読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

前近代社会に公共事業の意識はあったのか

エジプトのピラミッドと公共事業について、色々書いたことをメモとして。

 さて公共事業という価値観念がどれくらい成立していたのか、公共事業という認識がどれくらいあったのか?史料として「これこれ、こういう理由でこうするぞ!」とはっきり書いてあるのが残ってるといいのですが、あまり見たことがないので裏付けが弱い所ですが、都市国家から領域国家のように拡大する過程において新しい国家を再編するというのはどこにでもあった故に、今で言う公共事業のような発想は常識としてあったのではないか?と思うのですよね。現代的視点から逆算して当てはめる危険性もあるのですが、そう考えるとうまく説明が付けられるので個人的には有力かな?と。そしてかなり早い段階でそういうのが常識になったのかな?と。

 ローマのパトロンクリエンテスみたいな私的な関係、コネが当たり前にあったように、古代社会は近代に至るまで社会に私的な人間関係が大きな意味を占める。近代でもその重要性はあるくらいですしね。世界中、私的なコネが重要な社会的機能として存在すると思われます。

 で、一有力者が派閥を強化させるために施しだったり、仕事だったりでそのコネを拡大させるわけですよね。その有力者がまあ貴族となったり、政治家になったりします。社会で台頭して王家を凌ぐと、新しい王朝開いたりもしますし。

 王朝のNo2の地位について、その地位の公的な権力を利用して、私的な権力を拡大させて、最終的に自身がその王朝を乗っ取るという例は枚挙にいとまがないわけですが、その時行われるのは社会福祉やら戦争やら国家プロジェクトを利用して行われることが多いので、常識といえるんじゃないかと思います。

 中国だとウィットフォーゲルの東洋専制主義なんて論がありますが、その是非はともかく治水というものが大きなファクターを占めていたわけで、労役だけではなく、雇用を生み出していたでしょうからね。あとなるべく、国家との関係持たせておきたかったという社会的要請があったかもしれませんね。

 国家と人民の距離が遠い民、「戸籍」に編入されていない民がいる。その民は国家の枠外にある私的な組織などに加入して反社会的勢力になる恐れもある。ヤクザみたいな犯罪結社とかね。国家の側から公共事業を行って社会秩序を維持する意図は国家の「恩恵」機能の一つとしてあったような気がしますねぇ。

 まあ、ざっくりとした話ですが、国家も擬人化して考えられることが珍しくないので、「恩恵」という機能・意味合いで国家と人民のコネを強化するという当時の人の人間関係の類推として考えられていたんじゃないかなぁという気がするのですね。

 でも、公共事業という観念が根付いていたら、それこそピラミッドでもジックラトでも年がら年中作ってるはずですからね。そこまで近代以前に「公共事業」という意識はハッキリしていたとも言い切れないんですよね。特定の一時代、条件が揃って初めて成立することですからね。むしろそういった一定条件を満たした特定の期間のみ、短い期間かもですね。連綿として続く意識ではなく、断続的だったり短期的な意識しかなかったかもしれません。

 オリエントでアッシリアとか軍事帝国(国家)、戦争を前提とした国家が登場してくると、もう完全に兵役や戦争という機能が前面に来ているので、その時代でもうかなり公共事業みたいなものの社会的意味合いは薄れていると思うんですよね。

 ―とするとたまーに、状況・環境がマッチして今で言う公共事業のようなものが成立するわけで、トップの意志決定として明確に理解していたといえるわけでもないのかな。九品官人法みたいにそうなったのは結果に過ぎないのかも?結果的にそうなったのであって、意図したのではないというね。

 でしたか。現代的な公共事業はそれこそ、現代社会あってのものですし、自ずと現代的なそれとは違いますね。今ほどしっかり確立した概念ではなく、かなりあやふや、ふわっとした感じなのかもしれません。特別なケースではそれこそ明確に意識していたのでしょうけど

 まあ、それこそ現代の我々から見た「後知恵」になりかねないとこですよね。確かに「意図」と「結果」を混同してないかとワンクッション挟んで注意すべきとこですね。個人的には優れた政治家等はそういうことを理解しているだろうという立場ですが、それを忘れちゃダメですよね。

 現代でも公共事業にかかわらず、国家的プランなど失敗・成功が検証されるけど、前近代でも道路とか宗教施設とか現代的な公共事業みたいなことをやって、その結果経済が上手くまわるようになったとか、逆に思った効果が得られなかったとかそういうのって史料に残ったりしてないかなぁ?

 史料に「経済効果として~」ってハッキリ書かれてれば、今頃とっくにそういう理解があったと定説になっているだろうからそういうはっきりしたのはないのだろうけど、色んな国の史料を読み込むことで、特定の国の特定の意思決定者には、経済政策としてそういう理解があったとか出来ないかしら?

 現代的な公共事業ほどでないにせよ、経済政策としてある程度理解していた、そういうノウハウがあったとか、経済史家のどなたか研究してくれないかな~(丸投げ)。あんまり前近代時代の経済やる人ってそんないませんしね。

 でも、ちゃんとそういう史料を読み込む研究を丹念にやったら、当然前近代社会だから、「公共事業」は経済的な意味合いが確かにあったが、それよりも政治的な意味合い、民の忠誠を国家に繋ぎ止めておく「威信」としての要素が強かったとか、なんかそんな感じになりそうは気はするなぁ、なんとなく。