書評― アメリカ帝国の苦境―国際秩序のルールをどう創るのか ハロルド ジェイムズ
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人文書館というページのブックレヴューです参考までに。
ンで、己はどう見たかというと、スミスとギボンの古典的名著を上げて、その共通点「中心」は権力となり、パワーを持ち、ルールを作る。その「中心」から離れた「辺境」にあるものは否が応でも繁栄から取り残される。当初はその繁栄のおこぼれを預かるが、不公平はいずれ限界に達し、不平・不満を持って「中心」のルールや秩序に逆らっていく。両者とも、その中心には一つの求心力となる思想ーこの場合キリスト教という一神教に集約される。そこで寛容性を失い、「中心」は奢侈からなる道徳的腐敗と、賄賂など制度的腐敗に伴って堕落していく。寛容性の喪失と堕落で中心は辺境との戦いに敗れ崩壊する。
といったところでしょうか?結構ぱらぱら見たんで、読み込みが足りないと思いますがひとまずこんなところで、この書はいわゆる一連の「帝国論」関係の著書であり、米の世界戦略含め、世界秩序はどうあるべきかというものです。目次が
第1章 衰亡のモデル
第2章 水星と火星―商業か戦争か
第3章 曖昧にして不規則な体系におけるルールの問題
第4章 この状況は続くのか?
第5章 火星の勝利―戦争とグローバリズム
第6章 テルミヌス―周縁を越えて
第7章 神聖ローマ帝国とローマ帝国
結論
という章立てになっているように、どうやって衰退していくか→戦争と経済=力とカネ二つのハードパワーの観点からの分析、水星やら火星やらというのはこの手の論説に良くある比喩、火星=軍神アレス、ローマ神話でいうマルスで戦争の象徴。水星=ヘルメース、ローマ神話におけるメルクリウス(マーキュリー)で商売の神で経済の象徴、他には金星がネオコンの代表的論者の一人であるロバート・ケーガンによって、アメリカは火星に住むもの、ヨーロッパは金星という美の価値観に住むものとして違う思考パターンを持つものなのだと例えられていました(多分)。→そして現行秩序がどのようなものであり、どういったルール・秩序が適応されているのか、そしてその問題はどういったものなのかといった分析。→その将来の傾向・予測。→火星の勝利、戦争に舵を切っている状況の説明。→周縁・辺境の現状の説明。→EUは神聖ローマ帝国=意味のない政治機構になるのか、それともローマ帝国=今後を左右する政治機構になるのかという問い。まぁ、それができればEUがそのような米の軍事主導、単独主義を是正できるだろうという主張、メッセージ。→ラスト結論では文化多元主義、ローマ法王の葬儀で各宗教界などの人物が集まり、文明の衝突に代表されるような衝突論、戦争論を避ける話し合いがもたれたことによって、それがなされるという指摘。
と、大体こんな感じの構造だろうと、章立てから予測をしました。で、結論先読みした結果、まぁ深読みするまでもないだろうと見切りました。読書でも見切り千金、損切り万両です。
というのも、スミスの国富論では労働者が都会に集められ、単純な労働によって人間が都会に流され、教養のかけらもない人間に堕していくことに、いわゆる文明、資本主義による堕落の警告があります。そういうものからスミスとギボンを結び付けて考えようというのはいささか強引ではないのか?という気がするのです。もし、スミス・ギボンという二人の古典的業作に注目するのならば、そのまとめをもっと分かりやすく、かつ有意義なまとめをそれぞれ一つの章に設けて解説すべきであり、両者の共通点としてキーとなる概念をもっとくわしくまとめるべきではないでしょうか。上で説明した「中心」と辺境の関係、グローバリズムやキリスト教原理主義などの思想で寛容性を失い、求心力をなくし危機に陥る―これだけの主張で二人を引き合いに出す理由があるのだろうか?むしろ中心ー辺境・周縁などはウォーラスティンを持ち出した方が、文明の堕落の仕方などはマルクスでなくても資本主義の性質として避けられないもので、他にそういう分析をした人は多々いるだろうにと思ってしまう。
上にあげた他の人のレヴューのように1776スミスとギボン二人の大家の著作が同時に発表された年っていう指摘にやはり食いついてしまった口でした。金融危機を予言されていたってのは…ちょっとねぇ(^ ^;)、強引にすぎるかと。なんか本の煽りで「~~」を予言していた!!っての多いですね。本村さんローマの本とか結構好きなんですけど。それはちょっと無理やりかと思いますね。