てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

君主論③

君主論の続きになります(こっちは君主論①)。

かなり放置してましたが!!!∑(゜∀゜)かなり都合のいいというか短絡的にまとめてますのでご注意を。多分細かいニュアンスとか間違えてまとめてしまってるんで。これだけ長いな(笑)。バランス悪!

君主論 (講談社学術文庫)/講談社

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 訳が良くないっていうのがあったので、こっちにしてみました。章毎の構成をしっかり分析してありますしね。『君主論』と『リウィウス論』が君主の専制と共和制でまるで逆だ!プンスコ!(# ゚Д゚)なんていうのがありますけど、佐々木さんがいうように見当はずれですね。危機によってつくられた「危機の政治学」との評は的を得ていますね。

 七章、幸運と力量によって君主になったもの。幸運で君主になったものはその地位を維持し続けるのは容易ではない。チェーザレ・ボルジアやアレクサンデル六世のように実力で君主になったものはその逆である。不幸にして病弱であったため、全うできなかったが、その手法は全て権力・地位を確固たるものにすべき原理で貫かれていた。

 恐れられると同時に愛されること、厳しくあって同時に度量の大きさを示すこと。これをみて何故マキャベリズムが非難されるのかわかりませんねぇ。硬軟両面の視点があるのに…?ただひとつの失点は教皇にユリウスを選んだ点だと。佐々木注でチェーザレ・ボルジアは幸運と他者の武力で君主になったもののモデルであることに注意と。まあそもそも最初から君主で自己の力量をもって上り詰められるものにこの『君主論は必要ないですからね。

 八章、極悪非道な手段での君主。シチリアのアガトクレスの例。ついでフェルモのリヴェロットの例。軍隊から出てきて、反対する者虐殺支配した。残虐な支配者は長く支配を維持するは難しい。ただ上手く支配する―この言葉が正しければ―やり方があるとするならそれは初めの一度だけで、後は穏やかな統治をすること。君主となって、権力の地位に登って、ますます残虐になるようなら、それは間違い無く下手なやり方である。加害は一度に、恩恵は徐々に長きにわたってというのが統治の鉄則である。

 九章、民衆の支持によって君主になったもの。貴族でも民衆でもその支持を得て君主になったものは民衆との関係を考えなくてはいけない。貴族より民衆から支配者になった方が支配しやすい。貴族は同輩である君主を引きずり下ろすことも容易いから。

 民衆に基礎を置くのは泥土の上に自らを置くが如しというのは誤りである。というのはそれは民衆に確固たる支配の基礎を持っていないがゆえに起こる。役人を通じての民衆の支配はおのが地位を危うくする。必ず自ら民衆を支配しなくてはならない。平時には民衆はとりあえず支持をするもの。平時の支持を恒久的なものと思うな、当てにするな危機においても必ず君主自身を支持するシステムを考えておくこと。民衆が必ず君主を 支持するシステム=民衆を支配するシステムをいかに築くか

 十章、支配者の力の測定法。民衆の支持・堅固な防備・十分な食料。それをもってすればいかに強力な軍隊といえども簡単には落とせない―ここら編は当時の兵器事情なんかを連想させる発想ですね

 十一章、教会の支配について。その安定性それとオルシーニ派とコロンナ派の派閥争い。どちらも互いを根絶できない不安定な状況。

 十二章、傭兵。君主の支配の基礎とは、良い兵と良い法。良い法なくして良い軍隊はない。逆もまた真なり。傭兵は短期的結果しかもたらさない。現状のイタリアの混乱は皇帝の撤退と教皇の世俗介入。そして傭兵隊による分裂の維持である。良い法=良い軍=良い秩序統一、これができるものが良き君主ということか

 十三章、援軍。コンスタンティノープルの皇帝がギリシアに一万のトルコ人を援軍で送った時、戦争が終わっても引き上げず、これがトルコ支配のきっかけになってしまった。援軍による勝利よりも、自己の軍隊での敗北が好ましい時がある。要するに傭兵も援軍もマイナス点に注意し無くてはならない、諸刃の剣。である以上自国の軍備というものに何よりも力点を置くべきなのだ。

 シャルル七世はそれを知り、騎兵・歩兵の軍備に力を入れた。が、息子のルイ十一世は歩兵部隊をスイス人傭兵にしてしまった。軍隊なき君主の安定はありえない。逆境による防衛能力なき君主は運命に引きずられるままとなる。

 十四章、軍備に関する君主の義務。それ故に君主というのは戦争・軍事組織・軍事訓練以外に目的・技能を持つべきではない。これこそが君主に要求される能力の本質なのだ。フランチェスコ・スフォルッツァはミラノ公になりえたが、子孫はその軍隊の労苦を逃れようとしたためにその地位を保てなかった。

 侮辱・疑惑があるとき、双方の関係は安定しない。無論協力などできない。よって軍に無知な君主は軍隊との関係を良好に保てない。アカイアのフィロポイメンのように平時であっても、地形からいかなる陣形が可能か常に想定し、習熟しておかなくてはならない。準備の結果不意のときでも対応できないという事態を招くことがなかった。

 注でマキャベリは『戦術論』で文人君主・貴族君主、ルネサンスで浮かれているような傾向を持つそれを否定していますね。むしろ軍人君主がその地位を保てない背景こそ気になるところではありますけどね。おそらく軍備を保つような経済力がないからでしょうね。軍隊ほど金を食うものはないですし。西や仏の君主にかなわないとか、諸都市で独立傾向が強い経済的対立関係にあって、容易に政治的統一なんて言うものができない背景があったんじゃないですかね?軍事・経済・政治の利害が多分対立していたという気がしますね。宗教的にはどうかわからないですが

 十五章、伝統的な君主論と違い一般的に悪徳とされていることでも、時に君主は行わなくてはならないという説明。日常生活の一般人の倫理と政治家の政治倫理とは異なる―常識ですね。やはりこれを初めに主張したのはマキャベリということになるのでしょうかね

 十六章、気前良さとケチについて。適度な範囲での気前良さでは気前がいいという美徳に繋がらず、評判を勝ち取るためのレベルにまで気前を良くするとそれは豪奢にならざるをえない。豪奢にならないと評判は勝ち取れない。結局浪費となって汚名につながる。気前良さ、褒美のために重税を課して悪評を買う。それでは元も子もない。君主はケチということを恐るべきではない。はじめは悪評となっても結局それによって増税をせずに防衛が可能、また軍隊を動かすことができるとなれば、臨時増税による悪評を買わなくて済むため。気前良さとは臨時増税をしないという評判によって獲得するべきなのだ。トータルでプラスになるからケチを選べ。事業をなした人物は例外なくケチである。

 ただしカエサルのようにこれから君主になろうという人は、君主になるまで気前の良さというものを出す必要がある。君主というものは、①君主②臣民③第三者(おそらく他領土の住民)の三者の財を必ず使わなくてはならない。自己のものはケチとなって節約し、他者の財には寛大さを示してやらなくてはならない。他者の富を奪ってはならない、それに限っては十分に気前良さを示せ(要するに徴税権を行使するな!増税をするな!)。強欲を伴う気前の良さは破滅を招く。ならば単なる悪評を招くだけで済むケチをとれ。結局それが一番合理的で安上がりだと。

 十七章、君主は畏れられる・愛されるどちらがいいのか。通常は後者、愛されて慈悲深いという評判を取るべし。チェーザレ・ボルジアは残酷の評判をとった。しかし彼が残酷でなければ、被害はもっと大きくなり、結果はもっと残酷なことになった。慈悲深さを優先して結果が悪いことになるなら、君主は残酷であることをためらってはならない

 新しく君主になるものはその権力移行から残酷にならざるをえない。両方を得ることが好ましいが、両立できないときは愛より恐れを選ぶべし。愛は裏切られるが恐怖は裏切られない。人の性質が悪に流れるとき愛ではなく、恐怖で動かすことが合理的である(という風に言ってはいませんが当時の時代背景を考えるとこう解釈するのがわかりやすいでしょう。混乱で荒んでいる人の心を束ねるには性悪説がふさわしいということですね。別に普遍的な人間の原理を彼は考えていないと思うんですけどね、平時ならまた別の原理原則が働くと彼も分析したでしょう。あくまで分裂・乱世と見た上での現状分析、その上での理想ですからね)。

 愛されなくとも、憎まれてはならない。憎まれずに畏れられるべし、財産と婦女子に手を出さなければたいてい可能。人を殺すには明確な理由がいるが、財産を奪う口実はいくらでも作れる。ゆえに一旦始めると止まらなくなる。ハンニバルの過酷な行軍でも軍隊が崩壊することなかったのはその統率力に因る。そしてその軍隊の統率は残酷さに基づいていた。スキピオは慈悲深きゆえにイスパニアで反乱を招いた。スキピオが勝ったことはスルー?はたして元老院というシステムに帰せられる性質なのかな?ココらへんはリキウィス論にかいているようだけど

 十八章、誰もが君主が信義を守る重要性を知っている。が、結果は狡知が信義に優っている。闘争は法と力の2つがある。後者の場合は野獣の領域。君主は知と力、両方の部分に精通している必要がある。アキレスが半人半獣という神話はこの教訓に基づく。君主はどちらかがかければ成り立たないのである。狐と獅子から例えて、狐がいなければ罠を見抜けない獅子は生きられず、獅子がいなければ狐は狼に食われる。

 もし、約束をした根拠が失われて守ることのできない場合、守る必要はない。そもそもできないから言わずもがな。すべての人間が善人なら、このような勧告は良くないが、 人間は邪悪で君主に信義を守らない以上、君主もまたそれにとらわれる必要ない。ちゃんと環境・背景がダメだから、という条件節がついているのに、マキャベリが言ったことを普遍的に解釈しているのはなんなんでしょうかねぇ?時代・環境が変われば当然変わるに決まってるでしょうにね。あれか、答えがいくつもあるということがわからないから、理想は一つでしかありえないという例のアレに基づくものか、それでも危機や平和状況の違いということで理解できそうなものだけどね

 君主が平和や約束を破り、狐が勝利してきたことは歴史を見れば明らかである。アレクサンデル六世は大げさに約束を強調し、宣誓してそれを守らなかった人間はいなかった。彼ほど人を欺くのに通じていた人間はいなかった。それでいて君主は誰よりも倫理的な人物と思われるように装わなくてはならない。君主を判断するのは手ではない、目である。目を持つものは周囲の少数だけ。実像はわかりようもない。君主を裁く裁判所のようなものがない限り(ここらへんは現代に通じるものがありますね)、君主を判断するのは結果だけである。よって君主は結果だけを気にすればいい。勝利と権力の維持こそが尊敬と名声につながる。注、前提はキケロの義務論と、それに対するアンチテーゼか。なるほどね。

 十九章、君主は軽蔑と憎悪を避けるべきである。財産と婦女子を奪わなければ憎悪を避ける事ができる。一般のそれを避ければあとは少数者の野心だけであり、それを弾圧するのはたやすい。当然弱いと思われてはダメ、強いと思われろと。そういう君主に陰謀を抱くものは少ない。弱いものは狙われ、排除されるということだろう。脅威は内か外か、内から防げればあとは外。軍隊を持って国内基盤を確固たるものとしておけばそうは困らない。強い軍隊を持てば自然と同盟国も持てる。同盟国が外からの脅威を緩和してくれると(まあ、持ちつ持たれつですね)。

 外患がない場合、気をつけるべきは陰謀。臣民からの憎悪と軽蔑がなければ陰謀を成功させる余地は少ない。憎悪は君主の暗殺・排除を正当化する。逆もまた真なり。仏王は民衆に嫌われる貴族の抑圧に第三の法院を設けて行った。これは極めてうまいやり方。民の保護と貴族の弾圧という目的をただ行えば貴族から嫌われる。それを第三者機関経由で行えば憎まれることもない。君主は刑罰(非難を招くこと)は間接に、恩愛は直接的に行うべきなのだ。

 表面上ローマ皇帝の実情と違うように思われるが、破滅の要因はすべて同じ。普通貴族と平民の関係を抑えればいいのに対して、ローマ皇帝は軍隊・兵士と向き合わねばならなかった。兵士は俸給を倍にすることを求め、常に民衆から奪おうとして、皇帝は民衆と緊張関係にあわなくてはならなかった。君主は臣下全体に憎悪を持たれてはならないから致し方無い。それすらも全うできないときはその有力なものから憎悪を持たれないようにするしかない。成り上がりは基盤がないゆえに、格別待遇を良くしなくてはいけないから、兵士との関係を良好に保とうとして民衆の怒りを買った。

 ペルティナクスを擁立し、自分たちの望みが叶えられないとまたあっさりと彼を除いたのもそう。君主の徳が高くとも兵士を満足させるために、兵士を止めることはできなかった。その地位を世襲したマルクスだけが威令を保てた(世襲とは秩序が不安定で、特に軍事政治に流れやすい時に非常に有効ということですね)。アレクサンドルは善良で十四年間彼の判断に死刑になったものはいなかったという人物だった。が、結果破滅した。対照的にコンモドゥス、セウェルスカラカラ、マクシミーヌスは狐の狡知を持っていた。セウェルス以外破滅したが。

 セウェルスはペルティナクスの復讐を名目にローマに進軍し、帝位を取り自分のライバルである東のニゲル、西のアルビヌスを謀って、まずアルビヌスと組んでニゲルを討ち、その後元老院にアルビヌスの不義を訴えて排除をした。その息子アントニウスは優れた軍人であり、貴族文化に背を向け軍から愛されたが、ローマの大部分アレクサンドリアの全人口を殺してしまい、部下から見放されて殺された。君主は自ら近いものの暗殺を防ぐことはできない。彼は百人隊長の兄弟を侮辱して殺害し、脅迫していたにもかかわらず、身近に置くという誤りを犯した。身近な部下に危害を加えて嫌われてはならない

 マクシミヌスは羊飼いという生まれの卑しさと、皇帝につくのをためらって地方総督の放埒を許したとされて残酷の評判を勝ってしまったため、破滅した。ローマのように地域の統治と行政が軍隊と一致していないために、現代はこのように悩む必要はない(軍隊と行政の一致がもたらした弊害を恐れるがゆえの嫌軍思想があるのかな?)。兵士を満足させるのは、多少配慮をしなくてはならないとしても容易い。ローマは民衆より兵士の方が強力だった。トルコとスルタン以外では兵士よりも民衆の満足に重きをおくべき。トルコは一万二千の歩兵と一万五千の騎兵からなるため。常備軍は強力だが兵士の意向を優先し無くてはならないというデメリットがあるということですね。スルタン王国もすべては兵士の手中にある。教皇のように世襲王国も新王国でもない。権威あるものが選抜する。だが選ばれたものは権威によって認められ、新君主のような困難に直面することがない。

 二十章、砦・武装解除。新君主は武装解除をすることはない。それは不信・無能の現れであり憎悪を招くから。むしろそうしていないところを必ず武装させ自己の配下とした。信義・恩賞から君主と結びつくため。新領土は武装解除し、君主の配下と入れ替える必要がある。

 賢人は党派争いで、また砦を築くことで統治を安定させるべきというようなことを残しているが、分裂がいい結果を残すとは限らない。有力な二党派に集約され、多数派はコントロールが難しいし、少数派は違う外部と結びついて思わぬ結果を巻き起こす。ヴェネツィアはまさにグェルフ党とギベリン党でそれを行ったが、見事に失敗した。平時では有効でも戦争となればどうなるかわからない。

 君主は新事業・偉業によってその地位を高める。故に運命の女神は世襲より、新君主に困難を与える。敵・戦争を克服して君主はますます偉大になる。新支配に協力した者より、敵対した者のほうが忠実な味方になる。というのも手引きをするものは不満だから裏切ったのであり、要求が満たされれば条件はフリーになる。が、敵だったものはその地位を安定させるために新しい支配者に協力してその地位を確保しないといけないため。外様は不評を払拭し無くてはならない。柴田勝家ですね

 砦は役に立つこともあれば、立たないこともある。国内の反対者を抑制するため、不意打ちを食らった時のための防備として役に立つ。国外より民衆を恐れているなら砦を設けるべし。最善の砦とは民衆に憎まれないことである。民衆に憎まれた支配者は、民衆の蜂起によってたやすくその地位を失う。内応に協力する国外勢力に事欠かないから。砦を持とうが持つまいが君主の偉大さには関係ないが、それによって民衆と対抗することを気にかけないものは非難されるべき君主である。

 そもそもそんなことをやって国内情勢を不安定化させるくらいなら、国外へ亡命すべきだろう。ココらへんに書いてあることは武田信玄の人は~の格言で城に住まわなかった故事を連想させますね。時代も結構近いですし。屋敷だけで十分ということはそれだけ統治を安定させたわけですし、逆にそうするぞ!っていうPRでもありますよね。民と一蓮托生といいますか。赤備えとかも一体感を重視する信玄ならではなんでしょうなぁ。税の要諦は軽きでも重きでもない公平にあり!って言ってましたしね。連帯の重要性を信玄は見抜いていたんですね。支配の初期には砦を築いて安定化に努めよ!統治が軌道に乗ったら廃止して一体感を重視せよ!というところでしょうかね

 二十一章、尊敬を得るために。イスパニアアラゴンのフェルディナンドはグラナダ攻略という新事業を掲げ国内貴族をそちらに釘付けにし反乱を考えさせないようにした。教会と民衆の財で軍隊をやしない、自らの権力を確立し、敵から財を奪った。アフリカ・イタリア・フランスと続けその事業で皆を魅了した。ベルナボの様に内政でも稀な実例を示し、賞賛を受けるようにすべき。

 有力な権力者の争いには旗幟を鮮明にすべき、中立はダメ。中立は両者から恨まれる、両者を敵に回す。勝者に制裁の口実を与えるし、敗者からは憎まれる。勝ちに乗じることができるし、負けても避難できる、匿ってくれるものが現れる。態度を表明しないとそのどちらも期待できない。アンティオコスとアイトリア人とローマの使節の話が明示している。アンティオコスの使節は中立を求め、ローマ人は協力を求めた。ローマの使節いわく「中立に先はない。感謝も尊厳もなく、待っているのは勝者の餌食になるだけだ」と。中立とは強者に許された特権、または周囲・環境が許す特定の条件でのみ成立することですね

 やむを得ない場合を除く君主は自分よりも強力なものと同盟を組むべきではない。勝利をしても虜にされる。そういう状況は避けなくてはならない。ヴェネツィア避けられないわけでもなかったのに、フランスと組んでミラノ公を叩いた。結果は破滅。教皇イスパニアロンバルディア攻めをしたときに、フィレンツェがそうしたような選択の余地がないときはやむを得ない。君主はいつもはっきりした安全策をとれるなどと考えるべきではない。むしろ極めて疑わしい方策をとらざるをえないと考えるべきである。いつも選択は苦渋である。一つを得れば、一つを失うという性質であると考え、その中でより悪くないものを選択すべきなのである。そう考えることこそ賢明といえよう。

 君主は才能を愛し、それぞれの職業に打ち込めるようにしなくてはならない。奪われると恐れて所有物を隠したり、課税を恐れて商業取引を止めるようなことが無いようにしなくてはならない。支配地の繁栄を考える人間には褒賞を与え、特定の季節に祭り・催しを行い夢中にさせなくてはならない。業界組織や区分されている団体と席を共にし度量を示すべき。でも威厳を失わないように心がけるべき。

 二十二章、君主の秘書官について。賢明な君主は有能な大臣を持つ。人間の頭脳には、自らの力理解するもの、他人の意図を察知するもの、そのどちらも介さないもの三種類ある。第一は非常に優秀であり、第二も優秀である。最後は論外。自らの力・創意がなくとも、他人の意図を介して大臣の行為の是非を正確に判断出来る。要するに自らが優秀でなくても、部下を使うことで補えることがあるということか。良い大臣かどうか見分ける方法は、彼が自分の利益ではなく君主の利益を追求する人物かどうか。自分の利益を追求するような人物は信用出来ない。名誉と責任を与えて配慮すること、それで君主なくしては自分の大臣の見が全うできないことを自覚させる。十分な名誉と富があれば邪な思いも抱かない。逆に富と名誉がない場合、相互に信頼は構築されない。このようなとき両者の間に何が起こってもおかしくない。注に貴族に代わって君主の秘書官・大臣が重要な役割を果たす転換期で非常に示唆に富んでいるとあります。なるほどね君主の政治方法の未来予測をしたわけね。

 二十三章、追従について。君主には追従、侫臣がはびこる。それを避けるために直言を許せば、好き勝手に行われて威信が損なわれる。そのため領土内の賢人に限定をすべき。しかも自分が下問した時にのみそれを許すようにする。彼らの意見が腹蔵なく、進言すればするほど受け入れられるということを周囲に知らなくてはならない。これら以外の人の意見は受け入れず、決断は断固として行い、守り続けなくてはならない。

 いい例が皇帝のマクシミリアン。彼の使節ルカ神父によると彼は誰にも相談することなく、自分の判断で行ったことがなかったという。これは真逆の実例である。秘密は守り、誰にも打ち明けることはなかったが、計画を実行する段階になって、それは知られるところとなり、側近の反対によってたやすく計画を翻した。ある日決まったことが次の日にはもう廃棄となった。彼の意図を知る理解できるものがなく、こういう状態ではもはや誰も彼に信を置くことはなかった。

 君主は他人に助言を求め無くてはならないが、自分から欲するのであって、他人が欲するようであってはならない。こちらが要求していないのに助言をしようという気持ちを起こさせてはならないのである。頻繁に下問し、忍耐強い聞き手でなくてはならない。誰かが何らかの配慮によって真実を言わないとき不快な表情を示さなくてはならない(表情だけでいいのか?)

 優れた君主の評判を部下が優秀であるということに求めて、君主の優秀さと直結しないのであるならそれは誤りである。なぜなら次の一般原則、賢明な君主以外は良い助言を得られない(用いることができなでもいいだろう)。例外は思慮深い一人に完全に委ねていること。しかしこういう事態は長く続かず、いずれ必ずその人に君主の地位を奪われる。賢明でなければ、複数の助言を聞いても、意見をまとめられない。助言者は自らの利害に基づいた意見であるから、それを理解し矯正することもできない。人は理由があって忠勤に励む。受けいられなければ反逆するしかない。結果、君主の思慮から良い助言というのは発するのであって。幾ら良い助言があったとしても、そこから君主の思慮とはならない。助言が手助けになることにはあっても、最終的決断というものが君主の手に帰属するのだから、無能だったら複雑な背後関係をそもそも理解できずに適切な判断を下せるわけがない。いちいちそれを論ずるまでもないだろう

 二十四章、イタリアの君主たちはどうして支配権を失ったのか。以上のことを守れば新君主も伝統的君主のように安定した統治が可能になる。新君主のそれは一挙手一投足すべて注目を浴びるもの。有能ということが広まれば、過去より良い現実を提供できるならば、その現状に満足するからである。民はその支配に満足すれば、君主が失敗しない限り、いかなる労苦もいとわずに協力をしてくれる。安定の上に、良き法・軍隊・同盟国を持ちそれを確固たるものにすれば、君主は二重の栄光が得られる。逆に生来君主であったものがその無思慮でその地位を失えば二重の不名誉を受けることになる。

 ナポリ王・ミラノ公のように支配を失ったものはまず指摘した軍隊の問題があった。次に民衆を、あるいは民衆は見方につけたが貴族満足させられなかったという要因で地位を失った。こうなると戦場に軍隊を送るという強力な支配権を保てなくなる。このような君主は運命ではなく、自己の無気力を責めるべきである。平時において危機への備えを怠り、逆境において逃亡をし、勝者が民の厭気によって追放されることをただまつのみ。他の方策がないならともかく、これに期待をしておろそかにするような君主は論外。君主は他人の助けを当てにしてはならない。例えあったとしてもそれは自己の地位を不安定にするものである。それは卑怯で自力によらないもの、自信と自力による防衛こそが確固としており永続的である。

 マキャベリ君主論は陰謀とか相手の領土をいかにして奪うかということ、謀略の性質が極めて弱いんですね。いかに自分の身を守るか、安定を保つかという国防中心に論じられていることが見逃されてはしないですかねぇ

 二十五章、運命とそれへの対決。運命と神の支配は大きい。しかし半分それに支配されているなら、もう半分は人間の自由意志の余地が残されていると考えるべきである。運命は洪水のように大きな力であるが、堤防など準備をすることで対策が取れないわけではない。

 君主の性質が大して違いがないのにあるときは栄え、ある時は滅ぶのを目にする。これは時勢に応じた行動様式に合致していたためそうなる。目的に対し種々様々な手段があるが、真逆のそれでも成功することがある。全てはそれが時勢に合致しているかどうか。よって時に両方でも成功すれば、一方が成功し、一方が失敗することになる。

 時宜に適して栄えていても、時勢と四囲の情勢が変化すれば、彼の行動様式を買えない限り滅んでしまう。人は自らの性向を変えること、過去の性向があれば尚更変え難い。教皇ユリウス二世のボローニャでの行動は彼の大胆な行動が時勢に適して成功を収めた。短命であるがゆえに時勢の変化を経験せずに済んだが、慎重を要求する時勢に彼の性向は適応できなかっただろう。もし到来していたら行動様式を改めることができない彼は破滅していた。

 結論として、運命は変転する。運命と行動様式と一致する場合成功し、一致しない場合失敗する。経験上、慎重より果敢な方が好ましい。なぜならば運命は女神であり支配するなら打ったりついたりする必要があるから。運命の女神は冷静より果敢を好む。運命の女神は同じく若者の味方である。若者はより乱暴で、慎重差にかけ、より大胆であるから。さしづめいまのような時代では運命は女神でなく、男神というところかな

 二十六章、イタリアを蛮族から解放すべし。今のイタリアほど有能な新君主が支配するのにふさわしい時勢はないといえる。危機・苦難の時こそリーダーが求められるため。イタリア再建、英雄待望論ですね。イスパニアは騎兵隊を支えられず、スイス歩兵は同じ力量の相手に恐れを抱く。イタリアから新制度、武器の様式・操典の改革によってこれを凌駕する軍隊も可能というのは興味深いテーマではありますけど、実際どうかな?強いイタリアを望む願望がどの程度あったのか?英雄があればマキャベリのいうような改革は実現できたのでしょうか?むむむ。