てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

中根千枝さんの本

 中根千枝サンの本をちょっと長くなったので別枠で。社会人類学まだ読んでないので、追記するかも。なぜかタテ社会の人間関係が置いていない。文化人類学の権威でいいのかな?やっぱりさすがっていう内容、面白さ。東大でなぜか上野千鶴子さんとかぶって連想しちゃうんだよなぁ。あの人読んだことないけど、なんか微妙…。あの人は学者というより評論家ですよね…。混同されて本人は大迷惑!(´-ω-`)だったりして?中根さんは最近は何に取り組んでいらっしゃるんでしょうかね~?

 メモだから投げっぱなしで終わります

社会人類学―アジア諸社会の考察 (講談社学術文庫 (1540))/講談社

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社会人類学―アジア諸社会の考察/東京大学出版会

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家族を中心とした人間関係 (講談社学術文庫 101)/講談社

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 んで、『家族を中心とした人間関係』。かなりテキトーにメモってるので、あれ?違うんじゃね?というところもあるかもしれないので気にしない用に。

 19世紀から西欧をモデルとして、家族の形態は氏族→大家族→小家族と直線上に発展してきたと考えられた。だがしかし、人類学の研究によってどこでも親子からる小家族は存在する。家族はどんな社会でも存在するが氏族はそうとは限らない。そしてそれには経済や技術の発展は関係ないことがわかった。共食・財産共有単位としての大家族はある程度進歩した社会で、特に上層に見られる。

 小家族から成る社会・集団は、個人が労働単位として独立している。生活水準が均一に近いという特徴を持つ。逆に言うとそういう条件がなければ、小家族から成る集団は社会を秩序付けられないということでもある。

 狩猟・採集などで移動をする際、家族単位で協同する集団は準備が整うまで待ったりしない。家族ごとに早い順から動く。移動性を考えると小家族が合理的なのである。母系制は母と子という単位で必ずしもはっきり断定できない父より母と結びつくのが自然。父は別に実際の男親でなくてもいい。叔父・母の兄弟がそれを担うという形の社会であったのは始まりとしてはごく自然な形態といえよう。浮気や離婚といったリスクが皆無なのだから。

 だがしかし、当然そういう社会は近接性が強い社会であり、独立単位として乏しい。家族がまとまって近くに住まくてはならない。移動性・Mobilityに乏しい社会は遊牧などには向かない。一夫一婦という単位が広がっていったのは単位の機動性が高いから。

 社会の形態によって必ず独立して家を形成する。男・女どちらかが家に留まる、あるいはどっちか一人だけなどという形態に分かれる。日本には特殊な事情を除いて大家族制が発展することはなかった。

 日本はエンドガミー(100%は無論ありえない、逆エクソガミーのようなもの。ガミPとは一切関係ない)で、近い関係性村・職場からの結婚を好む傾向がある。エクソガミーは遠い集団との婚姻になるから必然的にそれを通じて社会ネットワークを構成する。婚姻=コネ、そのためになるべく遠いほうが好ましいことになる。彼らの観念からは友人の妹と結婚するということが理解できない。夫婦が悪くなればその友人との関係も傷つけるという面もあるし。

 よって見合い結婚は外の遠い人間同士を結びつけるという面で好ましかった。当然これを要求するのは社会的上層、殆ど昔はお見合いばかりだったというのは誤解。低い者は必然的に手近で固まるのだから。適齢期の娘に貰い手がないというのは対等な家・格の者がいないから。村格はきっちり序列が決まっており、一旦出来ればなかなか変動しない。これが戦後の会社にまで及ぶ。村の細かい序列という伝統が、現代の学閥の序列に継承されているのかもしれない。中国人のセンスでは序列が徹底化される、政治的宗教というものがあるが、日本の場合、ムラという特別な一番狭い領域で格付けが徹底される。そこを言ったん出れば格付けはさほど重要でないのか

 婚姻は当然同格で行われ得ないケースが発生する。ハイパーガミーという上層の男、下層の女が結びつく婚姻傾向がある。上層の女は余りやすい。逆に下層の男も。婚資、女性を娶った側の家が=夫側が、婚資を差し出す。売買婚という非難は間違い、労働力としての女性の評価であり、贈与・交換の原理が働いたものだろう。当然貧乏人は結婚できない。日本に婚資の習慣はない。

 一夫多妻は未亡人対策。一妻多夫はヨーロッパでは無論なかったが、貧乏な家庭が長男だけ結婚して、次男・三男は結婚しないなどという選択をするくらいならこちらのほうが合理的。チベットが有名で、セックスについてあまりこだわりがない離婚・再婚なども自由。兄が弟の妻に血がづくことは許されないが、兄の妻に近づくことは許される。一妻多夫とはこの延長上にあるもの。うーん、曹操一家の非漢民族説はここでも裏付けられるのかもしれん。曹植が鬼嫁ちゃう、兄嫁に近づこうとしたのはこっちの理由だったりしてね~

 日本の女性は嫁に行かないと居場所がない、出戻り・売れ残りなどとして非難の対象となる。東南アジアでは一般的だった封建時代からの都市での妻たちといった特定階層が形成されなかった。だから妻が社会にでるという事が困難だった。

 同居が常識だと、早くその家庭になれる必要がある。幼児婚はそのため。早くから相手家族になれるため。家と特に姑。夫が特定の夜しか妻に会えないというケースもある。農村で頼りになるのは女兄弟=姉妹。姉妹がいないと本当に困るという。ちょっとした手助けや介護などがそうか。

 父権とは家長、家長としてのそれがあって成立するもの。父権喪失と言っても、元々日本は弱かった。中国・インドのように父が家長を譲っても尊敬されていたのと違い、息子に譲って肩身を狭くしていた。職業の世襲、技術譲渡やコネ譲渡がない限り父権というものは築かれにくい職業選択の自由は父権を失わせる。

  家のことをすべて取り仕切る一人の主婦がいた。タンスの鍵などぶらせげてせわしなく命令を下す。家のことを知るという権限は非常に大きい。インドや中国で堂々としている女性が多いのはこの主婦に基づくものではないか?女性差別に注目する論では妻の面が重視されて、主婦の面が軽視されている。主婦の役割は大きかった。富国強兵ブームの名残か?父・男優先という感じは

 日本の村には社交の場がない。デュルケムの言う小規模の癒しの場ですね。嫁姑問題は台所を分けることで解決する。アメリカはウィークエンドに車で二時間くらいの距離なら親を訪ねるのが普通。イギリスは娘夫婦と近くに住むというのが普通。

 ウチとソトの断絶が非常に強い。日本の場合、家庭と職場。コミュニティライフに乏しく、ある幼稚園でのピクニックで弁当を食べるとき家庭ごとに分かれて、親がくっつかないという断絶を保育士が見て???になったという。いわゆる家族ぐるみというものの難しさ。

タテ社会の力学 (講談社現代新書 500)/講談社

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タテ社会の力学 (講談社学術文庫)/講談社

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 タテ社会の力学。タテ社会だから、ダメなんだ!上が絶対で下が逆らえない!などといった主張と勘違いされたことは残念と。あと独立した諸集団という文化人類学的構造を、行政権力が補完ならまだしも、補完しているではなく、それでまとまっているというようなオチは文化人類学と政治学を混同するもので無理があると、自分で語ってますね。

 タテ社会という用語は勘違いされますエネ。小集団社会とか、群衆社会のほうが用語として適切だった気がしますけどね。まあ、五人くらいの小集団に日本人は安住を見出し、そこを中心に行動する。明確なルールはなく、集団間の上下の分を守る。そのかわりの相互不可侵。だからこそ容易に大集団のリーダーが小集団のリーダーより弱いということが起こる。新興宗教の教祖が、地方組織に行ってその支部のリーダーのほうが尊敬される、お客様扱いを受けて違和感があるといったのはいい例でしょうね。

 まあ蛸壺主義セクショナリズムなんでしょうけどね。個人のネットワークが存在しない。紹介状や、誰々とコネがあるというものは財産人に見せびらかすたぐいのものではない。小集団での示威行為に使われている。小集団で孤立していながらも全体の行動様式は極めて似通っているという特徴を持つ。

 小集団での行動様式しかないから、宴会の話がディベート・論争といったような話にならない。私的なだらしなさを平気でその場でさらけ出してしまうのもそのため、擬似共同体を前提にしたもので宴会でフォーマルな振る舞いが要求されない。

 無差別平等主義、このような感覚から誰もが平等でなくてはならないという暴走が飛び出し、ジャーナリズムが火をつける。そこに論理はない。

 各集団で閉鎖しているために仏のように大学と労働組合のような協力がない。東大紛争も大学を出れば平然としていた。学校・学部・学科でかくも連帯なし。

 ヒトデのようにいつの間にかうでからうでへと全身に波及する。インフォーマルな集団での圧力を前提にする。筆者は文末で日本をヒトデ社会論なるもので表現しようか?などと考えているって書いてましたね。んで時代なんでしょうね。アメーバとか、ヒトデとかそういう表現をすると日本はそんなに劣ってないやい!なんていう反応があったと。進化の直線課程とその様態・比喩は全く関係がない社会に進歩とか優れたレベルがあって序列化されるなんてことはないに決まってるんですけど、どうも生物学の優生・進化とかいう観念から受け取られると嘆いてましたね。

 社会犯罪もルール・規範がないからどこも周りに従ってやる。それが徐々にエスカレートして言って、過激化を取り締まるために制裁が下る。トップでなく、第二・第三集団が見せしめにあって、「こんなことをするとは信じられない」という世間の制裁によって沈静化される。反応は決まって周囲も、みんなやってるのになんで俺だけが?という反応を示す。昭和51年~52年の事件を見れば明らかとあるけど、ロッキードかな?で評論家もけしからん!と対策を!でなんの問題解決の本質も打ち出さないと。

 実際はどうアレ、中流意識を持ち、従事する仕事に誇りを持つこういった点で皆共通している。

p48、鎌田教授いわく日本仏教というものはない。あるのは宗派仏教。