てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

宗族社会についての覚え書き、メモ

覚え書き。メモばっかになりそうだな。今後。

  中国の宗族について。父系社会の中国では父系集団で宗族を作る。宗族には輩行(世代、ジェネレーション)があって、その序列によって宗族内の格が決まる。実際は年下の人間にでも、自分の方が輩が下なら、つまり世代が下であれば年上の人間は年下の人間を先輩として、目上の人として、扱わなくてはいけない。場合によって、50のおじさんが5歳の幼女を先輩扱いすることになるわけだ。日本人的にわかりやすく言うと、一族で学校の先輩後輩をやっていることになる。さらにその序列は年齢ではない。世代で決まる。宗族の始祖となった人間から何世代目の人間かということが基準になるわけだ。

 唐後半~宋になると、中国人の姓名は三字になる。これまで姓、名+字の三つの組み合わせが、姓、輩字(輩行を表す)、名の三つの組み合わせに集約されていく。社会学的に見て、文化人類学的に見て、この時期の中国というのは一大転換、大革命を遂げたことになる。宗族内の序列がより整備され、結束が強まったということだが、一体どういうふうにこういう転換が起こったのか非常に興味深い所。

 では、全くそれ以前に宗族の形態はなかったか?宗族、宗族の族長の観念はあって、その社会が間違いなく共同体としての役割を果たしていたことから、宗族は古来よりあったことは間違いない。血縁社会の中国において強固で、明確な形をとっていないにせよ、宗族社会であったことは間違いない。漢王朝で、次の皇帝を選ぶときに劉邦の子であること、光武帝の子であること、その血縁であれば誰でもその対象になっていることからもコレは間違いない。もちろんその中で血統の優位、背後関係から可不可と選定されるのだけれども。

 このとき、必ず世代の上・下ということが問題になるはず。コレが記されないのはなぜか?それは中国人にとって当たり前中の当たり前の話だから。書かなくてもわかるからいちいち記されていない。皇位や王位継承というケースで、もうちょっとその世代の上下だったり、格上・格下という視点からチェックしてみるべきだろうと思う(とか書いておきながら、すっかり忘れて今に至るのだけど(^ ^;) )

【曹家と宗族の話】
さて、漢~三国の話。
 曹洪曹仁 ・曹純、これら曹操の親類には、字の全てに「子」がつく、これは輩字であろう。これによってジェネレーションが示される。曹真、夏侯楙にも「子」がついている。これはこの二人が特別待遇をされる上で非常に重要なファクターであろう。そして肝心要の曹昂曹丕曹彰曹植は全て「子」の世代、ジェネレーションとなる。彼らは、曹一族の中で同じくくりに入るはずだ。

 ところが、曹彪、曹沖になると字に「子」という字が入らなくなる。これはいったいなぜなのか?生母の条件によって待遇が別れたからか?言うまでもなく曹昂は丁夫人であり、後の三人は弁夫人=歌妓の出自で同じくくりにするのがおかしくなる。階級が上昇したから、区分けしなくてはならなくなったのか?それともこの時代の場合、同じ父というだけではなく、何らかの条件で輩字、ジェネレーションが変わるのだろうか?そのあたりどう理解すべきなのか、全然わからない。

【宗族からみた袁家の話】
 もうひとつここで注意したいのが、袁家の話。宗族という観念は絶対であり、中国では根本規範だ。その根本規範を無視して袁紹袁術が対立して、袁家が割れてしまったことについて。二人が馬鹿だから、割れたなんていうのは最低な見方。背後には間違いなく政策集団の対立、区分がある。それはひとまずおいて、重要なのはこの宗族内序列。袁紹は本初、袁術は公路。あきらかに世代が違う(ちなみに袁紹の息子三人は「顕」で括られている)。

 推測として生母の身分が低かった袁紹は、キャリアまた容姿などが優れていただけではなく、袁術より世代が上なのだろう。年上であり、官界のキャリアも袁術より畑違いとはいえ格上。宗族の家の序列からすると袁術の方が血統の良さから上、ここで話は終わるはずだが、袁家というのは「ひとつのかごに盛るな」―の鉄則どおり、一人に絞らない。科挙で状元を一人出すより、一族から五人なんだっけ?5位の名前ド忘れした。挙人かな?挙人に登台したほうが良いといわれるように、袁家も一人の人間を早くからリーダーにすることはない。というかこの当時は何があって死ぬかわからないから、当たり前。

 袁家の中で序列が定まらないうちに、コンセンサスが確立されないうちに袁隗が董卓に処刑されてしまったこと。さらには一族の大部分が殺されてしまったこと。これらはかなり大きい事件だった。後漢袁紹董卓によって滅ぼされたが、その袁家・袁紹の覇権の礎は董卓によってきっちりクサビを打ち込まれていたわけだ。実質後漢崩壊のプロデューサーは袁隗であって、もちろん本人は意図していなかっただろうが、袁隗の死はかなりの大事件だったことがわかる。董卓が彼を殺していなければ、曹操の天下もありえなかっただろう。