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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

浅野裕一湯浅邦弘著 『諸子百家〈再発見〉』

諸子百家〈再発見〉 浅野裕一

※文字が楽天リンク、画像はアマゾンリンクになってます

浅野裕一・湯浅邦弘著、『諸子百家〈再発見〉 掘り起こされる古代中国思想』のメモです。ずっと前にメモっといて、まとめておくのを忘れていました。個人的メモになります。

 p10、「挟書の律」、焚書などが思想に大きな制約をもたらしたという見方。学団の解体と書いてあるように、そちらがメインで。焚書はあくまで手段に過ぎないと思う。思想統制こそが目的で焚書という事業を全国的に徹底的に展開したとは考えにくい。統一帝国・秦に草の根レベルで抵抗して統治の障害になる学者集団の母体の解体こそがメインと考えるべきだと思う。

 公式に挟書の律が廃止されたのは文帝のとき、それまで厳格に取り締まったりしなかったから、漢代の学者は諸子百家を研究できたとある。がしかし、挟書の律について「学者を取り締まるべき」「いや、思想統制はすべきでない」とかそういう学者や思想統制政策について論じられていない。一大テーマだったという記録が残っていないことからして察しだと思うんですけどね。

 まあ、学者が自由に活動しづらかったという点では違いはあるんでしょうけどね。秦の治世も始皇帝死後は不安定化しましたし、そんなに長期間学問の自由が奪われていたと考えるべきではないでしょうね。始皇帝死後反乱が起こるに連れて次の時代を睨んで、新しい世のための学問・学者活動は徐々に活発化していったと見るべきだと思います。

 秦時代の思想統制焚書などが大々的な影響を与えたとみなすべきではないと思います。

 p12、河間献王・魯共王が古文研究。共王の場合は孔子宅から出ただけで、それを王国単位で熱心には研究しなかったんだっけかな?河間献王が熱心に研究したという先例がこの河間国に大きな意味合いをもたらすのかしら?封国が時代によって全然場所違うから注意だけど、後漢まで続いているとすると面白い話。

 儒家墨家・兵家・道家、ほぼ時を同じくして出現する。兵家を除けば、三者は君主の恣意的な行動を制限することを目的とした思想。兵家・孫呉の兵法は、それがまるでないわけではないが、斉から新興国呉に渡って、大国楚を五度に亘って破るという大々的な実績を以てPRするのが前三者と異なる所。

 要するに兵家は仕官してなんぼ。高官でなければその思想の有効性が発揮されることはない。このような姿勢は合理的な思想をする荀子や法家に受け継がれていく。縦横家も同じ立場。思想家として政治に強い影響力を与えたのはこれらの立場であることは言うまでもない。前者(儒家墨家道家)は所詮思想家で、後者は政治家・実践家(兵家・法家・縦横家)。もちろん人によって違いはあるのでしょうけどね。道家なんか後に現実的に政治を動かすにはどうすべきか?という思想で動きますし、墨家もいかに城・国を守るかと現実主義的な色彩を帯びていくわけですけど。儒家儒教の変化は今更言うまでもないでしょう。

 p61、汲郡から魏王の墓から大量の文書が出土、この汲冢書の古文研究がなされ、邯鄲淳の古文、伝承されてきたものがやはり正しいと認められることに。正始年間に三字石経と呼ばれる学問の正統化がなされていたこと、その裏付けが与えた影響は面白そう。正始の音には間違いなく反映されてるだろうしね

 p75、この時代、紙や木簡はめったにない。殆どが竹簡、繊維質で加工しやすい。殺青、竹を炙って防腐処理をする。木の腐りやすさとどれほどの違いがあるのだろうか?それでも竹の加工しやすさ、厚さが0.1cmで済むという利便性は大きかっただろう。木ではまず無理だし同一に整えるのが大変

 p91、郭店楚簡『窮達以時』には荀子の「天人の分」の思想がある。それまでは荀子が初めて人格神的な天を否定したと考えられていた。都市国家から領域国家へと変貌を遂げる前提に大きな思想的下積みがあると考えるのが普通で、孔子老子以前に思想的前提があったと考えるほうが自然だと思うのだが…。

 p101、50にして天命を知る=革命の天からの指令と解釈する。当時の常識的な寿命を考えるとかなり考えづらい。孔子が天命理論・易姓革命に天の指令がありうることだと考えていたとしても、大臣ですらない人間にそんな声が聞えるはずがない。聞こえていたらもっと痛い言動・DQN言動が多かったはず。

 『窮達以時』は個人の禍福の話だが、荀子は政治・社会レベルにまでその論を引き上げている。が、天命・易姓革命を明確に否定はしていない。それをしているのは商鞅。彼のロジックに「天」はない。「力」のみに注目している。周の文字・制度を取り入れていた秦は「天」も取り入れていた筈。その「天」思想の否定をした

 徳・礼と政・刑が対立している(p156)とか、老子の思想はアンチ儒家だとか(p191)、どうしてこう硬直的な捉え方が多いのだろうか?特定の思想・学説が10か0かで他の可能性を考慮しない、排他的だったとするほうが想定しにくいだろうに。6:4とか7:3とかそれくらいの割合でいるものだと考えたほうが自然。なんででしょうね?普段から自説と違う立場の人とケンカばっかしているから、そういう捉え方しちゃうんでしょうかね?(笑)

 p194、馬王堆帛書や郭店楚簡の老子には「大道廃れて仁義あり~」の件が「安」=いづくんぞを加えて真逆の意味で書かれている。大道廃れていづくんぞ仁義ありになっている。また忠臣の箇所が、それぞれ貞臣・正臣となっている違いもある。大道がなければどうして仁義が保たれるだろうか~など、真逆の意味になる。しかし、「安」をつけて読んだ場合、あまり意味がある句にならない。逆説的な警句として意味を成す句に安の字をあとから付け足して換骨奪胎を図ったと個人的に思う

 老子本人・本来の思想が儒家と相容れないものだったとしても*1、折衷派は当然いる。折衷を図ったそれぞれの思想のいいとこ取りをしようとする中間派の折衷が「安」の字をつけたのではなかろうか?黄老ならぬ孔老派かな?

 p218、公孟子墨子に向かって孔子は天子となるべき人物だったことを説くのだが、詩書・礼楽・万物に詳らかという事をもってその証拠としている。また古代の帝王伏犠や周の文王・周公旦などが易を作っており、その易に精通するのも孔子が天子となるべきだったという説の補完になっているという。

 師匠である孔子の絶対化・権威化を弟子たちは図った。そこで孔子=聖人だったとか、天命を受けていたとか無茶な話になってくるのだが、ゼロではないにせよ孔子にそういう意識はそこまでない。弟子たちがそういう主張をしていたのを持って、孔子がそういう痛い思想を持っていたとするのは無理がある。


 そうだ、「忠」といえば、忠とか性とかの話があったのだけど、そういうのはあまりこの時代の思想でポイントじゃない、優先順位高くないと思うんですよね。孔子が君主への諫言について語っている内容からわかるように、無条件の忠義を君主に尽くせという発想は出てこないし、そもそも当時には必要ない。

 君主は仕官を求める人材が毎日のようにグイグイ押しかけてくるわけで、誰を雇うのも大臣にするのもまあ自由だった。忠義よりも能力・結果を求めた。仕官を求める士も同じ。自分の主張が受け入れられなければ、さっさと次の土地へ行って重用される君主を探すだけ。そこに君臣の忠義云々という思想は需要が殆どない。

 まあ、今話題のブラック企業社畜に絶対の忠誠、全人格的服従を要求するようなそれはなかったわけですよね。ですから孔子も君主が自分の話を聞き入れないと思ったら、諫言は辞めなさい。そんなブラック企業辞めなさいとするわけで。国家体制・王朝が絶対の前提にならないと「忠」云々は出てこないかと思えますね。

 孔子先生が教える!ブラック企業時代の社畜の生き残り方!!―なんて本でも作れば売れるかもと一瞬思ったが、じゃあどうやってその教えを実行して給与を確保するかと言われれば、顔淵的生活をしなさいオチになりそうなので、売れるわけないなとすぐに素に返りました(笑)。

*1:親近感を覚えていなかったとしても、儒家を特別に敵対視していたとは思わないが

シリアの渡航制限の初判決、東京地裁は外務省を支持


 漫画ネタを書こうと思って、色々過去記事を見返したりで終わらなかったので、目についたこんな話を。過去に取り上げたことがあると思っていたら、こちらでは書いていませんでしたね(※昔書いたもの―パスポート返納騒動についてついでに関係ありそうな過去記事のリンクも一応貼っときます→ジャーナリスト安田純平氏、シリアで拘束 安易な自己責任論を振りかざすべからず )。いい加減過去記事全部移せという話ですが。パスポート返納騒動の初判決が出たのでその話をしたいと思います。まあ過去記事で書いたことと被るのですが、思いついたこともあるのでいいかなと。

NHKニュースのリンク先から以下目についたものを抜書
 シリアでの取材を計画していた新潟市のフリーカメラマンが、外務省にパスポートを差し押さえられ、渡航先を制限された事件があり、その判決についてです。東京地方裁判所は「報道の自由より生命の安全を優先したことが不当とはいえない」として訴えを退ける判決をだした。

 東京地方裁判所の古田孝夫裁判長いわく、「当時の状況から見て外務大臣が生命の安全を優先したことが不当とはいえない。命を賭けてでも報道しようとする姿勢は崇高なものだが、日本の憲法がいかなる場合にも生命より報道の自由を優先して保護すべきだとしているとは解釈できない」

 渡航先の制限についても「原告はイラクやシリアに渡航する必要性を具体的に示していない」などと指摘した。

 フリーカメラマンの杉本祐一さんは会見を開き、「このような判断が判例になってはいけない。外務省が勝手に気にくわない人間の行動を抑えてくるような気がしてならない。自分は個人の取材者で立場が弱いので、パスポートを強制的に返納させられたと思うが、今後、報道機関にも影響が及ぶことを危惧している」

―とあるわけですが、まあ言うまでもなく、「報道の自由」という権利というか概念を、国民の身体・生命・財産の保護というロジックで押さえつけることを正当化しようというのは間違っているわけですね。

 まあ13条で「公共の福祉に反しない限り」という留保があることを示すまでもなく、あらゆる自由というのは公共の観点から制限されるもの。公、社会全体に迷惑がかかるからその自由は認められないよと制限がかかるのは至極当然のこと。しかし、この渡航禁止・報道禁止というのはまるで理にそぐわない話。

 自由民主主義社会において自由な報道があるのは当たり前。自由な報道・言論空間なくして自由民主主義は成り立ち得ない。国家・政府が個人が報道のために~したいということを制限するなんて普通はありえない。前にも書きましたけど、まず前提として有事だから・危険だから報道しに行くということは崇高な行為であるわけですね。我が身を顧みずに情報を取りに行く。その情報が回り回って、外交・政治・経済に非常に役に立ってくる。インフラのようなものなわけです。基本的にそれを制限する理由はない。

 ところが、誘拐リスク・殺害リスクが高いという背景がある。だから渡航を制限・禁止するというのは間違ってはいない。が、基本的には「こうこうこうしたうえでこうしなさい」と諸条件を設けることで済ますべきこと。絶対に行くなと一律禁止するようなことはあってはならない。

 メディアの方でも内輪の機関でしっかりした報道人なのかどうか、資格があるのか審査して免許を出せばいい。「この人はちゃんとしたジャーナリストで現地にパイプもあり、リスクは高くないですよ」と証明すればいい。あなたはきちんとした人物ですから渡航してもいい。一般人はダメな危険エリアAにも行っていいですよとか、逆にあなたはまだその資格が無いから行ってもエリアBまでですよとか、ルールを作ればいい。*1

 本来記者クラブという業界の寄り合い内輪機関というのはそういう役割を果たすべきもの。ただの談合機関になっては困る。本来はそういう指摘がなされるべきだと考えるのだがそういう声は聞こえてこない不思議。

 で、本人の身に危険がある。最悪死ぬ、それを本人がわかった上で行くのだから禁止する理由はない。前回も書いたとおり、政府が拐われた邦人について救助努力をするのは当然。救助のために精一杯努力して助かれば、よくやった。助からなくてもそれはそれでやむなし。ただ、政府が適切な対応・処置をしたかは後々検証が必要で、そこでまっとうな対応ができていなければ反省や責任が問われるもの。

 いずれにせよ普通の外交をして、普通の対応をすればいいだけ。そこに自己責任がどうたらこうたらとか、ジャーナリストが思い上がっているとか、国民の税金が無駄になったとか余計な論理を持ち込む必要性はどこにもない。

 そもそも国民の税金が無駄になるというセンスがありえない。「報道=社会のインフラ」という価値が欠け落ちてしまっているとしか思えない。水と平和はタダというフレーズが20年前くらいに流行ったが、「情報はタダ」だと思っているのではないか?ある日思いついたから、この情報を取りに行こうと出かけていって簡単に手に入るものではない。どんな分野でもあたり前のことだが日夜努力して長年の下積みの結果、成果が生まれる。努力を放棄する・一度捨て去ってしまえば一から作るのには途方もない時間と金がかかる。質の高い報道・情報が得られる社会というものがどれだけありがたいか言うまでもない。その認識が欠如している。

 まあテレビのばかみたいな報道を見ているといかに情報精度・リテラシーが低いかわかるはずだが、そういうものが当たり前のレベルだと殆どの人が錯覚しているから気づかないのかもしれないが。

 かのジャーナリストが素晴らしい人間で極めて優秀な報道人であるかどうか知り得ないが、優秀な報道人が危険な場所に行くことを歓迎こそすれ、非難することは本来ありえない。

 ISの支配地域ということは、そこは現状国際秩序から逸脱した危険地域。その危険な反既存国際秩序支配地域を我々は打倒・解放する必要性がある。そういう反社会的勢力と戦うのは当然のこと。問われるとしたらそのISとの戦い方が十分ではない、政府は国際社会に対してきちんと責任を果たせていない―というような批判が起こるもの。当たり前の国際感覚が抜け落ちてしまっているから、渡航するジャーナリストを迷惑だなどと平気でいえてしまうのだろうが…。

 ISの勢力拡大は他人事でも無関係なことでもない。それについて積極的に関与しに行くことは間違いではない。そういう行為について「迷惑だ」なんていうのは国際社会の論理を理解していない感覚だろう。

 政府は政治経済や外交・軍事でそういう危険な勢力と戦うわけだが、個人として報道人が報道をするということを通じて戦うという要素がある。それを国家が制限するというのは戦いを放棄することに等しい。これこそ非難されるべきことである。

 ISという反社会的勢力と戦っているのは、米の専売特許ではない。言うまでもなく日本も同じ。国際秩序を維持する上で大国としての責任がある。既存国際秩序がある上で日本の今の繁栄がある。それを守るために危険な勢力と戦うのは当たり前のこと。一時的な制限ならともかく、このような形での制限は理にそぐわない。それこそ報道人を入れないで色々やましいことをしようとしていると批判されてもおかしくない。

 当然そういう批判は上がらない。何故かというと今回の渡航禁止措置というのは、一般的にありがちな政府が国民に知られたくないがために報道を制限して隠れてコソコソやるというのではなく、単純に能力がないから禁止しているに過ぎないから。

 本来、普通の国であればこういう拉致や誘拐に対して適切な対応・処置を取ることが出来る。事件が起こっても、淡々といつもの危機管理として処理をすればいいだけ。ところがそういうことをする能力が著しく乏しいから、いつも下手を踏む・後手に回る。そういう政府や外務省の能力の無さを白日のもとに晒したくないからやらないようにしているだけ。ハッキリ言ってこれは職務放棄と言っていい。本当は国民は何考えているんだ!職務怠慢だ!と怒るべき出来事。

 にも関わらず、迷惑だ&自己責任になる。一般的な価値観、災害時に迷惑にならないように危険なところに近づかないようにしましょう的な価値観で捉えてしまっている。この愚かしさに気づかない人は多い。今回のようなジャーナリスト一個人レベルならまだ良い。これが海外旅行中の、あるいは海外ビジネスマンの邦人だったらどうなるか?政府・外務省が危機に対して適切な処置をして彼らを救うという普通の国家であれば出来る当たり前の行為が満足に出来ないとなったら?

 一ジャーナリストに対して、打つ手を持っていない。あらゆるパイプ・ルートを通じて国民を守るということが出来ない政府が、そういう時にどれくらい国民保護が出来るか?一々言うまでもなかろう。報道の自由と身体・生命の自由をギリギリのラインで調整して両方守ろうという苦労も努力もしない政府が、その時はちゃんと出来ると考えるほうがおかしい。

 政府や外務省としてはこういう現象を「迷惑だ」で片付けてくれる世論を見てシメシメと思っているだろう。仕事を放棄して責任を追求されるのではなく、放棄した責任を当事者の責任だ!自己責任だ!と言って逃れられるのだから。

 まあその論理に未だに気づかずにいる人々は明日は我が身だということを存分に覚悟していただきたい。危機・非常時において取るべき対策・手順がしっかり構築されていないのですから。

 肉屋を支持する豚とはよく言われることですが、この渡航制限の話を聞いて「当然だ」「自業自得だ」「迷惑だ」と反応する方々はあらためて自分たちに跳ね返ってくる話だと理解していただきたいですね。自己責任だと言う論理はいつか必ず、自分が苦境に陥った時、苦しくなった時も社会や世間から自己責任だと言われてほうって置かれますよ。そういう社会が良い社会かどうかよく考えていただきたいものですね。

*1:まあそうなると必然的にその審査機関について色々な問題が発生してくるんでしょうけどね

清水富美加の出家騒動、芸能界の労働問題に幸福の科学が労働問題に乗り出せば…という話

※見直したら、書きたいこと入れ忘れていたので翌日に加筆・修正しました。
 昨日の話で書き忘れていたことがあって追記していて、更新が遅れました。前回は自民党のおかしさを指摘するだけで終わってしまったのでね。それと全く同じことは「リベラルサヨク」サイドにも当てはまることを書いておかないと片手落ちでしたね。

 まあ、そんな話はおいといて、今回は清水富美加氏が芸能界引退を宣言し、幸福の科学に出家した話です。かなり古いネタになってしまいましたけどね。芸能界ネタ枠を作ってこういう話が来たのも何の因果なんでしょうか。最近昔に書いた記事をまとめ直しましたが*1、芸能界の麻薬汚染という話と、意外と関係ある気がしますね。

 関東連合が女性タレントを送り込んで、それを売りに「社長さん、今話題の女の子を紹介しますよ」と影響力を広げていくようなことがありました。芸能界でコネを持つ、影響力を持つのに麻薬というのは都合がいい。女・クスリ・裏カジノなどでターゲットをたらしこんでいく。わかりやすい画ですね。

 クスリといえば清原事件の時に触れましたけど*2、高卒プロ野球選手、特に上京して周辺に人間関係が存在しなければ、その心の隙間をタニマチが埋めることになる。腐敗する・堕落する危険性が高いわけですね。スポーツであれ芸能関係であれ、才能あるスターとコネを持つのはこの上ないステータスですから色んな怪しい人が近寄ってくるのは当然。清原ほどのスターではなくても、タレントの卵・スターの卵であれば、有象無象の怪しい輩が寄ってくるという図式は間違いなくあるでしょう。

 幸福の科学がそうだったと言いたいわけではなくて(むしろ逆)、彼女も芸能界という世界の中で一生懸命やってきて、すり減って疲れ切ってしまった。そういう辛い・大変な環境で芸能活動をしている間に、彼女を支える家族なり、友人なり、同僚なり、良好な人間関係が周囲に存在していない限り、彼女のようになるわけですね。突然限界だと言い出してドロップ・アウトしてしまうことは別に珍しい話ではないように思えます(周囲にとって突然急変したようにみえるだけで、本人はずっと悩んでいたんでしょうけどね)。むしろもっと多くの人が芸能界でやって行けずに、限界だと言い出して辞めていると思います。そういう人達が事務所と「契約がおかしい、こんな待遇は契約違反だ」と訴訟に発展しトラブルになるケースが少ない方に違和感を覚えます。

 幸福の科学が洗脳した云々という見方を抱いている人が多いようですが、個人的には洗脳云々よりも、限界が来て辞めると言い出した女の子の最後の心の拠り所が宗教だっただけのような気がします(もちろん幸福の科学が主体となって、彼女の心の隙間に上手く潜り込んで騙して操っているというストーリーの可能性もあるんでしょうけどね)。いずれにせよ、若いスター候補というのは才能という点ではともかく人間として経験が浅く精神が不安定なもの。清原のケースを例に出すまでもなく、そういう子供から大人の世界に入っていくのに、適切な関係性・環境が本当に与えられているのかという点はもっと掘り下げられるべき視点だと思います。まだ未熟なスター候補生を危険な誘惑から守る。そして危険な事務所の使い捨て、悪待遇から守るということが話し合われなければならないと思いますね。

■芸能事務所の性接待疑惑について
 彼女のことを全然知らなくて、漫画家の西原理恵子氏そっくりだなぁくらいの感想しかなかったのですが、彼女のマンガで元旦那が芸能プロダクションの社長から綺麗どころを集められた接待を受けたと。そこで女の子を好きにしていいと言われたとか。ところが旦那はもう女性に興味がなくなっていて、その申し出を断った所、嫁西原そっくりの若い娘を連れてきて、こういうのが好みなんだろうと勧められたという話が過去に描かれていたとか。ひょっとしてこのそっくりな若い娘こそが清水富美加なのでは?とツイッターで指摘されていましたが、もしそうだとしたら事務所の異常さの証明になりますよね。これが本当に彼女なのかどうか是非明らかにしていただきたいところですが、ハッキリしないものなのでしょうか?

 飲ませ食わせ抱かせという事がある業界だとは言われますが、それが問題ないのは個人が勝手にやるから。個人が自分の欲望のために実力競争ではなく、賄賂なり枕営業するなり好きにやればよろしい(もちろんそれが発覚すれば犯罪ですし、発覚せずとも噂だけで本人の信用は失墜してダメージを受けることは間違いないわけですが。要するにそういうのは所詮個人の責任の範疇にすぎないわけですね)。しかしそういうことを組織としての企業、芸能事務所がやるということは業界として絶対に許してはおけない話。一事務所の不祥事どころの話ではないでしょう、これが本当なら。そういう疑惑を追求せずにほっとけるテレビ・新聞の芸能担当者の神経を疑いますね。

 特に、日頃韓国が嫌いで熱心に韓国叩きに勤しんでいる人達には、「性接待云々で大騒動になった韓国のようだ、韓国のような後進国のような醜いことをするな!」と躍起になって叩いていただきたいところです。

■勝ち残った芸能人の違和感あるコメントと伊集院・松本の正論
 前にネットニュースで見かけましたが、この件について坂上忍氏が「最初が辛いのは当たり前、月給5万円なんて珍しい話じゃない」という話をしていたり、和田アキ子氏も「私も月給5万円だった」という話をしていたかと思います。無論当時の5万円と今の5万円じゃ価値が違うという話があるのですが、そういう話はまた置いといて、事務所側の主張に賛同する彼らテレビコメンテーターの姿勢には疑問を覚えます。

 この件について伊集院光氏が「こういうことが起こった時、コメントを出せる立場にある人というのは競争に勝ってきた人達。競争に勝ってきた人達がそういう発言をすることには違和感がある」という発言をしていましたが、まさにそのとおりでしょうね。超弱肉強食の世界で、1%下手したら0.01%くらいの人達がそういうことを言っても説得力の欠片もないと思います。もちろんハイリスクハイリターンの危険な世界、そういう世界に飛び込んできた時点でそうなるに決まっている。そんなこともわからずにこの世界に入ってきたのか?という主張もあるのでしょうけどね。その論理とは別に今の不当な待遇・劣悪な待遇問題があるわけで。

 また、松本人志氏は「なんで労働組合を作らないの?僕達は常に吉本に待遇がおかしいと言ってきた。常に喧嘩してきた。若手にそういう相談をよくされるけど、なんで会社に言わないの?労働組合作って交渉するべきだ」という話をしていました。正常な労働環境・業界づくりのための努力をすべきという視点は一定の理があると思います。

■駆け出しの若手に労組を作る暇があるのか?中立的な第三者機関、監督・審査機関が必要なのでは?
 若手特に実力がない、よほど自分たちの実力に自信があるものでもなければ、労組を作って会社の人間に嫌われないまでも、嫌な印象をあたえることはしづらいでしょうね。俳優でもダンスでもミュージシャンでもなんでも良いですけど、そういう人達が労組を作って事務所と交渉をするということがそもそも本当に出来るのか?という気もします。業界の人に聞いてみたいところですね。出来ても芸事のレッスンに、給料がない現状ではバイトで食付がないといけない。とすると遊ぶ暇すら殆ど無い上に、その中で労組作って交渉をしないといけなくなるわけですからねぇ。

 で、そもそもなんですけど、そういう芸能関係の人が本業の仕事以外に労組で会社と交渉をするというのが有意義なのかという疑問もあるわけです。1%しか生き残れない競争社会において、殆どの人間は途中でドロップ・アウトする。そういう人達が労組作ってる場合なのか?労組で安定した環境ができたら、芸事やってる場合じゃなくなったなんてことになりそうですしね。

 こういう労働問題には弁護士が間に入って、その問題を引き受ける。第三者の機関が、オタクの事務所は違反しているとか、是正しなさいと言えるような法律を作ったほうが良い気がします。まあ、そもそも事務所を通さずに弁護士と直接契約して、弁護士が代理人となってテレビやら営業の手配をするだけで十分。事務所というシステム・中間に強い立場の会社が存在する必然性はないように思えます。

■芸能事務所はタレントの育成にかかる費用を公開して、事務所制度の正当性を示せ
 その事務所が、育てるまでにいっぱい費用がかかっている。レッスン代だとか車代だとか色々な出費があるのだと主張していました。子供に大金を渡すのはいかがなものかみたいな頓珍漢な主張をしているところを見ると、かなり怪しい会社のような気がしました。本人がどういうことを思っているのか、そんな雑費よりも他のことにお金を使いたい。レッスンよりもお金と時間が欲しいという当たり前の人間の意志を無視して話を一方的に勧めている印象ですね。

 「大金をかけて育てたタレントが、これから投資を回収しようという段階で独立という話になれば、採算が取れない。だからそういうタレントは干す」―という論理をよく聞くわけですが、そもそも本当にそんな大金を投資しているのか?総額いくら投資して、他に芽の出なかった有望タレント候補にかかった費用はいくらなのか?そして、その初期投資に見合った金額は大体どのくらいの額で、いくら払えば独立したいというタレントを独立させるべきなのか?

 そういう具体的な事例をきっちり数字で見てみたいですよね。どこかの事務所が実際に有望なAという歌手を輩出して、それにかかった金額など具体的な事例を出してもらわないと事務所が正しいのか、タレントがわがままを言っているのかどちらが正しいのかジャッジが出来ない。

 個人的には事務所制度というものは不要であり、どうもおかしなことをやっているという気がするので、こう思うのですが、育てたタレントが独立されたらやっていけないなんていう構造の芸能界において、そもそも事務所というビジネスモデルは成立しないはずなんです。たくさんタレントを送り出して、その中の一人でも大当たりすれば、その一人だけで十分やっていける。スターを育ててその上がりを食うなんていうビジネスモデルは本来歪で成立し得ないはずです(もちろん現在大物一人が脚光を浴びて、時代を牽引するなんていう構造に見えないので、一人の大当たりで事務所が食っていけるというのはものの例えに過ぎませんが)。

 独立されたらやっていけないから独立を許さずに縛り続ける。鵜飼の鵜のように使われ続けるというのは、どう考えてもおかしなものに映る。それこそジャニーズ事務所SMAPが独立できずに結局解散に追い込まれたというのは誰もが違和感を覚える話でしょう。売れて5年・10年程度ならばともかく、20年近く経ってそれでも独立が許されないというのは法的にも問題があるのではないか?と思えるのですが…。

 それこそ、事務所が自分たちが一度でも手掛けたタレントの卵たちを一生面倒見ている。その上がりを配分して業界で生き残れなかった敗者・弱者を助けているという救済システムとして機能しているのならば話は別ですけどね。どうも自分たち会社が美味しい思いをするためだけに旧態依然の安月給・低賃金長時間労働を平気で強いているだけのように思えます。清水に対する話の中で、どうもなだめすかして自分たちの都合のいいように都合のいいように丸め込んでいるという印象がありましたしね。世の中にはそういう自分の都合だけ考えて、なんとか相手に言うことを聞かせようとゴリ押しする人がいますからね。まあ初めから己の見方に先入観がある、バイアスがかかっているからそういう風に思えるのだと言われればそれまでなのですが。

■自分たちは好き勝手に他者を叩くのに、自分たちの不祥事には黙り込む日本の報道界
 テレビでコメンテーターが事務所の肩を持つ発言を繰り返していたという話を聞いて思いましたが、テレビが報道で不祥事が起きた時叩く決まりきったフレーズとして、相撲なんかがそうだったと思いますが、「世間一般とはかけ離れた価値観」「今の世の中とは合わなくなっている」「狭い世界の中で完結しているからおかしいということに気づかない」などと徒弟制度の歪んだところを指摘することがあります。

 しかし芸能界の今回の事件というのはまさに今までテレビが叩いてきた不祥事の構造とまんま同じ。この事態で事務所・芸能界の歪んだ構造を指摘しないということはありえない。せめてどちらの言い分も聞く、お互いの妥協点を探す立場を取るべきなのに、事務所におかしなところがなかったのか探らないというのは異常にしか思えない。

 芸能界という業界は、芸事・徒弟制の世界で地方の営業などの関係もあってヤクザと関係が深かった。それが時代がたつにつれて、暴力団という犯罪に関わる組織の排除が行われていったというのは至極当然の話ですね。しかし、業界の端緒において暴力団と関係が深かったというのが、構造的な問題をもたらしているのではないか?という気がします。暴力団ならば、組織の一形態の傘下としてまだ面倒を見たんでしょうけどね。徒弟制の徒弟として悪い待遇でも排除はしなかったのではないでしょうか?まあ時代の流れでどうなるかわかりようがありませんが(そういえばヤクザの世界でもシノギがきつくなってリストラ云々言われていましたっけ。そうすると彼らも下の者を守りきれるとみなすべきではないですかね)。

■芸能界の承認欲求につけこんだ「やりがい詐欺」を許すな
 いずれにせよ今の世の中の流れとは隔絶されている。芸能界で働く人間の待遇が改善されていない点では変わらないのでしょうけどね。ブラック企業云々の問題を見ると、むしろ現代的といえるかもしれませんが。「タレントになれれば、承認欲求が満たされる。だから一度でも活躍できて日の目を見れれば、きらめいたステージでスポットライトを浴びれれば満足だろう」という事務所側・芸能界の仕事を差配する側に歪んだ特権意識がある。そういうおかしな空気が全体に蔓延しているというのは間違いないところでしょう。

 一言で要約すればこれは単なる「やりがい詐欺」にすぎませんからね。ちょっとでもほっとくと、正当な報酬・対価をタレントに支払わずに自分の懐にしまい込もうというメンタリティがあるように思えます。彼らにはよりよい業界・空気を作っていくという意識が欠けているように思えますね。まあどこの業界でもそうと言われればそうかもしれませんが。

■日本の報道は空爆、それに抵抗するネットテロリズム
 報道の問題として、彼らは何時でも好きな時に問題・不祥事について審判として裁くことをしていたわけですよね。ところが今回のような芸能問題では、身内のテレビ局の問題としても追求しなくてはならない。痛い腹を探られるような事態になるととたんに無口になる。そういう姿勢が卑怯だとネットで叩かれる。「マスゴミ」だとか果てには「反日メディア」何ていう言葉で罵倒されるわけですね。

 こういう図式を見ると報道は好き勝手に空爆をするアメリカに映りますね。自分たちが傷つかない所から何時でも好きな時に空爆をして相手を一方的に叩く。しかしこういう大義なき、理なき空爆は反発を生む・反米感情を育てる。そして適切な反米感情の発露ではなく、主にテロリズムとして対抗が行われ、イスラム過激派のテロが行われる。

 米の空爆=日本の報道、イスラム過激派のテロ=ネットでの過激な報道叩きというか罵倒(ヤフコメなんかそういうとりあえず報道機関を罵倒する人達がいますね)―そういう図式が成立するのではないかとふと気づきました。

■芸能界進出は幸福の科学の戦略か?
 報道=空爆&対抗としてのネットテロリズムという話はともかく、そこまで大した主張をしたわけではないので、こっから書きたかった本題。いつものように本題に入るまで無駄に話が長過ぎますが(´-ω-`)。


 長井秀和が「創価学会に入ったらいかが?まあ池田大作先生も生きてるんだが死んでるんだか分かりませんが」的な事を言っていて、非常に面白いなと感心しました。変に宗教関係がタブー化されてオープンに語られない現代では注目すべき発言ですね。信者からそういうことがおおっぴらに語られることが、いい傾向のように思えます。

 創価創価大学のような組織化・多元化に成功しているわけですが、幸福の科学の方は大学を作ろうとして失敗して認可が降りませんでした。そして今は芸能関係、独自で映画やら何やら造ることに力を入れていると言われています。そういう流れの中で幸福の科学も今後芸能問題に目をつけて、苦しんでいる俳優などの相談に乗りながら勧誘していく。芸能関係に食い込んでいく戦略があるのではないか?信者に出来ればベストだが、出来なくともオリジナル作品に出演してもらえば言い訳で、労働問題をきっかけに芸能関係に食い込んでいくのでは?そういう戦略があるのだとしたら面白いと思いました。

■芸能問題は弁護士が多い民進党大阪維新にとっても党勢挽回のチャンス
 また既に書きましたけど、弁護士が代理人になるだけで、契約を事前にきっちり詰めておくだけで本来十分な話なわけですね。弁護士といえば民進党やおおさか維新の党に弁護士がいるわけです。まあ自民にもいるんでしょうけど。そういう弁護士をテコに芸能人の労働問題の相談に乗って、かかりつけの弁護士になる。そのコネ・ルートから芸能人を取り込む。北村弁護士なんかボクサー亀田の弁護士をやっていましたが、あんな感じですね。ああいう感じでコネを作って顔を聞くようにしていくことはメリットが大きい。

 また、言うまでもなくタレントには政治家転身でわかりやすい集票能力がある。一定の需要がありますからね。党勢を考えても、民進党やおおさか維新の党がそういう行動に出てもおかしくないなと思いました。というか戦略として絶対にやらないと駄目でしょうね。

幸福の科学の右派取り込み戦略
 幸福の科学は政党化・政界進出を目指しましたが、一向に軌道に乗らない。創価ほど信者=票数があるわけでもないので当然ですが、彼らの主義主張は自民党と相性がいい。「親米右派」なのか「反米右派」なのかよく分かりませんが、安保などに強い関心を持っているのは事実。

 昔、ネトウヨ的な勢力を取り込むのは自爆行為だと思っていたが、無党派が眠る傾向にある日本においては、彼らを取り込んでもマイナスにならない。ネトウヨ的な思想・過激な排外主義的な勢力を味方につけるのは自民・安倍政権にとって正解だった―という話をしたことがありました。

 少子化の流れもあり、幸福の科学が今後爆発的に信者を獲得できるとは考えにくい。そのために少しでも組織を強くするため、生き残りのためにどんな勢力でも取り込む必要がある。ネトウヨ的(と言って良いのかどうかいまいちですが、伝わりやすいのでこうしておきます)な主義主張を唱えることで、そういう人達に興味を持ってもらう・取り込む。そういう戦略がかなり前からあったのでしょうね。陰謀論みたいなおかしな発想・思想をする人とネトウヨ的な思想は論理の一貫性のなさ、リテラシーの欠如という点では似ている。そういう人達は「隠された真実!」みたいなものにホイホイ食いつくので、幸福の科学としては良いターゲットになったのではないでしょうか?国防・安保に熱心に関心を持つ人と宗教は世界大戦前に法華経が力を持ったように結びつきやすいでしょうからね。

 大川隆法に宗教家としての実力がある―かどうかは知りえませんが、実はそういう政治的な計算・信徒開拓戦略に長けているのではないか?ということが気になったので書いておきました。ただそういう過激な思想をする層を取り込むということはリスクが大きいですよね。下手したら「幸福の科学の過激派がテロ!」なんてこともありえるのですからね。そういうリスクはどれくらい計算しているのでしょうか?

■右派を取り込むより、労働者を取り込むほうが理にかなっている
 ナチスは外国への怒りを糧に国民の排外主義の受け皿となりました。そしてもう一本の柱として労働問題があったわけです。国家社会主義ドイツ労働者党と言うくらいなので言わずもがなですね。まさか社会主義を唱えはしないでしょうが、労働(者)党の顔を幸福の科学が持つだけで話が変わってくるわけですね。

 幸福の科学が労働問題に力を入れた場合、頼りになるのは民進党でも共産党でもない、幸福の科学に話を持っていけば職場の問題を解決してくれる。労働環境が改善される=暮らしが楽になるとなれば勢力は大きく伸びると思います。幸福の科学に話を持っていけば、職場のブラックな問題にメスが入ったなんてことになれば、己だったら信者にはならずとも、しばらくはずっと幸福の科学の政治家にお礼の意味で票を入れると思います。ちょうど、公明党でそんな話を聞いたことがありますからね。公明党に陳情に行ったらすごく丁寧に熱心に話を聞いてくれた。だから公明党に票を入れたことがあるという話を聞いたことがあります。政党として成功をするにはそういう公明党の戦略を丸パクリすべきでしょうね。もうやっているかもしれませんが。

幸福の科学の生き残り戦略としての政治進出・政党化
 まあ、要するに生き残りのためには信者を増やすか、信者以外の支持者を増やすしかないわけで、政党化・政治への進出がわかりやすい生き残り戦略・戦術なわけですよね。こういう話をしたのも、池田大作氏が年齢からいってもそろそろ死ぬんじゃないかという話があって、そんな年齢ではなくとも幸福の科学対岸の火事ではないわけですね。いずれカリスマ大川隆法氏が死ねば組織としての転換点が来るので、そのときに備えておかないといけない。特に幸福の科学は「霊言」という教祖のオリジナルの能力に依存している性質が強いですからね。教祖死後に今から備えておかないといけない。

 同心円状の構造だとしたら教祖(及び家族?)中心に信者たちの小さなサークルがあって、それを覆う中間のサークルが非信者の政党・政治としての幸福の科学の応援者としての党員がいる。3つ目のサークルは良い例えが思いつきませんが(^ ^;)。国民に愛されるということで国民とかにしておきましょうか(適当)。まあそういうふうに非信者を含めた勢力で生き残りを図るしかないわけですね。信者と凖信者、出家と在家の関係みたいなもんですね。そういえば前回神道が全国的にネットワークがあるという話をしましたけど、神道的な教義に擦り寄って、神道ネットワークに組み込まれるという変化も考えられますね。神道系の宗教組織に転換して生き残りを図ると面白い。まあ実際の教義内容を知らないので教義的にNGだったらどうしようもありませんが。いずれにしても何らかの策を取らない限り組織としての幸福の科学の生き残りはありえないので、何らかの戦略は取るのでしょうけどね。

 愛国保守的な主張をして、ネトウヨ的な人の受け皿になりうるのか?自民・維新または地方政党などよりも幸福の科学の主張の方が好きだから幸福の科学に一票入れようとなるか?それは少し考えにくい。いるとしてもかなり少数でしょう。

 それよりも労働問題に力を入れる方がいい。どちらが日本国内で需要があるか、階層として層が厚いか言うまでもないですからね。そういうことに乗り出すと、幸福の科学は面白いことになるのでしょうが、かの政党内部でそういう声が上がっているのかどうか?知る由もないですが、そういう戦略に切り替えるとしたら面白いですね。まああるとしても、そういう国防重視的な姿勢を捨てずにそのまま併存されるのでしょうけどね。そんな幸福の科学の今後につながってくるので、単なる芸能人の引退にとどまらない可能性があるよという話でした。
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