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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

天皇制の話 なぜ姓・苗字がないのか?

覚書 哀悼・追悼 小室直樹 歴史関係の話

過去記事の再掲。元は10/12に書いたものです。

 

 天皇制について、どうして天皇家には姓がないか?よく言われる話だが、すごく単純な答え。それは姓を名乗る必要性がなかったから。易姓革命が起こらないように、姓を持たないことにした―なんて話も聞いたことがあるけれども、それだったら以前どこかで姓を持っていたはず。どこかで姓を放棄したことになる。それならその元の姓の記録が残るはずだから、考えにくい。

 日本の姓・苗字というのは属性ではなくである。中国だと属性となって、絶対的なものとして存在する。劉邦は父・母の名前もわからない。そして邦というのは後世つけたもの。姓だけは記録されていた。おそらく名前を必要としなかったほど低身分なのだろう*1
 姓=宗族で所属する家族を指し示すから、絶対変わりようがない。中国は血縁社会である。韓国なんかはこれに本貫という地縁が加わる。大抵、血縁・地縁社会の論理が発展して、そののち宗教の論理が発展してくる。一神教ヒンズー教、欧~インドまで宗教共同体は世界的潮流となっている。中韓は宗教共同体が多少入ってきたとはいえ、それが主体とならなかった。インドから東は宗教による共同体というロジックが弱いのが東アを理解する一つのポイントになる。

 日本はさらに特異であり、協同共同体。一緒に仕事をすることで共同体を形成するという論理が存在する。日本独特のものと考えてよく、労働によって共同体を構築する。労働が共同体を維持する最高のコミュニケーションとなるのは日本くらいだろう。

 検証したわけではないが、おそらくポリネシア・豪・NZなどの協同文化のようなものに近いのではないだろうか?原始共同体に近い性質。そういうふうになったのは日本が半島や大陸からの帰化を先進文化をもたらすものとして歓迎したこと、彼らを受け入れることが富になる、メリットがあるのだから、当然異端視せず他所から来たものでも平等に扱う。そのような背景から発達した論理だろう。当時は、大量の帰参民を受け入れて開拓する余地が大いにあった。新共同体を一から形成出来る環境だったのだろう。これはアメリカ大陸で見られたようなスペイン・ポルトガル人の原住民虐殺とは対照的。よそ者が害をなすわけがないという前提が日本の初期にあったことがこういう文化を生み出したと考えられよう(無論、流入してきたものと衝突がゼロであったとは思わないが)。

 大陸が統一されていく、唐の誕生の頃には、強力な安保体制の必要上から、日本も国家制度が必要とされ、国家システムが整備されていく。そういう時代背景になると、無条件・無前提の帰化民歓迎ということはなくなっていく。*2

 宗教を基にして共同体が作られた時代ももちろんあったが、弊害が大きくなりすぎたと見ていいのか?とにかく信長(戦国大名の流れ)によって破壊されるにいたった。結果村落共同体の、協同によって縁を形成する共同体が残った(宗教が村落などの果たす役割は勿論ちゃんとあったが、基調になったのは宗教ではなく、その場・共同体での協同ということ。)。

 また、日本は血縁共同体、父系社会・母系社会ですらない。歴史の長いところは大抵父系社会となる。戦争や労働の効率化、組織的運営のために父系社会が好ましいからだろう。父系社会・母系社会という明確な決まり・ルールで動いていないため、その論理が非常にあやふやである。あやふやである以上、姓の絶対性が存在しない。
 そして苗字・場という話。職業・役割に就いたら、それによってホイホイ新しい苗字を作って、それを名乗る。これは世界的に見て殆どないケースだろう。大抵どこの文化・文明圏でも苗字・名前というのはパターンが限られている。しかし日本はめちゃくちゃ多い。その都度、その都度で、新しいものが考えだされて、作られるから。無限に増えていくことになる。
 藤原家からさらに五摂家のように分家して、さらに氏が必要となった。そんなことからもわかるように、何か役職を作るにつれ苗字を作る。その苗字集団がその仕事をつかさどっていく。もともと苗字が必要ではなかった、必要なときに作られるものだった。

 国家規模が拡大を遂げるにつれて苗字が増えていく。それを任命するのは誰でもない。すめらぎ、天皇天皇陛下天皇という役職・位以外(大王(おおきみ)でもなんでもいいけど)、そうとしか呼ばれない。場合によっては呪詛を避けるため、それすら許されなかった可能性もあるだろう。天皇候補たる血筋の者、将来の天皇皇位継承者は名前があれば十分。苗字で区分する必要性がそもそもない。A天皇家、B天皇家と、いくつか天皇後継の家があったとしたら、系統の違いを示す上で必要になっただろうが、御存知の通り万世一系であるために、その区分の必要が無いため、姓の必要性が発生してこない。むしろ皇族から締め出されることを意味するのだろう。苗字を与えられるなんてことは。臣籍降下して初めて家を名乗ったりするでしょ。平氏とか源氏とか。

 苗字とは天皇が必要に応じて、役職上などから与えるもの(ボトムアップもあるだろうけど)。だから天皇が苗字を名乗るなんて発想があるわけがない。天皇天皇という称号だけで十分なのだから。天皇が実権を失う歴史を考えると、天皇が姓やら苗字を与えた事例もそうないんじゃないですかね?
 あと、苗字なんて名乗ったら、初期の天皇は万世一系どころかホイホイ変わっていたようなので、仮にそれ以前に姓を名乗っていたとしても、経歴ごまかすために抹消したんでしょうね。

 以上、博士の『中国原論』*3文化人類学の記述から、インスパイアされて思ったことでした。

天皇家 姓がないのはなぜ?―の話でした。

 

※まあ、思いつきの話なんですが、今見るとどうかな?と思うところもありますね。姓と苗字の概念が分けてなくて、ごっちゃで論じてますし。ググったら、こんなページが有りました。

元々、姓というものを持たない文化・文明圏は多い。なかなか面白い話ですね。

*1:と昔書いたのですが、これは誤りですね。劉邦という名前を疑う余地はないと見るのが自然だと思われます。

*2:宮崎市定氏が言ったように、本来長い期間をかけて、さまざまな文化・文明を受け入れるものだが、それをすっ飛ばしていきなり先進文明を導入するから必要な発展形態が省かれることになる。それにより漢字は表音文字としての変化を遂げなかった。―今更だが、この説明いるかな?

*3:

小室直樹の中国原論

小室直樹の中国原論