機関銃の社会史
- 作者: ジョンエリス,John Ellis,越智道雄
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2008/02
- メディア: 単行本
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※珍しくアマゾンレビューがオモシロイと思ったので、レビューもおすすめですね。
『機関銃の社会史』です。ツイッターでまさに社会史の見本といえるものだというツイートを見て印象に残っていたので読みました。たまたま図書館で目に入ったのでね。もちろん読んでも面白いと思える本でしたが、選んだテーマが正解という感じがしましたね。社会の変化を象徴するものこそテーマにされるわけで、もとよりそんなに扱うものがないですね、社会史って。まあテーマ史みたいなものと言って良いんでしょうかね。
テクノロジーは大きく社会を変えるので、テクノロジーであること。軍事兵器であり、ほとんど初めての産業機械兵器ということで、世の中の変化に大きく関わるので、そういう点でもインパクトが大きい。
戦争の仕方に、植民地のあり方に、戦場での貴族という上層階級の否定*1という意味でも、社会を大きく変えたわけで、テーマの繋がりはどこまでも広い。問題の広汎性…視野をどこまでも広げられることが大きいですね。
欧州のそれまであった人種差別的なものを増大化させ、同時に破壊することにもなった機関銃という兵器は社会史の題材として恰好なものだと感じましたね。植民地における少数で多数の敵を制圧する手段として用いられてきた機械兵器が、同じ国民である労働者に対する鎮圧用に使われたというのも同様ですね。ここまで来ると、産業化・機械化の問題というよりも、自分たちが所属しない階層に対する権利意識の欠如、徹底した差別・非倫理的思考というものに目を向けたくなってきますね。欧州のような異民族が当たり前に存在する社会では、むしろそれが当然の発想になるのでしょうけども。
機関銃によって身分差別的な貴族の特権意識も消え去り、同時に植民地や労働者へも向けられるという両義性があるというのも、興味関心を駆り立てる格好のテーマと言えるでしょう。
以下気になったところメモ書き。
機関銃という発想自体はすでに14世紀に存在していたが、技術上の制約によって製造は不可能だった。一斉射撃は出来ても連射が不可能だったり、持ち運びの問題だったり、故障・暴発などの問題があったと。
革新的な新兵器でありながら、旧式・伝統的な戦争に固執する上層部の反対があって、機関銃が正式に採用されるのは第一次世界大戦となった。機関銃の登場によって、大会戦で戦争の勝敗は決まる。戦争の決着は一度でケリがつくという常識が変わる。突撃戦術は無力化され、塹壕とそのための鋤が重要になる。長期戦という変化に繋がると(その後には機関銃を無効化する戦車が来ると)。
機関銃が大々的に使われたのが米、南北戦争。人手不足により機械の需要があったこと。機械化を否定する職人がいなかったし*2、軍部に突撃戦術に固執する貴族がいなかったという背景が大きい*3。ヨーロッパの技術革新は殆ど機関銃に貢献しなかった。1914年英独ともマクシム銃の特許を元に製作している。ヴィッカーズ社が英陸軍省に納入していたのは14年でも10丁程度に過ぎなかった。それが戦争終結までに25万丁に至る。
労働者の対ストライキに機関銃は使われた。
貴族を中心とした士官においては、団体精神は育まれたが、外界の感受性はすっかり失われた。英仏独どこも同じ、高いパーセンテージを占めた。特に上層においてそうだった。突撃>機械という発想。エンゲルスは士気ではなく、装備・兵器を揃えたほうが勝つという現代人的な常識をわざわざ書いているのはこのため。変化を指摘する忠告はあったが、士官はその考えを変えようとはしなかった。英士官の話で読書嫌い・手紙も書かないという話がある(脳筋傾向がああった?昔の武道家みたいに知恵を毛嫌いしたのか?)。
騎兵隊への固執。戦勝=彼らの精神性であり、名誉=存在意義に繋がるものだった故。
普仏戦争で仏軍の機関銃は存在したが、砲兵隊の補助として使われていた。Ifを考えると面白い。もしこの戦争で機関銃が使われていたら…。
日露戦争での威力・効果によって、独が習い、仏がこれに続いた。英は最後、実戦においてようやくだった。実は戦争のたびに軍隊を結集・解散する米陸軍でも機関銃の重要性の認識は遅かった*4。
植民地での機関銃の使用が、その統治に大きく貢献した。現地人に対して機関銃を使用することにためらいはなかった。しかし実際には、英人の優秀性による勝利として報告された。そのために「突撃による勝利」という嘘に変わった。日本軍だけではなく、軍隊における組織的腐敗というのは欧州が先駆者だったわけだ。機関銃という存在が知れ渡っていても、精神性の前には無意味と、突撃によって生き残った兵士たちが相手を倒すと考えて、機関銃の前に突撃をした。これを英式<玉砕>と言わずしてなんと言おうや。*5白人に対する機関銃という非人道的兵器の使用は自重されるというよりも(もちろんそういうものもあっただろうが)、機関銃というたかが機械は「騎士道精神の前には無意味」という思いのほうが強かったと思う。
フェアプレー・スポーツの発想。そもそもスポーツが戦場における訓練の一種として発達した。そのフェアプレーが戦場に持ち込まれないと考える余地が当時はなかった。もしあっても、そのような卑怯は美徳、正義の前には敗れ去るという発想だろう。
米でギャングの象徴になるという話もありましたが、まあそこら辺は、もうちょっと関心外ですかね。戦場で単なる一兵器となった後は国内の武器として意味合いが大きくなったということなんでしょうけどね。
93年著でありながら、キリスト教ファンダメンタリズムについてあとがきで筆者は論じている。なかなか鋭い視点を持つ人物だなと感じさせますよね。まあ個人的には軍事とか兵器に興味がある人間ではないので、そこまで惹きつけられない記述が多かったのですが、拾い読みしても十分面白いかと。
※追記、忘れていた。英外交において貴族こそが重要な役割を果たした。民主主義の健全さを保つためには、貴族というものが必要なのではないかと考えたが、軍部におけるこの害悪も同時に指摘しなければいけないだろう。当然貴族には政治と外交だけやらせておいて、軍事は任せるなといえば済む話ではないことは言うまでもない。特定組織において支配的な階層や集団になることを禁止すれば貴族制のメリットが発揮され、デメリットは抑制されるだろうか?いずれ何らかの結論を出したい。
*1:貴族が指揮官となって優れた戦術を発揮していた、本書では突撃戦術がそれとして取り上げられています。きっと他にも貴族の戦術指揮の重要な役割があるんでしょうけどね
*2:欧州において職人階層が機械化を阻んだことを連想されたし。その差異がその後の機械化・産業発展の違い…テクノロジー発達の違いとなって現れる
*3:米には貴族と職人がいなかったというのがポイント
*4:本家本元の米において機関銃の重要性の認識の遅さは現代の警鐘として使える気がする。重要な変化を認識できず同じ失敗を繰り返す現代の米に通じるものがあると思う
*5:美徳や正義という精神性を持ち込むとものを見る目が濁って、客観的な認識を歪めてしまう。あえて言うほどのことでもないが。そもそも文化人類学以前の歪んだ固定的な見方をするレイシズム全盛の時代にあっては客観的な認識すら難しくて当然か。ウェーバーの客観的認識に対する「事実」と「当為」の違いを峻別せよという論文の発表が1904年でそれが常識化したのはずーっと後ですからね