民主主義国家における言論の自由、表現の自由について
過去記事の再掲です。元は10/12に書いたものです。
東京都の非実在青少年規制、青少年健全育成条例について、言論の自由とは何かを整理してまとめておきましょう。多分しっかり理解している人はそんなにいないでしょうからね。
【民主主義の前提、リベラリズム・自由主義】
民主主義国家において言論の自由というものが保障されている。これは信教の自由・良心の自由から派生したものである。民主主義を守る上で、民主主義国家足りうる上で、欠かすことの出来ないものである。民主主義国家は何よりもまず、リベラリズム・自由主義、人間の思想・内面を絶対に侵さないという原則を守らなくてはならない。
国家権力が何よりやっていけないことは個人の内面、心に干渉することである。このような基本は言うまでもないだろう。もし、理解していない、知らなかったという人がいるならば、これは欠かすことの出来ない近代国家の常識であるので言論に際して絶対に念頭に置くこと、絶対理解をしなくてはならないのだということを覚えておいて欲しい(参照【感想】 これでも国家と呼べるのか 韓国併合条約について )。
【中韓の教科書のケース―内政干渉&良心の自由侵犯事例】
『大国・日本の崩壊』で博士が、中韓の干渉における教科書検定が憲法第二十一条違反に関すると主張する論考があるので、それを応用する。本来教科書の検定とは国家が望ましい教育内容を選定するために、一応検閲ということには当たらない。しかし中曽根首相が行った教科書の書き換え指示というものは、明らかに干渉による結果として時の首相の独断でなされたものであるから、紛れもなくこれは憲法第二十一条違反に値する。(注最高裁で検定は検閲ではないとなっている。それは教科書には読む自由がない、すなわち選択の自由がないから、書く自由もないのだという解釈。ただし、その選定をするのは教育の自由を持つ親、または本人に属し、教育内容が高すぎる、低すぎるまた多すぎる、少なすぎるという点において口出しが出来るのであって、学識経験者によってのみなされるべきもの。つまり政治的権力による指示は明らかに検閲となる)。
また当時の藤尾文部大臣が意見を雑誌に載せたのを差し止めさせたこと。これも意見を載せたあとに何を言うのも自由であるし、政治責任において罷免するのも自由であるが、検閲をして差し止めさせたことは立派な憲法第二十一条違反である。また有名な事例では、創価学会の手記の事前出版差し止めがある。これも同様、出版されたあとに裁判にかけられ、その結果出版中止に追い込む。またはかなりダーティーな工作で出版の機会を奪うようなことは当然、言論の自由の原則には違反するのだが、出版されてからの行動であるため、そこにある種の公平性、言論の自由のルールを一応は守ったことになる。公権力によって出版自体を差し止めるということは民主主義国家では表現の自由、良心の自由に抵触する何より許しがたい犯罪である。いや、犯罪などという言葉で表現していいものか、それほど許しがたい原則上考えられない行為なのである。サッカーや野球という球技に格闘技を持ち込んで肉体的ダメージを与えるような行為といっていい。
【民主主義は国家権力の違法実行を防止する原則から始まる】
まず国家権力の暴走抑止からスタートするというのは、それはロック・ホッブズに始まる自然権の思想から、国家というのは強大な力を持つリヴァイアサンである。国家権力は合法的に何でも出来る。国家がその力を個人に向けたら誰も止めようがない、そのため国家権力を何よりもルールに基づいて監視しなくてはならない、権限・実行機関を分散しなくてはならないという思想があるからだ。国家権力の暴走を許さないということが、何より重要な民主主義の原則であることを改めて抑えておいて欲しい。個人に選択の自由がある、色んな行動上の自由があるから民主主義になる・なったとは言えない。なんとなく昔と比べて自由になった、自由にやりたいことが出来るようになる良いシステムなんてことでは決してない。
【補足―教科書問題の相互性の原則】
後に応用したいために、付け足しで、現在は日中韓で歴史教科書の共同研究が行われているが、これは政治権力者が内容に云々かんぬん口出しをすることは明白な内政干渉であるからである。そもそもこの機関が出来たのは、第三者の中立委員会、学識経験者によって、それぞれの国の教科書全てを相互性に基づいて、ああすべき、こうすべきといった判定を下されなくてはならない。相互性の原則が外交では当然。内政干渉というルール違反を犯したくなければ、相互性が保証された機関がないといけない。1987年の時点であるべき姿を正確に指摘した博士の慧眼は恐れ入る。
【わいせつの観点からの規制】
さて、この前提を理解したうえで、今回の問題はどうなるか?ちなみにこのような意見があった。表現規制はおかしいが、このようないかがわしい作品はまた取り締まられるべきだと。さて、あなたはどう思うだろうか?今回のケースではいわゆる猥褻性に基づく、表現規制に値すると思う方が多いだろう。そしてその延長上にあるために、取り締まるのは合法ではないかと。
このような意見は半分正解で、半分間違いである。まず、猥褻であるからモザイクをかけてそのわいせつ性を適正な範囲にまで抑えるというのが現在の取締りの大本にあるロジックであろう。性器が猥褻だからそれを隠すべきだということ、そういうロジック自体がばかばかしいのだが、ここでは本題ではないのでおいておく。チャタレイ裁判だろうが、なんだろうが、わいせつ性を巡る議論・表現のボーダーラインは本来裁判によって決められるべきものなのだ。裁判所による議論を通じて、ボーダーラインなり、原則なり、規制の細かいことなどを決めるべきなのだ。
民間における論壇・文壇において世論を形成しあい、裁判所によって公開討論でそれが定められるべき。*1
【どう実行されるべきか】
そして定められるべきボーダーライン・ガイドラインとは、①明確な目的を有すること②違反したか、しないかは一義的に実行されるべき明確なルール下で判定されること。①はたとえば、それによって犯罪を助長する明確なデータ。ある一定の年齢には好ましくないのであれば、販売ルートをきちんと管理するなど。そして表現規制ならば、モザイクのように、これはダメ、これを隠せと明確に決めなくてはならない。
ま、このようなロジックが説得性を持つことはないために、ばかばかしくて話にならないのだが、そう言っていては論じることが出来ないので、とりあえず、犯罪助長だとか、風紀とかそういう理由で許されることにしよう。
しかし、今回の表現規制は確実にその二点を違反している。これは規制ではない、気分次第の弾圧である。江戸時代の風紀取締令であろう。上の二点を守っているのならば、おかしなルールであろうとも、一応立法の原則に基づいているために納得できる。たとえば、欧州のロリコン製品の取締など、思想はどうなんだ?そんなことしていて意味があるのか?と思うようなものでも表現規制の原則性には敏感である。一応明確で一義的なルールを念頭にしている。
【利権・気分次第のお上の道具=日本の法律】
日本の法はあやふやにして作る。なぜか?違反のような、違反じゃないような、わかったようなわからないようなもので書いておく。そうすることであとから、あとから都合のいいように解釈して取り締まる。後出しじゃんけんで自分たちの利権を守る。これは法匪の発想。このような法匪官僚層が強固な利権を形成して、立法の自由な風土を潰して、ちっとも改革が進まなかった中東の世襲官僚層(書記層)と極めてよく似ている。
日本という国家は憲法や官僚組織は見かけ上民主主義国家のそれを採用しているが、本質は全体主義国家法に携わるものが自由勝手に出来るようなシステムになっているのだ。だからこそ名古屋でのリコール一時不成立という現象が起こったわけだ。アメリカの民主主義において、ジャクソニアンデモクラシーと呼ばれ、ジャクソン大統領が高い評価をうけているのはこういうことを起こらないようにしたからに他ならない。(注―ジャクソン大統領は一定の官僚による仕事の独占を解放して、誰でも官僚になれるように政府を開放した、これによって政府の透明性がグンと高まったと、後世高く評価されている)
今回の規制法案=取締令、その本質はまちがいなく、これにあるのだ。何がセーフで何がアウトなのか?そもそもしずかちゃんの入浴シーンはセーフだ。~はよし、~はダメ、とあとから、採点をしようという神経が幕府・陸軍そのもの。自己の命令を所与の前提として履行させようという支配者精神そのものであり、前近代国家のメンタリティそのも。何故このような所業について、戦前に戻す気か!なんてやかましく主張する人間が今回は騒がないのか、己にはよく理解が出来ない。
明らかな判断が出来るルール。これを書いたらアウトになる、ここまではセーフそういう法案でない限り、これに絶対賛成することなど出来ないのである。それでは民主主義ではなくなる。民主主義の母体であるリベラリズムに反するからだ。まあ、ご察しの方がおられるとおり、このリベラリズムがたやすく捻じ曲げられているわが国とは、民主主義国家のモデルから程遠いのだ。
今回の規制を作ることで、なんらかの警察の天下り先を作って、その利権をふりかざして出版社からゆすろう、たかろうという下心が見え見えではないか。警察は恥を知れ。それに乗っかる政治家も同罪。そしてそれを是正する報道しないマスコミは爆発すべき。今回のケースは、わが国の殆どの人間が民主主義をまるで理解していないということを改めてさらけ出した。これは絶望的な知的レベルの低さを意味する。ゲームの基本ルールを良くわかっていないのだから。
【愛国保守=反戦サヨク】
いうまでもなく、こういうことを平気でしてしまう政治家があの人なのだから、しかも元表現者でこういうことをしてしまう。つまり全然わかっていない馬鹿だということだ。昔非武装中立だとか、狂ったような似非マルキストがいたが、保守的な人間で上述の補足であげたような中韓の内政干渉のロジックを明確に主張し、否定したものが果たしていたのか?つまり彼らは安保を理解している、外交を理解しているのではなく、自分たちのムード・気分でなんとなく論じているに過ぎないのだ。守るべき原則など何もわかっていない。批判的な言論を封じ込める可能性がある行政がやるべきではない、裁判所で言論を通じて定めよう。そういう当たり前のことを誰も言わないのだから。
言論に携わるものの絶望的知的レベルの低さ。これは今後ン十年変わらないだろう。少なくとも民主主義的な国家像を追及する政治家ではないとはっきりしただけでもうけものなのだろうか?今回のケースは…。
孔子平和賞について
過去記事の再掲です。元は10/12に書いたものです。
さて、孔子平和賞について。
目次
【孔子平和賞=愚か?】
何やってんだ?中共アホか?といった反応がまず起こるだろうと思っていた。実際そういったブログをいくつも見た。さて、これは正しいのだろうか?もちろんそれはある種正しい。連戦(大統領選に負け続け連戦連敗と揶揄された人)にさえ、スルーされた。
【東アジア=儒教圏という設定】
まず、儒教原理を賞にすることで、儒教圏、日本は江戸期に儒学を取り入れただけだが、日韓ベトナムそこら辺を一つに取り込みたいという戦略の一端と見える。さらに台湾はいうまでもなく、偉大な儒教文化を共有する同胞という意識を呼び起こしたいのであることは間違いなかろう。一時期四小竜といわれたNIEsは儒教に基づく文化があるからだ!なんていう人もいましたしね。単に日本統治と英統治の過去があっただけなんですけどね。
【孔子・儒教戦略を採る中共】
以前から、儒教・孔子学院のようなものをあちこち作って、それを一つの戦略として用いていました。つまり、これは思いつきの行動、単なる平和賞へのあてつけではないということですね。
最近洋書かいてないけど、(ツイッターでも洋書中心なんて言っちゃってるし(^ ^;) )、「the limits of china nationalism」なんて論文だと、中国のナショナリズムは危険か!?なんて尖閣の事例で煽ってます(日本の有志が灯台作ったときね)。もちろん、危険性はあるけれども、ナショナリズムを実際の政策の手段として用いること、領土だったり、歴史問題だったり、反日だったりというものは長続きしない。いずれ必ず自身に跳ね返ってくるからだという分析をしてました。
【馬上で天下は取れても、馬上で天下を治めることは出来ない】
拙意見も同上で、反日教育(江沢民以来の)などというものは一時的には成功して、国家統治に安定を与えることは出来ても、もう60年以上も前のことで何を言ってるんだということになります。たとえるならバガボンドの小次郎が始めて戦った不動様みたいなものでしょうか、一回守った恩があるからといって、それだけでなんで永久に食い物でも女でも差し出さなきゃいけないんだってことになります。
何より、軍の権威に役立っても、党の権威には役立ちませんからね。いずれそれに代わる正当性、イデオロギーを求めるのは当たり前なんです。毛沢東の文革にしろ、鄧小平の天安門にしろ、戦争という危機感があったこと、そして力で支配しているという現実がありました。しかしいつまでもそんなことでやっていけるはずがありません。
【孔子・儒教=統治イデオロギーの意義】
んで、なにを新しいイデオロギーにするかって言ったら、ここに儒教がきたわけなんですね。いや、しかしまぁ、三千年以上前のものを持ってくるかいな、オイオイ―と思いました。歴史上どんな国家でも、力によって国家を作る、興す。後に平和的に安定的な当地、効率的な経済利益を上げるためにそれにふさわしい国家に転換する。そういう黄金律があります。中国とて例外ではない。現代的に言うと民主化・法治国家、一般的なルールを設定し、それによって紛争を解決する。それが最も効率が良い。
【民主化・法治国家化に向かうワンステップ?】
民主国家・法治国家になるかどうかはともかく、少なくともそれに向けた模索であることは間違いない。同時に利権を手放したくないから、何とかならないかという意地汚さも透けて見えますけどね。なにより、日本と違って宗族という血縁原理で動く中国は、儒教というものに説得性がある。陽儒陰法という言葉があるくらい、儒教の階層構造を前提としたイデオロギーは根本規範の血縁とあいまって一定の説得力を備えるでしょう。しかしその儒教国家化の本質は、科挙官僚を儒学から、マルキシズムに入れ替え、科挙官僚を共産党員という支配階級に入れ替えただけに過ぎない。つまり現状を是認するものでしかないでしょうね。
【民主主義=資本主義を理解することはげにむずかし】
日本でさえ、法治国家・民主主義ということをろくに理解していない。だからこそ、三権分立があっと言う間に換骨奪還され、官僚たちに支配されるわけのわからない鵺(ぬえ)国家になってしまう。中国はどうか?言うまでもありません。というか理解していたら、あんなムチャクチャなことは出来ない。これは優秀・バカという問題ではなく、民族・集団の集合意識など、そんなに簡単に成長しない・変わらないということの裏返し。組織の機能的要請から共産党はそういう行動をとるし、各々、血縁原理・幇といった個人の人間関係によって動くことは変わらない。
言うまでもなく、いずれ中国経済は行き詰まり崩壊する。5%のインフレということが報じられたが、これは意外に大きな変化だと思う。このインフレはよっぽどのことでは流れは変わらないだろう。
【日本がとるべき道・外交とは?】
己は今回の孔子平和賞などは、むしろ利用すべき・歓迎すべきことだと思う。この儒教・孔子=イデオロギーはとりあえずは軍から党主導へのイデオロギーの転換。何より最悪の反日イデオロギーからは遠ざかるのだから、これを積極的に支援すべきだと考える。こういう声が聞こえてこないのが不思議で仕方がない。
そしてその次に、仏教でインドに及ぶ広範囲な包括枠組み・イデオロギーを提唱して、仏教理論からチベットへの取り組み。さらには共産党支配の次のステップ、民主化を促すようにする。仏教から新しい道を見出すというアプローチもあるでしょう。四民平等原理を仏教理論から応用してやるのが一番いいでしょう。民主化には一神教=経典宗教が不可欠。日本の天皇教に変わるものを作り出せるはずがありませんから、仏教でやるしかないでしょうね。中国人なら誰でも契約を守らなくてはならない!とね。「二重規範の打破」をしない限り、中国に未来はありませんからね。
【情けない日本外交】
それはさておき、情けないのは日本。孔子平和賞?(笑)なんて、バカにしている暇があるのなら、なぜ自分自身で欧米主導のスタンダードではない平和賞を作り出さないのか。そういう戦略的なこともせずに、中国を笑う資格はない。アメリカ・欧州の権威に盲従している者達に中国を笑うことができようか?
天皇賞でも、仏教からの法華経賞でも良い。天皇賞って競馬みたいだけど(笑)。あるいは吉田松陰賞でも何でも良い。実在の人物ではなくても、鳥山明賞でもアニメ・マンガ・ゲームを生かしたものでもなんでも良い、日本独自のものを発して、世界をその価値観で動かそうという視点・発想がなぜない?特に反戦平和教徒は具体的なアクションを何故起こさぬ?反核運動でそういう賞でも作って、世界中に運動を広げればいいではないか?全く戦略性がない。!!!┐(゚~゚)┌
中国の統治支配原理からの説明・分析も、東アジアを見据えた分析もない。日本もなんでやらないんだ!という憤りもない。何なんでしょうね?一体?よくわかりませんね、己には。
*1:サムネ用適当な画像
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政治資金問題の本質
過去記事の再掲です。元は10/12に書いたものです
政治資金を巡る報道
政治資金を巡る報道って、羊を巡る冒険みたいですね。何?巡るしかあってないって?(^ ^;)
小沢がやることなすことなんでも悪いと報道したいようで、党の資金を不正流用した!と新聞は報じている。しかし問題の本質はそこではない。巨額の金を配った=悪いという印象付けは極めていかがわしいやり方。
政治に金がかかる=政党に金が集中する=各議員に配られる
このような当たり前の公式が成立する以上、何もおかしいことではない。これまでの政治史を見てきてもごく当たり前のこと、誰もがやってきたこと。これで一体何が問題なのか、逆に不思議になるくらい。
論点はどこか?それは小沢氏が不正に流用したかどうかなのに、そういう論点、仕組みについての説明が一切ない。ということはもう、これ合法に決まってる。汚職・贈収賄というのは、特別に便宜を図って、その代償に見返りを要求するもの・受け取るもの。その構造を説明しなくては意味がない。なんとなく怪しいでは報道にならない。
政治家が巨額の資産・資金を持つことがおかしい、政治に金がかからないようにすべきだというのなら、その背景である問題を論じなくてはならない。それを論ぜずして、巨額の金を動かしているなんて怪しいというのは悪質な印象操作としか言えない。報道機関が自分たちにとって好ましくない政治家の印象操作をするという風土はかなり歪んでいる、これでは健全な社会とはいえない。
特捜という三権分立・法治国家として疑問が残る制度を監視するのではなく、その後追いをするようでは尚更。報道は政・官と一定の距離を保つべきである。*1
政治資金を巡る問題の本質
報道の次は、政治資金を巡る問題の本質。問題が起こるには原因がある。原因は一体何か?政治資金問題の本質とは、それが発生する背景にこそある。
【政治に金がかかるシステム】
政治資金問題の本質とは、政治に異様に金がかかることである。民主主義の選挙での原則は票=力。ところが現行法は旧時代の遺物。選挙で未だに巨額の金が必要になっている。
政治というものは独裁→寡頭制→財産制→民主制、こういう段階に移るほど参与する人数が増えていく、開かれていくもの。*2
簡単に言うと、一人が何でもかんでも決めると効率がいいので、また危機において意思決定を迅速に済ませる必要性があるので、政体は独裁になりやすい。しかしそれだと、弊害が大きいためにうまくいかなくなる。よって集団で物事を決めるようになる。何人かの有力者が合議を開く、合議制で決定するようになる。意見を反映させたい人数が増えていくと、政治・軍事の実力者だけでなく、金持ち・資産家層の意見を反映させるようになる*3。権力層に金持ち層の参入を認めれば、経済サイドでも上位の人間を抑えられて、その社会で実力を持っている人間が残らず取り込まれて支配システムはより安定する*4。前近代社会・国家はたいてい、独裁・寡頭制・財産制の混合モデルですね。
現代になると、これが市民権を持つ一般民まで拡大される。無論、直接意思決定にまで参画はしないけども、政治家・政治に携わるものを国民が選ぶ。社会の上層・実力者だけでは政治・社会が安定しなくなる。中層・下層にも政治参加の道を開くことが大事になる。日本でも民主主義・選挙導入の時、投票権を持つには一定以上の納税額が条件だった。課税なくして代表なし原則ですね。税金と票の取引ですね。金=票、責任・義務と権利というのが民主主義の原理としてあります。
【日本の政治システム:財産政治】
重要なポイントとして、民主主義を導入する際に自由選挙ではなく、制限選挙だったということ。これは本場英でも同じで、民主主義政治・選挙はいきなり誰にも彼にも開かれたものではなかった。最初は一定以上の資産家しか許されなかった。これをフェアではない、アンフェアなものと捉える人・論者ももちろんいるでしょうが、当時の政治や社会事情、共産主義の流れがあったことや、知的水準があまり高くなかったことなどを考えるとまあ妥当なところなのでしょう*5。
政治家を送り込む選挙で、一昔前ならともかく現代で階層によって制限があってはならない。下層に属する人間に著しい不利があってはならない。ところがどっこい日本の場合は財産制・制限選挙の遺物がそのまま残っている。金持ち・旧支配層が権力を握りやすいようになっている。やれ金をいったん預けろ・払え!だとか、選挙のたびにこれをするな・あれをするなと制限をつけて新規参入者、金を持ってないものが当選しにくいようになっている。
特に戸別訪問、理・政策によって票を勝ち取るという民主主義の常道というべきものを禁止するという、中東かどこかの途上国を連想させる愚法・制度を設けている。こんなバカな規定、先進民主主義国で聞いたことがない。ツイッターが違反かどうかなんてやりとりは、聞いていて卒倒せんばかりでしたね…。風呂場でウンコして、良いの悪いのって言うぐらいのバカな質問ですよ。ウンコして言い訳がない。選挙をする上で特別な問題でもない限り、禁じられるツールがあるはずがない。
政治家個人が政策を訴えるのに、アピールするのにネット使ってはいけないなんて北のような独裁主義国の発想!その考えは検閲に近しいものがある。常識では考えられないこと。しかし、悲しいかな。これがおかしいと大々的に主張する識者が少ないこと、少ないこと…。
そもそもこういうものを廃止せよ!と野党がやるべきでした。なぜそれを社会党とかがやってこなかったか?それは彼らが無知無能だということもさることながら、運動を利権化させていたからでしょう。野党も利権組=利権第一の政治屋だったんですね。
野党(与党もか?)にせよ、報道にせよ、まずやるべきことは選挙の自由化、自由選挙制度の導入に伴う政治に金がかからない制度づくりでしょう。それをせずして政治資金疑惑が消えることはない、構造的な汚職の発生はなくせない。日本社会にとって汚職は必然的なものにならざるをえないでしょうにねぇ…。
【政治資金を締め付けて得をするのは?―利権組】
んで、今回の政治資金規正法改正だとか、何とか、その発想はまず小沢=違反者という発想ありきのもの。今回に始まった話ではありませんが、まずそれが本当に有罪か無罪か、セーフかアウトか!?その前提を欠落して進めている。その時点で失敗することが確定している。確変7あたってから、レール動いて連チャン確率最低の2に変わってしまうくらい最悪ですね。
原因を見て、対処をするのが本質でしょう。こんなのはヤブ医者のすること。とにかく風邪ですね。ハイ、クスリってことしか言わない医者ですよ。戦後ずっとこうだったでしょ?戦前もか。金持ち=悪みたいなバカな思い込みが延長した結果がこれなんですかね。
原因は金持ちor権力者orコネもちのエスタブリッシュメントしか当選しにくいことになっている構造。庶民が政治家として出世するには角栄のように金を溜め込むしかない。金=政治力=票ですね。
今回のことで、誰が得をするのか?旧来政治勢力、特権階級は別に世襲で連綿と権力を保てる。小泉ジュニア然り。世襲をすると旧来構造がそのまま引き継がれる、改革ファクターが社会から失われる。イオン岡田さんのように大企業のバックを持つ新興勢力ならともかく、今そういう社会を変えようという新興階級がない。
せいぜい楽天とソフバンくらいでしょう。つまり新興階級が乏しい。今後も改革に拍車がかかることはない。こういう腐敗システムが続くことになるでしょう。
【小沢という政治家の本質】
小沢の本質は二世の金持ちといっても、たかが知れた小金持ちですね。岡田さんとはダンチ。というか岡田さんは子飼いの部下を作らずにどうやって権力を維持する気なんでしょうね?絶対無理でしょ?政治力=議員を大量に送り込むのならば、金を持つしかないわけです。今の日本は。そうじゃなかったら、自民みたいに毎日党内造反で、政権すぐ潰れてしまうでしょう?今だって党内少数派の政権。そんなの持つ分けがない。
小沢の本質はまさに小さいこと、『こざわ』なんですね。小金持ちに、小利権屋。金→票→権力に変えるために最小限の利権で済ませようとする債務整理屋みたいなもの。最少利権の最大権力とでも言いましょうか。こざわさんは小技を重ねて権力を取るわけです。だから政治資金を作る能力に長けているわけです。ありとあらゆる法の網を抜けて金を造るのですね。合法的に。それが人によってはダーティーに映るのでしょうけど。
で、その小沢をつぶすということは、結局今までどおりのことをやりたい官僚利権、権限・権力を私権化するものたちの得になるって分けですね。彼は最少利権以外は全て叩き潰しますから(全てではないか)。
【自己の利権ありきで報道を歪めるジャーナリズム腐敗】
こんな単純な構造がわからないなら、マスコミ止めてしまえ。というか、あえてやってるわけですから、彼らは既得権勢力=報道を利用して私欲をむさぼっているわけです。ジャーナリズムが利権化する。欧米の人々がこれを聞いたら、卒倒して道頓堀じゃないや、ヴィクトリア湖か、黒海、ライン川かドナウ川あたりに飛び込むんじゃないでしょうか?
政治資金改正で政治を改革・浄化するのではなく、悪化・利権温存を図ろうというのが今の流れですから、そして野党の自民も権力取れれば良いと、とにかくマスゴミに乗っかって非難をするのですから、こりゃ無理ですね。日本議会政治は。検察・メディアという民主主義の敵のために手を組もうと自民党が言ったら、もう即日政権交代でしょう。
こんな簡単なことがなぜわからない自民党(´-ω-`)。今の自民党は社会党になっていますね。第二の社会党。冷戦構造から完全に脱皮するために自民党再生は不可欠です。割れてから早くロジック・政策を発達させてください。自由主義も、民主主義もないのですから。
*1:―とまあ、過去にそんなことを書きましたが、今さら一応付け足すと、現在でも色んな政治家についての資金や疑惑が報道される。それについて、本当にそれが汚職といえるのか?我々国民は疑う必要がある、きちんとチェックする必要がある。マスコミの上っ面の報道、なんとなく怪しい・悪い人というイメージに騙されない必要があるということですね。
怪しい・疑わしいというだけで簡単に政治家を殺してしまえば、損をするのは当事者である国民なのですから。金を受け取った=悪いやつ=いなくなったら社会が健全になるという単純な発想は厳禁。むしろそれを悪としていいのか?それで有罪になれば政治がもっと悪くなってしまうのでは?という慎重な態度、ワンステップ挟む必要があるわけですね
*2:一応書いておくと、必ずこういう段階を辿るという話ではありません。
*3:まあ政治・軍事の実力者が殆ど資産家と同義なんですけどね
*4:あとは宗教家とかありますが、まあ話が複雑になるので捨象しましょう
*5:結果、社会上層に有利な・アンフェアな政治制度であったとも論じることは出来るのでしょうけどね
