てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

佐世保女子高生殺害事件について

 佐世保の女学生の猟奇的な殺人事件について。アレは、猟奇的と言っていいのか、サイコパスと言っていいのか、よくわかりませんが、女学生が友達を殺す。バラバラに解体してしまうという事件が起こりました。

 以前、女子小学生が級友を諍いの果てに刺殺する事件の追悼で、小学生に追悼をやらせるとか?おかしくないか?佐世保というのはそういうなにか特別な土地柄なのか?ーという趣旨の話を書いたので、その関係もあって触れておきたいと思います。

 まず、この事件は特殊な事件であり、佐世保という土地柄故に、未成年が暴力的になりやすいとかそういうものではないと思います。詳しいことがわからないとなんとも言えませんが、今の時点ではそう思っています。

 この事件を聞いてまっさきに思ったのは、神戸の酒鬼薔薇事件。中学生が小学生を殺すという凄惨な事件で、当時かなりセンセーショナルなものでしたが、何の事はない、性的快楽殺人。先天的異常であるがゆえに起こった事件でした。

 いろんな理由が語られて、どうして少年がそんな事件を起こしてしまったのか?と言われていましたが、彼は性的衝動が性的なものと結びつかないという障害持ちだったわけですね。まあ、その他にも色々な要因はあるのでしょうけどね。

 担当精神科医が彼をカウンセリングして、マスターベーション・オナニーをどうしているのか?と尋ねた時は、動物やホラー映画の殺人シーンのようなもので、性的欲求を満たしていたといいます。担当医に、AVとかそういうものでやったらどうか?と言われて、初めてそういう発想に至った。そういうやり方もあるのかと気づいたと言われています。

 つまり青少年の強烈な性的欲求がそのまま殺人衝動に転化されてしまっていたわけですね。そういう異常を先天的に持っていたわけです。無論、それだけでなく人の命に価値観を見いだせない、そういう価値観でもあったからこそ殺人に至ったわけですが。

 彼女の場合も、そういう先天異常なのではないか?と思います、まだ印象論ですが、猫を殺してバラバラにする行為なども、この事件と共通していますしね。また有名な人肉殺人事件、留学先のパリで友人の女性を殺して食べた佐川さんのコメントで、「憎かったから友人を殺したのではないと思う。むしろ逆で、友人・大事な人だからこそ、そういうふうな行動に出たと見るべきだ」と言っていました。多分そういう心理から起こった事件だと思いますね。

 父が教育などに厳しくて、受験勉強などの圧力から、反発して金属バットで親を殴り殺すなどのような、一昔前の事件とはかなり話が異なると思います。彼女の父親との関係、継母など色々言われていますが、それは関係ない気がしますね。カウンセリングなどで、しかるべき所にちゃんと相談していたし、誕生日だったか記念日を家族とちゃんと祝っていたようですしね。

 父親に問題がなかったとは思いませんが、そういう先天異常の可能性があるのに、父親のことをさもひどい親のように書き立てるのはちょっとどうかな?と今のところ思います。そういうステレオタイプな反応をするのは、過去にひどい干渉・命令をする支配型な親が原因の犯罪が多かったからなんでしょうね。

 また彼女は僕という一人称を使っていて、ひょっとしたら性同一性障害なのかも?という見方もあります。

 まあもっと時間が経って色んな事がわからないと、なんとも言いようがありませんが、個人的には先天的な問題なのかな?という気がしていますね。


 己が子供の頃、「人を殺してみたかった」というセリフを元に、またいじめ問題などがあったがゆえに、教師が「今の子は恐ろしい!」みたいな感じで異常にピリピリしていたというか、「命の大事さを教えなくちゃ!」みたいな感じで色々鬱陶しかったことを覚えています。今の学校事情は知りませんが、また教育現場がそういう変な暴走しなきゃいいけどな…と思いました。

 佐世保でまた凄惨な事件が起きて、「我々の教育は一体何だったのか…」みたいなコメントをどっかの記事で見たんですが、教育で何とか出来る範疇を超えたことだと思いますけどね。教える立場の人間がよっぽどいい加減な人間で、無法地帯・状態だったのを、全く何もしなかった。そういう適切な対応をしなかったとかなら別ですが。

 人が人に何かを教えるーこの態度・発想がもう既に傲慢そのもの。そもそもそんなこと出来るはずがない。生きていく上で、何を学び、どう生きるかということは本人の意志に左右されるものですから。他人や社会機構が強制的に何かをして教え込めるなんていう発想がそもそも気にいらないねぇ(江角マキコ)ですね。

17歳の少年による“体験殺人”ルポルタージュから、佐世保同級生殺人を読み解く【後編】 こんなのを見つけました。ここに書いてあるように、命の教育のような「広く浅く」対応するのではなく、「狭い」対応、つまり特定のそういうことをしやすい何人かに絞って対応をするほうが効果が高いとありますが、そのとおりだと思いますね。今回児童相談所に相談していたのに出来なかったというのは、非常に重要な教訓だと思います。

 米だと99年のコロンバイン高校銃乱射事件以来、ちょっとした徴候から危険性を感じてそういう対応をするようにしているとか、疑われてめんどくさいことになる、巻き込まれる子にとっては勘弁してくれよとなるでしょうけど、こういうことも考えるべきなんでしょうね。昨今、そんなことで?という明らかに過剰反応で動物虐待だ!というものがありますが、猫殺し、動物虐待でもそういう危険性を含んでいるがゆえに身柄を拘束されるというあちらさんの事情をみると、こういう過剰反応の流れは必然とも言えるんでしょうね。