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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

今月の読んだ本(2016/01)

本・読書―批評・批判・感想・レヴュー

一日一本更新のノルマをこなせなくて、そういやこんなのがあったなと、穴埋め更新。毎日更新と言っても、再掲ばっかですけどね(^ ^;)。まあこのちょいメモ感想は誰が読むんだって話ですがw。

 

1月くらいから読んでいたもの、最近読んだのはまた別にありますけど、ストックたまったのでこのくらいの文量がちょうどいいかな。更新滞った時、ごまかすのにちょうどいいので小出しですね。再掲はなんかめんどくさくなってきてストレス感じるのでいいでしょう。図書館で目について借りたもの。『中国の鬼』、個人的興味ですね。中国人の宗教観、霊魂や精霊・妖怪など伝統的にどういう風なものの見方をしてきたのか、中国の「集合意識」*1を知る上で欠かせませんからね。いつものごとく、拙感想を強調太字にしてます。 

中国の鬼

中国の鬼

 

 p265~、巫術に召鬼の術が存在する。史書に見える最初の記録は、『漢書』劉根伝。太守に請われて鬼を呼び寄せて、太守をやり込める話がある。捜神記にも記載があり、嵩山に登って神仙から術を授かったことになっている。後世の文書は大体、召鬼の術の起源を後漢に求めている。捜神記には、北海の道士が漢代の死者を人に会わせる話がある。

 五斗米道、「鬼道を司る」は、まさにそのまま鬼を操る術。召鬼の術、民間の鬼神の信仰を組み上げて作られた。神仙から教えを授かる道士、神仙と一体視される道士。社会の崩壊期、神仙という超常的な物に縋りたいという願いが強くなる。また神仙のような超常的な存在=新しい再生を司る救世主が当然出てくると考えられたか。昔の神仙とは違い、おそらく召鬼の術の必要性=巫術能力の必要性から逆算的に神仙能力を備えた道士というもの・観念が発展していったのではないか?

 道術を学ぶものを鬼卒、つまり鬼を操れる道術をマスターしたものということ、その能力によって民を監督する・行政を組み立てたということか?もう一つの祭酒というのが一般的な行政能力を備えたもの、二元統治体制なのかも? 五方=五斗=五帝という陰陽五行説の思想による関連付け、鬼兵を総領する。*2

 p353、239年に孫権が蕪湖に城隍祠*3を建てたのが、城隍神の初出。   

 p406、閻王の人格化・世俗化。実在の人物が隋・唐から閻王とされていく。そもそも閻羅=双王という意味で、兄と妹の二人を指すものだった。男女別で地獄の支配を担当していた。それが閻王という男性のみを指し、人に恐れられる悪魔や邪神でなくなった。また十王の一人に過ぎなくなっていくというプロセスをたどった。インド・中国・日本と移る度に、その性格は温和なものに変化していると。日本だと慈悲深く温厚な性格になっていると。*4

 p441、礼記に、殷人は神を尊び、民を率いて以って神に事(つか)え、鬼を先にして礼を後にする。故人の霊を祀ること賞を下すことを先にし、罰を下すことと礼を後にしたと。

 霊・賞の組み合わせ、罰・礼の組み合わせという優先順位・前後関係もさることながら、後漢は殷時代の回帰とも言えるのでしょうか?ただ鬼を使うことと、故人の霊はちょっと違うのかな?時間が経った後の時代、殷と後漢の事え方を同一視していいものなのか?という疑問もありますからね*5。鬼魂=祖先、鬼の夢=祖先のことで、鬼が災難・事件予知=有り難いお告げをしてくれるというのが殷人の考えで、祖先祭祀を大々的にやる。一国単位ならなおさら盛大になったと。荘子が髑髏の夢をみることも不吉ではなく、アタリマエのことだった。鬼と祖先の霊が別物という観念は、時代が経って文明が発達してからのこと。鬼神という観念がかつて存在したのなら、祖先の霊=神だけではパワーが足りない。「鬼神」というよりパワーがある超常的な信仰に回帰しようとするのは当然か

 髑髏について、曹丕が人食をした王忠に髑髏、頭蓋骨を括りつけたというエピソードがあるが、それほど忌むべき行為ではなかった可能性があるかもしれない。戦場で日常茶飯事だし、非迷信的な人物だし。曹魏が新しく登場してきた道教的なものについて親和的・好意的ならなおさら。また曹丕のような人物が通る道については、髑髏・死体が簡単に見つかるようでは困るという警鐘=戦地処理をしっかりしろというメッセージにも取れる*6

 p448、陸遜第三公女(信憑性はない)の髑髏が動いてたたりをなしたという話があると。

 城隍神や閻王のように、神や冥界の王のような存在は人格化・世俗化される。また実在の人物がそれに当てられる。英雄が死後神格化され当てはめられるケースが有る。独特の論理で動き、人の手ではどうしようもないという要素が殆ど無い。人間臭く、それ故に簡単に人に操作される。人為で操れる存在、畏れ・絶対神的な価値観念とは程遠いと。

 

中国のブタが世界を動かす

中国のブタが世界を動かす

 

 タイトルに食いついて読んだんですが、そんなでもなかったですね。中国人がブタ好き、ブタを食うことで有名ですが、 ブタ需要の急増で飼料がどう増えて~世界が~というもっと面白いロジックがあって、世界のどこにどういう結果が出るのか?その対策はどうすべきか!?みたいなものを期待していたんですけどね。食糧専門の人のようで、話題は終始食糧ですね。食いつきませんでした。

 p35、遊牧=移動するために長距離走れる羊、定住だと豚。森林のあるヨーロッパ・日本などなら豚を飼えるが、西アジアなど砂漠化すると飼えなくなる。反芻する羊・山羊・牛は牧草地で十分だが、豚は反芻出来ないので無理と。牛・羊のように乳もない、よって豚はイスラムでは害になる。せめて牛のように革として使えれば…。なるほど砂漠などの地だとメリットがないわけですね、ブタは。

 

奴隷の時間 自由な時間 朝日新書

奴隷の時間 自由な時間 朝日新書

 

 オーストラリア人には仕事帰りに酒を呑むのはホモ。時間・労働・幸福のバランスを今の日本は喪失している。ホリエモンが心は金で買える発言をして大顰蹙をかった。実際、人間は時間を売って対価にお金を得ている。今の労働環境では、日本人の殆どは時間≒心を売っているようなもの。売っている人間が買っている人間を非難するとは…。ホリエモンがアレなら、ホリエモンを叩いているのもホリエラレエモンなわけですね。ホリエモンがおかしいのに気づくことは出来ても、自分・今の社会状況がおかしいことには気付けていないのですから。

 スー族は30日かかる距離を飛行機で移動した時、魂がまだ来ていないと30日待った。急ぐことは魂をなくすことであるという教え・考えがある。大事な家族の話を無視して魂を置いて仕事に出掛けていく父親を子供は信頼するだろうか?家庭ではなく会社に魂がある。

 30年前、自殺を考えた大学生がいて、取締役の父親が今日家に帰ったら一緒に飲まないかと誘う。それから4日間、父は子と呑む。息子に生きる希望が湧いたとわかったから、もう大丈夫だねと父が言ったという話。脚色ありで、かなりレアなケースと言える。それでも昔にこういう話があることはあった、果たして今は?父親は時間の布施をした。ン千万損をしたとしても、命は金で買えない。当たり前。それが今の人間に出来るか?

 変身は逆、虫になった彼こそがまともな人間。その彼を周囲が排除している。不登校の子が毒虫扱いされるのが今の日本。 金より時間が大切に決まっている。その当たり前のことがわからない、通じない。

 日本本来の教えを神道ではなく、やまと教としているが、やまと教では労働は神事。神事ならばとやかくいわないが、金儲けのために心を失っている。 あるところから、金と時間の価値は逆転する。貧しければ金が大事だが、豊かになれば時間になる。その価値転換がいつまでたっても起こらないのが日本。

 インシャアッラー、インドの列車運行も時間がゆっくり流れている。2時間位遅れてもそれで怒る・責める人はいない。 ルソーはエミールという小説・教育論で、将来のために現在の幸福を犠牲にする教育を行ってはならないとしている。今の受験制度で子どもの時間を奪うのは最悪の教育システムと言っていいだろう。 サイコロで大学に勤めるかどうか決めた。神の決断なら責任問題にならないから、なるほど。遺恨・禍根対策として、責任を取れない時代においては有効な制度だったわけですね、神頼みは。

 

日本人が忘れた季節になじむ旧暦の暮らし

日本人が忘れた季節になじむ旧暦の暮らし

 

 旧暦(旧暦は太陰太陽暦新暦太陽暦)こそ日本人の感性が反映されるモノ。確かに季節感・時間間隔など、昔の日本人は、そうやって生きてきたわけですよね。自然の重要性・季節の重要性を実感するためには旧暦の方がいいんでしょうね。二十四節気とか、日本仕様の「本朝七十二候」とか「雑節」とか、日本人はそうやって生きてきた、そういうセンスを持っていたわけですね。個人的にこの書でそれが理解できた!なるほどそうだったか!とまではなりませんでしたけどね。旧暦やかつての日本人のセンスを理解したくなりましたね。

 古代の月は睦月・如月~以外にも呼び名が36あるのか、多すぎですね…。イスラム・イラン暦は閏月がない。どんどんずれていく。季節性が日本のようにないから、ずれても構わないと。なるほど一神教の風土になにもない厳しい自然とただ一人向かい合う風洞があるといいますけど、時の変化・季節の変化というものもないわけですね。日本人は四季が当たり前ですけど、世界的にはあまりないレアなケースになるのでしょうか?だとするとよく言われる日本人独特の感性(もちろん、褒め過ぎ注意)というものには四季が関わっているといえるでしょうね。

 端午の節句の粽(ちまき)、汨羅に身を投げた屈原が魚に食べられないように悼む。侫臣というパターン思考、その怨念物語が今でも続くのが中国人の思考様式だとすると…。この風習はやめさせるべきだと思いますけどねぇ。 四月朔日=わたぬき・八月朔日=ほづみ―と読む。1日ではなく朔の日というのがいいですよね。晦日とか今そういう月で時間を考えるセンスが失われているからこそ、夜には月をみたいですね。

 相撲は秋の節句で行われるものだから、秋の季語。 十五夜の「お月見泥棒」、子供が家に押しかけてお菓子を奪う。ハロウィンみたいなものは全国にあったと。 十月は、出雲に神が集まるから、出雲だと「神在月」になる。

 

魔女の世界史

魔女の世界史

 

 うーん、タイトル詐欺ですね。まだ、魔女の文化史なら良かったんですけどね。魔女カルチャーというくくりでいろんなものを芸術作品やら現代アニメのキャラクターを語るんですけど、だから何?でした。「魔女」と一括りにするならば、それによって有意義に説明できることがないといけない。アレも魔女、これも魔女って勝手に結びつけている、恣意的に論じてるだけにしか映りませんでしたね。

*1:天才デュルケムの天才的な発見ですね、集合意識は。ご存じない方は是非デュルケムを読みませう

*2:道術・巫術を中心とした統治機構は狭い行政・統治範囲内に於いて成立する。青州黄巾に道教の下地はあっても、永続的なそれ=道教への信仰は存在はしていないだろう。関中や鄴移住後に際立った特徴を残していないのがそれを伺わせる。ああ、そうか関中での布教というのは、同郷の高祖劉邦と関係がある。聖地で道教を興したのは、高祖劉邦の真の教えみたいな価値観念があっただろう。法の支配ではない、鬼の支配というのをリンクさせたんだろう。曹操を高祖劉邦と重ねあわせて、鄴に移り住むということは魏という新王朝・国家の誕生を祝う、正当化する意味合いがあったはず。それが曹魏の革命のメインロジックではないにせよ、各地の信者に訴える物があったのは想像するに難くない

*3:城隍神と、直接=で考えていいのかな?神祠と書いてあるけど、神格化までワンステップ挟んでもおかしくないし。いきなり神格化のステップを踏んだというのならその意味は大きい

*4:鬼灯の冷徹でダメおやじというか、ヘマをする上司というふうに描かれていますが、閻魔王をダメ化し過ぎだろうと思ったら、むしろ日本の閻魔像に忠実だったんですね。

*5:漢のモデル・理想が周であることは論をまたないことですが、その漢モデルが最早成立しないということになった時、殷や夏というものからモデルを探そうとするのは当然の流れ。殷の鬼道というものがモデルになったと考えるべきか

*6:五官將知忠嘗噉人,因從駕出行,令俳取冢間髑髏繫著忠馬鞍,以為歡笑。ここにある冢間髑髏ってどういう意味なんだろうか?そんな簡単に髑髏を取ってこれるものなのか?また普通は墓から取ってきたらダメだと思うのだが