギアスにかけられてまんまとルルーシュの罠にハマり、この事件をきっかけにオレンジというあだ名で馬鹿にされ続けることになります。
 この一回目は、スザクがルルーシュの仲間になれという勧誘を蹴って「じゃあの」とスザクは去ってしまうわけです。一回目は、スザクのために危険を顧みず、元から予定の一環だったとは言え、ゼロの仮面を被って命がけで助けようとした。スザクのために仮面の騎士・ゼロとなったわけですね。しかし、この時点では仲間になれというルルーシュの願いは断られた。
 ルルーシュの目的はナナリーという弱者でも生きていけるような「優しい世界」を作ることでしたが、当然その「優しい世界」で平和に生きていける対象として親友のスザクも含まれていた。スザクのことも考えられていたわけですね。ルルーシュにとっては大事な妹と並んで大事な友達・親友枠として譲れない存在でしたからね。大事なパーツ・ピースとしてのスザクでしたが、本当に最後の最後まで思い通りになりませんでした。未練たらたらで1期の最後の最後までスザクのケツを追いかけ回す展開が続くとは、この時は誰が予想したでしょうか(笑)。
 

■ラストのエンディングシーンと1期との対応について
 対照的というほどでもありませんが、最終回の場面では皇帝ルルーシュを補佐・警護担当をするジェレミア卿。そしてその皇帝を暗殺するゼロとしてのスザクという図式でした。細かいところでは御陵車、車を運転していたカレンと扇が、捕虜となって死刑執行されようとしていたという違いがありますが、まああまり重要な要素ではないので脇においておきます。
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スザクを処刑しようとする(軍事法廷へ向かう)護送車両の道を、偽装されたクロヴィスの御陵車が邪魔をする
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カレンが運転手でスザクは捕らわれている状態
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クロヴィス殺害の犯人はこの私だ!という宣言(=皇族殺し)
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ギアスにかかって全力で見逃せという命令を出すピエロ役
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目的通り、スザクを救う。

 二回目・最終回のシーンでは、スザクがゼロとなり、皇帝ルルーシュを倒すという形です。ピエロだったオレンジ・ジェレミア卿は、ゼロ・レクイエムの立役者として警備を担当していますね(マリアンヌの警護役として忠義を果たせなかったことを、今度は真逆の形ですが、重要な役割を果たさせてやることで忠義を果たさせてあげるというルルーシュなりの優しさなのでしょうか)。文字通りジェレミアが踏み台になることで目的が達成された形ですね。
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 ルルーシュが皇帝として憎しみを集めて死ぬことで、世界を救うゼロ・レクイエム計画ですが、そこでは「スザクがゼロになる」という大事なポイントが有るわけですね。初代ゼロから二代目ゼロの跡目継承式というだけではなく、ルルーシュがゼロとして始まり、ゼロとして終わる場面を同じシーン・構図を再現することによって、より象徴的に描き出したと言えるでしょう。ゼロドルを止めて普通の女の子に戻ります(ネタが古い(^ ^;) )どころか、人間まで止めてしまう。自分の身を犠牲にして世界を救うシーンを、より劇的に描き出すのに、最初にゼロになったシーンを重ね合わせる・フラッシュバックさせたんでしょうね。
 ゼロとして終わる、と書きましたが、正確にはゼロとしては黒の騎士団から追放された時点でもう終わってるわけですね。しかし、これまでゼロとして仮面を被り、記号の存在として生き続けながら戦ってきた。最後にここまで生きた証、戦いを終える。ピリオドを打つという意味合いがあるので、ある種ゼロとして終わるとみなしてもいいでしょう。
 それこそ世界平和・「優しい世界」のためにギアス使いまくって無理やり命令をして、強制的に平和を作ることだって可能なわけですからね(当然時間制限付きですが)。そんな強制をせずに自分を消して新しい記号、新しい希望の存在を作ることで、世界をまとめようとした。ゼロとしての自分は消えても、また次の新しいゼロ=希望が世界を導いてくれるという、ルルーシュらしい希望に満ちた最後のメッセージですね。花京院の最後のエメラルドスプラッシュのようなものです。
 これまで死にたがりだったスザクは、双方合意の上での計画ですが、ある種「ルルーシュの最後のギアス」にかかって、ゼロとなったと考えることも出来ますね。スザクは個人・人間としての自分を殺して社会から抹殺した。そのうえでゼロとなって、世界のために生きるという道を選ぶことになった。わかり易い例でいうと天皇陛下でしょうかね?全人格が公人となり、私人としての要素・性格がほとんど認められない存在。そういった存在にスザクはなった。スザクを救いたいという思いを抱いていたルルーシュの願いは、このようにスザクの自我を完全否定、私人としての生活すべてを否定するという「罰」を与えることでスザクを生かす道に向けたんですね。
 過去の罪から死にたがっていた、殉職・二階級特進を望んでいたスザクを「罰」を与えることで贖罪し、生かすことになった。1期でユフィが「愛」によってスザクを救ったのと対偶に近い処置ですが、それでもルルーシュルルーシュなりにスザクを救ったんですね。*1
 希望の存在=仮面の騎士ゼロとしての始まりが、憎しみの存在=皇帝としての終わりという対比として見事に描かれましたね。
 

■ユフィ≒ルルーシュが世界を救った
 あともう一つ、
一番初めのリンク先で、ナナリー=ユフィとしてなぞらえられていると書きました。そしてルルーシュもまたユフィとしてなぞらえられているということも。
 ナナリーが1期のユフィとして話が展開しているということは、特に詳しい説明をするまでもなく、わかると思いますが、もう一つのルルーシュがユフィとして機能したという話は解説しておかないとわからない人も中にはいるかも知れないので、一応書いておきます。昔書いた文章を読めば、改めて書かなくてもわかることだと思うんですけど、一応書きたくなったので書いておきます。
 「繰り返し」ているという事実と、実はルルーシュがユフィとして機能したということを書いておけばもう分かると思うのですが、最終回ゼロ=スザクに皇帝ルルーシュが殺されたというのは、ママ1期で皇族ユフィがゼロ=ルルーシュに殺されたのをなぞらえているわけですね。
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ギアスをかけて自分を撃たせることでユフィを奸計にはめようとするも、ユフィは皇族の身分を返還することでゼロ・ルルーシュの重罪を帳消しにするというプランを明かす。このことを聞いたルルーシュは話し合いでユフィと手を組むことにする。
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が、ギアスが暴走して、結果ユフィは日本人殺戮キラーマシーンとなってしまう。
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ユフィを止めるすべはなくやむなく、狂人と化したユフィを射殺する。この一連の流れをまとめるとだいたい次のような感じになります。
ブリタニアの国是ナンバーズを区別するという方針を変えるために皇帝を目指す(①)ユフィ。ユフィとの話し合い(②)で、皇族の身分を捨てる(③)というユフィの提案を受け入れるも、ギアスの暴走でギアスにかかったユフィ(④)日本人を虐殺(⑤)ゼロ(ルルーシュ)がギアスにかかったユフィを殺す(⑥)
 ユフィは皇族特権を使って、皇族としての地位・身分を捨てる代償に、ゼロ・ルルーシュの罪を贖おうとした。免罪しようと動いていた。自分の身を犠牲にしてまで、ルルーシュを救おうとしていた。
 それと、ルルーシュが自分の身を犠牲にしてスザク=ゼロを救おうとした。世界を救おうとしたというのはママ対応しているんですね。ルルーシュは地位や身分ではなく、自分の命という形ですが、なぞらえられているのは一目瞭然ですね。
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(※皇帝となった(①)ルルーシュが、Cの世界での話し合い(②)で、ゼロ・レクイエムで自らの命を捨てる(③)ことで世界を救う計画を立てた。憎しみを皇帝ルルーシュに集中させて、自ら消えることで「優しい世界」を完成させる。スザクにかけられた生きろというギアスが暴走(④)し、フレイヤを使用。東京租界に住む日本人だけでなくブリタニア人も(おそらくそれ以外の国籍の人間もいたでしょうが)、1000万人以上虐殺(⑤)ルルーシュで言うとギアスを使って戦争を引き起こして巻き込んだ人間だったり、テロの工作活動で一方的に殺してきた数多の人間と解釈することも可能でしょうね(最終戦争で多くの兵士にギアスをかけて操り人形にして利用して殺してもいますしね)。ダモクレスを抑えて、フレイヤを使用したこと=巨大な力を握って支配していることと解釈することも可能でしょうか。
 スザクのギアスの暴走はまあ余計な話④’とでも言うようなものですがね。Cの世界で人々の意志に触れて、皆が明日を願っていることを知った。その願いをかなえるために自分自身に「願い」という名のギアスをかけた(④)。そのギアスにかかってゼロ(スザク)がルルーシュを殺す(⑥)と、まあそういう「繰り返し」構造ですね。
 おまけとして死の間際にあったユフィとスザクの最後の会話、愛する人との最後の会話というのは、ルルーシュとナナリーの最後のシーン。言葉をかわさずとも触れるだけで全てがわかるナナリーが、満足した笑みを浮かべたルルーシュの表情を疑問に思って、触れる。そしてすべてを知って、最愛の兄を失って泣くというシーンとの対応なのでしょう。スザクが最も愛した女性とルルーシュが最も愛した妹という点で対応しているということなんでしょうね。)
 もう既に指摘した話ですが、ユフィがスザクを自分の騎士として取り立てたこと、そして皇帝ルルーシュがラウンズを超える存在、帝国最高の騎士ナイトオブゼロとして取り立てたこと。それらも全く対応しているわけですね。
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 なんでユフィが虐殺皇女の汚名を負ったままなんだ!汚名が雪がれないんだ!みたいなのをどこかで見ましたが、この構造に気づけば一目瞭然ですよね。ルルーシュはギアスの暴走の果てにユフィを殺したという罪を、スザクと世界の救済という手段を通じて、ユフィがしたかったことを変わりに全て成し遂げたわけなんですね。これを見ればユフィへの贖罪は十分すぎるほどなされた・果たされたとわかるはずなんですけどね…。このことについて理解している人が意外と少ないのでしょうか…?
 ユフィはスザクが決して最後までルルーシュがゼロだと言わなかったように、誰かを憎んだり、そういうチンケな感情を持たない聖人なんですよね。ルルーシュもナナリーも、スザクもそして世界のみんな全てを救いたかった。それこそが彼女の目的であって、その果てに自分が死ぬということも厭わなかった人物・キャラクターなんですよね。皇族の地位を返上してまでルルーシュを救おうとした時に、「最愛の姉、コーネリアとだって今と同じ関係じゃいられなくなる。バカじゃないか君は?」とルルーシュが驚いたように、関係ない他人のためにそこまで出来る人間なんてそうはいないわけです。ルルーシュで言うと、ユフィのためにすべてを捨ててナナリーとろくに会うことも出来なくなるという選択肢を選ぶということですからね。そういう選択を、ナナリーが「ルルーシュさえいれば他には何もいらない」と言ったから、その言葉を聞いただけで決心がついて自分のすべてを投げ出したというのですからね。
 そんな献身という言葉を体現したような人間、シュナイゼルのように皇族として人を見下さない「一人の人間ユフィ」*2となら、明日を作ることが出来るとルルーシュは事前計画を一旦破棄したように、世界のために自らを省みない想いこそが、策略や偽り・陰謀、権謀術数に勝ったんですね。
 今から思うに、この時点で世界平和のために、皆が笑って平和に暮らすことが出来る「優しい世界」を作ることを願っていたユフィのギアス(願い)に二人共かかっていたとみなすべきなんでしょうね。そして、ルルーシュとスザクが手を取り合う・協力するというユフィのギアスにかかって憎しみや復讐を乗り越えて協力、ゼロレクイエムを実行することになったと。 
 ユフィの願い、行政特区日本という枠組み=皆が仲良く平和に暮らせるシステムは、合衆国日本という世界的規模の形をとって実現した。ルルーシュとスザクの手によって見事に昇華され、現実化した。ユフィの遺志が果たされたということですね。

 ※追記、思いついたので追記。1期のラストでルルーシュはユフィを殺したことで狂ってしまいました。初恋の人を殺めざるをえなかったという苦しい現実に直面して、本来の自分を見失い、おかしくなってしまうわけですね。それでスザクに対して冷静に話し合い・交渉ができずに、ユフィを殺したことを「過去」と切り捨てて、お前も父親を殺しているだろうという暴言を吐きました。そしてスザクも親友を売って出世するという道を選んで、以後はおかしくなっていくわけですね。愛する人を守れなかった苦しみでより、結果を残さねばと異常に&今まで以上に、自分の正義にこだわるわけですね。
 また、言うまでもなく、返してよ!私の女神様を!と言っていたユフィ信者だったニーナもおかしくなっていました。フレイヤ・核を使ったという伏線はあれど、ユフィを失っておかしくなってしまった三人がいるわけですね。この三者三様のユフィを失っておかしくなったトリオが、ゼロレクイエムを通じて全うな道に進んでいく、立ち直っていく・正常化するという展開なんですよね。ユフィを失うことで狂った三人が、ユフィの遺志を継ぐ・やろうとしたことを引き継いで実行することで、自分の道を見つけ出す。あるべき姿を取り戻していくという構造を考えるとより最終回&その前の決戦シーンを楽しめるのではないでしょうか?

 とりあえず思い出せたことと、思いついたことを書き連ねました。2日で終わるかと思ったら、3日かかったか…。新作映画についてのちょっとした予想みたいなものを、映画公開前に書き終わるだろうか(^ ^;)。結構やっつけ感があるので、あとで追記修正をまた何度でも「繰り返し」て行いたいと思います(_ _)

*1:ここだけ切り取ってしまうとスザクが一方的に「罰」を受けているように見えてしまいますが、ルルーシュにとっても「罰」という名のある種救済なんですよね。これまでさんざんギアスを使って人々の気持ちを踏みにじってきた。当然殺しても来たお互い武器を持ったフェアな対決ならばともかく、自分だけが一方的に武器を持って戦って勝ち続けたアンフェアなやり方で勝ち続けてきたわけですからね。1話のブリタニア軍人のように、同じように銃を持たない相手を虫けらのように平気で撃ち殺すクズはともかく、ダールトンやギルフォードのようなフェアな軍人でさえギアスで操ったわけですし、そのやましさは言うまでもないわけです。そしてその「罪」をゼロ・レクイエムという「罰」を受けることで責任を取り、救済されたということなんですね

*2:ルルーシュが「君は、皇族や副総督ユフィである前に、ただ一人のユフィという人間だったな」と言っていますね。皇族という身分だったり、副総督という政治的高官・ポストという地位からそのステータスにうぬぼれて人を見下して行動しなかった。同じようにルルーシュも皇帝ではなく、「一人の人間ルルーシュ」として世界のために我が身顧みず行動したということでしょう、ユフィの遺志を引き継いで。

【コードギアス解説・考察】 Re; 「繰り返し構造」の解説補足

 ギアスの話、解説はnoteに書こうと思いましたが、というかこのブログはもう更新やめようと思ってましたが、公開される新作映画のために手っ取り早く書けるこちらで書くことにしました。コードギアスの「繰り返し構造」についての補足ですね。
 ここで書いたとおり、コードギアスという作品はR2(2期)が無印1期をなぞらえて作られている。2期の展開が逐一というほどでもありませんが、かなり1期の展開を踏襲するように作られている。1期とほぼ同じような出来事があって、事件が起こり、話が展開していくという構造になっています。ではどうしてそういう「繰り返し構造」になっているのかという補足説明・解説をしておきたいと思います。
 というか、すぐ続きを書かなかったことでもわかるように、別に取り立てていちいち解説するまでもない当たり前のことなので、あまりこの記事を読む人に「なるほど!そういうことだったのか!」とインパクトを与える話でもないのでね。これまで書いてきませんでした。しかし、新作映画公開にあたって、総集編の映画3作を見て、新作の予想をする上で別枠で改めてこのことを書いておいたほうが良いかなと思ったので書くことにしました。

 

 

■繰り返し構造であるが故に最終回から1話に戻る

 最終話のタイトルが「Re;」ということでわかるように、この作品では「繰り返し」(繰り返す)ということが非常に重要な意味を持っているわけですね。ところどころ作品の中で、そのメッセージが込められていて、今頃になって気づきましたが、作中で出てくる「リフレイン」という麻薬もまんま「繰り返し」という意味ですからね。超ダイレクト、モロに監督のメッセージですよね。
 最終話でルルーシュが死ぬシーンで、これまでの記憶・思い出がフラッシュバックするのですが、新しい記憶からどんどん昔の記憶にさかのぼっていくんですね。そして目をつぶって死ぬルルーシュで話は終わる。真相を知ったナナリーが「イヤ!目を開けて下さい、お兄様!」と言って話が終わることになるわけですが、監督がどこかの海賊王みたいに「第一話にすべてを詰め込んだ。この回にすべてを込めた。この回を見ればすべてが分かる(俺のお宝はすべてあそこにおいてきた。欲しけりゃ取りに行け)」といった話をしていたことからもわかるように、再び1話に還るんですね、この作品は。
 1話「魔神が生まれた日」に還る。そして多くのルルーシュ生存説の解説の論拠として語られていたように、1期の1話で目が開くようなシーンからスタートする。そのシーンでは、心音のような鼓動が聞こえるように、最終回から再び1話につながって魔神=ルルーシュが生まれた・復活したと考えることが出来るわけですね。タイトルの「Re;」でもう一度繰り返すということを示唆していることを考えると、2期1話でルルーシュが封印された記憶が解き放たれ、元の記憶を取り戻して「復活」したことを併せて考えると、もう一度「復活」すると考えるのが自然なわけですね。
 コードギアス1話のタイトルが「魔神が生まれた日」であり、2期の1話タイトルが「魔神が目覚めた日」であることを考えると、典型的なくりかえしであることがわかるわけですね。「魔神が生まれた日」(1話)と「魔神が目覚めた日」(26話=R2の1話)が対応・反復していることが明らかですから、51話とでも言うべき次の話では「魔神が再臨した日」とでも言うものが来ることが想定されるわけですね。

 

■同じ毎日の繰り返しの果てに明日はある

 このラスト、最終回から再び1話に還るという話は、色んな所で見かけましたので、今更語る必要もない余計な話ですが、前菜として書いておきました。ルルーシュ生存・復活の根拠としてたいてい語られていた話だと思います。生存ルートの根拠として解説されていた話だと思うのですが、実は大事なポイントは、ルルーシュが何度でも繰り返して(復活して)やり直した。何度も挑戦した。どんな辛いことがあってもくじけず、諦めずに、結果に結びつくまで何度も挑み続けたということなんですね、実は。
  そんな余計な話は置いといて、「繰り返し構造」・くりかえしの大事さを解説するいちばん大事なシーンが49話・turn24「ダモクレスの空」で解説されていますね。シュナイゼルルルーシュの会話でルルーシュが言いました。
 「皇帝シャルルは昨日を求めた、あなた(シュナイゼル)は今日を、だが俺は明日が欲しい」
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 シュナイゼルに明日は今日より悪くなるかもしれないと返されても、ルルーシュはたとえどれだけ時間がかかろうとも、人が幸せを求め続ける限り、世の中は必ずいい方向に変わっていくのだと説きます。
 人々が明日を求める。それは欲を生み、争いを生む。結果明日がより悪くなることだってありえる。そんなものは虚構・感情論に過ぎないと否定するシュナイゼルに対して、それが皇族という記号で世界を見下してきたあなたの限界なのだと喝破します。不幸に抗う人、未来を求める人を実際にこの目で見てきた。これまで地べたを這いずり回って必死に努力をしてきたルルーシュは、そういった人々を現実に見てきた。皆幸せな明日を求めて必死に生きてきた。そういう姿を見たルルーシュは確信して、人の自助努力、想いや願いというのは必ず結果になって繋がるのだという希望を説くんですね。敵も含めて、そういう必死な努力・戦いを直に見てきたルルーシュは、明日が来ることを確信してシュナイゼルに語りかけるのです。ギアスも仮面もつまるところ、そういう願いの一つの形態・現れである。人々の明日を求める必死な姿・努力そのものなんだと。*1
 いい話・主張ではないですか、まるでEHカーの『歴史とは何か』*2の歴史研究をすることによって、人々の学習によって、学問が貢献することで、人類や社会を必ず良き方向に導けるという主張のように聞こえて、感動するものがありましたね。

 

昨日の世界、今日の世界、明日の世界

 本論の話・解説の話に戻って、皇帝シャルルの昨日を求めたということを改めて説明すると、集合無意識と全人類をつなげることで人々から「仮面」をなくす。そうすることで優しい嘘などによる人々のすれ違い、わかりあえないという悲劇をなくす。しかしこれでは全人類が思いを共有することで変化がなくなってしまう。「積み重ねのない、ただ同じ毎日を繰り返すだけの人生を生きているとは言えない」と言ったC.Cの言葉のとおり、ただ生きているだけの人形というような状態になってしまうわけですね。これではすれ違いやわかりあえないという難しさを乗り越えて、人と人が繋がり、わかり合うという感動も喜びも手に入れられないことになる。負・マイナス面は減ったとしても人間が生きる上でのプラス、喜びまでをも消し去ってしまうことになる。これが望むべき未来や世界であるとは到底言えないわけですね。
 この世界を「昨日の世界」だとすると、シュナイゼルが求めた「今日の世界」というのは、これまでと変わらない同じ世界なわけですね。嘘と偽りの世界・善意と悪意が一枚のカードの裏表で入り混じった世界と、皇帝が言っていたように仮面をかぶった人々が生きる世界。「明日の世界」になったからといって仮面がなくなるわけではありませんが、シュナイゼルの言う「今日の世界」は弱肉強食原理の嘘と偽りの繰り返し、これまでの世界の繰り返しとなるわけですね。なにより、ダモクレス・フレイアという力で人々を押さえつける世界。武力で無理やり言うことを聞かせる「力の支配」の世界なんですね。
 これらの2つの世界が強制的に自分の理想とする世界に人々を従わせるものと違って、ルルーシュの望む「明日の世界」というのは決して人々にこうしろ!ああしろ!と上から賢しらに理想論・自分の理想を強制する世界ではないんですね。話し合いによって運命を決める、話し合いの世界・合意の世界、「法の支配」の世界になるんですね。人々が話し合って自分達の意志でどうするか決めた世界になるわけですね。これが前二者と決定的に違う・異なる点ですね。自らの理想・意志を強制せずに、人々の意志を尊重する・捻じ曲げないというのが非常に大事なポイント。
 ルルーシュは自分を犠牲にして世界にその身を捧げることで、世界を創り変えた。望ましい世界を創ったわけですが、その世界の先は人々の自由意志に委ねた。押し付けた善意は悪意と何ら変わりがない。父と母にそう主張したように、理想を実現しても決して押し付けはしなかった。
 作品のテーマとも言える「力の支配」の否定、そして「法の支配」の世界の創造。理想の世界はルルーシュの、スザクの、そしてその他仲間たちの毎日の積み重ねと努力の果てに作り出されたものだった。毎日の「繰り返し」、変化のある有意義な毎日の「繰り返し」の上に作られたわけなんですね。
 

■変化なき平凡な毎日の積み重ねの上に明日はある

 「繰り返し」の果てに明日がある。一日一日、同じ毎日の「繰り返し」の果てに明日があるわけですね。平凡な、時に退屈とも思える毎日の繰り返しの果てに未来がある。何の変哲も無い凡庸とも思える一日の積み重ねの果てに成功・成果はある。一日、一時間、一瞬を大事にすることで成果、未来はある。まあ特に強調して言うほどのことでもない、当たり前すぎるほど当たり前のことですね。
 同じ単調な毎日を繰り返すことに人生はあるーと以前どこかで書いたがするのですが、ちょっとどこで書いたかわからなくなったので今一度書いておきました。
 そして、当然毎日同じことをただ繰り返すだけではなく、そこに変化が含まれるわけです。エヴァンゲリオンなんかでもホメオシスタスとトランジスタシスという話があったように、維持しようとする力と、変化しようとする矛盾した力が働くというように、人は同じ毎日を維持しながらも、より良いものに変えるために自分にとって新しく好ましい何かを取り入れようとする。もしくは好ましくないもの、悪いものをなくそうとしようとするわけですね。そうやって人は違うもの・変化を求めて生きていくわけです。
 生きていく上で同じ毎日を繰り返すとしても、少しづつ変化がある。幼稚園から小学校、中学校・高校・大学へと進学していくにつれて、似たような生活を繰り返すとしても少しづつ変化していく。就職して仕事をするようになり、会社に勤めるようになって大きく変わるとしても、根本的な部分は変わらない。学友が仕事仲間・同僚に変わったり、付き合う友人が変化したとしても、友人と遊ぶこと自体に変化はない。共通の趣味を持つ人と交流する・サークルで遊ぶこと、恋人と遊ぶことなどといったサイクル自体に変化はないわけですね。学友との勉学というものが、同僚と仕事とというものに変わるだけで大まかなサイクルに変化はない。結婚して子供を産んで新しい家庭を築くということになると大きな変化が生まれますが、そこからはまた新しい環境下での同じ毎日の積み重ねになります(もちろん一般論であって、この形態から離れたパターンをたどる人生もいくらでもあるでしょう)。
 一見、何の変化もない単調な毎日、退屈な毎日の中で、自分のなすべきことを積み重ねたものにこそ明日がある。アスリートなんか典型的、わかりやすい事例ですね。毎日の鍛錬・練習で少しづつ身体を強くしたり、技術を覚えていき、ある日花開き一流選手の仲間入りをする。元から才能があろうがなかろうが、花開くまでに長い時間かけた積み重ねがそこにはある。そしてその努力が大舞台、オリンピックやプロスポーツの最大規模の大会での勝利・優勝という形で結実する。アスリートなどは誰から見てもわかりやすい称賛の場・舞台がありますが、一般の人にはあまりそういうハレの舞台というものがありません。
 だからといって、自分は凡人だから、そんな大舞台もないから、何もしないなんていうのは論外なわけですね。どんなことであれ、毎日の努力・鍛錬なくして結実することはない。実を結び、花開くことはない。成功や幸せのために毎日を大事にするというのは当たり前すぎるほど当たり前のことですね。鴨川会長的に言うと、「努力したものが成功するとは限らない。しかし成功したものは皆すべからく努力している」というやつです。
 

■人生における繰り返しは毎回同じ、教訓が生かされるとは限らない

 1期をR2で「繰り返した」というのは、その積み重ね・努力の結実というものを表現したからと見るべきなんでしょうね。人生という長いスパンを考えれば分かる通り、人間は毎回毎回成功するわけではない。一度失敗して学習して成功することもあれば、その反省から対策を練って挑んでも、違う要因からまた失敗することもある。またこれまで上手くいっていたのに、ダメになってしまうということもある。だからこそ以前解説したとおり、上手くいったパターンもあれば、ダメになったパターンとして「繰り返した」事例が見られるわけですね。
 この「繰り返し」構造を理解した上で見ると、ルルーシュやスザクが、何度も何度も試行錯誤を繰り返して、失敗を乗り越え犠牲を払いながらも、努力の結果好ましい成果・答えにたどり着いたということがわかりますよね。
 そして作品のポイントになるのが、全く同じ形で繰り返さなかったこと。何度も「繰り返し」失敗や苦難を乗り越えるということを言いたいのであれば、本当に1から10までなぞらえる話にすればいい。ところが実際はそうならなかった。なぜ、そうしなかったのか?全てなぞらえなかったのか?
 

■「繰り返し」構造の外にあったオレンジ・ジェレミア卿

 この疑問を理解するのに最も適した事例がジェレミア卿こと、オレンジ卿ですね。なぞらえる形だったら、彼はクソ雑魚ナメクジ、噛ませキャラとして瞬殺・フルボッコにされて、さらなる改造を施されて心中or水没というパターンを辿るはずなのです。創り手側がそのようにしなかったこと、そのママ同じ形でいじられ&笑われキャラとして描かなかったことに当然意味があるわけです。
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( 1期ではオレンジ畑を耕せと言われたり、紅蓮の輻射波動を受けて瀕死になって使えないやつ扱いされた挙げ句、人体実験で改造人間にされてオシマイでしたね。「おはようございました」とか「後ろをバック!」とかの名言を吐く完璧なネタキャラでした)

 1期の「繰り返し」路線にあてはめていたら、ネタキャラとして顔芸の一つでも披露してあっさりやられるとなるはず。しかし実際は、ご存知の通りルルーシュの忠臣としてずっとルルーシュに付き従い、目覚ましい戦果・功績を上げるわけですね。最終的には最後の戦いで、ラウンズの中で最強のナイトメアと言われるモルドレッド(ハドロン砲などの火力と装甲の硬さが突出しているだけで最強ではなかったかな?)と戦い、見事勝利を収めるという大活躍を見せるわけですね。
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(爆発するジークフリートの中に小型のサザーランドを仕込んでおき*3、自爆戦術で勝利をおさめるという劇的な勝利に大興奮しましたね。オレンジ好きすぎて無駄に画像貼りまくってますがご容赦を(笑) (_ _) )
 見事な戦いっぷりと忠義心から忘れられがちですが、彼は純血派というレイシストであり、日本人を人間とみなさず(みなした上でかもしれませんが)、人狩りに興じる人間のクズ。汚物は消毒だぁーとヒャッハーする手合いと同じ典型的なクソ野郎だったわけですね。スザクをクロヴィス殺害の実行犯に仕立て上げて、疑似クーデターで実権を掌握しようとしていたり、クロヴィスの葬儀を取り仕切ることでさらなる出世をしようとしたり、家柄・貴族であることを鼻にかける嫌なやつだった。だからこそカレンにオレンジレンジされるシーンで視聴者がプークスクス&ざまぁと溜飲を下げる事ができたわけで。そういった元々クズ人間だったという要素を見落としてしまうとわからなくなってしまうんですよね、創り手のメッセージが。
 ブリタニアの皇族を守るという彼の主義主張と関係なかった頃は、ただのクソ野郎に過ぎなかったのが、ルルーシュが皇族だとわかると手のひらをころっと返した。皇族に仇なすゼロを執拗に付け狙う狂人が、忠犬オレンジ公として一心不乱に忠義を尽くし、戦場で輝き続けた。スザクに次いで頼りになる欠かせない存在にまでなった。ゼロ・レクイエムに最後まで付き従った人間ですからね。しかし、日本人・イレヴン視点から見てみると*4、最後まで「オレンジ野郎!オレンジ畑でも耕してろ!」と憎まれ、蔑まれる存在であったことを見落としてしまうとわからなくなってしまう。立場や状況が変わったからこそ、最高の頼りになる忠臣として評価を高めましたが、逆の立場だったら味方の時は全く使えなかったくせに裏切って敵になった途端、無茶苦茶強くなるという最悪の人間。RPGの小ボス・中ボスで出てきたキャラが味方になると途端に弱くなるやつかな?と思わせる感じの人間ですからね。
 なぞらえるのが基本構造でありながら、このように敵の底辺から味方の頂点にまで上り詰めるという全く異なる展開を見せるものも当然あったわけですね。敵だったものが味方に、味方だったものが敵にと、全く立場が真逆に入れ替わったのは、勿論彼だけではありません。ジェレミア卿・スザク以外にも黒の騎士団、そして何より皇帝となったルルーシュですね(そしてゼロ=ルルーシュを憎むニーナ)。これまで述べたとおり、人生だって単純な形で全く同じようには「繰り返さない」。時には劇的な変化が起こるもの。そういう性質を示唆しているように思えますが、ここで言いたいのはそれだけではないでしょう。人間は、その時の状況・立場によって、視点によって、主義主張はいかようにも変化しうるものだということですね。
 

■主義主張は立脚点によって容易に変化するもの

 黒のキング=ゼロが、白のキング=皇帝にママ入れ替わったように、敵対する者でも、所詮立場が異なるということに過ぎない。どちらが正しいとか、間違っているとかそういう善悪論がいかに意味のないものに過ぎないかというのを、如実に示していますよね。この敵味方陣営の劇的な入れ替わりは。最後にスザクとカレンが戦うシーンがあります。
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「私達のすれ違いに決着をつけよう」と戦い、「組織に入って中から変えようといっても、組織に入れない人間はどうしたらいいの?それが間違っているってどう言ったらいいの?」と言っているように、カレンは半分ブリタニア人の貴族なので組織に入ることは出来たでしょうが、間違ったやり方で支配したブリタニアを認められず、テロ組織に参加した。何よりその他大勢の日本人ははじめから組織から排除され虐げられたわけですから、なおさらそういうものに参加しようとは思えなかったのでしょうね。
 スザクは「組織に入るしかなかった人間はどうする?」と言っているように、生まれながらの名門で存在自体が特別な出自を持つスザクにとって、組織に入らないということはありえない。生まれたときから既に選択の余地のない運命に巻き込まれていたと言えるスザクにとっては、他に選択肢がない。そういうことを考えれば、二人共初めから自身の性格の問題という要素があれど、選択の余地がなかったと言えます。
 立場が違うものが最後にぶつかり合って、お互いの主張をぶつけ合うわけですが、当然、どちらが正しい・どちらが間違っているという話ではない。お互いとも主張があり、正義がある。異なるそれをぶつけ合っただけで、決してどっちが正しかった・間違っていたなど断ずることは出来ない。そこにあるのは戦って、負けた・勝ったという事実、生き残ったか死んだかという事実だけなんですね(たまにスザクが正しいor間違っている。カレンが正しいor間違っているといった類の話をする人を見ますが、根本的に読み取れていないとしか言えないですね。そもそもそういう次元の問題ではないわけですから)。
 ※無論、勝利・敗北のあとの戦後処理が拙い・巧いという話が出てくるものですが、この作品では、最後の決戦でそういう拙いことをするケースが見られないので特に触れる必要性もないかと思います。
 

■「繰り返し」構造=「繰り返さなかった」構造でもある

 「繰り返し」構造があるからこそ、「繰り返さなかったこと」についてもまた注目が集まる。焦点があたることになるわけですね。ルルーシュとスザクというライバル、親友でありながらも対立せざるを得ないという悲劇の構造は、ある意味すれ違いを克服してわかり合って手を取り合うことが出来た(目的のために手を組んだだけで、わかり合ったとは言えない可能性もあるので、一応ですね。それでも一つの目的のために共闘するという友好的な関係は築くことが出来たので)。男と男の友情という関係は、対立を乗り越えることは出来たが、カレンとスザクという同じ日本人のエースパイロット同士というライバル対立は克服することが出来なかった。1期のラストでわかりあえなかったルルーシュとスザク二人のすれ違う悲劇をこのパターンでなぞらえたともみなせますね。何から何まで世界を思い通りにする、人と分かり合うというハッピーエンドよりも、悲劇を克服出来なかったパターンをきっちり差し挟んでくるのがまた憎い演出ですよね。
 典型的なハッピーエンドとしては、悲劇を克服した事例としては、支配者と被支配者という図式で対立したブリタニア(人)と日本(人)ということなんでしょうね。この図式も、ユフィとスザクに始まって、ジノとカレン。そして何よりヴィレッタと扇死ねで対立する構造が変わって、乗り越えられていったとみなすことが出来ますね。一応シュナイゼルと黒の騎士団が手を組んで憎きルルーシュ皇帝と戦った。共闘したことでも絆を築いたとみなせますからね。
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 扇とヴィレッタが結婚する写真で右側がヴリタニア人で、左側が日本人や中華連邦の人間、インドのラクシャータもいますね。敵対してきた陣営同士の人間が結びついた、わかりあえた象徴としてこの二人の結婚が最後に出てくるわけですね(そういうメッセージを込めるために、扇とヴィレッタが恋に落ちて結ばれるというプロットだったのに、なんにもしてないくせに褐色美女を嫁にして孕ませて、首相という座に迄上り詰めるとは…と視聴者の憎しみをダモクレスや皇帝ルルーシュ以上に集めてしまうという…(笑)。監督も脚本もまさかこういうふうに受け止められるとは夢にも思っていなかったんでしょうねぇ(^ ^;) )。
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 何より最後のシーンで扇首相とナナリーが握手をしているシーンが象徴的ですよね。もし「繰り返し」構造ならば、再度ヴリタニア側のイレブン虐殺という展開になるはずですからね。
 まあ、まだまだいくらでも「繰り返し」構造と逆に「繰り返さなかった」ことで視聴者に伝えたかったこと。監督や脚本の主張・メッセージを読み取ることが出来ると思いますが、時間の都合上、今回はこんなところで。というかかなり忘れているので思い出したら、また追記したいと思います。*5

 長いのでシーン対比の解説を分割しました。続きはこちら→ 【コードギアス解説・考察】 Re; 「繰り返し構造」の解説補足 1期と2期の対応シーン:スザク救出劇とゼロ・レクイエム&ルルーシュ≒ユフィ

 

コードギアス関係で過去に書いたもの一覧

*1:それを聞いたシュナイゼルは、ルルーシュの一番痛い所を突くわけですね。そういった懸命に抗い生きる、努力をしてきた人々を踏みにじってきたではないか。人の意志・存在をこれまでさんざんギアスで否定してきた、卑怯な手段で踏みにじってきたではないか、そのお前が今更何を言ってるんだと。その矛盾はどうするんだ。おまいうやんけと。結局綺麗事をいくら言ったって、自分と同じように武力・力で無理やり言うことを聞かせることに現になっているではないか。他者を、世界を実力でひれ伏せさせているじゃないかとね。だからこそルルーシュはゼロ・レクイエムで自分にもギアスをかけて、自分を消し去ることでシャルルやシュナイゼルとは違うことを示した。「力の支配」を否定するわけですね

*2:E・H・カー著 『歴史とは何か』(一章) 
E・H・カー著 『歴史とは何か』(二章) 
E・H・カー著 『歴史とは何か』(三章) 
E・H・カー著 『歴史とは何か』(四章) 
歴史とは何か(五章~ラスト)  
歴史とは何か(六章) 

*3:今頃気づきましたが、これ小型のサザーランドを仕込んでおいたんじゃなくて、V.Vとの戦いのあとでサザーランドを埋め込むことで補修していたんですね。第二次東京決戦の時に既にサザーランド搭載型になっているの今更知りました

*4:ルルーシュブリタニア側の一部も的に回ったのでブリタニア人でも憎んでいるかもしれないですけどね

*5:あ、しまった。肝心なシャーリーのメッセージ、「何度生まれ変わってもルルを好きになるから」というセリフの意味を書くの忘れてた(^ ^;)。あとで追記します