てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

世界的トランペッター・日野皓正が中学生に「体罰」した事件について

 穴埋めに世界的にトランペットで有名な日野氏が中学生に体罰を振るった話を取り上げたいと思います。特に取り上げるほどのことでもない、当たり前のことですが。この事件について、中学生が悪いというコメントも有り、それへの賛同も少なからずあったので、体罰に問題があるのかないのか、また議論になったので、それについてコメントをしておきたいと思いました。

 殆どの人が体罰を許容しないのが昨今の潮流です。個人としてもその意見ですが、未だに体罰容認派がいる。それを肯定する人が多いことも変わりません。

教育・体罰には検証が必要
 以前書きましたが、体罰というか教育というのは、5~10年、下手したらもっと長い時間がかかってその成果がわかるもの。成果の検証がなくては教育の意味がない。体罰を許容する、手段として暴力を許容するというのなら、殴る側はきちんと殴られる覚悟をしなくてはならない。やっぱり納得できなかったと10年後に殴られる覚悟を最低限持つべきです。そういう覚悟というか当間への常識・暴力を奮ったやましさを感じる心がないのならば、そんな人間が教育現場に暴力を持ち込むべきではない。

制度化なき暴力は体罰ではなく暴行行為
 というか制度化されていない暴力は体罰ではなく私情にかられた「暴行」でしょう。どこの国か忘れましたが、体罰はもちろんあるけど、体罰の場合は①本人に前もって通知をする。②問題のない箇所臀部などにする。③親への通知。④同僚の立ち会い…とか詳しいことは忘れましたが、とにかく厳密にルールが決まっている。踏むべきステップを取った上で行うようになっている。

 公共の場で皆に迷惑をかける行為だからこそ、罰則が与えられるという明確なルール化がなされていなければならない。そうでないのは、現場のトップに好きに暴力を用いて良いという裁量権を与えてしまう狂ったシステムと言えるでしょう。むしろよくもまあ、こんな狂った制度を放置してきたなとさえ思えます。

制裁をきちんと制度化すべき
 「暴力・体罰は良くない」ーではなく、ルール化されていない個人の私情と区別の付かない「制裁」「罰則」が良くないのです。こういう当たり前のことがわからない以上、明確な制度化がなされていない以上、今後も同じ事件が起こった時に堂々巡りの議論が起こることになるでしょう。

 これまでの流れを考えると、戦後すぐに軍隊帰りで体罰が常識の時代があった。校内暴力が当たり前で、それを統制するために教師の暴力が有効な手段だったという時代があった。しかし、そういうものがなくなったにも関わらず、未だに硬直的に教師が生徒を威圧する、ひどくなると手をあげる教師がいる。そういう教師が問題になる事例がありました。

 今だと、いじめや生徒に違う意味で手を出す性犯罪的な問題が主流でしょうか。それはさておき、今問題になるとしたら、部活動などの指導での暴力でしょう。甲子園など短期的に結果を出すには、是非はともかく暴力を伴った指導が有効であるという記事もありましたし、成長するためにはつらい経験や苦しくないと成長しないという歪んだ思い込みが社会に根強くあるので、これを肯定する声がなかなか消えてなくならないのが現状でしょう。

最低限、体罰は制限・監視をつけるべき
 このようなことを是とする歪んだ制度、部活動などは消えてなくなってほしいのですが、それはそれとして、では体罰的な指導は許されるべきではないのかという話をしたいと思います。個人的に制限付き・条件付きで認められていいと思います。

 当然、前述通り、暴力を伴う教育は反対ですが、受ける側と教える側が一致している・納得しているのならば、許容していいと思います。かつて長嶋茂雄氏は「説教止めてくれ、早く殴って終わりにしてくれ」ということを言っていました。説教は苦痛であり、長時間嫌な思いをするのなら、一瞬痛いくらいで解放される体罰の方がいいという人間、アスリートには結構いる。ミスをしたりで厳しい罰則が与えられるのならば、殴られたほうがありがたいという人間も居る(その時点で教育としては本末転倒ですが)。優しさとしての体罰があるということですね。

 何を言っているか、何を求められているのかわからない理解力の乏しい人間にとっては体罰のほうがありがたい。成功=褒められる、失敗=殴られるという単純明快な指導の方がいいという人間も居る。であるならば、そういう指導もありといえばありなんでしょう。それで本当に優れた選手が育つか、優秀な指導者になれるのかということはさておいて。

 当人たちが納得しているのならば、監視つき・チェックがきちんと機能しているという前提で、許容してもいいかと思います。人が人を殴るという行為は不愉快な行為であり、公共に反するものです。しかしポルノのようにきちんとルールが守られるならば、個人の娯楽を制限する理由はない。体罰集団が、公共社会・体罰否定派に迷惑をかけないのならばルールを守った上で許容するべきなのでしょう(そもそも、そういう風にルールを守れるのならば体罰は問題にならないだろうとツッコミが入りそうですけどね。たしかにそうですけど、それでもルールを守れるのならば、それを認めてもいいという意味で。)。

 喫煙にせよ、ポルノにせよ、個人の自由に及ぶ範疇に制限を持ち込む流れはいずれ社会から自由が消えてなくなると警戒する・反対する立場なのでね。まあ、個人の娯楽の範疇でないだろうとも言われるかもしれませんが、それでもルールを守れるのであれば、出来る限り個人の自由意志を尊重したいというのが一貫して変わらないスタンスなので。

当人が納得していても今回の事件はアウト
 では、今回の事件も父親が日野氏を尊敬している・納得しているというコメントを出したので、問題ない行為だといえるか?本当は納得していなくても、社会的騒動に発展したがために、そうコメントせざるを得なくなった。これ以上問題になると、日野氏の社会的生命を傷つけてしまう。最悪奪ってしまうから、やむなく矛を収めたという可能性は高いですからね。前述通り、5年~10年経って、社会的影響もなくなった時に改めてコメントをもらわないとわからないでしょうが、それでも今回の事件には問題が多いと考えます。

ポイント、公的な空間での暴力
 まず、今回の事件の舞台は公的な発表会ということ。体罰を納得している身内、狭い範囲内での出来事ならともかく一般に開放されている空間であったこと。そこで体罰を行うということは、こういう非難が巻き起こることを見てもわかるように適切な行為でないということ。体罰がありうると納得している生徒とその身内だけの発表会でなかったこと。これがまず一つ。

暴力は場を収める最低なやり方
 次に、ジャズという即興演奏では、自由演奏が前提としてあるということ。もともと暴走するような気質の子を、ソロを任せてしまうということが問題。何かの記事で、こういうとき自身が演奏して、その暴走をコントロールするというやり方だってあっただろう。世界的演奏者ならばそういう粋な演出だって可能だったのでは?という指摘を見ました。
 それが可能かどうかはさておいて、そういう誰も傷つけない上手い収め方だってあったでしょう。藤原道長だったかな?子供が発表会で急に舞を嫌がって、衣装脱ぎ捨てて舞台で暴れだした時に、腰紐で子供をくくって一緒に踊って上手くコントロールして、崩壊しかけた舞台を見事に収めたとか、そういう話が古典でありましたが、何にせようまいやり方・まずいやり方というものがある。考えられる限り、最低最悪のやり方ですよね。力づくで、相手を押さえ込んで止めるというのは。
 体罰が争点になりましたが、怒鳴って殴ってこのあとの舞台はどうなったのでしょうか?想像するにあまりありますよね?周囲の客も、他の演者も「え…、どうすんのこの空気…」と嫌~な流れ、空気になったでしょう。本当の焦点はこの空間が上手く収まったかどうか。大事な発表会は、この暴走した子供以上に、指導者の暴力で台無しになったでしょう。そういう意味でもありえない行為でしょう。この指導者の行為は。

上手く収めるべき、ルール違反は退場させるべきところでの暴力
 ジャズというのが即興の演奏ならば、非常時の対処というのも出来ておかしくないのですが、生き方レベルで即興の発想・行動というのはあまりテーマにならないのですかね?武道とかだと違う方の日野さんが有名で、同じくジャズ・ドラムで即興を好む方ですから、さぞうまい収め方をしてくれたと思うのですが…。
 普通は、特定の生徒が予定外の行動で問題を起こした。となったら、怒鳴ったりするよりもうまーく、この生徒を連れ出して、「はーい、うそうそ、何もなーい。せんせいと一緒にたいじょー。じゃあみんな続けて~」と笑いに変える。変えられなくても、とにかく彼一人を連れ出して、それで済ませますよね?
 暴力がいけないというのならば、じゃあ問題を起こした彼を放置して良いのか?―というトンチンカンな意見を見ましたが、そこで殴るのではなく、普通は退場させるでしょう。野球だってサッカーだってバスケだって、ルール違反をしたらルールに則って「退場処分」が取られるだけです。審判がルール違反に怒って、選手を殴るなんてありえないでしょうに。馬鹿なんじゃないですかね。
 指導者・教育者というのはある意味、審判のような公正な判断をする立場という性質があります。選手同士の乱闘を仲裁するのが審判なのに、その審判がルール違反の選手に殴り掛かる。一緒に乱闘を始めるってどう考えてもおかしいでしょうにねぇ。

最大の問題は怒りに任せたこと=教育の視点が飛んだこと
 退場処分にすれば良いものを、その場で止めさせて指示に従わせることに頭が行き過ぎて失敗したというのが二つ目ですね。そして何より、一番問題だと思うのは、こういう行為を取ったということは、キレたということです。感情に身を任せた最低最悪の行動だから今回の事件というのは問題であると思うのです。

 ルールに則るならば指導に暴力が持ち込まれるのも時にはあるだろうと書きましたが、どう考えてもそこに合理性がない。カーッとなって、怒り・私情に任せたからこその行動でしょう、どう見てもこれは。そこに彼を慮ってとか、彼を思いやってという愛情の欠片もないでしょう。みんなのために演奏を上手く成立させるために、周りの子たちの発表会を守るためにと考えたら、こんな発表会を台無しにする事はしない。

本当の被害者はその場に一緒にいた人々
 暴走をして生意気なガキだ!周りの子に迷惑だろう!殴られるのは当然だ!*1というこれまたアンポンタンなコメントがありましたが、そこで殴ってしまえば、そのバカな暴走初号機バカ以上に、輪をかけて大事な発表会が台無しになるでしょう。そんなこともわからないのでしょうか?絶対にそこで殴っては駄目でしょう。指導で殴るならば、そこで殴る必要性はどこにもない。舞台から引っ込んだ袖で行うべきことでしょうに。被害者の子が周囲の子に対する発表を台無しにした加害者でもあるわけですが、この指導者は彼と一緒に発表会を台無しにする加害行為に手を貸したのです。この事件後、関係のない一緒に演奏していた子たちも騒動に巻き込まれたでしょう。それを思うと、本当の被害者は誰なのか一目瞭然でしょう。

 体罰を認められないのは、否定する立場になるのは、殆ど間違いなく、こういうバカな行動をするタイプの人間が手をあげる。暴力行為に出るからです。普段から武術や武道を嗜んで研鑽を積んでいる人間は、いかに叩く・打つ・投げる…などを考えるのではなく、いかにして相手を傷つけずに収めるかということを考える。適切な場所、手段ということなど一切考えずに短絡的に行動する手合だからですね。

 こういうことを考えてみると、いかに技術があれど、指導者に向かないタイプである。または人間的に研鑽が足りないのではと感じてしまいますね。

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*1:体罰を肯定していた意見として、生意気なガキは殴られて当然という意見がベースにあるように思えました。その意見に違和感を覚えざるをえないのは、そういう問題ではな。その時その場所にいる他の人への視点が欠如している。殴るバカと制裁を加える側という二者しか想定していない、条件・問題を単純化する傾向が目につきました。なんでしょうね?アクターが2つ以上になると考えられないのでしょうか?最近、いろんな話題でAとBで、Aが悪い!みたいな非常に都合よく単純化したモデルでしか物事を考えないという傾向が目につく機がしました

日馬富士暴行事件の解説② 「暴力は良くない」ーで思考停止する愚かさ 似た不祥事は必ず再発する

日馬富士暴行事件の解説① 組織としての危機管理の認識の甘さとその能力の欠如の続きになります。*1

前書き(こんなことを書いています)
日馬富士が悪い!暴力が良くない!では意味がない。構造的本質に目を向けるべき。
○ポイントは「注射」システム。その理解なくして論じるのは無意味。
○相撲に興味ない人間が何故無責任に角界を批判するのか?無責任な報道に注意すべし
貴ノ岩の態度に問題あり、日馬富士が怒るのは当然
○格闘家は暴力・トラブルを起こしやすい生き物 
貴乃花親方の指導力欠如&角界に現代的なトレーニング法・指導方法の欠如
日馬富士を支持する松本人志発言は妥当 
日馬富士の引退を以って決着を計るのは卑怯なやり方


 前回は、相撲協会という組織的な問題の話をしました。不祥事対策を事前に見据えた組織づくりをすべきだった。改革のために最もその不祥事対策が出来る新しいトップ=新理事長選出及び、新理事による新指導体制で出直すべきだった。それをしていなかった。今回の事件でも、新指導体制・新組織への抜本的構造改革がなされることはないでしょう。ということは、つまりいずれまた同じような不祥事が起こるということが言えるでしょう。我々が注目し、抑えるべきポイントはそこなのです。そこを理解していない人があまりにも多すぎますね。相撲協会はもちろん、その問題を指摘する立場の人々もこうですから問題の本質に手がつけられることはないでしょうね。

 今回は、目についたおかしな点について触れたいと思います。こちらの方の意見(※参照―相撲の「注射システム」はどのように機能しているのか?(山田順) )が参考になると思いますので、リンクを張ります*2。これまで「八百長」としてきましたが、筆者は星の貸し借りのことを「注射」「注射システム」としています。この表現がわかりやすいので、以後この用語を使いたいと思います。

日馬富士が加害者であり処罰を受けるのは当然、論じるべきはその前提から先の話
 その前に今一度論点を明確化するために繰り返しますが、今回の事件は日馬富士が暴力を振るった。加害者は日馬富士であり、被害者は貴ノ岩日馬富士が何らかの処罰を受けるのは当然のこと。そしてその上で、事件にある大事な背景や問題の本質は一体なんなのか?再発防止のためにどうすべきかと言った視点や、背景にある「注射」「注射システム」つまり「八百長」をどうするのか?という話になるわけです。

 山田氏の文中にあるように、そもそも「相撲を知っている人と知らない人ではコメントがまるで異なる」とあります。まっことそのとおりで、相撲のことを知りもしないのに暴力事件の暴力・暴行という事象だけを捉えて、「暴力はいけないと思います」と学級会のようなコメントをする意見があまりにも目につきすぎます*3

 そんなことは当たり前のこと。今回の事件で暴力行為は問題があることであり、許されざることであるなんて、そんな当たり前のことは問題の焦点ではない。その背景を踏まえて、どうしてこうなったのか?今後の再発防止のためにはどうすべきなのか?そういった踏み込んだ話ができない人は、この事件についてコメントするべきではないと個人的に思います。

■テレビコメンテーターへの違和感
 梅沢富美男氏が暴力は問題だ、白鵬の態度には問題があるとか言ってました。彼は過去にトランペッター日野皓正氏が中学生に暴力(指導?)を振るった事件について、中学生・ガキが舐めているという発言をした人です。暴力を一貫して否定した坂上忍氏のようなスタンスと違い、そこに一貫性がない(坂上氏もコメントに深い知見がある人物というわけではありませんが)。極めていい加減な人物と言えるでしょう。自分の機嫌次第で気に食わない出来事・人物に怒鳴り散らしているだけの近所の迷惑おじさんにしか見えません。

 まあ、芸能人コメンテーターなどはじめから無責任・低俗なもの。そう言われればそうなのですが、改めていい加減なことを言う良識のかけらもない人物としてあえて書いておきました。

 また、かつて発言のおかしさを指摘したことがある武井壮氏が、「スマホをいじるのはリスペクトされていないから」ということを言ってました。彼の主張は暴力的な指導は許されないということで、それ自体は己も同意しますが、指導する側が尊敬されていないという論はこの件においては関係がない。

 彼の主張は暴力を伴う指導行為は無意味・無益ということ。それ自体は同じ意見ですが、先輩が後輩に説諭している時に、スマホをいじりだすのは尊敬されていないからとかそういう次元の行為ではない。この点、貴ノ岩に非があるのは明らか。

 誰も勘違いする人はいないと思いますが、礼儀・マナー知らずの貴ノ岩を殴っていいわけではありません。貴ノ岩の非礼な振る舞いが問題であるからと言って、日馬富士の行為が正当化されるわけでは決してありません。しかし彼の意見は、この問題をスポーツ界にはびこる暴力的指導という論点から論じたいがゆえに、無理やりあと付けで論をひねくりだしているとしか思えないですね。

 貴ノ岩の態度は良くない、しかし後輩の指導に暴力は良くない―それで終わるだけの話に色々いじくって、手垢を加えてどうするのでしょうか?今後彼の後輩が無礼な態度を取り出して、スマホを弄る人間ばかりになった時、彼がどういう風にするのか気になるところでありますが、まあどうでもいいのでここで止めます。

 「暴力!」「よくない!」「ふざけるな!」という硬直的な反応・過剰な反応があまりにも目についたので、一言書いておきますが、個人的にパワハラや暴力を受けた経験を持っている人が自分の過去と重ね合わせて過剰反応しているということでしょうか?己も学生時代、そういうふざけた手合に直面しているので気持ちはわかりますが、もうちょっと落ち着いて冷静になって物事を考えてほしいと思います。

 対照的に言ってることが正しいな・そのとおりだなと思ったのは、江原啓之氏とマツコ・デラックス氏でした。このことについては後述・別枠で書きたいものがあるので、その時に、また紹介したいと思います。

 また、よく知らないのですが、あかつ、キンボシ西田、山根千佳(敬称略)という相撲関係のタレント・芸人さんがいらっしゃるとのこと。彼らは相撲関係で食ってるから、普段お世話になってる人たちが苦しんでいる時にこのネタで仕事のオファーを受けられないと仕事を断っているそうです。無論、これは自分たちと親しい業界を自分の利益のために批判するのを避けているといったことでもあるのでしょうけど、本来相撲好きな人間であれば、こういう態度こそ取るべきものでしょう。

 相撲をよく知りもしないのに、不祥事があったときだけ、偉そうに「~がいけない」「~が悪い」というコメントを出す人間を個人的に信用できませんね。それこそ芸能人コメンテーターはジャニーズの一つでもまずい所を批判しましたか?テレビ局のいいなりになって強いものに尻尾を振り、弱いものを叩くという人たちの意見を公共の電波に乗せるのは止めていただきたいものですね。

貴ノ岩の礼儀・マナー欠如、日馬富士が怒るのは当然
 ①貴ノ岩の無礼な態度、礼儀知らずの行い→②日馬富士の暴行―という段階がある話。日馬富士の暴力的な指導はアウトですが、その引き金となったのは被害者である貴ノ岩のあまりにも無礼な態度にあること―これを見逃すと問題の性質を捉え損なってしまう・ミスリードしてしまうので、あえて明確化しておきました。

 貴ノ岩は先輩モンゴル人力士に配慮が欠けていた。モンゴル人派閥に属する上で立てるべき先輩・先人を軽視したという問題があります。では、日馬富士はどうだったでしょうか?まず最初の説諭で日馬富士白鵬からのダメ出しについて、むしろ貴ノ岩をかばったと言われます。二人の関係は疎遠なものではなく、むしろ友好的関係であったというのがポイント。そして二次会で続いた白鵬の説諭の際、スマホを弄くりだした所で、日馬富士は激昂したと。

 一般社会でもそうですが、スマホを人前でいじるのはあまり良くない行為。同席する人間が目上の人間ならばなおさらですね。白鵬と交友があるカラテカ入江氏が相撲界(モンゴル会限定かもしれませんが)では、酒の席でスマホをいじってはならないという慣習・マナーがあるといいます。スマホをいじりだすとすぐペナルティとして一杯飲まされるとか。

 人と話している時に、着信があった時にスマホをいじるというのは問題がある。たまに話しをしている最中でも構わずにスマホをチェックする人がいますが、まあマナーや礼儀知らずなんでしょうね。一言、「すいませんちょっと電話出ていいですか?」と言えば、相手も悪い気持ちにならずに「ああ、どうぞどうぞ」となるのに、何考えているかわかりませんよね。

 着信があって、無思慮に出るということは緊急な何かがあるのか?ということですから、この場合はメールですけども、日馬富士が「おい、誰からのメールなんだ!」となった時、「すいません、今交通事故にあったばかりの通院中の兄弟がいまして―」などの重要な問題を抱えてでもいない限りメールなんかチェックしてはいけない。そんなことでもないのに「あ、彼女からです(にっこり)」なんてバカな返事をしたら、そらブチ切れるのは当たり前でしょう。己でも「何考えてんだ!テメーこのやろう」となります。

 無論、そこから殆どの人は殴らない。日馬富士が20数発殴ったことは問題。もし、一発ビンタくれたくらいのことだったら、大して問題にもならなかったでしょう。

 多分、喧嘩したことのない人だと思うのですけど、それで貴ノ岩が睨み返して日馬富士が「何を睨んでんだ、この野郎!」という発言に、そりゃ殴られたら睨み返すに決まっている。幼児虐待した卑怯な親と同じ思考・発言だ―という意見をしている人がいました。

 日馬富士が怒るのは当然、大先輩の前で=派閥の大ボス白鵬が喋ってる最中に、彼女からのメールをチェックし始めるとか、はっきり言って彼は頭がおかしい。もし、「あ、しまった。自分がなにかまずいことをしてしまったのかも…」と考えられる人間なら、とにかく「すいません」と頭を下げたでしょう。一般社会の常識・良識をまるでわかってないから、睨み返してしまったんでしょう。

 で、睨み返す=不服を示してしまったことで、日馬富士の闘争心に火を付けてしまった。「格闘家」が一度スイッチ入ったら、発散するまで収まらない。そして大暴れ、まあこんなところでしょう。

■格闘家という生き物は暴れやすいもの
 普通の人なら、まあ睨み返さないし、そのあと殴らない。最初の一発も一般社会・一般人ならあまりないことでしょう。でも「格闘家」ならありえることなんですね、これは。

 それが良いとか悪いとかそういう話はおいといて、「格闘家」というのは気性が荒い生き物であることが多い。常日頃、戦うことが生業(なりわい)でそのトレーニングをしている生き物ですから、物凄いエネルギーがある。そして戦うためにそのスイッチを入れやすい。わかり易い言葉で言うと「キレやすい」わけですね(本当はキレるというのと少し違うのですがわかり易い表現をするとこれが一番伝わりやすいと思います)。

 プロレスラーやMMAの選手、ボクサーなどが時たま不祥事で暴力事件を起こすことがありますが、まあ戦うことを念頭に人間を作り上げている以上、よくある話です。酒を飲んで大暴れするなんて枚挙にいとまがないことでしょう。

 だからといって、ああ格闘家だからしょうがないかという話でもないことは確かです。本当に優れた格闘家なら肚を鍛えてセルフコントロール・メンタルを整えられるようにして、自制心を身につけるものですからね。裏を返すと、この程度でキレて暴行してしまう日馬富士というのは大した力士ではないということでもあります。

 日馬富士はまったく無関係な貴ノ岩を前々からナマイキと思って目をつけていて、いい機会だからシメてやろうと虎視眈々と狙っていたのではなく、むしろ同じモンゴル出身である彼を、早くに親を亡くしたという自身の境遇と近いこともあって目をかけていた。だからこそ礼儀作法について口うるさくなった。礼儀にうるさい兄が愛情故に無礼な弟にブチ切れた。まあそんなところでしょう。貴ノ岩にとっては誠に迷惑なことでしょうが、ルール・マナーを弁えないことがどれだけ問題なのか分からせるために、日馬富士はある種の愛情でぶん殴ったということでしょう*4。危機管理委員会の中間報告や報道を見ているとだいたいそんなところに落ち着くと思われます(報告書には「注射」云々の論理が介在されていないために真実はまた異なるという可能性もありますが、それはまたおいといて後述します)。

貴乃花親方の指導能力の欠如、角界は新指導法導入を
 そしてモンゴル人というのはそもそも長幼の序という価値観がない。強いものが偉いという価値観がある。年上・年長者を敬うという文化がそもそもない。そのモンゴル人の価値観のまま来てしまっている。白鵬日馬富士を日本社会のルールに則って尊重しなかった・立てるということをしなかった。貴ノ岩は現在27歳。27歳ということは、高校留学から10年近く日本に滞在していること。長期間日本に来ているのにそういう守るべきルール・マナーを理解していなかったということになる。この点、人間として未熟、日本社会で生きていく上でのルールやマナーをしっかり身につけていないという点で、デーモン閣下も指摘していましたが貴乃花親方の指導法・教育という能力に疑問符がつきます。

 閣下に触れたのでついでにもう一つ触れておきますが、指導に暴力が当然と言った風土が未だにある。指導法の確立を―と提言していましたがそのとおりですね。親方衆というのは、競争に勝ち残ってきた強者ではあっても、指導法の研究者ではない。自分が強くなることと他人・弟子を強くする・育てると言うのは全く別の話。プロ野球で名選手、名コーチたりえずという事例を見れば言うまでもないでしょう。自分が強くなるのに当てはまったことが他人に当てはまるとは限らない。色んなタイプの色んな人間を上手くする引き出し・ノウハウ・方法論がある親方のほうが稀でしょう。

 となると後はスパルタ方式の暴力前提になるのは当然のことでしょうね。スポーツ科学の専門家などトレーナー・コーチを各部屋に何人か置くことを義務付けなければならないでしょう*5

松本人志発言は適切なもの
 日馬富士が会見で指導という言葉を使って当然の行為という主張したのもそういう背景があるわけですね。それが角界の常識・日常なのですから、それをして一体何が悪い?となるのは必然でしょう。松本人志氏がワイドナショーで自論として、「果たして暴力無しで指導ができるのか?」ということを述べていましたが、このような文脈だと考えるとよく理解できるかと思います。無論、そのままでいいはずもなくそこから脱して、現代的な論理と根拠があるトレーニング・指導方法にシフトしていかなくてはならないのでしょうけども。

 そしてまた格闘家という生き物を知っていれば、そのようなあらっぽい事件に発展しやすいということも理解した上での発言だったと個人的には受け止めています(無論、ちゃんと突っ込んでみないと真意はわかりませんが)。そういう点で松本発言は適切なものだと考えます。日馬富士は引退するべきではなかったというのも同様です。

日馬富士の引退を受理することはありえない。相撲協会は慰留すべきだった 
 日馬富士が常習犯で似たような事件を過去何度も起こしているというのならばともかく、初犯であるのならば、何らかの処罰・罰金及び出場停止などで済ますべき案件でしょう。それを引退を申し出たからと言って、受理した相撲協会の態度は理解できません。

 本人が責任を痛感して辞めると申し出た。とするならば、協会は最大限慰留すべき。本人の申し出をあっさり受け入れるのは理解できません。結局、不祥事について、トラブル防止策を徹底しないがために、問題の責任を一個人に押し付けて詰め腹を切らせたとしか思えません。

■処分のルール・論理の欠如、今回の事件は日馬富士貴ノ岩及び親方、協会トップ全てに責任がある
 無論、言うまでもなく事件の当事者である日馬富士が責任を取るのは当然のことなのですが、組織として不祥事が起こった際、どうするか?どういう対応をして、どういう量刑を与えて禊を済ますのか?といった大事な視点が完全にすっぽり抜け落ちてしまっています。ということは以後似たような事件が起こったら、力士は全て引退しなくてはならないのでしょうか?トップがしっかりイニシアチブを握って、然るべき手続きを経て、然るべき処分を下すということが出来ないのならば、以後似たような不祥事が起こり、似たような不透明な処分・決着となることでしょう。

 あまりにも日馬富士は暴力を振るった加害者であり、厳罰に処すべき!―という同じことしか唱えない壊れた機械のように、経文を読む手合が多いので再度申し上げておきますが、文中で日馬富士が悪くないということを主張しているのではありません。今回の不祥事は当事者全てに責任がある出来事なのです日馬富士貴ノ岩も、その親方である伊勢ヶ濱貴乃花も、相撲協会のトップである理事全員八角理事長、彼ら全員に軽重の度合いはあれど責任があること。その責任をうやむやにしたまま、日馬富士の引退を以て決着させようというやり方はフェアどころか、組織のあるべき論理の欠片もありません。極めて日本的な無責任組織、前近代的な腐朽組織の典型と言えるでしょう。我々にとって問題視すべきところは、まずそこであるわけです。このような組織が我々が住む社会に存在することがどれだけ恐ろしいことか、どれだけ社会に損害をもたらすか?想像するだに恐ろしいことなのは言うまでもないでしょう。

 次回は貴乃花改革はありえない、仮に貴乃花改革がありえても間違いなく失敗するという話をしたいと思います。

アイキャッチ用画像

*1:事態の経緯を知る上で参考になるかもしれないので、貼ります。参照―横綱の暴行 日馬富士が引退 貴ノ岩を殴打 : まとめ読み「NEWS通」 : 読売

*2:もう一本参考になる物があったのでついでに貼っておきます―日馬富士引退の「深層」にあるものとはなにか?

*3:具体例としてー「日馬富士事件」大相撲からいまだに暴力沙汰が消えないワケ(原田 隆之) 心理学者だそうです。心理学者がなぜ、心理学とは関係ないことを…?社会学と心理学は…と言われて久しいですが…

*4:愛情の裏返しの厳しさという論理の他に、もう一つ階級意識があったかもしれません。というのは、白鵬日馬富士というのはエリート出身(※参照ー意外? モンゴル力士たちはお坊ちゃま揃いだった)。ここで書いてあるように、白鵬の父はメキシコ五輪でモンゴルに初のメダルをもたらした国民的英雄で、母はチンギス・ハーンの流れを汲む家柄の医者。鶴竜の父はモンゴル国立科学技術大学の学長で、母はラジオ番組制作者。日馬富士はそこまででもないように見えますが、警察の高官の息子で小学生の頃から本格的に絵を描いていた余裕のある育ちと言うので、そこそこの家柄と言えるでしょう。それが何?と思われるかもしれませんが、つい最近まで社会主義国だったことを考えると、身分意識・階級意識が非常に強いお国柄だということがわかります。つまり、目に見えない序列というものが存在するわけですね。わかりやすく言うとお受験で名門幼稚舎に入ったお母様方の目に見えない身分秩序ですね。家柄だったり、母親の経歴だったり、父親がどこの企業の役員だとかポストで、その母親に求められる振る舞い・身分や序列が決まるというものです。貴ノ岩の両親について色々検索かけたのですが情報がまるでない。早くに亡くなったくらいしか見当たらなかったので断言はできませんが、おそらくあまり目立った家柄ではない。そういう序列もあるのに、それを無視した振る舞いが日頃から見られたという可能性は大いにありますね。

*5:当然、前述通りの人間教育というのも必要不可欠。アスリートとしての教育にふさわしい人間と設備、そして社会人としての教育論や時間、及びふさわしい模範的な人間。師足り得る人間が必要になる。教育者と設備の両方を兼ね備えている部屋はまず存在しないと言っていいでしょう。部屋ごとにやるのは現実的に不可能でしょうから、それこそ相撲の専門学校・総合大学のような設備を協会単位で作るべきでしょうね。海外から力士を受け入れるという昨今の流れがある以上、そういう海外出身者に対する日本文化受容のための専門家、及びその逆でその力士の価値観を理解するための学者の養成なども必要でしょう。

日馬富士暴行事件の解説① 組織としての危機管理の認識の甘さとその能力の欠如


 相撲カテゴリがあるスポーツの方で書こうとも思いましたが、タイムリーな時事ネタで、他にあまり書くこともないのでこっちで。本当は選挙の話を先にしたかったですけどね。まあ、いつもの主張と変わることもないので目新しい話はできませんし、こちらから。

 

ポイント・要約
○報告義務を怠った加害者日馬富士だけでなく、部屋の管理責任者の親方である師匠伊勢ヶ濱親方に重い責任がある。 
○報告義務を怠ったという点では貴乃花親方も同じ。
○また協会への相談なき被害届の提出は理事という責任ある立場からして問題ある行動 
○我々が本当に問題とすべきは責任あるものたちの誰一人も報告義務を守っていないこと 
○問題発生→報告→担当部署→協議・処分という当たり前の順番の不成立。組織が機能していないこと
○常設の強力な機関・不祥事に取り組む専門部署を作るべきだったのにしていなかったこと=抜本的な不祥事対策をしていなかったことこそが本当の問題
○取りうる対策・監視員制度などを導入すべき
○今回も不祥事対策機関の新設・常設機関化を怠った。監視員も導入しなかった。問題の本質は変わってない以上、不祥事はまた必ず起こる。


■責任の所在は?一体誰が悪いのか?
 横綱日馬富士による貴ノ岩暴行事件によって、日馬富士が引退するということになりました。この件で誰が悪いのか、誰に責任があるのか?という視点から色んな意見が語られました。相撲協会及びそのトップである八角理事長、協会に報告せずに警察に被害届を出した貴乃花親方、加害者と被害者の当事者である日馬富士貴ノ岩日馬富士の親方である伊勢ヶ濱親方、果ては同席していた横綱白鵬までが悪い云々という意見が飛び交うことになりました。

 身内・相撲界の不祥事について協会に報告もせずに警察にいきなり行く、刑事や民事事件にまで発展させようとする貴乃花親方の振る舞いははっきり言って正常なことではありません。まず組織の人間としてしっかり報告すべきだった。経緯を見ると、日馬富士の親方である伊勢ヶ濱親方に相談、それを聞いた伊勢ヶ濱親方は協会に報告せずに示談してほしいと貴乃花親方に相談。それに不信感を持った貴乃花親方が警察に被害届を提出―という流れのように見えます*1

 貴乃花(以後親方略)としては、伊勢ヶ濱に話を通した際、彼が協会に報告をして、協会の裁き・処断を待つという態度をとると思ったのでしょう。ところが伊勢ヶ濱は協会に報告をしなかった。本来協会に話をして、それから協会の判断を仰いで今後どうするかの処分を待つべきだった。業を煮やした貴乃花は埒が明かない!と憤って警察に行った―とまあ、そういう流れのようです。

■一番責任が問われるのは報告を怠った伊勢ヶ濱親方
 この件について、他の部屋の親方である貴乃花から事件を知らされた伊勢ヶ濱は事態がどうなるにせよ、協会に真っ先に報告するべきだった。その上で貴乃花に色んな話をつけるべきだった。一番悪いのは、事件をこじらせた真の要因は、伊勢ヶ濱親方だということは間違いないでしょう。

貴乃花親方の行為は組織に所属する人間として逸脱している
 が、しかしこれは貴乃花の正当性を担保するものではありません。貴乃花伊勢ヶ濱の行動が不当なものである・間違っていて事態が進展しない時、すべきことは警察に被害届を出すべきことではなく、協会に事件の経緯を報告することです。組織の人間である以上、警察に行く前に協会に報告義務がある。これを怠った貴乃花親方が非難されるのは当然のことです。

 ここで抑えてくべきことは、貴乃花が間違っているわけではありません。貴乃花が警察に行く・行かないの是非はともかくとして、何よりもまずホウレンソウを怠ったことが問題になるわけです。暴力事件が起きて警察に被害届を出すこと自体は別におかしな話ではないのです。しかしそれより前に通すべき筋がある、協会・八角理事長に「警察に行く」という相談・報告を何故しなかったのか?なぜワンステップ挟まなかったのか?これが全く理解出来ない、言語道断な行為なわけです。

 警察に行くという確固たる意思を翻さなくても、「これこれこういう理由で警察に行きます」「警察に行かない限り真相は明らかにならない、業界の自浄作用能力が働かない」などきちんと説明しなくてはならなかった。きちっと報告して筋を通していたら、貴乃花の印象はまるで変わっていたでしょう。協会の理事という立場にありながら、協会・組織の意志決定に参画する者でありながら、なぜこんなことをしてしまったのか、理解に苦しみます。これは相撲協会の人間が反発するのも当然でしょう。どちらかというと、貴乃花の改革に期待する立場である己も、これには開いた口が塞がらない暴挙でした。

 もし、貴乃花がきちんと筋を通していたら、協会に報告をして、しかるべき部署(この場合危機管理委員会)で日馬富士に対する処分を話し合って、そこで処分を決着させていたら…。その後で警察に話を持っていったとしたら…。貴乃花に対する評価はまるで違っていたものになったでしょう。

日馬富士貴ノ岩も、伊勢ヶ濱貴乃花も誰も報告せず
 また、日馬富士貴ノ岩もこの出来事を親方に報告していなかった。この事件は時津風部屋の暴行死事件とは一線を画するもの。閉鎖的な一つの相撲部屋内部での事件ではない。兄弟子が暴行を加えたという点では同じですが、同じ部屋に所属している兄弟子ではないこと。そして何より親方が暴行を加えたという点で大きく異なります。親方と兄弟子=部屋の責任者と先輩では意味するものがまるで違うのです。
 今回の事件を時津風部屋での事件と働いている力学が同じとか、同一視するのは無理があります。角界の変わらぬ体質とか無理やり結びつけて論じる傾向が見られましたが、一つの部屋の腐った体質と部屋外部で起きた今回の暴行事件とは、次元が異なる話です(一つの部屋の―とはいっても無論、その他の部屋でも親方・兄弟子が弟弟子にパワハラ・暴力を加えることがないわけではないでしょうが)。
 今回の事件で角界の変わらぬ体質!!と大騒ぎをする人というのは、そもそも暴力事件が起こるなんてトンデモナイ!!という前提が故の発想・主張なのでしょう。暴力が悪い・許されないなんていうことは当然として、角界という世界を考えれば否応なく喧嘩や腕力に任せたトラブルが起こるのは必然。問題は、いかにそのような事件が起こらないようにするかということ。いかに発生件数を減らし、いかに悪質なものから軽微なものに抑えるかということ。そしてその不祥事をいかに裁くかというガバナンス・管理の問題なのです。例えるなら交通事故のようなもの。車がある以上、交通事故は避けられない。故にどうやって最少被害に抑えるかと論じるもの。理想論か現実論かという違いがわかってないのかもしれません。理想論通りになくせればいいですが、スポーツ選手・アスリートの不祥事をなくせというのはまず無理ですからね。格闘技であり荒っぽい世界であれば尚更です。

 話を戻します。本当に問題とすべきは、報告義務の無視・不履行なのです。今回のような事件が起こった際に、当事者が力士なら力士は、親方や協会に必ず報告をしなくてはならない。親方も同じで、親方が何らかのトラブルを起こしたり、把握した場合、協会に必ず報告をする義務があるのです。本当の問題は、力士・親方がそれを怠ったことなのです*2

■不祥事対策に取り組まなかった故の必然の不祥事発生
 野球賭博八百長などの不正行為、前述通り部屋内部での暴行などで協会の管理体制の甘さが問われた。不祥事を受けて、相撲協会は取り締まりを徹底的にしなくてはならなくなった。どんな些細な事件でさえ、親方や協会に報告義務がある。その報告を怠った日馬富士が引退に追い込まれるのはごく自然な話といえるでしょう。

 ところが、当然こういった道理・常識を角界が共有しているとは思えません。こんな当たり前の道理もわからないからこそ、これまで数々の不祥事を起こしてきたわけですから。
 
 2012年に危機管理委員会が設置され、不祥事が起きた時の担当部署としてあるわけですが、常設の強力な組織ではない。無論名目としては、常設なのでしょうけど、不祥事が必ず起こるものとして重要なポストとして作られてはいないでしょう。

■危機管理意識の乏しさを証明する天下り受け入れと兼職
 ちなみに初代委員長は宗像紀夫氏(元東京地検特捜部長)で、16年に高野利雄氏(元名古屋高検検事長)が委員長に就任しています。典型的な天下り受け入れ人事であり、天下りさえ受け入れていればなんとかなるだろうという甘えがそこに見られます。

 危機管理部長は、鏡山昇司理事(元関脇多賀竜)で、 指導普及部長・生活指導部長・監察委員長・危機管理部長・博物館運営委員―と、かなり多くの役職を兼ねています。本来なら協会のベスト2や3と言った役職の人間、出世人事のルートとして花形役職にならなければいけない部署。それが兼職される一つのポストでしかない。こういう事実一つを持ってしても、いかに危機管理に甘い考えを持っているかわかるものです。

 ※ただし、 10人の理事の内、協会本部の人間とされるのは3人しかいません。そう考えると理事長以下ベスト4に入る要職にある人物ということも考えられます。それでも兼職ということで、不祥事に対する備えが甘いことに変わりはありませんが*3

■導入すべき監視員制度を導入しなかったツケ
 力士は、犯罪・トラブルを起こす生き物、暴行や窃盗など刑法に触れる行為をする。八百長もするし、違法な賭博にも手を出す生き物。そういう認識を持って、常に目を光らせないといけない。そういう力士の行為を取り締まる組織を作らなかった、その時点で今回の事件が起こることは必然だったといえるでしょう。

 相撲という興行から考えると八百長が一番の問題で、その次に野球賭博八百長に賭博が加われば相撲賭博となって、興行が金銭・金儲けのために崩壊するため絶対に許されないこと。

 それとは別の次元の話として、社会的な観点から、組織内部で上のものが下のものにパワハラのレベルを超えて暴行死させるという話があります。これはもう興行云々の話ではなく、社会が許さないこと。

 そういった興行上・社会通念上の二つの問題がある以上、取るべきことは相撲部屋に監視員を設けるしかない。あるいは抜き打ちで調査員を派遣することしかない。部屋の透明化・情報公開を徹底するしかない。部屋内部で「かわいがり」があまりにもひどすぎるということになったら、親方・部屋のトップとしての管理能力無しとして、指導資格を剥奪すること。また監視員による採点、チェックを年度ごとに公開することなどもポイントになるかと思います。

 そして「八百長」については、支度部屋や各力士の通信機器の不定期でのチェック・及び盗聴や監視カメラの設置。付き人制度を超えた相撲協会派遣の監視員を力士につけることなどなど、考えられる限りの対策を取ることでしょう。必要とあらば親方制・部屋制度の撤廃ということも視野に入れなくてはならないでしょう。そこまでやっても個人的に「八百長」というか星の貸し借りという習慣を根絶できるとは思えませんけどね。

■結論
 今回の日馬富士の事件は、度重なる不祥事にも関わらず、組織としての危機管理に対する認識の甘さと対応ルールの共有欠如=未熟さ。再発防止策として然るべき組織の整備とその部署の重視を怠ったことがもたらしたものだということ。今回の事件には組織として行うべきことを怠ったという当たり前の事実・背景を我々は決して見過ごしてはならないでしょう。続きます↓

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*1:※参照―貴乃花親方がバッシングされても相撲協会と決裂した本当の理由

*2:協会が一手に情報を集約して、マスコミが動き出すよりも先んじて会見を開かねばならなかった理由が書いてあります。いい文章なので一読をオススメします。【日馬富士暴行】相撲協会の「暴走」、貴乃花親方の「警戒」 |

*3:職務分掌 - 日本相撲協会公式サイトより