てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

消費税は民意を問うべし①

 

消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―

消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―

 

 さてようやく、小室直樹『消費税は民意を問うべし』を。長いんで分割します。残りはそんなに長くないんでいけるかなぁ、と引っ張ってましたが、小出しにしていきます。そんなに頻繁に更新もできないしね。

 

 税制改革には必ず反対が起こる。これは政治学の大定理であり、反例はありえない。しからばどうするか?公開してその理を徹底的に討論し尽くして納得してもらうしかない。ところが消費税導入は秘密裏に進められた。結果、消費税は呪われた存在となった。

 

 年間5億円以下(現5000万以下)の売上の業者は簡易課税制度を利用することが出来る。売上高の一律20%に売上税を適用する制度。サービス業・製造業様々ある中、自動的に付加価値を20%に設定しようというもの。業種によって不平等が起こる。課税の不平等が起こる。制度として無茶苦茶である。

 

 課税の不平等はまだよい、本質はこの簡易課税制度に徴税の不平等があることである。帳簿をいちいちチェックせずに、この制度を利用して売上の一律20%×0.5=1%を納めれば良い。5億円以下の業者は96.7%。実に97%の企業が自由に脱税できることになってしまう。

 

 社会に脱税が根づいてしまえばどうなるか?脱税産業が花形産業となり、人材確保のために、優秀な専門家を送り出す脱税大学のようなものが生まれる。脱税が許容の範囲として社会に根付く。下位規範として脱税が成立してしまう。すなわち経済の腐食、裏経済の倫理が表のそれを侵食する。いわば経済のソ連化が起こる 。

 

 <拙感想>消費税によって社会規範が融解し日本が死ぬとまで言い切ったが、実際は例の姑息手段、少しづつ範囲を広げるというやり方で乗り切ったからそれが成立することはなかった。納税の自由という常識がない日本においてはさもありなんか?税務署の暴力もあるしね。

 2004年には二億から五千万に適用範囲を引き下げた。つまり最初に企業においしい思いをさせるという取引で導入が可能になったわけだ。というか、そもそも経済以前の規範が無茶苦茶だというべきか。

 

 消費税によって日本資本主義・デモクラシーは滅びる。第一に、伝票・インボイス方式を採用しなかったために、収支はガラス張りにならず脱税やり放題。不平等・不公平なことこの上ない。クロヨンやトーゴーサンピンと言われる日本税制の痼疾(持病)退治の絶好の機会を放棄した。

 

 武田信玄は徴税・租庸のかけ方の原則を知っていた。それは重きでも軽きでもない、公平にあり―と。税制上の不公平はまだ納得できる。町人の冥加金の方が年貢より遙かに軽いという理由で一揆が起こったことはなかった。それが徴税の仕方の不公平だと話はまるで変わってくる。それはすなわち不正だから。

 

 デモクラシー諸国においては税金のやり取りこそ国と国民の最大のコミュニケーション。税金こそデモクラシー諸国の血液である。血が止まればデモクラシーは死ぬ。大型間接税の最大の効用はこの徴税の不正を取り締まることこそに意義があった。その本質を導入する者、国会もマスコミも理解していなかった。

 

 当時の竹下首相は何が何でも消費税を導入することに躍起になっていた。が、何のために?という本質を理解していなかった。中曽根内閣時代の大反対を見て、伝票方式であるがゆえに反対が起こる。じゃあ、止めてしまえとの結論に至った。本末転倒ここに極まれり。

 

 竹下消費税の最大の問題は分かり難いこと。税金の要諦は簡単明瞭にある。複雑でわかりにくい税金はそれだけで悪税である。これは公理である。考えても税務署に相談しても、分からない。また矛盾した答えが帰ってくる。こんな事では納税意識も衰える。その上、免税点・簡易課税制度・限界控除制度…。

 

 実務上曖昧模糊なものとなり、その上弾力的運用ときた。正確で厳密でなくてはならぬ税に、いい加減でいいというのだから…。しかし大型間接税は税制上どうしても必要不可欠。昭和二十三年芦田均内閣で導入された取引高税は不評で翌年選挙で大敗北し、取引高税は取り消された。以後間接税はタブーとなる。

 

 間接税は大蔵官僚の悲願であった。大平内閣がその導入を閣議決定すると与党自民党の間ですら不満の声があがり、党議で一般消費税を使わずにごまかす有様。内閣と与党でずれが生じるという事以上に、総選挙で問うことすらた めらわれた。大平も自民党も大蔵省もてんで国民を信頼していなかったのである。

 

 彼らの思考は民衆に依る政治ではない、徳川政治にある民は依らしむべく、知らしむべからずであった。元大蔵官僚の大平にとって財政再建は悲願であった。その決意は良かったが、選挙で落選した大来を外務大臣にするなどデモクラシーを知らなかった。そんなセンスを持った人間が消費税導入をどうしたか?

 

 国民が消費税というものをよくわからないうちにムニャムニャっと通すつもりだった。総選挙直前の臨時国会で、所信表明演説により徹底的にその重要性・必要性を国民に訴えるべきであった。ところがなにか悪いことをするかのごとく、こそっと触れる程度。これにより消費税は国会で泥棒猫扱いとなった。

 

 明文化されなくとも慣例は憲法政治に根付いてしまう。以後税制論争、大型間接税は夜行動物となり、おおっぴらに語られることはなくなってしまった。デモクラシーの血液である税金がタブー化される!となれば、当然血液の循環が止まり、いずれ死ぬことは目に見えている。

 

 一般国民に消費税とは何かあまりわからなかった。専門家でさえそうなのだから何をか言わんや。ただ大平首相のおどおどした態度でどうも胡散臭いぞと国民は反対に回った。抑、新しく税を取るということは不人気に決まっている。それに胡散臭いが加わるとなれば、大反対に決まっている。 商工業者から始まり、一般人に消費税反対が広がった。有権者によって消費税反対は自民党議員にも及んだ。中には反対の誓約書を書かされた候補者もいた。大平首相は消費税公約を撤回したが、やりたがっている胡散臭さはニューマとなって、自民党は選挙で敗れた。

 

 <拙感想>公約を撤回したのに敗れるとは面妖な。しかし公約を平気で破る政治家を見ればそれも当然か。なにせ菅がいきなり消費税を言い出して途端に撤回して敗れたのだから。さらには続く野田政権で公約破りの増税を推進するのだから。有権者は公約を守りそうな政治家を選ばなくてはならないとはね…。  

 <提案>今度の選挙の前には自分が入れる候補者にあなたは公約を守りますか?と聞くことにしよう。幼稚園かっ!でもそれが今の日本政治のレベルやからね

 

 自民党激減で前首相と元首相二人の候補者が同じ政党から出ることになった。立憲の常道上、同一政党から首相候補が二人出ることはありえない。党を割って立候補すべし。この混乱において野党は拱手傍観するだけ。この野党にまで大平・福田は手を伸ばす有様。大平には田中がついており俄然有利。

 

 福田支持者は社会党の支援が得られないと意気地なし!木偶の坊!という有様。野党が与党の首相候補に票を入れないことをこう評すのだから、立憲政治もなにもあったのものではない。なんとか大平は首相に返り咲いたが、対する福田は野党の不信任案に欠席し、不信任案が可決されてしまった。

 

 日本最初の衆参同日選挙となり、心労がたたった大平は死んでしまった。同情票も集まり圧勝した。後継首相は宮沢か中曽根かと言われたが、鈴木善幸がさらってしまった。大平は延命を図るため大蔵大臣となってくれといったのを中曽根は拒否。そして福田と一緒に倒閣に回った。

 

 渡辺美智雄が一度は親分中曽根を裏切って大蔵大臣となったりスッタモンダがあった。もしこの時中曽根が入閣していれば、岸内閣の池田蔵相のように間違いなく後継首相となっていただろう。しかし鈴木善幸、稀代の迷宰相が就任したことで無能ぶりが際立ち、有能中曽根待望論が生まれることになった。

 

 <拙感想>ニクソン有能・ダーティ→カーター無能・クリーンの逆みたいなもんですかな。鈴木→中曽根というのは。まあ次のレーガンは米の威信失墜で強さをテーマにより国民に訴えられたわけだしね。今の自民オボッチャマ→民主公約裏切りという無能続きは有能総理待望論の前触れになるかもしれん。

 

 <承前>有能待望論で小沢みたいな人が総理になって長期政権誕生どころか、一気に独裁者誕生になる可能性も高いですけどね。今の無能リーダーのコロコロ状態で閉塞感の塊のような空気を見ると。

 

 こんな無能が総理になってしまったのも、元を正せば消費税の呪いで大平が死んだからである。鈴木のために日本の首相は告朔の餼羊(ムダの見本)に成り果ててしまった。臨時首相の伊東正義がそれを全うしてしまったのだから、畢竟いてもいなくてもどうでもいいことは明らかとなってしまった。

 

 しかしマスコミはなぜ竹下後継の首相選びでこの故事を持ち出さないのか<拙感想>次の総理を誰にする?で、能力・実力をまともに論じて評価しないのは今に始まったことじゃないから仕方ないね。広島・阪神みたいなバカなチーム、実力競争なき監督・コーチで強いチームになるわけ無いのと一緒。

 

 鈍馬の前には普通の馬も名馬に見えるのか?鈴木の跡を継いだ中曽根は光り輝いて見えた(普通と名馬の中間くらい?)。在野の間不人気だった中曽根が満天下の人気を得たのもひとつはこれに依る。日米・日韓の外交を切り開く業績を成し遂げた。行革国鉄民営化も見事に決まった。仕事師の面目躍如だ。

 

 <拙感想>中曽根は当時人気なかったんだなぁ。日米関係がこじれて、中曽根は小泉よろしくアメリカ御用達なんじゃ?ということを昔書いたが、どうせ読売当たりが話しつけて、中曽根プッシュでもして世論コントロールしたんじゃないのか?と疑ってみる。TPPもアメリカ御用達の条件かもね~。

 

 業績に調子に乗ってリクルートに引っかかった如く、中曽根はおっちょこちょい。故にワシの手で!と税制改革・売上税にも乗り出した。税制・教育・行政を三大改革と位置づけたが、良い所まるでなし。税調会長の山中貞則にいらんことをいうので仕事がやりにくくてしょうがないと言われる始末。

 

 中曽根は大平の致命的な間違いを引き継いだ。依らしむべし知らしむべからずの封建的精神である。中曽根は時間をかければ説得できたろう。ところが大蔵省主税局はそうしなかった。なんでも知ってるからと自惚れて国民の意志など知ったことではなかった。主税局が力に自惚れるのは封建より古い時代の発想。

 

 権兵衛、右衛門、左衛門と官名がそのまま人名になることが多い。主計も「かずえ」と読む。ところが主税になるととたんに関係ない「ちから」と読むようになる。これだけでもいかに主税局が力を持つか明らかであろう。その主税局が今度こそと!秘密裏にやってしまえい!ときたから間接税は泥棒猫化してしまった。

 

 売上税のエッセンスを手早く、寛容に発表して国民の理解を得るというデモクラシー国の常識はまるでない。国会の審議も自民党の党議決定に至るまでデモクラシーの命である税制について議論された跡がない。発表が12月13日で党決定が同15日。こんなことでは自民党員ですら理解しようがない。

 

 兵は拙速を尊ぶというが、国家百年の計の決定に拙速は禁忌。とんでもないナンセンスである。百姓どころか与党の議員すら処士横議(自由討議)を禁じられた。よく知らないことを守るために気力が起こりようもない。謀略の要は味方を欺くことに有りというが、税制改革についてこれは論外の態度である。

 

 <拙感想>官僚のいいなり・傀儡化が自民党時代にかなり進んでいたとしか言いようがない。官僚様の言うとおりに自民がヘコヘコしてきた結果、自分たちエリートこそが主役という誤った思い込みを官僚に抱かせてしまった。自民内で執行部が従い、そこに入ってない議員が野党化して抵抗するという図式。

 

 <承前>そしてもちろん現在に至るまでそれは受け継がれており、野党は不在。与党内で内閣・執行部が官僚の言いなり、そこから遠い与党議員が反発するという構図は変わらない。国会において責任ある討論は行われず…という感じではなかろうか?今回の消費税も官僚の決定が秘密裏に実行されていく形。

 

 自民党は300の議席を以って簡単に通るとおもいきや、野党の審議拒否戦術で何時まで経っても進まず、商工業者を中心に反対が広がり、とうとう自民党議員までに至る。政治力学上、特に革命など敵の旗幟のもとに味方が参ずるようになればそこでおしまいである。岩手の参議補選で社会党が勝つとボロボロ。

 

 自民党の地盤で奥さんの弔い合戦だから勝つだろうという予想が、売上税だけに絞った社会党にWスコアで負ける。自民党議員は大恐慌鳩山邦夫は父祖伝来の庭訓によって常在選挙。いち早く売上税反対をぶちあげた。怒らないことで有名な親分竹下も子分の裏切りに激怒。しかしもうどうしようもなかった。

 

 かくして売上税法案は廃案になり、ここにおいて五年続いた中曽根政権の命運も尽きた。中曽根政権もまた間接税の呪いにおいて滅びたのであった。以上一章、次から二章ね。

 

 売上税騒動の代償はとてつもなく大きかった。なにせ憲法を殺してしまったのだから。事後この慣例により野党は審議拒否をするということが正当性を得てしまったのだから。税金の審議こそ国会の最大の仕事である。その審議を拒否するということは議会政治の死亡宣告そのものである。デモクラシーの終焉だ。

 

 税制審議の拒否とは与野党共謀のもとで、デモクラシーを謀殺しようとしているということだ。こんな致命的なことに国民は気づいていない。憲法とは本質的に慣習法である。条文として明文化されようがされまいが、一度慣行として根付いてしまえば、それは立派な改正である。前例とは憲法の一部である。

 

 それが憲法というものなのだ。前例の慣行化とは条文の改正より重大なことになりうる。時に致命的なことになりうるのだ。売上税騒動以後、当然のごとく予算案を人質にとって税制審議を拒否して、それが慣行化した。これこそ議会政治の自殺に等しい。

 

 あるいは後世の史家はこれを以って、日本国憲法が廃止されたとするかもしれない。憲法の廃止とは条約の改正、手続きを踏まえて行われる必要はない。その憲法のエッセンスが行われなくなったのなら、憲法はその時点で廃止されたことになる。ワイマール憲法を見てみよう。かの憲法は廃止されてはいない。

 

 1933/1/30ヒトラーはワイマール憲法の規定に則って政権を取った。そして3/24全権委任法が成立した時、憲法学者はワイマール憲法が死んだ日とみなす。それは四年間という時限立法とはいえ、以後ヒトラーは委任独裁をやめることはなく、権力を強化し、手放すことはなかったから。

 

 憲法が改正されようとされまいと、慣例が変わってしまえば憲法は改正された、死んだことになる。事実形式上ワイマール憲法は生きていたが、実質的には死んでいたのであるから。慣例の変更とは憲法の改正、一部を形成することである。この重要性はどれだけ強調しても、しすぎることはない。

 

 慣例が憲法の一部であるというのは、立憲政治の生まれたイギリスの経緯に依る。イギリスでデモクラシーが生まれた以上、何事もイギリスが模範となる。マグナ・カルタ、権利請願、権利章典がデモクラシーの三本柱などと説明されるが、その程度で王の権力はニャンニャンとおとなしく従ったりはしない。

 

 国王を革命で追い払っても、玉座にあるものはやっぱり強い。小国ハノーヴァーから貰ってきたジョージ王は中年で、英語もわからない。寒いからといって帰りたがる。子猫ならともかく年取った猫は居着かないもの。彼も同じく居着かなかった。玉座が空白になることで初めてデモクラシーは根付いたのである。

 

 ジョージ王は立憲的センスどころか、専制もいいところ。ハノー ヴァーの大学教授が専制を批判するのはけしからん!といって追放してドイツ中が大騒ぎになるほど。彼が英に来たのは単にお金がもらえるから、殆ど名義貸し状態であった。王がいないからといって、ハイ議会政治の始まり、始まりとは行かない。

 

 議会政治が上手く機能して、国民の生活を安定させない限り、また混乱は続くのであるから。議会政治を機能せしめる名政治家なくしてデモクラシー誕生はありえなかったのである。その人こそが史上最初の総理大臣・宰相サー・ ロバート・ウォルポールであった。彼が政治名人と呼ばれた秘訣は何だったか?

 

 それは汚職であった。田沼意次田中角栄など及びもしない汚職の達人。お金を取り込んで、議員を買収する。それでささっと法案を通す。ということは何でも思うままに政治を行えるということだ。21年も望月の欠けたることもなき政治を行った。彼のお陰で下院の優越、総理は下院輩出の原則が作られた。

 

 これだけをとってみても彼の功績が計り知れないことがわかる。政界引退まで彼はロード=貴族にならなかった。英は男爵からロードになる。サーとは準男爵と士爵を指し、その一歩手前。上院でも総理になれないこともなかったが、そこに籍をおくと貴族に取り込まれる。

 

 英では上院でも下院でも、院内は当該議員でなければ入れない。当然両院議員の兼務も出来ない。下院を選択することで、広い大衆の利益を優先する原則、デモクラシーの原則を確立したのだから、彼の功績は歴史に不朽のものとして輝いたといえよう。

 

 ウォルポールの時代は大英帝国の黄金期、この黄金期は汚職によって支えられていた。汚職の標本として名を残す南海泡沫事件が起こったのもこの頃。日本の高度経済成長期と対照的に政治に汚職が蔓延したのと同じ状況であった。

 

 前述のとおり憲法は本質的に慣習法である。ワイマール憲法も改正手続きなく、廃止されヒトラー第三帝国が誕生した。アジア・アフリカの発展途上国が立派な憲法を持っていてもあれよという間に独裁体制になってしまうのは、憲法を改正しなくても慣習が変われば憲法は変更されるから。

 

 デモクラシーがかのような第三世界に根付かないのは、あっという間に独裁政権の無理が通ってしまうから、無理が通れば道理が引っ込む。慣習がデモクラシーに沿わない無理なものに変わってしまうから、憲法が変更され、デモクラシーが機能しなくなり、かくも簡単に独裁体制に陥ってしまうのである。

 

 <拙感想>忘れてた。デモクラシーの誕生は専横的君主の名義貸しと、汚職の達人の手によって生まれた。まさに優曇華の花(汚いものから世にも美しいものが誕生することね)。デモクラシーの美点・美化を強調するだけでは その本質は理解できない。デモクラシーの本質・スタートは犯罪的であることに注意。

 

 <拙感想>自民党田中角栄的汚職政治とは言うまでもなく、ウォルポールの汚職政治と比較されうるべき格好の材料である。民主主義を誕生せしめるためにウォルポールの汚職あれば、日本のそれは民主主義を誕生させただろうか?デモクラシーを成立させるための慣行を根付かせたであろうか?

 

 <拙感想>敗北を抱きしめて―に代表されるように、日本の戦後政治とは畢竟アメリカの傀儡政治である。政治が停滞・混乱してもGHQの鶴の一声で打開できる。天皇元老GHQに代わっただけのものであった。無論天皇が政治に口を出して意思決定に参画したことはなかったけども。

 

 <拙感想>GHQがいなくなったあとも、その構造は残り続ける。官僚たちは国民・内閣ではなく、アメリカの意向を第一と考える行動様式が無意識レベルで根付いている。そのような政治構造がある中で汚職は民主主義を誕生させる代償となっただろうか?米と官僚の利権を糊塗しただけではなかったか?

 

 54年の大平一般消費税の時も、62年中曽根内閣の売上税の時も主税局主導で議論されなかった。自民党税調だけで、党内で議論された形跡もない。議会や国民など知ったことではない。げに恐ろしい慣行が根付いてしまった。これ、つまるところ憲法蹂躙の権威主義体制への移行・憲法改正ではないか。

 

 税制改革は必ず大反対を受ける。これは「絶対権力は絶対に腐敗する」と同じ政治学上の定理である。税制改革は不利な人は声を上げて反発するが、有利な人は黙っている・声を上げない。これを税制改革のアンシンメトリーの法則という。故に反対のみとなって、税制改革には必ず困難がつきまとう。

 

 改革のためには説得するか弾圧するかして反対を封じ込めなくてはならない。一番いいのは国民の支持・民意を得ることである。公開の場で、十分な時間をとって、討論して反対派を説得する。他の人により良くなるのだということを理解してもらい支持を得る。これ以外に税制改革の手段はない。

 

 ところが前二例のように秘密裏に進めて説得しようとしなかった。その胡散臭さに反対の火の手を抑えられなくなり、失敗するという例のパターン。これをみてかの竹下登、なんとしてもワシの手で大型間接税を実現してみせるぞ!と息巻いた。しかし親分田中が呆れたように、政治家としての能力は乏しかった

 

 永田町政治の名人ではあれど、首相の器なんて言うものではなかった。角栄は政策の勉強をせずに、政治工作ばっかりやってると竹下みたいになるぞ。こういうのが一番手におえないんだ―と評したもの。だからもっと雑巾がけに励めと叱っていた。かのような男が首相となったらどういうことになるか?

 

 竹下は何のために税制改革をするのかということがまるでわかっていなかった。失敗の原因は商工業者の反対の声、ならばその反対の声を封じれば出来るじゃない!とばかりに伝票方式でガラス張りに所得を把握されるから嫌がる。じゃあ、インボイス方式やめたらいいじゃない!と廃止した。

 

 <妄想>今竹下の孫がテレビに出て、タレントとして生きのこっているのは、おじいちゃんが消費税を導入して官僚たち、主税局に貸しを作ったおかげ。財務省に恩を売っとけば、三代先(末代?)まで生活が保証される。

 

 こうして消費税は史上最悪の税金、ネコババ税となってしまった。これが抑の縁起である。税制に悪いところがあるならば、徹底して全国民が納得するまで討論し尽くすしか無い。そうしなければどうなるか?弄れば弄るほど悪くなるに決まっている。これも政治学上の定理である。

 

 前二者の失敗の要因は税制改革法案の内容を、隅々まで明らかにして、議会を解散しなかったことにある。立憲政治の大悟は議会解散にある。中曽根はこのところがわかっていなかった。国民に信を問い、喝と解散する。300の大議席を擁しながらも、なぜ解散をするか。それだけで改革の重要性は伝わる。

 

 中曽根の禅は野狐禅どころか剥製の襟巻禅(中曽根は禅好きで有名、 狐>エリマキってことか?)。議会を解散して過半数を要する。これで全てはOKになる。これがわからない政治家はどうしようもない。かの原敬は普選運動のうねりが大きくなった時、さらば民意を問わん!と与党有利で解散した。

 

 結果、以前にもまして圧倒的優位を議会で勝ち取った。故にその後ますますやりたい放題ができた。これが良かったのかどうかはさておき、立憲政治とはこういうものなのである。結果はともかく、手法としては大正解。妖怪岸は定評あれどダメ政治家。安保問題について民意を問わなかったから。

 

 安保は日本の経済発展のために必要不可欠です!と持論を議会で述べて、説得を試み、その後民意を問えばよかった。そうすれば選挙は勝つに決まっていた。安保騒動も起こらなかった。ここに保守政治の限界がある。爾来三十年 このことに気づく人はいなかった。今こそこの要諦に気づくべき時ではないか?

 

 <拙感想>与党優位のママ国民に信を問うたのは小泉のみ。原敬の例から学習したのか、本能でこうだと悟ったのか。いずれにせよ議会政治の常道を行ったのは間違いない。しかしその後の公約の反故、民意を問うて解散できない総理を見ると、次に民意を問うて解散出来る総理はいつになることやら?

 

 続き↓