てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

世界的トランペッター・日野皓正が中学生に「体罰」した事件について

 穴埋めに世界的にトランペットで有名な日野氏が中学生に体罰を振るった話を取り上げたいと思います。特に取り上げるほどのことでもない、当たり前のことですが。この事件について、中学生が悪いというコメントも有り、それへの賛同も少なからずあったので、体罰に問題があるのかないのか、また議論になったので、それについてコメントをしておきたいと思いました。

 殆どの人が体罰を許容しないのが昨今の潮流です。個人としてもその意見ですが、未だに体罰容認派がいる。それを肯定する人が多いことも変わりません。

教育・体罰には検証が必要
 以前書きましたが、体罰というか教育というのは、5~10年、下手したらもっと長い時間がかかってその成果がわかるもの。成果の検証がなくては教育の意味がない。体罰を許容する、手段として暴力を許容するというのなら、殴る側はきちんと殴られる覚悟をしなくてはならない。やっぱり納得できなかったと10年後に殴られる覚悟を最低限持つべきです。そういう覚悟というか当間への常識・暴力を奮ったやましさを感じる心がないのならば、そんな人間が教育現場に暴力を持ち込むべきではない。

制度化なき暴力は体罰ではなく暴行行為
 というか制度化されていない暴力は体罰ではなく私情にかられた「暴行」でしょう。どこの国か忘れましたが、体罰はもちろんあるけど、体罰の場合は①本人に前もって通知をする。②問題のない箇所臀部などにする。③親への通知。④同僚の立ち会い…とか詳しいことは忘れましたが、とにかく厳密にルールが決まっている。踏むべきステップを取った上で行うようになっている。

 公共の場で皆に迷惑をかける行為だからこそ、罰則が与えられるという明確なルール化がなされていなければならない。そうでないのは、現場のトップに好きに暴力を用いて良いという裁量権を与えてしまう狂ったシステムと言えるでしょう。むしろよくもまあ、こんな狂った制度を放置してきたなとさえ思えます。

制裁をきちんと制度化すべき
 「暴力・体罰は良くない」ーではなく、ルール化されていない個人の私情と区別の付かない「制裁」「罰則」が良くないのです。こういう当たり前のことがわからない以上、明確な制度化がなされていない以上、今後も同じ事件が起こった時に堂々巡りの議論が起こることになるでしょう。

 これまでの流れを考えると、戦後すぐに軍隊帰りで体罰が常識の時代があった。校内暴力が当たり前で、それを統制するために教師の暴力が有効な手段だったという時代があった。しかし、そういうものがなくなったにも関わらず、未だに硬直的に教師が生徒を威圧する、ひどくなると手をあげる教師がいる。そういう教師が問題になる事例がありました。

 今だと、いじめや生徒に違う意味で手を出す性犯罪的な問題が主流でしょうか。それはさておき、今問題になるとしたら、部活動などの指導での暴力でしょう。甲子園など短期的に結果を出すには、是非はともかく暴力を伴った指導が有効であるという記事もありましたし、成長するためにはつらい経験や苦しくないと成長しないという歪んだ思い込みが社会に根強くあるので、これを肯定する声がなかなか消えてなくならないのが現状でしょう。

最低限、体罰は制限・監視をつけるべき
 このようなことを是とする歪んだ制度、部活動などは消えてなくなってほしいのですが、それはそれとして、では体罰的な指導は許されるべきではないのかという話をしたいと思います。個人的に制限付き・条件付きで認められていいと思います。

 当然、前述通り、暴力を伴う教育は反対ですが、受ける側と教える側が一致している・納得しているのならば、許容していいと思います。かつて長嶋茂雄氏は「説教止めてくれ、早く殴って終わりにしてくれ」ということを言っていました。説教は苦痛であり、長時間嫌な思いをするのなら、一瞬痛いくらいで解放される体罰の方がいいという人間、アスリートには結構いる。ミスをしたりで厳しい罰則が与えられるのならば、殴られたほうがありがたいという人間も居る(その時点で教育としては本末転倒ですが)。優しさとしての体罰があるということですね。

 何を言っているか、何を求められているのかわからない理解力の乏しい人間にとっては体罰のほうがありがたい。成功=褒められる、失敗=殴られるという単純明快な指導の方がいいという人間も居る。であるならば、そういう指導もありといえばありなんでしょう。それで本当に優れた選手が育つか、優秀な指導者になれるのかということはさておいて。

 当人たちが納得しているのならば、監視つき・チェックがきちんと機能しているという前提で、許容してもいいかと思います。人が人を殴るという行為は不愉快な行為であり、公共に反するものです。しかしポルノのようにきちんとルールが守られるならば、個人の娯楽を制限する理由はない。体罰集団が、公共社会・体罰否定派に迷惑をかけないのならばルールを守った上で許容するべきなのでしょう(そもそも、そういう風にルールを守れるのならば体罰は問題にならないだろうとツッコミが入りそうですけどね。たしかにそうですけど、それでもルールを守れるのならば、それを認めてもいいという意味で。)。

 喫煙にせよ、ポルノにせよ、個人の自由に及ぶ範疇に制限を持ち込む流れはいずれ社会から自由が消えてなくなると警戒する・反対する立場なのでね。まあ、個人の娯楽の範疇でないだろうとも言われるかもしれませんが、それでもルールを守れるのであれば、出来る限り個人の自由意志を尊重したいというのが一貫して変わらないスタンスなので。

当人が納得していても今回の事件はアウト
 では、今回の事件も父親が日野氏を尊敬している・納得しているというコメントを出したので、問題ない行為だといえるか?本当は納得していなくても、社会的騒動に発展したがために、そうコメントせざるを得なくなった。これ以上問題になると、日野氏の社会的生命を傷つけてしまう。最悪奪ってしまうから、やむなく矛を収めたという可能性は高いですからね。前述通り、5年~10年経って、社会的影響もなくなった時に改めてコメントをもらわないとわからないでしょうが、それでも今回の事件には問題が多いと考えます。

ポイント、公的な空間での暴力
 まず、今回の事件の舞台は公的な発表会ということ。体罰を納得している身内、狭い範囲内での出来事ならともかく一般に開放されている空間であったこと。そこで体罰を行うということは、こういう非難が巻き起こることを見てもわかるように適切な行為でないということ。体罰がありうると納得している生徒とその身内だけの発表会でなかったこと。これがまず一つ。

暴力は場を収める最低なやり方
 次に、ジャズという即興演奏では、自由演奏が前提としてあるということ。もともと暴走するような気質の子を、ソロを任せてしまうということが問題。何かの記事で、こういうとき自身が演奏して、その暴走をコントロールするというやり方だってあっただろう。世界的演奏者ならばそういう粋な演出だって可能だったのでは?という指摘を見ました。
 それが可能かどうかはさておいて、そういう誰も傷つけない上手い収め方だってあったでしょう。藤原道長だったかな?子供が発表会で急に舞を嫌がって、衣装脱ぎ捨てて舞台で暴れだした時に、腰紐で子供をくくって一緒に踊って上手くコントロールして、崩壊しかけた舞台を見事に収めたとか、そういう話が古典でありましたが、何にせようまいやり方・まずいやり方というものがある。考えられる限り、最低最悪のやり方ですよね。力づくで、相手を押さえ込んで止めるというのは。
 体罰が争点になりましたが、怒鳴って殴ってこのあとの舞台はどうなったのでしょうか?想像するにあまりありますよね?周囲の客も、他の演者も「え…、どうすんのこの空気…」と嫌~な流れ、空気になったでしょう。本当の焦点はこの空間が上手く収まったかどうか。大事な発表会は、この暴走した子供以上に、指導者の暴力で台無しになったでしょう。そういう意味でもありえない行為でしょう。この指導者の行為は。

上手く収めるべき、ルール違反は退場させるべきところでの暴力
 ジャズというのが即興の演奏ならば、非常時の対処というのも出来ておかしくないのですが、生き方レベルで即興の発想・行動というのはあまりテーマにならないのですかね?武道とかだと違う方の日野さんが有名で、同じくジャズ・ドラムで即興を好む方ですから、さぞうまい収め方をしてくれたと思うのですが…。
 普通は、特定の生徒が予定外の行動で問題を起こした。となったら、怒鳴ったりするよりもうまーく、この生徒を連れ出して、「はーい、うそうそ、何もなーい。せんせいと一緒にたいじょー。じゃあみんな続けて~」と笑いに変える。変えられなくても、とにかく彼一人を連れ出して、それで済ませますよね?
 暴力がいけないというのならば、じゃあ問題を起こした彼を放置して良いのか?―というトンチンカンな意見を見ましたが、そこで殴るのではなく、普通は退場させるでしょう。野球だってサッカーだってバスケだって、ルール違反をしたらルールに則って「退場処分」が取られるだけです。審判がルール違反に怒って、選手を殴るなんてありえないでしょうに。馬鹿なんじゃないですかね。
 指導者・教育者というのはある意味、審判のような公正な判断をする立場という性質があります。選手同士の乱闘を仲裁するのが審判なのに、その審判がルール違反の選手に殴り掛かる。一緒に乱闘を始めるってどう考えてもおかしいでしょうにねぇ。

最大の問題は怒りに任せたこと=教育の視点が飛んだこと
 退場処分にすれば良いものを、その場で止めさせて指示に従わせることに頭が行き過ぎて失敗したというのが二つ目ですね。そして何より、一番問題だと思うのは、こういう行為を取ったということは、キレたということです。感情に身を任せた最低最悪の行動だから今回の事件というのは問題であると思うのです。

 ルールに則るならば指導に暴力が持ち込まれるのも時にはあるだろうと書きましたが、どう考えてもそこに合理性がない。カーッとなって、怒り・私情に任せたからこその行動でしょう、どう見てもこれは。そこに彼を慮ってとか、彼を思いやってという愛情の欠片もないでしょう。みんなのために演奏を上手く成立させるために、周りの子たちの発表会を守るためにと考えたら、こんな発表会を台無しにする事はしない。

本当の被害者はその場に一緒にいた人々
 暴走をして生意気なガキだ!周りの子に迷惑だろう!殴られるのは当然だ!*1というこれまたアンポンタンなコメントがありましたが、そこで殴ってしまえば、そのバカな暴走初号機バカ以上に、輪をかけて大事な発表会が台無しになるでしょう。そんなこともわからないのでしょうか?絶対にそこで殴っては駄目でしょう。指導で殴るならば、そこで殴る必要性はどこにもない。舞台から引っ込んだ袖で行うべきことでしょうに。被害者の子が周囲の子に対する発表を台無しにした加害者でもあるわけですが、この指導者は彼と一緒に発表会を台無しにする加害行為に手を貸したのです。この事件後、関係のない一緒に演奏していた子たちも騒動に巻き込まれたでしょう。それを思うと、本当の被害者は誰なのか一目瞭然でしょう。

 体罰を認められないのは、否定する立場になるのは、殆ど間違いなく、こういうバカな行動をするタイプの人間が手をあげる。暴力行為に出るからです。普段から武術や武道を嗜んで研鑽を積んでいる人間は、いかに叩く・打つ・投げる…などを考えるのではなく、いかにして相手を傷つけずに収めるかということを考える。適切な場所、手段ということなど一切考えずに短絡的に行動する手合だからですね。

 こういうことを考えてみると、いかに技術があれど、指導者に向かないタイプである。または人間的に研鑽が足りないのではと感じてしまいますね。

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*1:体罰を肯定していた意見として、生意気なガキは殴られて当然という意見がベースにあるように思えました。その意見に違和感を覚えざるをえないのは、そういう問題ではな。その時その場所にいる他の人への視点が欠如している。殴るバカと制裁を加える側という二者しか想定していない、条件・問題を単純化する傾向が目につきました。なんでしょうね?アクターが2つ以上になると考えられないのでしょうか?最近、いろんな話題でAとBで、Aが悪い!みたいな非常に都合よく単純化したモデルでしか物事を考えないという傾向が目につく機がしました

日馬富士暴行事件の解説③ 白鵬憎し!白鵬が悪い!という異様な言説

前回の日馬富士暴行事件の解説② 「暴力は良くない」ーで思考停止する愚かさ ーの続きになります。

 貴乃花改革はなぜ失敗するか?そんな話をしたいと思います。前回の拙分析は、そもそもモンゴル互助会による星の貸し借り、「注射」に踏み込んでいない。問題の背景にある、貴ノ岩白鵬日馬富士鶴竜らモンゴル力士の星の貸し借り・回しあいの誘いを無視したことを論じていない。故に片手落ちであると、感じた方も少なくはないでしょう。ではなぜ、そのロジックを入れなかったのか?

 ここでその話を詳しく書く予定だったため、前回語ってしまうと乱雑になってしまうことが一つと、そもそも今回の事件に「星の貸し借り」云々はそもそもあまり関係がないことですね。

■今回の日馬富士の暴行は「注射」は副次的な理由
 え?モンゴル互助会の誘いを断ったことが事件の引き金ではないの?と思った方も多いと思いますが、今回の事件はその論理が背景にあれど、根本的には関係ありません。というのは、もしモンゴル互助会の誘いを断ったことが真因であるのならば、貴ノ岩潰しはもっと巧妙に行われるものだからです。

■呆れ返る妄説―主犯白鵬
 流石に馬鹿すぎて、呆れ返ってしまったのですが、夕刊フジのこのような記事がありました→主犯は白鵬、日馬富士暴行は忖度 貴ノ岩への説教がすべての発端だった 貴乃花親方との遺恨もヒートアップ。この記事によると、白鵬の説教が原因で、白鵬の心情を忖度した日馬富士が暴行をしたと。だから主犯は白鵬なのだとか。おお…もう…。なんというか論理性のかけらもないというか、笑っちゃうくらいバカなロジックです。

 今後、説教というか人と話をしている時に、同席している人が暴力を振るったら、それは話しを始めた人間がやらせたことで、その人間にも暴行の責任があるという無茶苦茶な論理がいつ登場してきても不思議ではないですね。週刊文春によると目配せをして日馬富士貴ノ岩を殴らせたようです。目配せってなんですか?日馬富士の方向をチラッと見ただけで暴行を指示したことになるんですかね?そんなことで暴行指示の証拠になるのなら、我が国は冤罪だらけですよ。そんな説明、書く側のさじ加減ひとつでしょうに。

 白鵬が日馬富士暴行事件の主犯だった…「驕った横綱」、貴乃花親方追放を主導という蛮行―これなんかには、カラオケのリモコンで日馬富士が殴ったところ、白鵬が「モノで殴るのはやめろ」と止めに入ったことを、「これはモノを使わなければ殴ってもよい、オレのために鉄拳制裁を続けろ、ということだ」と主張しています。自分に都合のいいように都合のいいように、文書を読み取る。現代文のテストでそういうことをすると、点をもらえないと習わなかったのでしょうか?この人は*1。また石原慎太郎氏も同様の意見だとか…。まあ、あれな人なんで、どうでもいいですかね…。

 こういう手合はごく少数にすぎず、こんなバカな意見に賛同する人は殆どいないと思ってツイッターを見たら、かなりの人が「そうだ!白鵬がやらせたんだ!謝罪しる!処罰しる!」という意見が多数…。これ本当どうなってしまったのでしょうか…。こんなにリテラシーのない人で溢れかえってしまったのでしょうか、我が国は…。

■派閥として制裁を加えるとしたら日馬富士が実行するはずない
 説明するのも馬鹿臭くて嫌になるのですが、そもそも最初から、モンゴル互助会に参加しない貴ノ岩を吊るし上げる・制裁を加えるという目的ならば、もっとうまくやるに決まっているでしょう。そんな飲み会の席でやらない。酒の場で、二次会でなんで殴り掛かるのですか?巡業や本場所でもいいし、もっと汚い手段でもっと闇討ちめいた手段でもいい。潰す目的ならばもっと巧くやるでしょう。

 そして何より、現役横綱である日馬富士が「潰し役」「処刑執行人」に任命される訳がない。モンゴル人力士の若手やこれ以上はもう上り目がないというロートルにやらせるに決まっている。汚れ仕事は、組織の序列の下位の者がやるに決まっているでしょうに。ナンバー2、3に列する彼がなぜ手を下すと思うのでしょうか…?

 一体、現在モンゴル人力士がどれくらいいるか?*2
横綱 日馬富士(はるまふじ)
西横綱 白鵬(はくほう)
西横綱 鶴竜(かくりゅう)
東関脇 照ノ富士(てるのふじ)
東前頭筆頭 玉鷲(たまわし)
西前頭四枚目 逸ノ城(いちのじょう)
西前頭五枚目 荒鷲(あらわし)
東前頭六枚目 千代翔馬(ちよしょうま)
東前頭八枚目 貴ノ岩(たかのいわ)
十両二枚目 旭秀鵬(きょくしゅうほう)
西十両四枚目 東龍(あずまりゅう)
十両八枚目 青狼(せいろう)
東幕下三枚目 大翔鵬(だいしょうほう)
東幕下四枚目 水戸龍(みとりゅう)
西幕下五枚目 鏡桜(かがみおう)
東幕下二十三枚目 朝日龍(あさひりゅう)
西幕下二十六枚目 豪頂山(ごうちょうざん)
東幕下三十六枚目 魁(さきがけ)
東幕下三十八枚目 旭蒼天(きょくそうてん)
西幕下四十九枚目 霧馬山(きりばやま)
西三段目二十一枚目 翔天狼(しょうてんろう)
東三段目五十五枚目 佐田ノ輝(さだのひかり)
 ここにいるだけで22人(日馬富士が辞めて21人です)。これだけモンゴル系がいることを見れば、日馬富士が手を下す必然性がどこにもないことがわかりますね。そういうモンゴル互助会の痛いところを探られたくなければ、同じ部屋や一門の日本人力士に頼んでもいいでしょうしね。

貴ノ岩にとってもモンゴル派閥のトップとのコネは重要。
 むしろ、鳥取城北OBというつながりで照ノ富士逸ノ城以外の派閥も持てる。モンゴル派閥のトップ3との同席の場を持てるということはモンゴル派閥内での序列が着実にランクアップしたという意味で、彼にとってもプラスな出来事のはずです。八百長や星の貸し借りを断る・断らないにせよ、彼の序列は着実に上がる。良いことになりこそすれ、悪いことになるはずがない。そもそも前からモンゴル会に顔を出していたと言うので、貴ノ岩はこの会への出席についてそれほど否定的だったわけではないでしょう。

 親方から、モンゴル会に入るなよと言われていても、所属している・いないの中間、微妙な位置をキープしようとしていたのは間違いないでしょう。どうあがいても彼はモンゴル人であり、日本人の何処かのグループ・派閥に所属することは出来ないのですから。「注射」をするにせよしないにせよ、モンゴル派閥にべったりにならないにせよ、良い付き合いをしたいと考えていたはずです。

 モンゴル互助会と言っても、最終的に皆が得をするように千秋楽数日前に調整をするレベルで、1から100まで「注射」をするわけではない。「注射システム」の維持を至上命題とした組織ではないので、白鵬を破る実力を示した貴ノ岩についても、それはそれとしてそこそこうまい付き合いをすることは可能だったはずです。そういう状況・場所で貴ノ岩を吊るし上げるつもりだったとは考えにくい。今回の説教のようにいろんなルールやマナーを教え込もうという意図はあっても、制裁を加えるまで行くとは考えにくい段階。

 ポイントになるのは、新しい実力者として貴ノ岩が登場してきたにも関わらず、「ガチンコ力士」としてモンゴル互助会の「注射」を否定してモンゴル会で浮いた存在であったのにも関わらず、政治・立ち回りがドヘタクソだったということです。

■空気の読めない貴ノ岩
 星の貸し借りを否定してあまり良く思われないという前提があるのならば、彼はその自分の立場のまずさを理解してなるべく付き合いを避けたり、それでも3横綱から「かわいいやつだ、こやつめ、ははは!」と言われるような付き合いをしなければならない。先輩に好かれるような人心操作術に長けていなければならない。

 ところが真逆のコミュニケーション障害というか、空気の読めないタイプ。この場がどういう場で、自分がどういうポジションで、どういう立ち居振る舞いが求められているのか?その上でどう振る舞ったら良いのかなど、そういう微妙な心理やアヤということがわからないタイプ。だからこそ今回のような事件になってしまった。

 「ガチンコ」を貫きたい、しかしそうすると「注射」系力士との反発を招く、モンゴル以外にも他の先輩力士と無用の対立を招いてしまう。ならば「ガチンコ」を貫くために、いかにして先輩に好かれるか?ということを考えた行動をしなければならない。普段から、尊敬しているとか、あの技術が素晴らしくてなんとか真似しようとしているけど出来ないとか、社会奉仕活動が素晴らしくて、自分も真似を始めたとか、まだまだ足元にも及ばない―などなど、なんでも良いですが、とにかく相手を尊敬しているということを示さないといけない。そういう配慮が彼にはなかった。だからこそこういう事件に発展してしまったわけですね。まあ、郭嘉孫策はいずれ暗殺されますよと予想するようなものですかね。配慮が足りない尊大なタイプがこうなるのは必然ですからね。

 「これからは俺たちの時代だ」―そういう言葉が、白鵬らの耳に入ったらどうなるか考えられない。また今回「だからモンゴル人はダメなんだ。こういうことは自分たちの代で終わりにする」と言ったとか。これは裏が取れていないので、あれなんですが、これが本当だとしたら本当にアホ。まず、注射のことは関係なく、自分の態度の問題、礼儀作法の問題が指摘されている&殴られているのに、自分が星の貸し借りを断ったから、殴られていると主張したわけですからね。とことん他人の怒りを招くタイプの人間と言えるでしょう。

白鵬が暴れる日馬富士を止めるべきだった説は妥当ではない
 また、白鵬日馬富士を止めるべきだったという意見もありました。これは一概にそうとも言いきれない要素があります。もっと巧く止めるべきだったならそのとおりですが、白鵬がすぐ止めるべきだったとは言えない事態でした。

 前回書いたとおり、日馬富士貴ノ岩の無礼な態度にスイッチが入ってしまった、アドレナリンが大量分泌されて超興奮状態にある。のぼせ上がった状態。そんな状態の彼を止めようとしたら、「うるさい、バカ!邪魔するな!」と攻撃される可能性がある。そうなったら、前代未聞の現役横綱同士の私闘ということになってしまう。そうなれば今回の事件の比でない一大スキャンダルになったでしょう。その最悪の可能性を考えれば、日馬富士の興奮が収まるまでしばらく発散させてピークが過ぎて、少し落ち着いた時に止めに入るというのが正解。白鵬が数発~十発叩いたあと、止めに入る。暫く様子見して息が切れたあと、一息ついたあと、彼を外に連れ出したというのなら、それはそれで正しい判断だったといえるでしょう。

 本当なら白鵬横綱が手を出してはダメだと止めるべきで、それを「うるさい!」とでも振り払って聞き入れなかったなら、貴ノ岩との間に入って手を出さずに攻撃を代わりに食らうべきでした。そして「貴ノ岩!いいから外せ、逃げろ!」とその場から退出させる。そうして場を収める。本来ならこれが取るべきベストな行動だったでしょう。

 しかし、可愛い後輩ならともかく、どうでもいい生意気なバカ野郎ですから、様子見をしてからという手段を取ったということでしょうね。単純にご飯食べたあとで、しかも酒が入っていて、そういうコンディションじゃなかっただけかもしれませんが。

 まあ、格闘家である以上、酒席のトラブルはあり得る出来事ですから、もうちょっと上手い対処法考えておいてもよいかと思いますね。貴乃花親方が一般人を巻き込んでいたらどうしたんだと言ってましたが、まず謝るべきはその大暴れしたお店のオーナーでしょう。ちゃんと謝りに行かないといけませんよね。迷惑をかけた第三者にきっちり詫びを入れに行くことのほうが重要だと思うのですけどね。そのような話は全く聞きませんね。


 白鵬憎しのあまり、おかしなことを言う輩があまりにも多いため、こんな当たり前のことをわざわざ解説しました。とにかくあらゆる責任を白鵬に取らせようという、無理矢理な論理が目につきます。横綱はなんでもこなせるスーパーマンだという前提であらゆることが出来るはずだというロジックがありますね、丸山真男だったか、山本七平だったか忘れましたか、「無限責任」をもった存在であるかのように扱いすぎだと思います。

横綱の品格を持ち出して白鵬を批判するおかしさ
 ついでなので、白鵬への非難についてコメントをします。千秋楽での万歳三唱について、横綱の品格上好ましくないという意見が見られました。

 茂木健一郎氏が、過去にこのような時に横綱の品格を持ち出す人間が私は苦手だとコメントしていましたが、そもそも「横綱の品格」とはなんなのでしょうか?横綱とは~というもので、だからこそ横綱は~という言動をとらなくてはならない。これが横綱の品格である―という納得できるロジック・主張を聞いたことがありません。

■万歳三唱は素晴らしいファンサービス
 先のリンクでは伝統美だから勝ち負けで感情を表してはならないという意見でした。勝ち負けについて感情を発露するのは礼節に欠ける行為であり、見苦しいことだから慎むことというのは良いでしょう。この点については同意見です。がしかし、優勝インタビューで、万歳をすることは勝ち誇ることであり、許されないということは違う。だったら優勝インタビューなどそもそもする必要がない。相撲には神事の側面・要素があると同時に、格闘技・興行という要素がある。優勝インタビューという場面では興行という要素を重視してファンサービスをすることはむしろ好ましいことです。

 マツコ・デラックス氏が、あの場面で、不祥事について何もコメントせずに済ますより、お客さんが喜んでくれるように万歳したのは良かったと思うとおっしゃってましたが、まさにそのとおりですね。万歳が正解か大正解かはともかく、他にもっとベスト手段があったのでは?という話はさておき、見に来てくれたお客さんに最大限の配慮・サービスをすべきなのですから。何の問題もない、むしろきっちり横綱の務めを果たしたと言うべきでしょう。

 白鵬前人未到の40回優勝という偉業を成し遂げた。史上初の偉業にふさわしい晴れがましいことをするという論理。その場にいたお客さんも歴史的瞬間に立ち会えたということで喜んでいたはずですからね。そして、不祥事があって、双方とももう一度土俵に上がることを許してもらいたい。水に流して再出発させてあげて欲しいということをお願いした。不祥事で揺れるなか、お客さんたちに日馬富士貴ノ岩、そして他の力士や角界全体をこれまで通り変わらず支えて欲しいという要請・お願い。そのために万歳をお願いするという論理はおかしなことでも何でもない。この件で白鵬を叩く人というのは、因縁、難癖つけ以外の何物でもないでしょう。

横綱の品格を問える品格を持ったものだけが白鵬に石を投げよ
 誰が、何を発言したか―という文脈の問題という要素もあるかもしれませんが、白鵬があの場面で万歳三唱することくらいで品格云々論じるのは異常だといえるでしょう。そもそも横綱の品格を言う人間は、品格を持った立派な人物なのでしょうか?横綱審議委員会というものがありますが、横綱に品格を問えるほどの品格通or品格を持った人物なのでしょうか?。

 そしてそもそもなんですが、横綱審議委員会が無理やり横綱に選びだした稀勢の里は、今場所もまた休場しました。稀勢の里を基準をクリアしているか言えないかの微妙なラインで横綱に昇格させてしまえば、次の場所で無理をしてしまう可能性がある。現に怪我を押しての出場&優勝で横綱に選んでよかったと思ったその直後、連続休場。結局アヤがつく昇進をさせてしまったことでこのような事態を招いてしまった。こういうことを予想できなかった横綱審議委員会に品格があるといえるのでしょうか?品格はともかく横綱審議委員会としての資格がある人物は一人もないといえるでしょうね。

■品格を持った横綱は過去の遺物、そもそも現代の価値観にそぐわない
 大横綱双葉山でさえ、璽光尊事件という新興宗教にハマって警官相手に大立ち回りをした過去を持つ。常陸山梅ヶ谷といった時代であれば、横綱の品格を持った立派な人物、品格を持った横綱がいたかもしれませんが、少なくとも現代では、横綱の品格を十全に兼ね備えた力士を見たことがある人間などいないでしょう(大鵬はそうだったのかな?知る由もないのでなんとも言えませんが)。

 品格をもった横綱などとうの昔にいなくなっている。というか前近代的な時代にモデルとされた横綱、及びその品格というのは、どう考えても現代的な価値観にそぐわない。そういう過去の理想像を現代に当てはめるのは無理がある。

横綱に品格を求めるくせに、自分の行いを改めない卑怯さ
 また、横綱の品格を持ち出す時、一番嫌悪感を抱くのは、横綱という角界の顔・力士のリーダーと呼べるものに対し、「組織の言いなりになれ」「おれの求める理想像を体現しろ」という傲慢な主張を平気ですることです。組織の不利益・都合の悪いことを全部一身に引き受けろ。ただし、おれは何もしない。横綱の品格を主張する輩というのはそういうことを主張しているという自覚があまりにもなさすぎる。

 過去記事で言及したことがありましたが、かつて、武田鉄矢氏が大鵬の事例を持ち出して、行事が差し違えて大鵬の連勝記録をストップさせてしまった時、「そもそも横綱というのは互角の攻防などしてはいけない、ギリギリの勝利などあってはならないのだ」と大鵬が述べたという美談を持ち出して白鵬の態度を批判してことがありました。しかし、それは大鵬の偉大さに甘えることであって、大鵬の器量を褒めることはいいにせよ、我々がそれに甘えっぱなしではいけない。二度とそういうことを起こさないように我々は態度を改めなくてはいけない。

 横綱の品格という論理を持ち出す際、横綱の偉大な精神性を求めるのであれば、我々はそれに応じて偉大な横綱と同じような立派な態度を取らなくてはならない、行動をしなければならない。にもかかわらず、横綱にのみその度量の大きさや、過失の責任を押し付けて自分のことは知らんぷりするという卑怯な手合があまりにも多すぎる。

 であるからこそ、個人的に横綱の品格という論理を持ち出す人間は、卑怯な輩と認定して一顧だにせず無視します。現代の横綱白鵬が仮に品格のかけらもない卑怯で邪悪な横綱だとするのならば、それは横綱の品格を守るために、横綱を育ててこなかった現代人の精神性の低さの現れなのです。そういう論理を認識しないで横綱の品格を持ち出す輩こそ卑怯極まりない醜い存在だと個人的に考えます。

白鵬はなぜ好ましくない相撲を取るようになったのか?モンゴル国籍のまま一代年寄になれないから
 さて、こういうことを論じていると、これまでの論理もあって、白鵬支持であり、貴乃花否定派と捉える方も多いでしょう。まあその要素を否定はしないのですが、それだと片手落ちに思われるので、最近の白鵬の汚い相撲についてもコメントしたいと思います。

 最近*3白鵬の取り組み、変化・猫騙しに、挙句の果てにはエルボーと、横綱としての魅力のかけらもない醜さが目立っているといえるでしょう。今場所では立会不成立をPRするという有様ですからね*4

 一体なぜこんなことになってしまったのか?それは白鵬一代年寄を協会サイドが認めないからですね。先代理事長の北の湖も、次期理事長候補の貴乃花白鵬日本国籍なき一代年寄を認めようとしなかった。故に白鵬は協会に従わなくなったのですね。これまで何度も語ってきましたが、白鵬朝青龍と違って、品行方正なタイプだった。郷に入りては郷に従えというか、元々出自・毛並みが良いので問題を起こすタイプではなかった、優等生タイプだったのでしょうね。だからこそ上の言うことにハイハイ従っていた。しかしどこまでもルールやマナーを守っていても、偉大な記録を打ち立てても、特例が認められないわけですね。他の外国人力士親方を見ていても、日本人力士と平等であるとは言い難い。日本人力士と外国人力士では見えない壁がある。じゃあ、もう自分の好きなことを好き放題やろうとなるのも当然でしょうね。白鵬にとって何のインセンティブもないわけですから、かくあるべきルール・マナーに従う必要性を感じないのも当然でしょう。

 日本国籍というよりも、神事・伝統芸能としての横綱を求めるというのならば、それこそ宗教としての神道の理解度や行事の作法を完璧にこなせるかという点だったり、伝統の歴史などの知識をちゃんと知っているかどうか、そういう点こそテストされるべきだと思うのですけどね。まあ、そんな当たり前の話が通じる組織ではないので今更ですが。

 日本相撲協会としては自分たちの方針に従わない横綱白鵬問題に引き続いて、さらにもう一つ親方貴ノ花問題を抱えることになったといえるでしょうね。さあ、相撲協会は困った、大変だ。ということで次回に続きたいと思います。貴乃花改革はありえない、あったとしても必ず失敗するという話をしたかったのですが、白鵬の話で終わってしまいました…。あまりにも難癖をつける異様な意見が多すぎですね…。
アイキャッチ用画像

*1:山田修、ビジネス評論家・経営コンサルタントだそうです。好事家なら伝統のために横綱いなくなったって!平気だい!みたいなことを書いていらっしゃいますが、相撲ファンなのに好角家という言葉も知らないのでしょうか…?

*2:相撲協会サイトより、モンゴル出身力士一欄

*3:とするとスパン的に不適切か?直近の相撲、全て横綱足り得ない取り組みになっているわけでもなく、かなり前の時期に相応しくない立ち会いもあったりするので

*4:まあそれはそれとして、依然として相撲の巧さ・強さは際立っているのですけどね。せっかくなので今場所の取り組みをチェックしてきましたが、張り差しなどどうかな?と思うもの、足をかけるなど、個人的に?と思うところはあれど、やはり他の力士と比較して飛び抜けた内容のある取り組みだったことは間違いないでしょう。唯一怪しかったのは、逸ノ城との取り組みくらいでしょうか。かちあげのような腕の遣い方をするということは、立ち会いの圧力などが弱まっているということなのかもしれませんね

日馬富士暴行事件の解説② 「暴力は良くない」ーで思考停止する愚かさ

日馬富士暴行事件の解説① 組織としての危機管理の認識の甘さとその能力の欠如の続きになります。*1

 前回は、相撲協会という組織的な問題の話をしました。不祥事対策を事前に見据えた組織づくりをすべきだった。改革のために最もその不祥事対策が出来る新しいトップ=新理事長選出及び、新理事による新指導体制で出直すべきだった。それをしていなかった。今回の事件でも、新指導体制・新組織への抜本的構造改革がなされることはないでしょう。ということは、つまりいずれまた同じような不祥事が起こるということが言えるでしょう。

 今回は、目についたおかしな点について触れたいと思います。こちらの方の意見(相撲の「注射システム」はどのように機能しているのか?(山田順) )が参考になると思いますので、リンクを張ります*2。これまで「八百長」としてきましたが、筆者は星の貸し借りのことを「注射」「注射システム」としています。この表現がわかりやすいので、以後この用語を使いたいと思います。

日馬富士が加害者であり処罰を受けるのは当然、論じるべきはその前提から先の話
 その前に今一度論点を明確化するために繰り返しますが、今回の事件は日馬富士が暴力を振るった。加害者は日馬富士であり、被害者は貴ノ岩日馬富士が何らかの処罰を受けるのは当然のこと。そしてその上で、事件にある大事な背景や問題の本質は一体なんなのか?再発防止のためにどうすべきかと言った視点や、背景にある「注射」「注射システム」つまり「八百長」をどうするのか?という話になるわけです。

 山田氏の文中にあるように、そもそも「相撲を知っている人と知らない人ではコメントがまるで異なる」とあります。まっことそのとおりで、相撲のことを知りもしないのに暴力事件の暴力・暴行という事象だけを捉えて、「暴力はいけないと思います」と学級会のようなコメントをする意見があまりにも目につきすぎます*3

 そんなことは当たり前のこと。今回の事件で暴力行為は問題があることであり、許されざることであるなんて、そんな当たり前のことは問題の焦点ではない。その背景を踏まえて、どうしてこうなったのか?今後の再発防止のためにはどうすべきなのか?そういった踏み込んだ話ができない人は、この事件についてコメントするべきではないと個人的に思います。

■コメンテーターへの違和感
 梅沢富美男氏が暴力は問題だ、白鵬の態度には問題があるとか言ってました。彼は過去にトランペッター日野皓正氏が中学生に暴力(指導?)を振るった事件について、中学生・ガキが舐めているという発言をした人です。暴力を一貫して否定した坂上忍氏のようなスタンスと違い、そこに一貫性がない(坂上氏もコメントに深い知見がある人物というわけではありませんが)。極めていい加減な人物と言えるでしょう。自分の機嫌次第で気に食わない出来事・人物に怒鳴り散らしているだけの近所の迷惑おじさんにしか見えません。

 まあ、芸能人コメンテーターなどはじめから無責任・低俗なもの。そう言われればそうなのですが、改めていい加減なことを言う良識のかけらもない人物としてあえて書いておきました。

 また、かつて発言のおかしさを指摘したことがある武井壮氏が、「スマホをいじるのはリスペクトされていないから」ということを言ってました。彼の主張は暴力的な指導は許されないということで、それ自体は己も同意しますが、指導する側が尊敬されていないという論はこの件においては関係がない。

 彼の主張は暴力を伴う指導行為は無意味・無益ということ。それ自体は同じ意見ですが、先輩が後輩に説諭している時に、スマホをいじりだすのは尊敬されていないからとかそういう次元の行為ではない。この点、貴ノ岩に非があるのは明らか。

 誰も勘違いする人はいないと思いますが、礼儀・マナー知らずの貴ノ岩を殴っていいわけではありません。貴ノ岩の非礼な振る舞いが問題であるからと言って、日馬富士の行為が正当化されるわけでは決してありません。しかし彼の意見は、この問題をスポーツ界にはびこる暴力的指導という論点から論じたいがゆえに、無理やりあと付けで論をひねくりだしているとしか思えないですね。

 貴ノ岩の態度は良くない、しかし後輩の指導に暴力は良くない―それで終わるだけの話に色々いじくって、手垢を加えてどうするのでしょうか?今後彼の後輩が無礼な態度を取り出して、スマホを弄る人間ばかりになった時、彼がどういう風にするのか気になるところでありますが、まあどうでもいいのでここで止めます。

 「暴力!」「よくない!」「ふざけるな!」という硬直的な反応・過剰な反応があまりにも目についたので、一言書いておきますが、個人的にパワハラや暴力を受けた経験を持っている人が自分の過去と重ね合わせて過剰反応しているということでしょうか?己も学生時代、そういうふざけた手合に直面しているので気持ちはわかりますが、もうちょっと落ち着いて冷静になって物事を考えてほしいと思います。

 対照的に言ってることが正しいな・そのとおりだなと思ったのは、江原啓之氏とマツコ・デラックス氏でした。このことについては後述・別枠で書きたいものがあるので、その時に、また紹介したいと思います。

 また、よく知らないのですが、あかつ、キンボシ西田、山根千佳(敬称略)という相撲関係のタレント・芸人さんがいらっしゃるとのこと。彼らは相撲関係で食ってるから、普段お世話になってる人たちが苦しんでいる時にこのネタで仕事のオファーを受けられないと仕事を断っているそうです。無論、これは自分たちと親しい業界を自分の利益のために批判するのを避けているといったことでもあるのでしょうけど、本来相撲好きな人間であれば、こういう態度こそ取るべきものでしょう。

 相撲をよく知りもしないのに、不祥事があったときだけ、偉そうに「~がいけない」「~が悪い」というコメントを出す人間を個人的に信用できませんね。それこそ芸能人コメンテーターはジャニーズの一つでもまずい所を批判しましたか?テレビ局のいいなりになって強いものに尻尾を振り、弱いものを叩くという人たちの意見を公共の電波に乗せるのは止めていただきたいものですね。

貴ノ岩の礼儀・マナー欠如、日馬富士が怒るのは当然
 ①貴ノ岩の無礼な態度、礼儀知らずの行い→②日馬富士の暴行―という段階がある話。日馬富士の暴力的な指導はアウトですが、その引き金となったのは被害者である貴ノ岩のあまりにも無礼な態度にあること―これを見逃すと問題の性質を捉え損なってしまう・ミスリードしてしまうので、あえて明確化しておきました。

 貴ノ岩は先輩モンゴル人力士に配慮が欠けていた。モンゴル人派閥に属する上で立てるべき先輩・先人を軽視したという問題があります。では、日馬富士はどうだったでしょうか?まず最初の説諭で日馬富士白鵬からのダメ出しについて、むしろ貴ノ岩をかばったと言われます。二人の関係は疎遠なものではなく、むしろ友好的関係であったというのがポイント。そして二次会で続いた白鵬の説諭の際、スマホを弄くりだした所で、日馬富士は激昂したと。

 一般社会でもそうですが、スマホを人前でいじるのはあまり良くない行為。同席する人間が目上の人間ならばなおさらですね。白鵬と交友があるカラテカ入江氏が相撲界(モンゴル会限定かもしれませんが)では、酒の席でスマホをいじってはならないという慣習・マナーがあるといいます。スマホをいじりだすとすぐペナルティとして一杯飲まされるとか。

 人と話している時に、着信があった時にスマホをいじるというのは問題がある。たまに話しをしている最中でも構わずにスマホをチェックする人がいますが、まあマナーや礼儀知らずなんでしょうね。一言、「すいませんちょっと電話出ていいですか?」と言えば、相手も悪い気持ちにならずに「ああ、どうぞどうぞ」となるのに、何考えているかわかりませんよね。

 着信があって、無思慮に出るということは緊急な何かがあるのか?ということですから、この場合はメールですけども、日馬富士が「おい、誰からのメールなんだ!」となった時、「すいません、今交通事故にあったばかりの通院中の兄弟がいまして―」などの重要な問題を抱えてでもいない限りメールなんかチェックしてはいけない。そんなことでもないのに「あ、彼女からです(にっこり)」なんてバカな返事をしたら、そらブチ切れるのは当たり前でしょう。己でも「何考えてんだ!テメーこのやろう」となります。

 無論、そこから殆どの人は殴らない。日馬富士が20数発殴ったことは問題。もし、一発ビンタくれたくらいのことだったら、大して問題にもならなかったでしょう。

 多分、喧嘩したことのない人だと思うのですけど、それで貴ノ岩が睨み返して日馬富士が「何を睨んでんだ、この野郎!」という発言に、そりゃ殴られたら睨み返すに決まっている。幼児虐待した卑怯な親と同じ思考・発言だ―という意見をしている人がいました。

 日馬富士が怒るのは当然、大先輩の前で=派閥の大ボス白鵬が喋ってる最中に、彼女からのメールをチェックし始めるとか、はっきり言って彼は頭がおかしい。もし、「あ、しまった。自分がなにかまずいことをしてしまったのかも…」と考えられる人間なら、とにかく「すいません」と頭を下げたでしょう。一般社会の常識・良識をまるでわかってないから、睨み返してしまったんでしょう。

 で、睨み返す=不服を示してしまったことで、日馬富士の闘争心に火を付けてしまった。「格闘家」が一度スイッチ入ったら、発散するまで収まらない。そして大暴れ、まあこんなところでしょう。

■格闘家という生き物は暴れやすいもの
 普通の人なら、まあ睨み返さないし、そのあと殴らない。最初の一発も一般社会・一般人ならあまりないことでしょう。でも「格闘家」ならありえることなんですね、これは。

 それが良いとか悪いとかそういう話はおいといて、「格闘家」というのは気性が荒い生き物であることが多い。常日頃、戦うことが生業(なりわい)でそのトレーニングをしている生き物ですから、物凄いエネルギーがある。そして戦うためにそのスイッチを入れやすい。わかり易い言葉で言うと「キレやすい」わけですね(本当はキレるというのと少し違うのですがわかり易い表現をするとこれが一番伝わりやすいと思います)。

 プロレスラーやMMAの選手、ボクサーなどが時たま不祥事で暴力事件を起こすことがありますが、まあ戦うことを念頭に人間を作り上げている以上、よくある話です。酒を飲んで大暴れするなんて枚挙にいとまがないことでしょう。

 だからといって、ああ格闘家だからしょうがないかという話でもないことは確かです。本当に優れた格闘家なら肚を鍛えてセルフコントロール・メンタルを整えられるようにして、自制心を身につけるものですからね。裏を返すと、この程度でキレて暴行してしまう日馬富士というのは大した力士ではないということでもあります。

 日馬富士はまったく無関係な貴ノ岩を前々からナマイキと思って目をつけていて、いい機会だからシメてやろうと虎視眈々と狙っていたのではなく、むしろ同じモンゴル出身である彼を、早くに親を亡くしたという自身の境遇と近いこともあって目をかけていた。だからこそ礼儀作法について口うるさくなった。礼儀にうるさい兄が愛情故に無礼な弟にブチ切れた。まあそんなところでしょう。貴ノ岩にとっては誠に迷惑なことでしょうが、ルール・マナーを弁えないことがどれだけ問題なのか分からせるために、日馬富士はある種の愛情でぶん殴ったということでしょう*4。危機管理委員会の中間報告や報道を見ているとだいたいそんなところに落ち着くと思われます(「注射」云々の論理が介在されていないために真実はまた異なるという可能性もありますが、それはまたおいといて後述します)。

貴乃花親方の指導能力の欠如、角界は新指導法導入を
 そしてモンゴル人というのはそもそも長幼の序という価値観がない。強いものが偉いという価値観がある。年上・年長者を敬うという文化がそもそもない。そのモンゴル人の価値観のまま来てしまっている。白鵬日馬富士を日本社会のルールに則って尊重しなかった・立てるということをしなかった。貴ノ岩は現在27歳。27歳ということは、高校留学から10年近く日本に滞在していること。長期間日本に来ているのにそういう守るべきルール・マナーを理解していなかったということになる。この点、人間として未熟、日本社会で生きていく上でのルールやマナーをしっかり身につけていないという点で、デーモン閣下も指摘していましたが貴乃花親方の指導法・教育という能力に疑問符がつきます。

 閣下に触れたのでついでにもう一つ触れておきますが、指導に暴力が当然と言った風土が未だにある。指導法の確立を―と提言していましたがそのとおりですね。親方衆というのは、競争に勝ち残ってきた強者ではあっても、指導法の研究者ではない。自分が強くなることと他人・弟子を強くする・育てると言うのは全く別の話。プロ野球で名選手、名コーチたりえずという事例を見れば言うまでもないでしょう。自分が強くなるのに当てはまったことが他人に当てはまるとは限らない。色んなタイプの色んな人間を上手くする引き出し・ノウハウ・方法論がある親方のほうが稀でしょう。

 となると後はスパルタ方式の暴力前提になるのは当然のことでしょうね。スポーツ科学の専門家などトレーナー・コーチを各部屋に何人か置くことを義務付けなければならないでしょう*5

松本人志発言は適切なもの
 日馬富士が会見で指導という言葉を使って当然の行為という主張したのもそういう背景があるわけですね。それが角界の常識・日常なのですから、それをして一体何が悪い?となるのは必然でしょう。松本人志氏がワイドナショーで自論として、「果たして暴力無しで指導ができるのか?」ということを述べていましたが、このような文脈だと考えるとよく理解できるかと思います。無論、そこから脱して現代的な論理と根拠があるトレーニング方法にシフトしていかなくてはならないのでしょうけども。

 そしてまた格闘家という生き物を知っていれば、そのようなあらっぽい事件に発展しやすいということも理解した上での発言だったと個人的には受け止めています(無論、ちゃんと突っ込んでみないと真意はわかりませんが)。そういう点で松本発言は適切なものだと考えます。日馬富士は引退するべきではなかったというのも同様です。

日馬富士の引退を受理することはありえない。相撲協会は慰留すべきだった 
 日馬富士が常習犯で似たような事件を過去何度も起こしているというのならばともかく、初犯であるのならば、何らかの処罰・罰金及び出場停止などで済ますべき案件でしょう。それを引退を申し出たからと言って、受理した相撲協会の態度は理解できません。

 本人が責任を痛感して辞めると申し出た。とするならば、協会は最大限慰留すべき。本人の申し出をあっさり受け入れるのは理解できません。結局、不祥事について、トラブル防止策を徹底しないがために、問題の責任を一個人に押し付けて詰め腹を切らせたとしか思えません。

■処分のルール・論理の欠如、今回の事件は日馬富士貴ノ岩及び親方、協会トップ全てに責任がある
 無論、言うまでもなく事件の当事者である日馬富士が責任を取るのは当然のことなのですが、組織として不祥事が起こった際、どうするか?どういう対応をして、どういう量刑を与えて禊を済ますのか?といった大事な視点が完全にすっぽり抜け落ちてしまっています。ということは以後似たような事件が起こったら、力士は全て引退しなくてはならないのでしょうか?トップがしっかりイニシアチブを握って、然るべき手続きを経て、然るべき処分を下すということが出来ないのならば、以後似たような不祥事が起こり、似たような不透明な処分・決着となることでしょう。

 あまりにも日馬富士は暴力を振るった加害者であり、厳罰に処すべき!―という同じことしか唱えない壊れた機械のように、経文を読む手合が多いので再度申し上げておきますが、文中で日馬富士が悪くないということを主張しているのではありません。今回の不祥事は当事者全てに責任がある出来事なのです日馬富士貴ノ岩も、その親方の伊勢ヶ濱貴ノ岩も、相撲協会のトップである理事全員八角理事長、彼ら全員に軽重の度合いはあれど責任があること。その責任をうやむやにしたまま、日馬富士の引退を以て決着させようというやり方はフェアどころか、組織のあるべき論理の欠片もありません。極めて日本的な無責任組織、前近代的な腐朽組織の典型と言えるでしょう。我々にとって問題視すべきところは、まずそこであるわけです。このような組織が我々が住む社会に存在することがどれだけ恐ろしいことか、どれだけ社会に損害をもたらすか?想像するだに恐ろしいことなのは言うまでもないでしょう。

 次回は貴乃花改革はありえない、仮に貴乃花改革がありえても間違いなく失敗するという話をしたいと思います。

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*1:事態の経緯を知る上で参考になるかもしれないので、貼ります。参照―横綱の暴行 日馬富士が引退 貴ノ岩を殴打 : まとめ読み「NEWS通」 : 読売

*2:もう一本参考になる物があったのでついでに貼っておきます―日馬富士引退の「深層」にあるものとはなにか?

*3:具体例としてー「日馬富士事件」大相撲からいまだに暴力沙汰が消えないワケ(原田 隆之) 心理学者だそうです。心理学者がなぜ、心理学とは関係ないことを…?社会学と心理学は…と言われて久しいですが…

*4:愛情の裏返しの厳しさという論理の他に、もう一つ階級意識があったかもしれません。というのは、白鵬日馬富士というのはエリート出身。参照ー意外? モンゴル力士たちはお坊ちゃま揃いだった。ここで書いてあるように、白鵬の父はメキシコ五輪でモンゴルに初のメダルをもたらした国民的英雄で、母はチンギス・ハーンの流れを汲む家柄の医者。鶴竜の父はモンゴル国立科学技術大学の学長で、母はラジオ番組制作者。日馬富士はそこまででもないように見えますが、警察の高官の息子で小学生の頃から本格的に絵を描いていた余裕のある育ちと言うので、そこそこの家柄と言えるでしょう。それが何?と思われるかもしれませんが、つい最近まで社会主義国だったことを考えると、身分意識・階級意識が非常に強いお国柄だということがわかります。つまり、目に見えない序列というものが存在するわけですね。わかりやすく言うとお受験で名門幼稚舎に入ったお母様方の目に見えない身分秩序ですね。家柄だったり、母親の経歴だったり、父親がどこの企業の役員だとかポストで、その母親に求められる振る舞い・身分や序列が決まるというものです。貴ノ岩の両親について色々検索かけたのですが情報がまるでない。早くに亡くなったくらいしか見当たらなかったので断言はできませんが、おそらくあまり目立った家柄ではない。そういう序列もあるのに、それを無視した振る舞いが日頃から見られたという可能性は大いにありますね。

*5:当然、前述通りの人間教育というのも必要不可欠。アスリートとしての教育にふさわしい人間と設備、そして社会人としての教育論や時間、及びふさわしい模範的師樽人間。両方を兼ね備えている部屋はまず存在しないと言っていいでしょう