てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

国際政治学(関係論)には哲学がない?

平和を勝ち取る―アメリカはどのように戦後秩序を築いたか/岩波書店

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人間・国家・戦争: 国際政治の3つのイメージ/勁草書房

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 ―この二冊を読みました。もうかなり時間が経っていますが。なんというか、ウォルツの方は以前触れたように、切り口・視点・注目するところがさすが!と思ってそれで読み始めたわけなんですけども、なんというかつまらない。この三つの視点はナイも国際関係論で取り入れて歴史事象を分析する際に応用している程で、その後の国際関係分析に非常に強い影響を与えたのですけども(ナイの分析がそれによって上手く行っているかどうかは別として)、なんというかナイのように歴史事象を丹念に追うならともかく、この本のように過去の古典や思想家はこの分類法でああだった、こうだったと後追いで分類しても「だから何?何やってんの自分?」としか言い様がないんですよね。

 ウォルツは戦争の原因を①特定の人間②特定の組織③国際システムの三つに分けられるとして論じたわけで、丁度ミクロ要因・メゾ要因・マクロ要因と小中大と問題の本質、分析をする上で有益な構造を初めて提唱・整理したと言えるわけです。それ自体は非常に優れたものなのですが、ではそこから何をすべきか?といえばやはり丹念に「~戦争」や「~危機」などといった特定問題を分析することだと思うのです。

 それをせずに、カントはどうだった。ミルはこう考えていたとか、①のビジョンで見ていた、また②のビジョンだったとか、それで何になるのか?十九世紀の政治思想の潮流の分析をして、それでこういうことだった!とまとめるとか、この時代を分析する上で、表面上には出てこないのだが、実はこういう無意識的な共通思想背景があったとか、これまで指摘されていなかった新しい視点を提供しないと意味が無いと思うんですけどね。

 まあ、この時代(1950年代)でしかも博士論文ということで、本格的な論文や著書を出す前の前菜的なものになったと思うんですけど、有効・有益な分析結果がなかったですね。本なんてものは「ああ、なるほどそういうことか」と言わせるようなポイント・エッセンスがないと読んでもしょうがないですからね。

 んで、制度論・レジームとかそういう分析で有名なのかな?ラギーの本が唯一これだけ訳されているからとりあえず読んでみたのですけど、アメリカの戦後秩序という観点で書かれているわけですが、どうも要領を得ない。事実の羅列、年号順に下っていっているだけで、ポイントが全然整理されない。結局、こういうロジックでこうなっている。これを守ったから成功し、これを守らなかったから失敗した。故にこの原則にもとづいて行動すべし、今のこれは最早国際秩序を形成する上で有益な指標にならない。(筆者提言の)新しいもので行かないとダメだ!みたいな主張がない。あったかもしれないですけど、もう読んでいてダルいので止めました。結局つまらないので飛ばしました。

 ナンなんですかね?国際云々ではどうも哲学がないという気がします。大家と言われている人って大体アメリカの人が多いんですよね。そういう人ってアメリカの周辺の国際関係学と言われるものを大まかにやってハイおしまい。その背景に歴史学社会学・心理学とかやって、哲学・基本思想というものベースを掘り下げているって気がしないんですよね。そういうベースからスタートして話をする人ってはなしがわかりやすいものなんですけど、なんかどうも専門バカ化するというか難しいことを語っていれば学問になっていると思っているというか。

 別によく言われる西洋哲学とかインド哲学みたいな学問をやれってことじゃないんですよ。文化人類学みたいな学問が出てきて新しい知見、思考のベースが出てきて世の中の常識を変えていくように、物理学が発展すればするほどそれにともなって新モデルが登場して、その新モデル・発想法から新しい常識、思考を提唱する人が出てくるように、新しいことが起これば「哲学」が生まれる。また専門家、優れたプロがその作品を作る時、アートをこなす時独特の発想をするように、分野ごとに哲学は存在すると言っていいわけです。わかり易い例は生物学の遺伝子の観念、そこから遺伝子継承のために生物は行動している、ミームみたいな新しい考え方が生まれる例でしょうか。どうもそういう根本的な物の見方というか、「哲学」が根本的に足りない気がしますね。そうである以上、どうも学問が根本的に進んでいかない気がしますね。