てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

日本の一九八四年から 政治学と経済学の話

 過去記事の再掲です。元は10/12に書いたものです。

 

 『日本の一九八四年』を読んだ。読んだっていうか、読むこと自体は一週間くらい前に終わっていたが、まとめるのにメチャクチャかかった。いつものことだけど。

 普通、学問の泰斗と呼ばれる人間は、同じ説の繰り返しであることが多い。ご多分に漏れず、小室博士もウェーバーロジック、古代ユダヤ教&予定説(プロ倫→資本主義)とマルクスの疎外ロジックの繰り返しで学説を展開している。あの、おそるべき天皇教、イデオロギー成立のロジックも実はウェーバーロジックの応用に過ぎない。

だから、大抵膨大な著作がある人間でも、その名作といわれる一冊・二冊を読んでしまえば理解するのに事足りる。しかし、小室直樹は違う。彼のおそろしいところはその具体例、説の引用、論旨の展開に当たって用いてくる一つの事例が、モデルがまこと見事なものであることが多い。この一例を知れただけでも、この一冊を読む価値があったというような具体例がいくつも出てくる。

 この『日本の一九八四年』もそうだ。近代学問とは、人文社会科学とは、経済学に端を発する*1。そして政治学とは畢竟その経済理論の応用に過ぎない。近代資本主義=近代民主主義である。ここまでは理解していたが、近代政治学の理論とは、経済がレッセフェールである以上、政治はその経済を邪魔しなければいい。経済万能、古典的楽観論から始まっている。経済が、とことん国民生活を豊かにしてくれるから、政治は黙ってろ。突き詰めてしまえば、ここまで言っても言い過ぎではないだろう(イヤ、それはやっぱ言い過ぎだけど(^ ^;) )。経済学が主であり、政治学は従でしかないのである。
 経済学が主食なら、漬物程度でしかない政治学。だからこそ、政治学というのはろくな実績を残せていないのである。唯一の政治学者が丸山眞男氏で、あとは福田歓一氏か南原繁氏ぐらいではないか?まぁ、己が政治学に疎いのもあるけれども。
 経済学と政治学はセットで見なくてはならない。特に政治学なら経済学を知らずして、絶対に理解できないだろう。というか、経済学の主題、神の見えざる手に代表される予定調和説、市場万能主義の働きを知らずして、問題設定がそもそも出来ないからだ。現代でも食えなくなること、経済成長が低下したことから、全ての政治問題が発しているように、経済問題こそが政治問題なのである。

 ま、ここまで読んでくれない人、読んでわからない人のために簡単にいうと(そんな難しい話じゃないけど)、経済理論からスタートしているから、経済理論の展開次第で政治学は決まるという要素があるわけ。クリスマスデートプランの彼女の意向一つみたいなもの。高級レストランがいいとか、ディズニーシーがいいとか、彼女の意向一つ(笑)。
 それがマルクスケインズによって根底から変わった。何も手を加えるな!から、経済にはある程度手を加えなくてはうまくいかない!ということになった。そしてそれを決める政治が重要になり、政治>経済となって、学問形態の食物連鎖がひっくりかねないような驚天動地の時代に入ったわけだ*2。スーザンストレンジなんかが主張する前から、小室直樹は政治=経済学の重要性を理解・認識し、そしてその発展の必要性を説いたのにはここにある。経済学理解していれば、政治学なんて殆どあってなきが如しだったものが、そうではなくなってしまったのだから。
 ケインズ学か?それとも古典派経済学か?なんて論争はいつでもあるけれども、ここで重要なのはその論争が必然的に政治理論・政治学に直結するということであり、かつ世界中どこを見渡しても、そのとき政治は何をすべきかという政治学が成立していないということである。ケインズ登場以後計量経済学でもなんでもいいが、色々なものが出てきて経済学ははるかに進歩したが、政治学は進歩をしていない(扱う領域が増えてその分進歩したということも出来るのだろうけど)。言い方を変えると、比重が大きくなっても未だに経済学の従のままで方法論が進歩していない。

 『危機の構造』で、己が生まれる前から政治学は政治学で、経済学は経済学で有効なことを言うことは出来ぬ。社会科学、人文科学のありようが根本的に問われている。だからこそ心理学と経済学の橋渡しをいかにして行うか、ということを論じている。小室直樹とは社会学の泰斗ではなく、人文科学の泰斗であったのである。

 Wikiなんかみると川島教授から、氏から教わった法学を集大成させてよと言われたとか、書いてあるけれども、あれほどの天才をせしめて出来なかった。一生をかけて行おうとしたが果たせなかったのは、社会科学の再編・再統合だった。人文科学の復活・Adventであったのだ。であるからこそ、中根教授や富永教授など広範な学問を渉猟して、教えを乞うたのだろう。彼をしてできなかった人文科学の再統合はどこへ行くのか?クオヴァディス。

 本当は書きたかったことと違うけど、なんか長くなったからいいや、またあとで書こう。*3

*1:マキャベリの『君主論』が近代政治学の祖だろう、ソッチのほうが早いだろうーと思われる方もいると思いますが、科学の完成度として政治学よりも経済学のほうが高い。経済学は数学を使える。政治学でも数学的アプローチがないわけではないが、経済学のほうがはるかに範囲が広く、成果がハッキリわかる。そういった点から経済学のほうがより科学的ということ。無論、初期においてはあまり経済学/社会学歴史学/政治学の境界はないわけだけども

*2:まあ、そこまで驚天動地という程でもないか、当時の人ならともかく、今の人間にとってはさほど驚くことではない。パラダイムの転換くらいに捉えればそれで十分かな、今の人にとっては。政治の要素が大きくなったというのは確かだけど、政治>経済とまでは言えないわな。今更だけど

*3:今振り返ってみると何を言いたかったのか?政治学単独ではダメ。まあどんな学問でも複合的な視野、間学問的なことをやらないと有益なものは出来ませんよといういつもの提言ですかね?