てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

日本ジャーナリズム・報道の死んだ日。

小沢氏に厳しい新聞社説 議員辞職求める社も

4月28日19時12分配信 J- CASTニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100428-00000005-jct-soci

ずいぶん前の記事から引っ張り出してきましたが、気になったので新聞社説を調べてみたら、ちょうどこんな記事があったのでこっから引用。

 

 かつて小室直樹氏はその著書で民主主義というものを分析し、ドイツの民主主義が崩壊・滅んだのは議会がヒトラーに全権を委ねたときであるとしました。そして民主主義とはかようにも崩壊しやすいのであると、独裁者にのっとられやすいものであるのだと。仏におけるナポレオンもそうでしたね。そしてわが国もまた非常に不安定で独裁者が発生しやすい状況になっていると述べ、現在官僚壟断国家になっているのは検察の暴走―ロッキード事件において田中角栄を証拠なく有罪にしたこと、法を捻じ曲げて、通常のルールから逸脱して彼を追い詰めたことが、法治国家・民主主義国家としての終焉を意味することを主張しました。

 

 己はこれを応用して、日本ジャーナリズムの終焉を主張したいと思います。特に新聞においては間違いなくそうでしょう。以外にも鳥越さんが検察・小沢ケースに疑問を呈していたようです。この人の報道はあまり納得できることがなかったので、へぇ~と思いました。そんなことはさておきテレビでは一応彼のような人間が疑を呈することがあったので、害が大きいテレビといえどもそのようなことが起こりうるので、まだいいでしょう。

 しかし新聞を見るとどのメディアも小沢批判で、社説で検察の異常性を追及することはありません。これこそジャーナリズム・第四の権力メディアの死以外の何者でもありません。

 

 己が言いたいのは、小沢無罪ではありません。己にとって無罪だろうが有罪だろうが大して興味はありません。新聞という公正中立、問題を解明する立場にあるものが、政治家の疑惑となったとたんくらいついてはしゃぎたてるというその鳥頭を問題にしています。小沢は説明責任を果たせというのに反対するわけではありません。己が新聞の書き手でもそう書くでしょう。重要なことはそれと併記して、検察が政治家の生殺与奪券を握っては政治にならない。検察が利益・利権を持つことになる。検察もまた挙証責任がかけられるべきである!これを論じて初めて、小沢:検察=五分五分になる。今のままでは官僚べったり、一体何のための報道なのか理解不能

 

検察は説明責任を果たしたか 郷原 信郎

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090324/189886/

この主張はごもっとも、至極当然であり、こういうことがなぜ新聞の社説にかかれないのか?なぜどの新聞も官僚に膝を屈しているのか、不思議でならない。

 

 小沢に対する一連の献金疑惑・土地疑惑、これを巡る一連の新聞の報道で、日本のジャーナリズムは死にました。まあ、前から死んでいたといわれればそうなんですけど。きっこの日記はあんまり好きじゃないんですけど、この海外報道に対する分析は全く同意見で、NYTIMEsは検察が新政権を潰しにかかっていると見ているし、FTも小沢よりの報道をしている。検察批判だ。アメリカが普天間問題で怒っているぞ!ってのは日本のマスゴミが勝手に捏造しているだけで、誰もそんなことは一次情報で流していない。むしろそんな情報を聞くたびに、ヤンキーゴーホームと怒りくるってしまう。しかし実際米人はそんなにこの問題に注目していない。日本の内政問題に過ぎない。起こっているのは辺野古利権にある人だけ。結局情報操作されているんです、日本の言論・報道空間は。海外から隔離して作られた言論空間、これによってまんまと都合のいい言説に大衆が乗っかってしまう。これでは民主主義にならない。

 

 検察が正常化されること、正常な官僚組織になること。新聞の報道が是正されること。この二つが達成されない限り日本の民主主義が正常化することはないでしょう。憲政の常道はいつの日か…

 

※追記、どの新聞も検察批判をしなかったと書きましたが、上杉さんの本読んでたら、思いっきり毎日新聞が社説で検察は説明責任を果たせ!とあったそうです。毎日新聞さん謹んでお詫びいたしますm(_ _)m