てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

浅野裕一著 『古代中国の宇宙論』

古代中国の宇宙論 浅野裕一

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 浅野裕一氏の『古代中国の宇宙論』のメモ。詩経書経には中原の上天・上帝思想がある。天帝が意志を示すという発想は時代を下るにつれ消えていく、鄭の子産・晋の叔向・斉の晏嬰などは政治から呪術を排除し、天に働きかけられるのは君主の徳だけと、天への働きかけを限定しようとした。

 董仲舒は上天・上帝思想と気の思想を折衷した陰陽災異思想を打ち出している。道家などが、天の意志という抽象的人格神の思想を排除して、抽象的非人格神である「道」などの概念を打ち出して合理性を高めたのだが、漢・武帝以降にまた天の意志が思想に持ち込まれて、合理性は弱まってしまったわけだ。

 天の意志という不合理なものを排除した道家&法家、しかしその不合理な「天の縛り」というものが排除された結果、君主がどこまでも裁量権を奮ってしまう危険性がある。実際に秦などはそういう方向に向かった。秦のように君主が国家の権力を最大限用いる危険性を考えると、思想的にそれに歯止めをかけるストッパーの役割が必要となる。故に、このような天の思想が復活したと考えられる。思想が非合理的に後退したのにはちゃんと根拠があると言えるでしょう。いかに正しくても時代や環境がふさわしくなければ正解にはならないという良い事例ですね。

 そもそも合理的な思想というのは、変革・改革の必要性、トップダウンで物事を進める必要性から生まれたものですから、漢のような統一帝国にとって必要ではない。
鄭の子産・晋の叔向・斉の晏嬰、そしてもちろん失敗したとはいえ魯の孔子も改革を肯定する人間。漢では、いかに国を改革して強くして拡大させるかではなく、いかに安定して維持していくかということが問われる。秩序の維持・安定には合理思想は合わないわけですね。家の安定、郷里秩序の安定、そして国家の安定という方向で思想が発展していくのも当然ですね。

 そういう忠孝思想、価値観というのは当然それ以前にもあったわけですけど、漢代に特に重視されていったわけですね。特に人為的にピックアップされて異常に奨励されたというよりは、今まで法家思想などで富国強兵的な価値観だったり楊朱のような個人を主体に考える思想だったりが、消えていった結果最後まで残った思想がそういう普遍的な当たり前な常識だったということでしょう。


 宋学宇宙論あたりは読んでいても何を言いたいのかよくわからないのだけど、同じように気の作用に注目して、その気によって宇宙・世界の生成を説明した。そうすることで、天の思想・天の意志を思想から極力排除しようとしたということか、なるほどね。宋学はこれまでの儒学の不合理な要素を排除しようとした結果なんでしょうね。

 黄老道を排除するために武帝董仲舒の天人相関思想を採用した。そこで道は天の下の概念として組み込まれた。漢末になれば、再び道・黄老道が台頭しそうなものだがそれはもうない。思想の担い手がいなくなったことと、帝国の思想としてまた危機における改革に「無為」は無力だろうからなんでしょうね。

 実際台頭して後の中心になったのは儒学。官僚を要請するための学校・それに用いるテキストブックがあるかどうか。そういう条件を黄老道は備えなかったでしょうしね。学問・学校・教師それを支える地方の学校、そういう体系的なものがないと学問としては生き残らないし、生き残っていかない。まあ地方の学校で人によって千差万別でいろんなことが教えられたんでしょうけど、オフィシャルで学ばせやすい性質を儒学が一番備えていたということでしょうかね。

 それこそ、漢以外の選択肢、華北のみの政権だったり、華南、江南のみの政権のような政権構想があれば別だったんでしょうけど、一度漢帝国という枠組みを経験したあとは、統一帝国以外選択肢はなかった。人々は統一帝国以外の政権を望んでいなかった*1。もう一度統一帝国を復活させよう、「漢」を復活させようという機運のなかで、抜本的な変革を求める合理思想、ラディカルなものは必要とされなかったということでしょうね。黄老道が漢末に出てこなかったというのはそういうことも背景にあるでしょうね。原始道教的なものはチラホラ存在していたし、中央に経典が上げられたりなどありましたけど、黄老道や黄老思想というかたちを取るべくもなかったでしょうね。担い手がいないので。


 老子の道だったり、『太一生水』や『恆先』などの思想は、中原の上天・上帝思想と一線を画す*2。だから辺境の楚で生まれたわけだがその背景は謎。個人的にはインドなど海洋ルートからはいった思想の影響かと思うが、どうかな。

 今後、老子について読んで色々やるつもりなのだが、道や宇宙論は他の二つの先駆と比較して考えないと結局、老子で書かれている真意はわからなそうだな…。だとすると老子だけを単独で読んで好き勝手にあーだこーだと解釈しても、無意味になる可能性が…。老子が生まれた時代に既に存在した『太一生水』や『恆先』といった先駆思想をしっかり抑えておかないと見当違いな解釈・文字の意味を誤解してしまいそうで怖いなぁ。これからやるつもりなのに。

*1:まあ割拠政権がいくつも出来たように、地方で独立したいという声はちゃんとあったことはあったでしょうね。それが多数派を占めなかったということですね

*2:そういう意味でも董仲舒の天人相関災異思想というのは中原本来の思想、先祖返りであって、江南の思想の排除とも言えるわけですね

浅野裕一湯浅邦弘著 『諸子百家〈再発見〉』

諸子百家〈再発見〉 浅野裕一

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  浅野裕一・湯浅邦弘著、『諸子百家〈再発見〉 掘り起こされる古代中国思想』のメモです。ずっと前にメモっといて、まとめておくのを忘れていました。個人的メモになります。

 p10、「挟書の律」、焚書などが思想に大きな制約をもたらしたという見方。学団の解体と書いてあるように、そちらがメインで。焚書はあくまで手段に過ぎないと思う。思想統制こそが目的で焚書という事業を全国的に徹底的に展開したとは考えにくい。統一帝国・秦に草の根レベルで抵抗して統治の障害になる学者集団の母体の解体こそがメインと考えるべきだと思う。

 公式に挟書の律が廃止されたのは文帝のとき、それまで厳格に取り締まったりしなかったから、漢代の学者は諸子百家を研究できたとある。がしかし、挟書の律について「学者を取り締まるべき」「いや、思想統制はすべきでない」とかそういう学者や思想統制政策について論じられていない。一大テーマだったという記録が残っていないことからして察しだと思うんですけどね。

 まあ、学者が自由に活動しづらかったという点では違いはあるんでしょうけどね。秦の治世も始皇帝死後は不安定化しましたし、そんなに長期間学問の自由が奪われていたと考えるべきではないと思いますね。始皇帝死後反乱が起こるに連れて次の時代を睨んで、新しい世のための学問・学者活動は徐々に活発化していったと見るべきだと思います。

 秦時代の思想統制焚書などが大々的な影響を与えたとみなすべきではないと思います。

 p12、河間献王・魯共王が古文研究。共王の場合は孔子宅から出ただけで、それを王国単位で熱心には研究しなかったんだっけかな?河間献王が熱心に研究したという先例がこの河間国に大きな意味合いをもたらすのかしら?封国が時代によって全然場所違うから要注意なのだけど、後漢まで続いている、封国のアイデンティティとして引き継がれているとすると面白い話。

 儒家墨家・兵家・道家、ほぼ時を同じくして出現する。兵家を除けば、三者は君主・国家権力の恣意的な行動を制限することを目的とした思想。兵家・孫呉の兵法は、それがまるでないわけではないが、斉から新興国呉に渡って、大国楚を五度に亘って破るという大々的な実績を以てPRするのが前三者と異なる所。

 要するに兵家は仕官してなんぼ。高官となってその思想を現実に実践できなければ、その思想の有効性が発揮されることはない。このような姿勢は合理的な思想をする荀子や法家に受け継がれていく。縦横家も同じ立場。思想家として政治に強い影響力を与えたのはこれらの立場であることは言うまでもない。前者(儒家墨家道家)は所詮思想家で、後者は政治家・実践家(兵家・法家・縦横家)。もちろん人・時代によって違いはあるのでしょうけどね。道家なんか後に現実的に政治を動かすにはどうすべきか?という者達が出てきますし、墨家もいかに城・国を守るかと現実主義的な色彩を帯びていくわけですね。まあ教団化の方向に行って結局は滅びましたけど。儒家儒教の変化は今更言うまでもないでしょう。

 p61、汲郡から魏王の墓から大量の文書が出土、この汲冢書の古文研究がなされ、邯鄲淳の古文、伝承されてきたものがやはり正しいと認められることに。正始年間に三字石経と呼ばれる学問の正統化がなされていたこと、その裏付けが与えた影響は面白そう。正始の音に間違いなく反映されてるだろうし。

 p75、この時代、紙や木簡はめったにない。殆どが竹簡、繊維質で加工しやすい。殺青、竹を炙って防腐処理をする。木の腐りやすさとどれほどの違いがあるのだろうか?それでも竹の加工しやすさ、厚さが0.1cmで済むという利便性は大きかっただろう。木ではまず無理だし同一に整えるのが大変。

 p91、郭店楚簡『窮達以時』には荀子の「天人の分」の思想がある。それまでは荀子が初めて人格神的な天を否定したと考えられていた。都市国家から領域国家へと変貌を遂げる前提に大きな思想的下積みがあると考えるのが普通で、孔子老子以前に思想的前提があったと考えるほうが自然だと思うのだが…。まあそういう理解をする時代があったということですね。

 p101、五十にして天命を知る=革命の天からの指令と解釈する。当時の常識的な寿命を考えるとかなり考えづらい。孔子が天命理論・易姓革命に天の指令がありうることだと考えていたとしても、大臣ですらない人間にそんな声が聞えるはずがない。聞こえていたらもっと痛い言動・DQN言動が多かったはず。

 『窮達以時』は個人の禍福の話だが、荀子は政治・社会レベルにまでその論を引き上げている。が、天命・易姓革命を明確に否定はしていない。それをしているのは商鞅。彼のロジックに「天」はない。「力」のみに注目している。周の文字・制度を取り入れていた秦は「天」も取り入れていた筈。その「天」思想の否定をした。

 徳・礼と政・刑が対立している(p156)とか、老子の思想はアンチ儒家だとか(p191)、どうしてこう硬直的な捉え方が多いのだろうか?特定の思想・学説が10か0かで他の可能性を考慮しない、排他的だったとするほうが想定しにくいだろうに。6:4とか7:3とかそれくらいの割合でいるものだと考えたほうが自然。なんででしょうね?普段から自説と違う立場の人とケンカばっかしているから、そういう捉え方しちゃうんでしょうかね?(笑)

 p194、馬王堆帛書や郭店楚簡の老子には「大道廃れて仁義あり~」のくだりが、「安」=いづくんぞを加えて真逆の意味で書かれている。大道廃れていづくんぞ仁義ありになっている。また忠臣の箇所が、それぞれ貞臣・正臣となっている違いもある。こう読むと大道がなければどうして仁義が保たれるだろうか~など、真逆の意味になる。しかし、「安」をつけて読んだ場合、あまり意味がある句にならない。逆説的な警句として意味がある文。本来の思想の逆説性を取り除くために、安の字をあとから付け足して換骨奪胎を図ったのだと個人的に思う。

 老子本人・本来の思想が儒家と相容れないものだったとしても*1、折衷派は当然いる。折衷を図ったそれぞれの思想のいいとこ取りをしようとする中間派が「安」の字をつけたのではなかろうか?黄老ならぬ孔老派かな?

 p218、公孟子墨子に向かって孔子は天子となるべき人物だったことを説くのだが、詩書・礼楽・万物に詳らかという事をもってその証拠としている。また古代の帝王伏犠や周の文王・周公旦などが易を作っており、その易に精通するのも孔子が天子となるべきだったという説の補完になっているという。

 師匠である孔子の絶対化・権威化を弟子たちは図った。そこで孔子=聖人だったとか、天命を受けていたとか無茶な話になってくるのだが、ゼロではないにせよ孔子にそういう意識はそこまでない。弟子たちがそういう主張をしていたのを以って、孔子がそういう痛い思想を持っていたとするのは無理がある。


 そうだ、「忠」といえば、忠とか性とかの話があったのだけど、そういうのはあまりこの時代の思想でポイントじゃない、優先順位高くないと思うんですよね。孔子が君主への諫言について語っている内容からわかるように、無条件の忠義を君主に尽くせという発想は出てこないし、そもそも当時には必要ない。

 君主は仕官を求める人材が毎日のようにグイグイ押しかけてくるわけで、誰を雇うのも大臣にするのもまあ自由だった。忠義よりも能力・結果を求めた。仕官を求める士も同じ。自分の主張が受け入れられなければ、さっさと次の土地へ行って重用される君主を探すだけ。そこに君臣の忠義云々という思想の需要は殆どない。

 まあ、今話題のブラック企業社畜に絶対の忠誠、全人格的服従を要求するようなそれはなかったわけですよね。ですから孔子も君主が自分の話を聞き入れないと思ったら、諫言は辞めなさい。そんなブラック企業辞めなさいと説くわけで。国家体制・王朝が絶対の前提にならないと「忠」云々は出てこないかと思えますね。

 孔子先生が教える!ブラック企業時代の社畜の生き残り方!!―なんて本でも作れば売れるかもと一瞬思ったが、じゃあどうやってその教えを実行して給与・高待遇を確保するかと言われれば、顔淵的生活をしなさいオチになりそうなので、売れるわけないなとすぐに素に返りました(笑)。

*1:親近感を覚えていなかったとしても、儒家を特別に敵対視していたとは思わないが

シリアの渡航制限の初判決、東京地裁は外務省を支持


 漫画ネタを書こうと思って、色々過去記事を見返したりで終わらなかったので、目についたこんな話を。過去に取り上げたことがあると思っていたら、こちらでは書いていませんでしたね(※昔書いたもの―パスポート返納騒動についてついでに関係ありそうな過去記事のリンクも一応貼っときます→ジャーナリスト安田純平氏、シリアで拘束 安易な自己責任論を振りかざすべからず )。いい加減過去記事全部移せという話ですが。パスポート返納騒動の初判決が出たのでその話をしたいと思います。まあ過去記事で書いたことと被るのですが、思いついたこともあるのでいいかなと。

NHKニュースのリンク先から以下目についたものを抜書
 シリアでの取材を計画していた新潟市のフリーカメラマンが、外務省にパスポートを差し押さえられ、渡航先を制限された事件があり、その判決についてです。東京地方裁判所は「報道の自由より生命の安全を優先したことが不当とはいえない」として訴えを退ける判決をだした。

 東京地方裁判所の古田孝夫裁判長いわく、「当時の状況から見て外務大臣が生命の安全を優先したことが不当とはいえない。命を賭けてでも報道しようとする姿勢は崇高なものだが、日本の憲法がいかなる場合にも生命より報道の自由を優先して保護すべきだとしているとは解釈できない」

 渡航先の制限についても「原告はイラクやシリアに渡航する必要性を具体的に示していない」などと指摘した。

 フリーカメラマンの杉本祐一さんは会見を開き、「このような判断が判例になってはいけない。外務省が勝手に気にくわない人間の行動を抑えてくるような気がしてならない。自分は個人の取材者で立場が弱いので、パスポートを強制的に返納させられたと思うが、今後、報道機関にも影響が及ぶことを危惧している」

―とあるわけですが、まあ言うまでもなく、「報道の自由」という権利というか概念を、国民の身体・生命・財産の保護というロジックで押さえつけることを正当化しようというのは間違っているわけですね。

 まあ13条で「公共の福祉に反しない限り」という留保があることを示すまでもなく、あらゆる自由というのは公共の観点から制限されるもの。公、社会全体に迷惑がかかるからその自由は認められないよと制限がかかるのは至極当然のこと。しかし、この渡航禁止・報道禁止というのはまるで理にそぐわない話。

 自由民主主義社会において自由な報道があるのは当たり前。自由な報道・言論空間なくして自由民主主義は成り立ち得ない。国家・政府が個人が報道のために~したいということを制限するなんて普通はありえない。前にも書きましたけど、まず前提として有事だから・危険だから報道しに行くということは崇高な行為であるわけですね。我が身を顧みずに情報を取りに行く。その情報が回り回って、外交・政治・経済に非常に役に立ってくる。インフラのようなものなわけです。基本的にそれを制限する理由はない。

 ところが、誘拐リスク・殺害リスクが高いという背景がある。だから渡航を制限・禁止するというのは間違ってはいない。が、基本的には「こうこうこうしたうえでこうしなさい」と諸条件を設けることで済ますべきこと。絶対に行くなと一律禁止するようなことはあってはならない。

 メディアの方でも内輪の機関でしっかりした報道人なのかどうか、資格があるのか審査して免許を出せばいい。「この人はちゃんとしたジャーナリストで現地にパイプもあり、リスクは高くないですよ」と証明すればいい。あなたはきちんとした人物ですから渡航してもいい。一般人はダメな危険エリアAにも行っていいですよとか、逆にあなたはまだその資格が無いから行ってもエリアBまでですよとか、ルールを作ればいい。*1

 本来記者クラブという業界の寄り合い内輪機関というのはそういう役割を果たすべきもの。ただの談合機関になっては困る。本来はそういう指摘がなされるべきだと考えるのだがそういう声は聞こえてこない不思議。

 で、本人の身に危険がある。最悪死ぬ、それを本人がわかった上で行くのだから禁止する理由はない。前回も書いたとおり、政府が拐われた邦人について救助努力をするのは当然。救助のために精一杯努力して助かれば、よくやった。助からなくてもそれはそれでやむなし。ただ、政府が適切な対応・処置をしたかは後々検証が必要で、そこでまっとうな対応ができていなければ反省や責任が問われるもの。

 いずれにせよ普通の外交をして、普通の対応をすればいいだけ。そこに自己責任がどうたらこうたらとか、ジャーナリストが思い上がっているとか、国民の税金が無駄になったとか余計な論理を持ち込む必要性はどこにもない。

 そもそも国民の税金が無駄になるというセンスがありえない。「報道=社会のインフラ」という価値が欠け落ちてしまっているとしか思えない。水と平和はタダというフレーズが20年前くらいに流行ったが、「情報はタダ」だと思っているのではないか?ある日思いついたから、この情報を取りに行こうと出かけていって簡単に手に入るものではない。どんな分野でもあたり前のことだが日夜努力して長年の下積みの結果、成果が生まれる。努力を放棄する・一度捨て去ってしまえば一から作るのには途方もない時間と金がかかる。質の高い報道・情報が得られる社会というものがどれだけありがたいか言うまでもない。その認識が欠如している。

 まあテレビのばかみたいな報道を見ているといかに情報精度・リテラシーが低いかわかるはずだが、そういうものが当たり前のレベルだと殆どの人が錯覚しているから気づかないのかもしれないが。

 かのジャーナリストが素晴らしい人間で極めて優秀な報道人であるかどうか知り得ないが、優秀な報道人が危険な場所に行くことを歓迎こそすれ、非難することは本来ありえない。

 ISの支配地域ということは、そこは現状国際秩序から逸脱した危険地域。その危険な反既存国際秩序支配地域を我々は打倒・解放する必要性がある。そういう反社会的勢力と戦うのは当然のこと。問われるとしたらそのISとの戦い方が十分ではない、政府は国際社会に対してきちんと責任を果たせていない―というような批判が起こるもの。当たり前の国際感覚が抜け落ちてしまっているから、渡航するジャーナリストを迷惑だなどと平気でいえてしまうのだろうが…。

 ISの勢力拡大は他人事でも無関係なことでもない。それについて積極的に関与しに行くことは間違いではない。そういう行為について「迷惑だ」なんていうのは国際社会の論理を理解していない感覚だろう。

 政府は政治経済や外交・軍事でそういう危険な勢力と戦うわけだが、個人として報道人が報道をするということを通じて戦うという要素がある。それを国家が制限するというのは戦いを放棄することに等しい。これこそ非難されるべきことである。

 ISという反社会的勢力と戦っているのは、米の専売特許ではない。言うまでもなく日本も同じ。国際秩序を維持する上で大国としての責任がある。既存国際秩序がある上で日本の今の繁栄がある。それを守るために危険な勢力と戦うのは当たり前のこと。一時的な制限ならともかく、このような形での制限は理にそぐわない。それこそ報道人を入れないで色々やましいことをしようとしていると批判されてもおかしくない。

 当然そういう批判は上がらない。何故かというと今回の渡航禁止措置というのは、一般的にありがちな政府が国民に知られたくないがために報道を制限して隠れてコソコソやるというのではなく、単純に能力がないから禁止しているに過ぎないから。

 本来、普通の国であればこういう拉致や誘拐に対して適切な対応・処置を取ることが出来る。事件が起こっても、淡々といつもの危機管理として処理をすればいいだけ。ところがそういうことをする能力が著しく乏しいから、いつも下手を踏む・後手に回る。そういう政府や外務省の能力の無さを白日のもとに晒したくないからやらないようにしているだけ。ハッキリ言ってこれは職務放棄と言っていい。本当は国民は何考えているんだ!職務怠慢だ!と怒るべき出来事。

 にも関わらず、迷惑だ&自己責任になる。一般的な価値観、災害時に迷惑にならないように危険なところに近づかないようにしましょう的な価値観で捉えてしまっている。この愚かしさに気づかない人は多い。今回のようなジャーナリスト一個人レベルならまだ良い。これが海外旅行中の、あるいは海外ビジネスマンの邦人だったらどうなるか?政府・外務省が危機に対して適切な処置をして彼らを救うという普通の国家であれば出来る当たり前の行為が満足に出来ないとなったら?

 一ジャーナリストに対して、打つ手を持っていない。あらゆるパイプ・ルートを通じて国民を守るということが出来ない政府が、そういう時にどれくらい国民保護が出来るか?一々言うまでもなかろう。報道の自由と身体・生命の自由をギリギリのラインで調整して両方守ろうという苦労も努力もしない政府が、その時はちゃんと出来ると考えるほうがおかしい。

 政府や外務省としてはこういう現象を「迷惑だ」で片付けてくれる世論を見てシメシメと思っているだろう。仕事を放棄して責任を追求されるのではなく、放棄した責任を当事者の責任だ!自己責任だ!と言って逃れられるのだから。

 まあその論理に未だに気づかずにいる人々は明日は我が身だということを存分に覚悟していただきたい。危機・非常時において取るべき対策・手順がしっかり構築されていないのですから。

 肉屋を支持する豚とはよく言われることですが、この渡航制限の話を聞いて「当然だ」「自業自得だ」「迷惑だ」と反応する方々はあらためて自分たちに跳ね返ってくる話だと理解していただきたいですね。自己責任だと言う論理はいつか必ず、自分が苦境に陥った時、苦しくなった時も社会や世間から自己責任だと言われてほうって置かれますよ。そういう社会が良い社会かどうかよく考えていただきたいものですね。

*1:まあそうなると必然的にその審査機関について色々な問題が発生してくるんでしょうけどね